闇を狩る存在
城を出るまで酷く不安で恐ろしかった。イオはこのまま捕われるのではないかという不安で押し潰されそうになったが、これまで以上に責任を持つからと強く進言してくれたレオンのお陰で帰宅を許される。そうしてようやく外に出られるようになった頃にはすっかり日が暮れていた。
結果的にイクサーンの王太子ファウルの窮地を救う羽目になったのはイオだが、それに至る知恵を齎したのはアスギルだ。それに至るまでのアスギルの言動とファウルを救った事実がイオに新たな窮地を齎す。
イクサーンが建国し王位が二代目に移った時、当時の国王セリドと王妃の間には一人の娘がいた。史実によればその王女が十歳になる頃、フィルネスと共に出奔し姿を眩ましたらしい。そして王女は十八の歳に命を落とした。どうやらその王女マキアがフィルネスとの間に子を成し、子孫を残していたらしいのだ。そして繋がれた命のいきつく先がイオ―――という訳らしい。
絶対にあり得ない。闇の魔法使いはもとより、賢者と呼ばれる世界を救ったフィルネスという魔法使いはいったい何なんだ。
どうして誰も彼もが時代を超えるのか。結界の中と外では時間の流れが異なると言っても限度があるだろう。実際には結界の中の時の流れは現実世界と比べ速かったり遅かったりと不確かなものらしいが、全く経験のないイオには説明されても良く理解できない。
それよりも、いくら凄い魔法使いだからって肉体が刻む時間を止め、若い姿のまま何百年も生き続けられるなんておかしくないか? どんな化け物だと憤慨するのは押し付けられそうになる恐ろしい現実からの逃避ゆえだ。
その証拠に宝剣を手にする権利を得ていると説明されてもまったく理解できない。権利といってもイクサーン初代国王の血を引くかどうかなのだが、証拠にレオンから身に受けたイクサーン王家に伝わる宝剣を手に取れと言われたが断固拒否した。手に取った瞬間城での幽閉生活が待っている様な気がしたのは間違いではないだろう。
マキアの末裔とかいう消えたに等しい大昔の血を遡って主張され、拘束されるなんてまっぴらごめんだと叫ぶように進言すればハイベルは苦笑いを漏らした。きっとモーリスから大昔の血なんて薄れてなくなっていると豪語していたと報告を受けているんだろう。王家にとって初代国王の血は誇りの筈、これはまずいなと思ったが、咎められるふうでもないので気付かないふりをしていた。
「今更逃げるとは思えません。レオンに預けたままでもよいのでは。」
そう国王に助言してくれた王太子を拝みたくなった。責任を持つと続けたレオンにも感謝しかない。イオを側に置きたくて渋るハイベルを前に帰りたいと目でレオンに訴えれば、半ば無理矢理といった風に話をしめてイオを連れだしてくれた。
外に出れば陽はどっぷりと暮れ、昨日から朝方まで降り続いていた雨が嘘の様に満天の星空だった。何が起きたのかいまいち飲み込めないイオがほっと息をついて顔を上げると、暗闇の中でもそうだと解る人影がイオを見つめているのに気付かされる。
「アルっ!」
一目散に駆け出したイオは何の迷いもなくアルフェオンの胸に飛び込んだ。勢い付くイオの体を難無く受け止めたアルフェオンは何時にない態度に驚きながらも、飛び込んで来たイオを見かけ以上に逞しい腕で優しく囲い込む。
「ただいま帰ったよ。不安にさせて悪かったね。」
穏やかな声色を耳にしながら、イオはアルフェオンの胸に額をすり付けたまま首を振った。
「アスギルから怪我をしたって聞いた。大丈夫なの?」
「怪我といっても私はかすり傷程度で心配ない。そのかすり傷をアスギルが手当てしてくれたんだ。」
アスギルの名にアルフェオンは少しばかりの緊張を覚える。それを感じ取ったのか、顔を上げたイオにアルフェオンは息を呑まされた。
泣いていたのだ。
淡い紫の瞳からぽろぽろと涙を零しながら見上げるイオの姿に、アルフェオンは優しく回していた腕に力を込め強く抱きしめた。
泣いているイオを見て勘違いをした。だから口にしてはいけない言葉を発してしまったのだ。
「見たままを、感じたままを信じよう。アスギルが闇の魔法使いだとしても過去が全てではない。」
「―――え?」
一瞬時間が止まる。アルフェオンの言葉に切なく見守っていたレオンが我に返り「彼女は知らない」と首を振った。それでアルフェオンはイオが純粋に自分を案じ、無事を確かめ涙を流してくれたのだと悟る。
「どういう事?」
アスギルが闇の魔法使いだと判明し憂いて泣いたのではない。濡れた瞳が疑問に満ち、発せられた言葉にどうしてアルフェオンからそんな言葉がと驚きを隠せないでいる。
「きちんと話をしよう。アルフェオン、彼女を連れて先に戻ってくれるか?」
放り出せない仕事が山積みだ。出来るだけ早く片付けて戻ると肩に手を乗せるレオンに、アルフェオンは失態を後悔しながら深く頷いた。
城からレオンと出て来た時点で気付くべきだったのだ、イオの身に何かがあったのだと。レオンが急遽呼び戻された理由に関わっているのだと気付けなかったのは、迷いなく飛び込んで来たイオの姿に安心し過ぎたせいだろう。俯いたイオを見下ろしているとイグジュアートを案じる声が上がる。
「イグは退避させていたお陰で無傷だ、大丈夫。すぐに会えるよ。」
「そう……」
「歩ける?」
アルフェオンにしがみ付いてようやく立っている様のイオを覗き込む。抱きあげて運んでやりたかったがそんな場面を知り合いに認められるのは嫌がるだろうからと様子を窺えば、大丈夫だと無言で頷きアルフェオンの腕から離れた。
「ねぇアル。」
ゆっくりと歩き出した所で力のない声がアルフェオンを呼ぶ。何かと頭上から視線を落とせば、不安定に揺れる潤んだ瞳が見上げた。
「わたしたち、家族だよね?」
「そうだ、家族だよ。」
「何があっても今までみたいに支えてくれる?」
縋る様な視線に一瞬息を呑む。何があったのかと予想を巡らせながら肩を抱き寄せた。
「勿論だよ。」
引き寄せた肩にぐっと力を込めると、イオの腕がアルフェオンの腕に絡み付き、強く抱き寄せ抱擁したくなる思いを必死で押し留める。
イオはそのままアルフェオンの腕に額を摺り寄せ何かに耐える様に動かなくなり、アルフェオンはその体制のまま周りの視線も気にせずに黙って見守り続けた。
時間的な事もあり行き交う騎士の数は少ないが、それでも暗闇の中で寄り添う二人に気付いて茶化す様に片目を瞑る者、イオに秘かな想いを抱いており落胆の様子を見せるものが様々な視線を送りながら通り過ぎて行った。
やはり抱きあげ馬に乗せて連れて帰った方がいいだろうかと考えた時、ふいにイオが顔を上げる。瞳は潤んではいるが深呼吸をする様子から思いつめた仕草は窺えなかった。
「大丈夫、うん。戻ったばかりで疲れてるのにごめんね。帰ろう。帰ってお腹いっぱい食べてから話しましょう。」
大丈夫と自分に言い聞かせるようにイオは拳を握り締め気合いを入れる。アルフェオンは心配しながらもイオの努力をそのまま見守った。
屋敷に戻り明かりを灯すと間もなくイグジュアートが帰宅する。イクサーンに来てからイグジュアートが離れるのは初めてだったので、イオは帰宅を普段以上に諸手を上げて喜んだ。それを素直に受け入れたイグジュアートだったが聡い彼はイオの異変に素早く気付き、何があったのかとアルフェオンに問う。後でとかわされ腑に落ちなかったが秘密にされる様ではないので、イオに呼びかけられるまま台所へ手伝いに入った。
食事の支度を終えてもレオンは帰って来なかったので先に済ませた。アルフェオンとイグジュアートは汚れを落とす為に体を拭い、イオも自室にお湯を持ち込んで身を清める。アスギルに「におう」と言われたので入念に力を込めて体を拭った。そうこうするうちに眠りにつく時間を大幅に過ぎた頃、ようやくレオンが姿を現した。
レオンは申し訳ないと食事を断り席に着く。レオンの疲れは誰の目にも明らかで、イオは労わる様に熱いお茶を入れた。
「それで、何があったんですか?」
重々しい雰囲気に最初に口を開いたのはイグジュアートだ。頷いたレオンの視線がアルフェオンに流れ、お前から話せと促される。
「イグジュアートは知っているが、私達は三頭の羽蜥蜴と遭遇した。」
三頭と、アルフェオンの言葉をイオは驚きを込めた声色で繰り返した。
「最初の雄は何とか仕留めるに至ったが、満身創痍の者もいて残った二頭と戦う戦力は到底なかった。そこにアスギルが現れたんだよ。」
「助けてくれたのね?」
縋る様な瞳を向けられたアルフェオンは頷き、ここから先はイグジュアートにも話していないと付け加える。
「アスギルはね、羽蜥蜴と戦わずして私達を守ってくれたんだ。傷を癒やしてくれた後に羽蜥蜴の前に立ち、どういった魔法かは知れないが羽蜥蜴の姿を小さなヤモリに変えてしまった。」
「ヤモリ?」
「アスギルが言うには、羽蜥蜴はヤモリであったものを変化させ作り出したそうだ。アスギルはそのヤモリを安全な場所に放つ為にその場から忽然と姿を消したんだよ。」
「何だよそれ。まるでアスギルが羽蜥蜴を生みだした親玉みたいな言い方じゃないか。」
怒って眉を寄せ目を吊り上げるイグジュアートにアルフェオンはそうだと頷いた。
「私がアスギルに彼が闇の魔法使いなのかと問うとアスギルは肯定したんだ。」
「待てよ、闇の魔法使いは極悪非道の悪魔だろ!」
「そうだね。だが私達が知るアスギルはそうではない。イグジュアート、お前もそうならいいと言っただろ。もしもアスギルが闇の魔法使いなら世界は崩壊しないと。」
イグジュアートは息を吸い込み絶句した。
言った、確かに言った。そうならいいと。けれど本当に、本当に闇の魔法使いなのかと実感のない弱々しい現実が頭の中で渦巻く。だって過去に起きた事件は本物だから。それがあるらかカーリィーンの魔法使いは迫害され続け、醜い烙印を額に押されて従わされ続けているのだ。
アルフェオンはもとより、イグジュアートはアスギルに二度も命を救われている。そんな人が何故と考えても当人でなければ分からない事だ。アルフェオンの言葉が偽りだとは思えない。イオだってこれまでアスギルにあなたが闇の魔法使いなのかと質問した事はないのだから。
けれど疑いの目を向けられていながら否定も肯定もしてこなかったアスギルが、どうしてこんな簡単にそうだと認めたのか。問えば応える素直さを持っているのなら尚の事似合わない過去だ。
けれど今のイオは掛け合わせるための欠片を持っていた。
魔法使いに対して償い尽くせない負い目があると話していたアスギル。闇の魔法使いの事は大丈夫だと根拠がないのに確実な言葉を発し、イオのもつ魔力がかつての弟子に似ていて懐かしく思うと語っていた。炎に包まれたファウルを見て目を見開き生きていたのかと呟いたアスギルは、だからイオを懐かしく感じたのかと一人納得して。フィルネスの血を引く者とイオを突き押し、ファウルにかけられた魔法を解除させたのだ。
魔力で血縁が解るのかどうかは知らないが、アスギルには解ったのだろう。きっと生死の確認が出来なかった弟子というのはあのフィルネスという魔法使いに違いない。そしてその彼の血をイオが引いている。厄介なことにフィルネスだけではなくイクサーン王家に流れる血も、だ。
気が遠くなる。フィルネスはどうしてこんな血を残させたのか。ファウルに魔法をかけマキア王女の末裔を捜させようとしたのは何故なのか。いつ解けるか知れない封印と闇の魔法使い。イオに秘められた膨大な魔力。その時の為に、闇の魔法使いに立ち向かうのに必要な者を作り出す為に残された血なのではないだろうか。
アスギルを殺す為に繋がれ続けた命なのだとしたら―――恐ろしい考えにイオは心臓を絞め付けられ身を震わせた。




