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心の鎖  作者: momo
四章 イクサーンの春
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今のままで



 気乗りしないままではあったが、イオは仕方なく見合いの覚書を持ち帰った。

 けれど夕食の支度中にアルフェオンが帰宅してもすぐには渡せず、食事を終えてからもそれは変わらなかった。暗く沈むイオに気付いたイグジュアートが心配して声をかけて来たが、少し疲れていると答えれば後片付けを手伝ってくれて。申し訳ないと感じながらも気使いに心打たれる。


 大丈夫、普通に普通にと己に言い聞かせ、イグジュアートが部屋に引きあげてから隠す様に棚に忍ばせていたライズ男爵からの預かり物を胸に抱いて、居間で書類を捲るアルフェオンの前に腰を下ろした。


 「エディウさんにライズ男爵からの預かり物をことづかったんだけど。」

 「ライズ男爵?」


 書類から目を離したアルフェオンは、イオが差し出した革張りのそれを片手で受け取ると徐に開いて顔を顰めた。


 ライズ男爵の名前では解らなかったようだが、表紙を開いてそれが何かすぐに解したようだ。アルフェオンは表紙を開いた途端に閉じると、一つ溜息を落として椅子に背を預ける。


 「イオは男爵と顔を合わせた?」

 「え、ええ。ちょうどそれをエディウさんに渡しに来た所に居合わせたの。」

 「嫌なことを言われなかったかい?」

 「ううん、何も言われなかったわ。」


 まるっと無視をされただけだ。それが何かと目を瞬かせるイオにアルフェオンは眉を下げ申し訳なさそうに微笑んだ。


 「悪かったね。」

 「えっ、何も。大丈夫よ。」


 使いをさせた事に対してではなく、貴族が平民に向ける感情を知っているからこその詫びだろう。けれどそれが普通なのだ、少しも気にしていないイオが目を丸くして首を振ると、アルフェオンは手にしていたそれを用がないとばかりに机の端に置いて再び書類に視線を落とした。


 本当にいいのだろうか。イオが机に置かれた革の表紙をじっと睨んでいると、アルフェオンが書類からイオへと視線を移す。


 「見たいならどうぞ。」

 「ううん、そうじゃないの。」


 興味はあるが開いて後悔するのは自分だとわかっている。首を振ったイオにどうしたのかとアルフェオンが首を傾けた。


 「アルは、いいの?」

 「何が?」

 「貴族に戻らなくて。」


 はっとしたのか茶色の瞳がほんの僅か見開かれる。けれど直ぐに細められ優しくイオを捕らえた。


 「私は今を壊したくないんだ。」

 「でも、貴族になれば不自由はしないわ。」

 「権力が手に入ればそれで自由になれると思う?」

 「え―――?」


 アルフェオンの問いにイオは言葉を詰まらせた。

 権力は、ないよりもあった方がいいのではないだろうか。少なくともカーリィーンでは公爵家の跡取りという最高の地位にあって、多くの人間を意のままに従えていたに違いない。けれどアルフェオンはそうではないと首を振った。


 「確かに権力を笠に傍若無人に振舞う貴族は多いが、地位と権力を持つ者は多くの責任を伴い、時に動きすら封じ込められる代物だ。私はそんなものより今も生活を優先させたい。」

 「でも…騎士に戻れるって―――」

 「エディウ殿から聞いたの?」


 イオが頷くとアルフェオンは僅かに身を前に乗り出してイオの瞳をじっと見つめた。


 「私は騎士となる為に、勿論なってからも人並み以上の努力をした自負がある。公爵家の人間だからと言われるのが嫌で逆にそれが励みにもなった。貴族嫌いで平民出身の上官に謂われのない暴力を一方的に受けもしたし、ウィラーンでの留学時代は幾度も命を落としかけたよ。それでも騎士を辞める気にはならなかったし、騎士としての誇りも人一倍強いかもしれない。けれどこのイクサーンで騎士という職業に縛られるつもりはない。称号は飾りだ。剣を捨てるつもりはないが、騎士という称号に拘るつもりもない。」


 簡単に捨てられるものではないと思っているのは浅はかな考えなのだろうか。けれどアルフェオンにとっても簡単ではなかった筈だ。決断の時間は短くとも今を選んだのはアルフェオン自身。後悔していないのは真っ直ぐな瞳を見れば一目瞭然で。


 それでもとイオは彼の為に口を開く。

 

 「でも―――あっても困らないわ。」

 「けれど必要じゃない。私は剣を握れさえすれば十分なんだ。」


 貴族位や騎士の称号が欲しい訳ではなく、守る力を奪われないならそれで十分だと語るアルフェオンには少しの愁いもなかった。

 

 「本当に?」

 「本当だよ。」

 

 念を押せば変わらぬ笑顔で微笑まれ、イオはほっとすると同時に余計なことをしてしまったと反省した。


 「これのせいで様子がおかしかったのか。心配かけたね。」


 どことなく嬉しそうに見つめて来るアルフェオンに、イオは後ろめたさを感じてゆっくりと頭を振った。


 「違うの。アルじゃなくて自分の心配をしたの。」

 「自分の心配?」


 どうかしたのかと問うアルフェオンに、イオは視線を合わせる事が出来ずに俯いてしまった。


 「アルにはアルの人生があるわ。負担をかけたくないからアルが選ぶのなら仕方がないと思うけど、それでも出て行かれるのは嫌だなって思ってた。アルがここを去るのが嫌で不安だった。アルの為かもって善人ぶっていても、実際にそうなったらどうしようって我が身を案じていただけよ。」


 責任から解放してあげたいとか綺麗事を言いながら、実際にそうなる可能性をぶつけられると不安でたまらなくなったのだ。今を壊したくないとのアルフェオンの言葉にほっとして、結局は側にいる彼に縋っている。カーリィーンを出て来た時と変わらない、放り出される不安がいつまでも付き纏っていたのだ。


 それに加え自分にない物を持っている高貴な人に対する劣等感もあった。イオではアルフェオンの隣に並ぶにはあまりにもお粗末すぎて、机に置かれた革の表紙をめくる勇気すら持てない。


 ずるい己に嫌気が差す。かつてカーリィーンの審問官に襲撃を受けた際、アルフェオンがイグジュアートだけではなく、イオも守り抜きたい存在なのだと告白してくれたのを忘れたわけじゃなかったのに。声を震わせたアルフェオンの言葉はイグジュアートだけに向けたものではない真実の言葉だった。それをイオが信じきれていなかったから故の不安だろう。

 縁あって家族になれたのに信じ切れなかった自分が恥ずかしくて、申し訳なくてイオは顔を上げられずにいた。自分の事ばかり、アルフェオンの為といいながら心の中での本心は自分が一番なのだ。


 「そうだね、私の人生だ。」


 俯くイオに向かって変わらぬ声がかけられると、アルフェオンの動く気配にイオは顔を上げた。アルフェオンは机を回ってイオの隣に腰を下ろす。


 「私自身が今のままでと願っているんだよ。だから大丈夫、イオの側を離れたりはしないから。」


 隣に座ったアルフェオンがイオの手を取る。温かい手に包まれ、イオは自分が酷く緊張していたのだと気付かされた。


 「イオは不安だったかもしれないけど、私はイオが感じてくれたその不安を嬉しく思うよ。出て行けとばかりに見合いを勧められたら流石にへこむからね。」

 「そんなつもりじゃ!」

 「解ってるよ、だから安心した。」

 「アル―――ごめん。」


 本当にという確認の言葉は飲み込んだ。貴族位は不明だが、優先順位をつけてイクサーンでの騎士の称号を望んでいないだけではないのだろうか。


 よく考えればカーリィーンの騎士であったのだ。カーリィーンでも騎士の称号は剥奪されているだろうが、アルフェオンが国王の意志を受けイグジュアートを助けたのに変わりはない。いくらイグジュアートが初恋の人の忘れ形見であったとしても、築きあげた人生の全てを捨て去る決断をさせるに至ったカーリィーン国王への忠誠は変わらない筈だ。


 アルフェオンは今もなおカーリィーンの騎士なのだろう。つらい経験を重ね命を落としかけても辞める気にはならなかった騎士という職業。アルフェオンの騎士としての全てがあるのはイクサーンではなくカーリィーンなのだ。


 家族となっても永遠に共に過ごせる訳ではない、イグジュアートだっていつかは巣立って行くのだ。その時もアルフェオンはイオの側にいてくれるつもりなのだろうか。そんなのは無理だと解っていても心のどこかで永遠を望んでしまう。


 「イオ?」


 握られた手に力を込められ思考を中断させられる。安心させるように優しい瞳がイオを見つめていて、照れくさくて不自然にならない様に握られていた手を引いた。


 「お茶いれるわね。」


 嘘が下手、思っている事がすぐ顔に出る。

 カーリィーンでは魔法使いである事実を隠し通して来たのにどうしてだろう? 嘘が下手だとは思えないけれど、不安を悟られないようできるだけ穏やかに微笑み返してイオは席を立った。







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