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心の鎖  作者: momo
六章 ふたたびの夏
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恋の自覚と敗北者




 砂糖菓子の様にふわふわした貴族のお嬢様。

 アルフェオンの隣に並んでも引けを取らない可愛らしいレティシアに自分は嫉妬しているのだと気付くと同時に、イオは自分がアルフェオンに家族以上の想いを寄せているのだと気付かされる。


 イオはアルフェオンが好きだ。だからこそあの素直で可愛らしいレティシアに嫉妬し、その嫉妬心が自分でも解らない間に表に出て、他人の目から見るとイオがレティシアを虐めている様に見えてしまったのだろう。


 気付いた瞬間、イオは自分が嫌で嫌でたまらなくなった。悟られないよう居間を出て自室に篭ると寝台に顔を押しつけて涙を堪えるが、イオの思いを無視して次から次にと涙が溢れ出た。


 レティシアに何か言われていないか、彼女が誰だか知っているかと聞いたのはどういう意味だろう。腕を組んで語り合う二人の姿が頭から離れない。あれから随分たったが二人の仲は更に深い物へと変わっているのだろうか。それをレティシアから、アルフェオンから聞かされるのはいつ? 政略結婚までして地位や権力は手にいれたくないと思っていても、好きになった相手がそれを叶えてくれるのならアルフェオンにとっては一石二鳥だ。家族として祝福してやるべきなのに、自分だってアルフェオンを愛しているんだと気付いた今は到底無理な話だった。


 様子のおかしかったイオを心配してアルフェオンが扉を叩いたが、イオは口を塞ぎ息を止めて寝たふりを貫いた。思いきり泣けたらすっきりするのかもしれないがそれでは二人に気付かれてしまう。このままの関係を貫いて行く為にもこの気持ちは誰にも気付かれたくなかった。


 一晩泣けばきっと落ち着くと声を押さえて涙を流す。そうしていつの間にか眠っていたが、陽が昇ると同時に浅い眠りから目覚めると酷い気だるさに体を起こせなかった。なかなか起きて来ないイオに痺れを切らしてイグジュアートが許可なく部屋に入って来たが、イオを見るなり声なき悲鳴を上げるとアルフェオンを呼びに走る。

 泣いたせいで酷い顔をしているんだろうとぼんやりした頭で想像していると、アルフェオンがやってきて額に大きな掌があてがわれた。冷たくて気持ちいいと瞼を閉じるとそのまま意識を飛ばしてしまう。


 「―――イオ。」


 優しく名前を呼ばれ重い瞼を開くとアルフェオンの茶色の瞳が穏やかにイオを見下ろし、冷たい手拭を額に乗せてくれていた。


 「熱が出たんだ、疲れているんだろう。今日は一日静かに寝ているんだ。」

 「でも―――」


 仕事があるしアルフェオンやイグジュアートにも迷惑をかけてしまう。鉛のように重くなった体を起こそうとすればそっとアルフェオンに肩を押され遮られた。


 「心配しないで休んでいなさい。サリィにも話しておくから、ね?」


 躊躇しながら分かったと頷くと、いい子だねと子供をあやす様に労われる。そこへ水差しと切った果物を持ってイグジュアートがやって来た。


 「食えないかもしれないけど水だけは飲むんだぞ。」


 碧眼が心配そうにイオを見下ろす。

 ああ、素敵な家族を失いたくないと零した涙は熱のせいにし、イオは勧めに応じて瞼を落とし眠りについた。






 *****


 アルフェオンが眠りについたイオを残して階下へ降りると、眉間に皺をよせ腰に手を当てたイグジュアートが待ち受けていた。


 「お前ならいいって思っていたけど、これ以上泣かせるならお前にも絶対に渡さないからな!」


 美しい顔に怒りを湛えアルフェオンを睨みつけている。イグジュアートは周囲が思うよりもずっと聡い。

 イオを姉とも母とも慕うイグジュアートはアルフェオンが把握する以上にイオの周囲で起きている事を的確に把握していた。

 レティシアの件に纏わる噂もアルフェオンより先に気付き、それに乗じてイオに悪さをしようと目論む男達を感情露わに蹴散らしているのもイグジュアートだ。イオを誰にでも股を開く軽い女だと噂を広めた騎士などは、今は男色の気だと自他共に認める様に仕向けられている。


 「わかっている。」

 「わかってんならなんで怒らないんだよ!」

 「怒っているよ、これでもね。」


 いつも穏やかな様でいてアルフェオンにもちゃんとした感情があるのだ。怒っていない様に見えてもちゃんと怒っている。ただイグジュアートの様に感情露わに好き勝手出来る程の子供でもないと言うだけで、イオが大丈夫と否定しても成り行きを見守れなくなる程には怒っていた。


 噂も何もかも知っていた。レティシアが侍女としてイオと同じ職場に上がるようになって間もなく、イオが頭から泥水を浴びせられたのも知っている。イオは偶然だと思っているがアルフェオンにはレティシアがわざとそうしたのだと解っていた。ただ、人から向けられる悪意に慣れていないだろうイオの事を思い、何とか穏便に済ませられないかと見守る事に徹していたが―――こうなっては話は別だ。


 アルフェオンはイグジュアートから僅かに遅れて屋敷を出ると城に向かい、真っ先に訪れたのは騎士団宿舎。サリィにイオの病欠を伝えて持ち場に戻る途中で目的の人物と出くわした。


 「まぁアルフェオン様!」


 茶色の髪をなびかせた可愛らしい少女が男を魅了する笑みを浮かべて走り寄って来る。


 「おはようレティシア嬢。」

 「おはようございますアルフェオン様。朝からお会いできるなんてとっても嬉しいわ!」


 はしゃぐレティシアは自らの腕を自然にアルフェオンの腕に絡める。そんなレティシアから絡められた白い手にこの日初めてアルフェオンは自ら触れた。

 

 「まぁ……」


 初めての好意にレティシアの頬が薔薇色に染まる。

 アルフェオンは自分の腕にからめられたレティシアの白い指をなぞりながら皮肉気に笑ったが、レティシアは舞い上がっているせいかアルフェオンの態度が変化した事に気がつけないでいた。


 「君の手はとても綺麗だね。」

 「いやだわ、恥ずかしい。」

 

 レティシアは更に距離を縮め頬をアルフェオンの二の腕に寄せる。この距離が許されるのは自分だけだとでも言う様に。


 「もうすぐ二ヶ月か。宿舎で侍女として働いているわりに少しも手が荒れないのはとても不思議だ。」

 「えっ、それは―――」


 貴族出身でありながら与えられた仕事は何でもこなす。身分に甘えず健気で、それが気にくわないのか先輩( イ オ )から目をつけられ、執拗に仕事を与えられては暴言を吐かれ虐げられている。これが主だった噂の内容だ。


 「これでも貴族の娘としての見栄がありますのよ。」

 「厨房に入れば火傷をする事もある。見栄ひとつでこれ程綺麗に保てるものではない。」

 「いやだわアルフェオン様。いったい何がおっしゃりたいの?」


 まるい薄茶の瞳が上目使いでアルフェオンを見上げると同時に腕に豊かな胸が押し付けられたが、アルフェオンはレティシアが知る他の男の様に網にかかってはくれなかった。


 「侍女の仕事で得られる給金では君の見栄は保てまい。」

 「アルフェオン様、いったいどうなさったの?」

 「イオから手を引いて欲しいんだ、ライズ男爵令嬢レティシア殿。」


 一瞬レティシアの動きが止まったかと思うと、今度はこれでもかとまるい瞳が見開かれた。


 「わたしはっ、アルフェオン様をお慕いしております。けして父の企みでここにいるんじゃありませんわっ!」


 ライズ男爵。没落しかけの男爵家を立て直し、富と権力を得る為にかねてよりレオンの覚え目出度いアルフェオンを娘婿として羨望している男である。


 縋り付く様に取られた腕をアルフェオンは首を振りながらゆっくりと、けれど確実に自分から引き剥がした。


 「申し訳ないが、私は貴方の様に人を貶め快楽を得るような人間をけして選びはしない。」

 「そんなっ―――わたしがそんな卑怯な真似をしていると本気でおもってらっしゃるの?!」


 とんでもない言いがかりだと溢れんばかりの涙を湛えて訴えるレティシアに、相手が庇護すべき女性と解っていても冷たい軽蔑の眼差しをあえて送る。そのような視線を異性よりおくられた事のないレティシアは絶句し、綺麗に整えられた爪を掌に握り込んで悲鳴に近い声を上げた。


 「イオさんがわたしを貶めようとしてそんな出鱈目でたらめを!」

 「君は自らをも貶めているという事に気付かないのか?」

 「わたしが偽りをいっているとおっしゃるの?!」

 「そうだよ。」

 「―――!」


 まさか肯定が返されると想像もしていなかったレティシアは絶句し言葉を失った。

 この美貌から蝶よ花よと傅かれ、女たちに嫉妬の目を向けられるのすら快感だった。男の胸に飛び込めば勝手に勘違いして色々やってくれる。掌で転がされる馬鹿な男達ばかりを相手にして来たレティシアにとって、自らを拒絶されたのなど初めての経験だったのだ。


 「彼女は君と違って嘘偽りのない心優しい女性だ。そういう女性だというのは私が誰よりも解っている。」

 「そうやってアルフェオン様もあの女に騙されているだけだわ。だってあの女は騎士団長や王太子様とも通じている強かな女なんですものっ!」


 女官として城に上がっていたレティシアが知る事実。アルフェオンが何を言おうとも覆されない現状を目撃した女官が大勢いるのだと自信満々に訴えたレティシアに、アルフェオンは顔色を変えず冷酷に言い放った。


 「それは聞き様によっては王太子殿下までも貶めることになるが、君は本気でそれが事実だと思って発言しているのか?」

 「勿論ですわ、女官の口に戸は立てられませんもの!」

 「随分と口の軽い女官もいたものだ。では王太子殿下に確認を取ろうか。それで君のいう事実が偽りであったなら、男爵家は取り潰し程度で済むかな?」

 「そんな事っ、王太子様に直接お伺いするなんて出来る訳がありません!」

 「出来るよ。だって君が噂をばらまいたんじゃないか。イオと殿下が通じているとね。」

 「それはっ!」 


 あまりに堂々としたアルフェオンの態度にレティシアに迷いが生じる。イオが王太子の寝室で過ごしたのは確かなのだ。けれどそれが事実であっても王太子が否定したら。騎士団長の件はレティシアの勝手な憶測だが切り札であるそれまでも失ったらどうなるのだろう。たとえ事実でも騒がれるのを厭うた王太子に男爵家は潰されてしまうかもしれない。次代の国王である王太子に厭われて生き残るなんて不可能だ。


 「一晩過ごしたのは事実ですもの!」


 最後の負け惜しみとばかりに可愛らしい顔を醜く歪めたレティシアにアルフェオンは首を振った。


 「一晩ではないよ、朝を迎えた訳ではない。それに彼女の名誉の為にも訂正しておくが、彼女は王太子と男女の関係になどない。」

 「朝を迎えなくてもそうとは限りませんわ。」

 「私がそうだと知っているんだ。この意味が解らないのか?」


 その瞬間レティシアの瞳が敗北に染まった。

 アルフェオンはそうだと言っていない、これまでのレティシアの遣り方同様にただ匂わせただけ。それをイオと王太子が一晩過ごした以降にアルフェオンと関係を持ち、純潔であったとレティシアが勘違いしたのだ。


 「あんな女の何処がいいとおっしゃるの、わたしに勝るものが一つでもあると思って?!」

 「全てだよ。」

 「―――っ!」


 あの女は美貌も地位も何もかもが自分よりも劣っている。我が身を見せつけるかに両手を広げたレティシアにアルフェオンは正直な言葉を容赦なく、そして穏やかに突き付けた。


 「見た目も中身も何もかもが偽りばかりの君と比べるのもどうかと思うが、彼女は全てにおいて君に勝っている。」


 比べるのすら馬鹿げているのだよと穏やかな表情で諭すかにレティシアに宣告すると、レティシアの体が屈辱と怒りでわなわなと震え、醜く顔を歪めアルフェオンを睨みつけた。何か一言をと口を開いては閉じを繰り返していると、物陰に隠れて様子を窺っていた娘が駆け出して来てレティシアを支える。


 「お嬢様!」


 お気を確かにと支えるのはレティシアの侍女であり、レティシアと共に騎士団宿舎に侍女として勤めに入っているルルだ。人の目のない場所ではルルが全てレティシアの仕事を引き受け面倒を見ていた。


 「どうか、どうかお許しを。お嬢様には王太子殿下を汚すおつもりなど全くないのでございます!」

 

 主の発言の重大さを主以上に把握しているルルにアルフェオンは無言で頷く。


 この日より騎士団宿舎から二人は姿を消し、イオに纏わる心ない噂はゆっくりと沈静化を見せるに至る。彼らにとっては二度目の夏の苦い出来事であった。








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