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心の鎖  作者: momo
五章 闇にむかう
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呪いの書



 エディウの助言を無視する訳ではなかったが、久し振りの相手を手ぶらで訪問するのは如何なものかと考え、結局は手をつけてくれないと解っていても昼食を作り籠に詰め込んでモーリスの屋敷を訪ねた。


 穏やかな春の日差しが世界を照らし、新緑と色とりどりの花々が咲き乱れる季節。そんな穏やかな世界から隔離された空間が目の前に広がっている。


 「相変わらず……もしかしたら魔法をつかって幻影でも見せられてるんじゃないかしら?」


 真冬でも枯れる事のなかった深緑の蔦が屋敷を覆い隠し、カアカアとカラスが鳴きながら屋敷上空を旋回している。何時も思うのだがあのカラス、そのうち攻撃を仕掛けて来るんじゃないかと考えるとそれが今にでも起きてしまいそうで、イオは籠をしっかり抱えると上を気にしながら急いで屋敷に走り寄り苔の生えた扉を叩いた。


 暫く待っても返事がない。不在かと思いつつ何気に扉を押せば鍵はかけられておらず闇への空間が開かれた。


 慣れていた筈なのに、久し振りに来るとやはり不気味だ。やっぱりアルフェオンについて来て貰うべきだったかと後悔しながらモーリスを呼ぶが返事はない。


 「モーリスさ~ん、イオです。ご在宅ですか~?」


 声を張り上げ呼びかけてから耳を澄ますがやはり返事はなかった。

 

 「いないのかしら……」


 改めて出直すかと考えるが、鍵が開いているのが気になり足を踏み入れる。モーリス以外に人が住んでいる気配のない屋敷故に何かあったのではないかと不安が過ったのだ。

 取り越し苦労ならいいと扉を潜り中に入ると、驚きにイオの淡い紫の瞳が見開かれた。


 「モーリスさんっ!?」


 床に仰向けで転がるモーリスに慌てて駆け寄り状態を窺う。顔色は悪く瞼はしっかりと閉じられ呼びかけにも応じない。仰向けになっているせいで長い前髪が横に流れ、いつもは隠されている火傷の様な爛れた傷跡が露わになっていた。


 何があったのか解らずざっと状態を確認するがどうやら外傷はなさそうだ。いつの季節も詰襟に分厚い長袖の長衣を纏っているせいで衣服の下でどうなっているかは解らないが、脈も息もあるので死んでいるのではないと確認は出来た。

 

 生きているにしても医師でないイオでは判断がつかない。人を呼んだ方がいいだろうとしっかり状態を把握する為にモーリスの額に触れようとして突然手首を掴まれたぎょっとした。


 「ひぃっ!」

 

 薄暗い室内で眩そうに瞼が持ち上げられ、モーリスの灰色の瞳がイオを捕らえる。


 「案ずるな、魔力の枯渇だ。」


 ピクリとも反応しなかったモーリスに突然手首を取られ、驚きで心臓が破れる程に強く早鐘を打つ。魔力の枯渇と目を開いたモーリスはそのままゆっくりと起き上がり、顔の傷を隠す様に前髪を整えた。


 「まっ…魔力の枯渇って……」

 「使い果たしたという意味だ。」


 片膝を立て辛そうに息を吐くモーリスに、イオは原因が解ってもおろおろと不安になる。


 「どうしたら……医者を呼びますから待っていて下さい。」

 「待て。」


 焦りを覚えたまま駆け出そうとするイオにモーリスが制止をかけた。


 「魔力の枯渇は空腹となって現れ、物を食えば治まるのだ。お前は本当に物覚えが悪い、前に話したのを忘れたのか。」


 無能めとなじる言葉すら発するのが鬱陶しいのだろう。膝に額を埋めたモーリスにイオは唖然とした。


 これはアスギルと初めて会った時と同じ状況じゃないか。イオは辺りを見回し放り出した籠を探しあてると慌てて引き寄せ籠を開けた。


 「きょっ、今日のわたしは有能です!」


 どもりながらも自慢気に取りだしたのは野菜と肉をパンに挟んだサンドイッチだ。高貴な身分の人間が手をつけるような品ではないが、野ネズミの丸焼きを食する人間ならきっと大丈夫。魔力が枯渇し空腹で動けない状態で『そんな物食えるか』と悪態をつくなら遠慮なく飢え死にしてくれて構わない。イオが自信満々にサンドイッチを差し出すと、モーリスはイオが予想するより素直にあっさりとそれを受け取った。


 「遠慮なく頂こう、感謝する。」

 

 しかもお礼つき!


 空から槍が降るよと嬉しさに身が悶えそうになるのを押し留め、上品だが瞬く間にサンドイッチを飲み込むモーリスに更にもう一つ差し出した。終いには一つづつではなく籠ごと渡して床に座ったまま全て食べ終えるのを見守ったのだが、それでも足りなかったらしく、イオが台所を借りて調理を買って出るにまで至る。


 日に一度しか食事を取らないというモーリスの言葉通り保存された食材は少なく、その全てを使って腹に溜まるよう錯誤して調理を始める。噛めば満腹中枢を刺激されるが、魔力の枯渇を招いた状態では丸のみされかねないので大量のとろみのあるスープと、イモ類のグラタンをたっぷりのチーズを使って仕上げた。料理を食台に並べるといつの間にか席についていたモーリスが食前の祈りを唱え手をつけて行く。


 材料は少なかったがいったい何人前食すのだろう?

 イオが見守る目の前で次々と料理を口に運んで行くモーリスに圧倒されてしまう。魔法使いって大変だなぁと感嘆しつつ、隠居生活のモーリスがいったいどうしてこうなったのかと疑問がわいた。


 「いったいどれだけ魔法を使われたのですか?」

 「魔法など使ってはおらん。先日お前と交わした会話で疑念を抱き禁書を開いたのだ。」

 「禁書?」


 首を傾げると食事の手を止めたモーリスが席を立ち、先程倒れていた部屋から何やら手にして戻ってきてそれをイオの前に差し出した。


 「禁書って、これが?」


 恐ろしく古いそれはぼろぼろの本だった。表紙は擦り切れ表題すら読めない状態で、めくれば虫食いだらけの紙に読み取り難い難解な文字がひたすら並んでいる。それでも何とか文字を拾い読み進めて行けば、大陸の歴史を綴ったものだと解ってきた。


 「ルー帝国一六代…ん~、なに? 皇帝? の、時代、繁栄に、陰り?」


 難解な文字に直ぐ様根を上げてモーリスを見れば、ちょうど全ての料理を食べ終え水に手を伸ばしている所だった。


 「急ごしらえにしては食材を活かし絶妙な味付けかつ仕上げで、大変美味しく頂いた。正直これ程の腕前とは想像していなかっただけに驚かされたぞ。」

 「えっ―――それは…どうもありがとうございます。」


 思わぬ相手からの褒め言葉に呆気にとられ、こそばゆくて頬を染めながら俯く。アスギルとの経験で味など二の次だと思っていたが、ちゃんと味付けして良かったと嬉しさが込み上げた。


 「料理に対してこれだけの才があるというのに、魔法に対してからきしとは実に惜しい。それだけの魔力を保有しながら宝の持ち腐れとはまさにこれだな。」

 「………あの、禁書(これ)と魔力の枯渇に何の関係が?」


 結局は無能といいたいのか?

 せっかく褒められいい気分になっていたのにと、イオは目の前のぼろぼろの本を指先でつつきながら話を反らした。


 「この世界は闇の魔法使いによって崩壊寸前にまで追いやられた。全てが焼き尽くされ破壊されたせいで過去の記録はほとんど残っていないのだが、それは闇の魔法使い封印後に生き残った人間によって解る範囲で記録されたものだ。」


 焼け残った貴重な書物もほとんどない状態。そのなかで残された記録は誰もが手に取り一読したくなる代物なのだが……


 「これには呪いがかけられ、魔力のない人間には読めないようになっている。それだけではなく、読み進めるうちに大量の魔力が消費させられ、瞬く間に魔力を失い枯渇して読み進めるのが困難になってしまうのだ。」


 だからモーリスは魔力の枯渇を招き倒れていたのだ。一人暮らしのモーリスには危険極まりない書物。魔力が枯渇し空腹で倒れそのままならやがて死を招くだろう。これは禁書というより呪いの書とでも命名できそうな感じである。

 けれどそれは一人だからではないのか。多くの魔法使いで分担しかわるがわる読んで行けば済む問題である。


 「でも沢山の人で少しづつ読み進めて別に記録を残せば良かったんじゃないですか?」


 イオが疑問を口にするとモーリスが紙とペンを差し出し、書き写してみろと顎で示す。イオは眉間に皺を刻みながらももう一度本を開き、渡された紙にそれを書き写し始めたのだが――――一文字書いた瞬間、紙を残して書き綴った文字だけがぽっと炎を発し掻き消えてしまったのだ。


 「なっ、何よこれっ?!」


 熱のこもらぬ炎は見かけ倒しで、ペンを持った指先に火傷は負わなかったが衝撃だった。

 それにしても面白い仕掛けだ。いったいどうやっているのだろうとぼろぼろの書を指先で突いたりしてみる。

 

 「記録には残せないって事か。でも何でわざわざこんな仕掛けをしたのかしら。読まれたくないなら焼き捨ててしまえばいいのに―――モーリスさんは全部を読み終える事が出来ました?」


 面倒な仕掛けに感嘆しながらも何故と疑問が沸き起こる。読ませたくはないが消し去るには惜しい記録だったのか、単なる悪戯か。


 「私が持つ魔力では到底無理だ。だからこそお前の来訪を待ち望んでいた。」

 「わたし?」


 何で自分がといいかけ、使いこなせないせいでつい忘れがちだが、魔力だけは膨大にあるのだというのを思い出す。そうか、モーリスよりもあるのかと初めて知った事実にも実感は湧かないが。


 「それなら呼びつけてくれれば良かったのに。」


 気まずくて付け届けに悩んでいた時間がもったいなかったと思ったイオに、モーリスは腕を組むと目を細めて眉間に皺を寄せた。


 「王太子の目前で魔力を暴発させておきながら今更やってくるお前の図太さには呆れる。」

 「いったい何処でそれを―――!」

 「暴発の翌朝、殿下直筆の報告書が届いた。一歩間違えば大変な惨事になっていたというのに全くお前はのうのうとしおって馬鹿者め。」

 「申し訳ございませんでした。」


 これはもうひたすら頭を下げるしかない。顔を合わせ難いなんて言っている場合ではなかったのだ。すぐにでもモーリスに教えを乞わなければならなかった状況だったのに、当事者であるイオが誰よりも悠長だったと深く反省させられる。


 「それで何に疑念を抱いたんです?」


 イオを待つでも呼びつけるでもなく、こんな危険な書物を読み耽るなんて。イオ自身も禁書を読み続ければ魔力の枯渇を招く危険もある。知った限りは読めと命令されても易々と従いはしないが。


 「闇の魔法使いについてだ。」

 「アスギルについてですね。」


 アスギルを疑っているのは解っている、けれど現実はどうだ。闇の魔法使いが復活したかもしれないと極秘に調査を進め数か月、間もなく一年が過ぎようとしているが世界に変化は起きていない。それが答えではいけないのかとイオが真っ直ぐにモーリスを見据えれば、モーリスは考え込むように腕を組んで瞼を閉じた。 


 「あのアスギルという男から私が感じたのは恐怖だ。対峙しただけで竦み上がる程の強大な力に格の違いを突き付けられ、闇の魔法使いであると確信した。しかしお前やアルフェオン殿の意見は真逆のものだ。特に魔力を感じ取る事に長けたアルフェオン殿は、得体の知れない危うさを感じながらも考えを改めさせられている。」


 暗に介入され操られているとするにはあまりにも無理があった。アルフェオンは若くとも経験豊富で実力を伴った立派な騎士であり、精神面においても相当鍛えられている筈である。その彼を巧みに闇に落とすメリットが考え付かない。だからこそモーリスは真実が知りたいと王城に出向き、禁書を持ち出し調査を始めたのだ。


 「禁書にはな、闇の魔法使いに関する項目も記載されているのだ。殺戮と崩壊を経験しながらも生き延びた者が残した記録をしっかり改めたいと書を開いたのだが。」


 危険と解っていながらも読めば読む程に引き込まれ、何時の間にやら全ての魔力を使い果たし意識を失っていたのだという。

 隙などない様に見えるのに意外にも研究熱心な人なのだなぁと、アスギルを疑いながらもイオの発した暴言に耳を傾けてくれている事実に、イオは穏やかな気持ちにさせられた。


 「読み進めてはいけないと解っていながら、好奇心が抑えられず見事に罠に嵌った訳ですね。」

 「―――不覚であった。」

 

 しんみりと、腕を組んだまま目を閉じて唸る様に言葉を絞り出したモーリスを前に、イオからは自然と笑顔が零れ落ちる。

  

 「いいですよ、魔力が枯渇しない程度にわたしも目を通します。そのかわり暴発の件、宜しくご指導願いますね。」


 虫食いやらでかなりの文字が失われ読み難いが、役に立てる幸せを噛みしめる様に禁書に目を落とすと、急を要するのは暴発の件の方だとモーリスに叱られ、早速魔法に関する基礎訓練に性を出す事になった。







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