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心の鎖  作者: momo
五章 闇にむかう
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マキアの末裔



 レオンの登場に腰を上げたイオだったが声をかける事は出来ず、ハイベルと小声で話をしている様子を黙って眺めているしかなかった。


 本当なら今すぐにでもアルフェオンが無事なのか詳しく聞きたい。アスギルは大丈夫と言うが、怪我をしたのは確かなのだ。それも魔物によるもの。いったい何があったのか、アルフェオンは本当に無事なのか、イグジュアートはどうしているのかと、王と騎士団長という身分の二人が親密に話し合う間に飛び込みたい衝動を必死で抑え、ぎゅっとスカートを握り締めて見守っていた。


 やがて話し終えた二人はイオへと向き直る。イオの心情を察してか大丈夫だとでも言う様に一つ頷いたレオンに、イオは唇を噛んで深く礼をした。


 レオンとは会話のないままファウルの待つ部屋へと向かう。前を歩く王と騎士団長の姿に高い壁があるのを感じた。軽々しく話しかけられる相手ではない、こうしてお茶を振舞われハイベルとたわいない話で時を過ごしたが、その間も政に忙しいハイベルの元へ多くの人間が言葉を求めにやって来た。レオンの戻りを待っているだけなのでイオ一人で放っておいてもらえた方が気楽だったが、帰宅も仕事も許されず、逃がさないとばかりに王自らが見張りの様に同じテーブルに付く。その間わざとらしい程にアスギルについては一切問われず、イオがカーリィーンでどのように過ごしたのか、何処にでもあるつまらない人生を尋ねられ答えたり、モーリスとの魔法の訓練がどこまで進んでいるか、不自由はしていないかとか、のらりくらりとそんな話ばかりをしていた。


 ファウルは朝より昼過ぎの今まで退屈だったのではないだろうか。それとも命の期限を迫られた身ではそれすら感じなかっただろうか。イオの予想に反しファウルはご機嫌で一行を迎えた。


 「遅くなり申し訳ありません。」

 「不思議なことに飢えも渇きも生理的欲求すら起きない。快適な牢獄といった感じだったよ。」

 「案じておりましたがお元気そうでなによりです。」


 軽口でレオンを迎えたファウルだったが、レオンは硬い表情で返す。


 防御を基本として作られた場所だからなのか、フィルネスという偉大なる魔法使いの実力を知らしめるためか気使いか。けれど何も感じないからこそ恐ろしい面もあるだろう。欲求が湧かずとも飲まず食わずに間違いはないのだから、知らぬ間に飢えて朽ち果てて行っても不思議ではないのだ。


 頼めるかと、イオに問いかけたのは側に寄って来たレオンだった。


 イオはレオンが腰に下げる剣を冷静に見つめる。レオンの戻りを待った理由はこれなのだと予想はついていたが、目の前にすると酷く落胆した自分に気付かされた。

 レオンが悪いんじゃない、全ては闇の魔法使いが与える恐怖がそうさせるのだ。なのに今から助けを求める相手に剣を持って対峙しようなんて―――確かに王家の血は大事だし、いざとなれば彼らは心を殺さなければならないのだとは解っているが、それでもイオの心にはやりきれない思いが渦巻いた。


 けれど武器は必要ない、捨てて貰えないかと口にできない己が憎らしい。きっとアスギルなら剣を向けられても冷静に対処できる。今までみたいに忽然と姿を消す術を持っているのだから大丈夫だとの思いがある一方で、助けを求める相手に剣を向けるのかとの反する感情が入り乱れるのだ。


 戸惑いの色を浮かべるイオにレオンが声をかける。


 「イオ、私はアスギルという人間をよく知らない。けれど彼が王太子の命を救ってくれたなら、私は彼の何かが掴めるような気がしてならないんだ。」


 アルフェオンが偽りを口にする可能性などありはしない、だからアスギルは闇の魔法使いで間違いないのだ。けれど誰もが知る闇の魔法使いとアスギルの人間性がまったく違うものであるとしたら? レオンが一度だけ垣間見たアスギルはまがまがしい気を発していた。けれどイグジュアートを救い、イオに向き合ったアスギルは何処となく神秘的であり、慈愛に満ちていなかっただろうか。


 昨夜は羽蜥蜴に対峙した騎士達を救い姿を消したという。大陸中で起きている魔物の著しい減少もアスギルが関係しているに違いない。闇の魔法使い、アスギルの事実を知りたいと、戦い封印する定めを担っておきながらレオンはそう思うようになっていた。


 アスギルの素性が判明している以上、彼をここに呼ぶのはとても危険な事かも知れない。けれど呼ぶと決めたハイベルの考えからも伺えるように、対峙した瞬間息の根を止められる危険性は皆無の様だ。闇の魔法使いの復活理由、目指す場所が何なのかをイクサーン王家としては知る必要がある。危害が無くてもあっても追求しなければならない存在だ。これだけ避けられている所からして、自分を封印した騎士の血を引くイクサーン王家を嫌っているのかもしれない。もしアスギルが王族の命を望み、それで怒りが収まるなら差し出すのに迷いはなかった。


 イオは無言でレオンの碧い瞳を見つめていた。淀みなく輝く強い光。とても大きな存在と向き合っている感覚にのまれそうになる身を庇うかに目を瞑ると、ゆっくりと息を吐きだす。


 今更後には引けない。呼びかけに応える応えないはアスギルに任せよう。


 「アスギル、お願いがあるの。」


 側にいるレオンすら聞き落としそうな声色。けれど確実に発せられた声に応える黒い塊がイオとレオンの間に溢れ出た。


 その出現に居合わせる誰もが息をのむ。古めかしい黒のローブに血の様に濃い赤の瞳。その目が何の感情も宿さずぐるりと辺りを見回すと炎に包まれたファウルで止まり、しばし後に呟いた。


 「生きていたのか―――」


 意外そうに僅かに見開かれた瞳がファウルからイオへと落とされる。暫く思案した後で何かに気付いたのか「ああ」と声を上げた。


 「成程、そういう事か。だから私はあなたを懐かしく感じたのですね。」

 

 目を細めるアスギルにイオが首を傾げると、アスギルも同様に首を傾げた。


 「それで願いとは?」

 「あ、えっとね。あのお方、この国の王太子様なんだけど―――」


 そう言って炎に包まれたファウルを振り返ればアスギルの視線もそれに合わせて動く。


 「あのままだと生活できなくて、その…死んでしまうでしょう? 魔法を解きたいのだけど誰にも出来なくて、アスギルにお願いしてみようという事になったの。」

 「無傷で?」

 「ええ……」


 出来るかしらと伺うイオに、アスギルはファウルに視線を向けたまま自分では無理だと首を振った。


 「私とフィルネスでは魔力の質が違ます。」


 話してもいないのにアスギルは、ファウルに魔法をかけたのがフィルネスと解ったようだ。何故かと疑問に感じながら赤い瞳を覗き込む。イグジュアートの怪我の時にアスギルを通してイオも経験したが、アスギルの赤い目は普通の人間では見えない物まで見えてしまうようだ。


 「無理にこじ開けることは可能ですが、そうなれば中の命は保証できない。勿論事切れる前に肉体を回復させる努力はしますが、解除と共に起こる事態がどのような物であるか予想できない。フィルネスはきめ細やかで難しい魔法を構築するのが得意なのです。彼に頼むのが一番ですよ。」


 何処かでアスギルは万能なのだと思い込んでいたイオは、アスギルの言葉に魔法というものの危険性を見せつけられ唖然とした。


 ファウルを取り囲む炎は彼を護りもするが、無理にこじ開ければ命を奪うという。その奪われる命を救えはするが、不測の事態には対処できないと。恐らくアスギルにならファウルに何かあっても命を救えるのだろう。けれど救えるのは命だけだ。完全な肉体として現状維持できるかと問えばそうではないかもしれない。危険が伴う、だから術者を呼ぶのが一番だと諭すアスギルの言葉を受け、イオは判断を仰ぐ為にレオンへと視線を移した。


 そのレオンがハイベルへと指示を仰ぐと、黙って成り行きを伺っていたハイベルが一歩前に出る。


 「フィルネス殿はマキアの末裔を捜せと仰せられ姿を消された。マキアというのはイクサーン二代目国王のもとに生まれた王女だと推察されるが、王女は若く出奔し行方知れずのまま。捜している時間はない。」


 ハイベルの話にレオンは驚き瞳を見開いた。

 とある可能性に行きつき調べ尽くした王女の名。出奔した王女に関わる魔法使いフィルネス。隠し続けたい秘密が暴かれようとしている現状に血の気が引く。


 「成程わかった。マキアという者が誰であろうとかまわないし、魔力の量や強さも関係ない。この魔法を解くのに必要なのはフィルネスと同じ血を持つ、彼の血を受けし者だ。」


 レオンはハイベルとアスギルが進める話に待てをかけようとするが、喉元まで出かかった声はそれ以上あがって来ない。偶然なのか必然なのか、レバノの封印が解かれてよりこれまでの出来事がレオンの頭の中で渦巻いていた。


 アスギルは硬質な床を一歩前に進んだ。


 「私にはできないが、フィルネスを呼べないのなら彼女に―――」

 「ええっ?!」


 どんっ!

 と、アスギルがイオの両肩を押したのと同時に小さな悲鳴が上がる。イオの体は押された力に従い大きく後ろに倒れ込み、倒れ込んで来たイオを炎に包まれたファウルが咄嗟に受け止めた。


 倒れ込み、熱いと感じた瞬間に燃え尽きる恐怖に慄いた。瞬く間に視界を真っ赤な炎が包み込み、レオンやハイベルが驚きの表情を浮かべる中、一人冷静なアスギルと視線を絡める。


 何をするんだと罵声を上げるより早くざわめきが起きた。耳元で起きた感嘆の声に振り返るとイオを受け止めたファウルと目が合う。


 「そなたはフィルネス殿の―――マキア王女の末裔という訳か!」

 「は?」


 飲まれると覚悟した熱い炎はいつの間にか消えていた。身を縮めるイオを余所に何やら周囲は煩く、説明を求める様にアスギルを見やればイオの前で膝を折る。


 「鍵はフィルネスの血、それが触れれば魔法は消え去る仕掛けです。あなたはフィルネスの血を引く娘であり劣らぬ魔力を湛えていた。彼の命を救えるのは私ではなくイオ、あなただったのですよ。」


 何処となく嬉しそうに語りかけてくるアスギルにイオは瞳を瞬かせる。


 「理解すればこれ程匂い立つというのに全く気付きませんでした。ああ、あなたの血は懐かしい香りだ。」


 そう言い残してアスギルはイオを置き去りに姿を消す。残されたイオは唖然と頭を抱え、いまいち飲み込めない状況に首を捻りながらも不味い事になった様な気分を味わいつつ、「臭うの?」と自分に鼻を寄せ鼻を鳴らした。




 





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