帰る場所
いかなる病も癒やす魔法使いがいる―――その噂が広がるに従い、不治の病を抱える病人を連れた家族が城を訪れるようになった。その数は日を追うごとに増え、溢れる病人を仕分けるのに新たな部署が設置される程だ。
救いを求めて来る者達は後を絶たず、だからとて誰も彼をも受け入れる訳にはいかない。世の中には怪我や病を専門に診る医師や結界師が独自に開業して生活の糧を得ている現状もある。受け入れるのは貧しさから治療を受ける金銭を持たない者や、医師や結界師にかかっても完治の見込みがない者に限定された。
そうやって選別された者達にアスギルは特に何かを感じるでもなく淡々と治療を施す。それが終わると誰の目を憚る事無く忽然と姿を消し、再び患者が溢れ呼ばれるまでは姿を現さないのだ。その様は奇跡の治療と相まってまるで神の身使いの様だと人々は噂をし、やがてその噂は世界中に広がって行くのだが、それはもうしばらく先のこと。
うららかな春のある日、治療を終えたアスギルが姿を消してしまう前にイオはアスギルの袖を引いた。
アスギルが身に纏う黒いローブはいつものぼろではなく、イオが新調して渡せず仕舞いになっていたものだ。多くの人の前に出るのに怪し過ぎる風貌のままで嫌われてはいけないと真新しいローブを差し出したイオに、アスギルは意味が解らないと首を捻った。我が身に無頓着すぎてローブの綻びも何も気付いていなかったらしく、状況を理解してやっと頷き『感謝します』と笑顔を向けられた時には何故かイオは泣いてしまった。
そんな真新しいローブに身を包んだアスギルをイオはある場所まで連れて歩く。男女で手を引く姿は一見恋人同士の様でいて、先を行くイオに仕方なしと従う保護者の様にも見えた。
辿り着いたのは王城よりさほど遠くもない一軒のお屋敷。周りにもいくつかお屋敷があるが、込みいった住環境ではなく自然豊かでのどかともいえる場所だ。周囲には監視も置かれているらしいが目には入らないので気にはならない。イオ達はレオンの屋敷を出て今日からここに生活を移すのだ。
門を潜り建物への扉を前にイオはアスギルへと振り返った。
受け入れてもらえるだろうかという不安から僅かに緊張を覚えるが紡ぐ言葉は決まっている。
「今日からここがわたし達の家になるの。」
「引越しですか。よさそうな家ですね。」
石造りの二階建を仰ぎ見たアスギルからは他人事の様な、何時もの感じで返答を受ける。
「アスギル、あなたも一緒に住むのよ。」
「私もですか?」
どうしてと疑問に眉を顰めたアスギルにイオはそうだと大げさに頷いてみせた。
「だって帰る場所は必要でしょ?」
「―――帰る、場所?」
「そうよ。お仕事に出た日や、長くさすらった後は必ずここに帰ってくるの。」
無理矢理とどめ置くのではいが、帰りたいと望んだ時に帰る場所がないのは悲しい事だ。故郷を捨てたイオには特に強く感じる。帰る場所を持たないのはアスギルも同じだった。
けれどアスギルは驚いたように動きを止めた後で、赤い瞳を寂し気に細め首を振る。
「それは―――できません。」
「どうして?」
「私は、そのような優しさを向けられるべき存在ではない。」
何をしたのか知っているでしょうと、アスギルの記憶を覗いたイオに仕方のない事だと目を細めた。
「私は助けを求め手を差し出した娘の生きたいとの願いを、己の欲望のために撥ね退け、殺した男です。」
アスギルが助けた人の数は一人や二人ではない。けれどそれはアスギルがもっと若く狂ってしまう前までの話。時代が移りルー帝国十八代皇帝に仕えるようになってからは多くの人間を殺し続けた。けれどイオが知るアスギルの記憶はその前で途絶えている。狂ってからはアスギルにとっても曖昧な状態だったからだ。
「シャナ皇女の事をいっているの?」
ある意味イオの記憶にも強烈に刻まれた一人の女性。美しい姿が変貌し、その過程を思うとあれは彼女にとって間違いなく救いであったとイオは認識していた。
「あれはアスギルのせいじゃない。アスギルは彼女を救ったわ。」
救いを求めるが拒絶され、何度も命を絶とうと試みた皇女。救いだと疑わないイオにアスギルはいいえと首を振る。
「シャナは生きたがっていました。本当に死にたいと願っていたなら手首を切る様な真似はしません。何故なら然るべき地位に生まれたシャナは確実な死に方を学んでいるからです。それはここを―――」
アスギルはイオの手を取り、己の首筋に触れさせ脈打つそれを確認させた。
「切り裂けば手首を切るより確実に死ねる。けれどシャナはそうせず、幾度も幾度も手首に傷を刻んだ。それは本当に死にたかったわけではなく助けを求めていたからなのです。」
兄による異常な執着はシャナ皇女を死なせてはくれなかった。幾度となく手首を切り血を流しても癒やされる。多くの魔法使いがいた時代にその程度では死ぬ事なんて不可能だったのだ。それこそ首を深く抉り大きな血管を傷付けなければ死ねはしない。皇女として生まれたシャナは辱めを受ける前に自らの誇りを守る死に方を学ばされていて当然の身分にいたのだ。
「最後の時もあのような姿になり果てながら虫や苔を食み、生への執着を捨てきれていなかった。正常な思考が保たれる状況ではありませんでしたが、彼女の中に最後まで残ったのは生への執着。それを私は自分が耐えられないからとの理由だけで彼女の残り火を消したのです。」
シャナの為ではない。愛しい人と同じ姿を纏った彼女があのような状況にあり続けることに耐えられなかったのだ。全てが自分に向けられるのならまだよかったのにそうではなかった。全ての事実が許せなくて、見ていられなくて全てを無に返し守ろうとした。
「やろうと思えば救う力があったのに、私は愛しい人の残骸を追いかけた。彼女を元の姿に戻す事も出来ました。けれど私はそうはせず、己の安泰の為に一人の罪亡き女性をこの手で殺めたのです。」
死人を蘇らせる以外は大抵の事が出来る。傷を癒やすのも、失った血を戻し力を取り戻させるのも魔法で何とでも出来る。けれどそうしなかったのは、シャナ皇女が傷付くのを見ていられなかったから。あんな世界に置いておきたくなかったからだ。
その場で体験したアスギルの心は何百年経とうとも深く傷ついたままだ。ただ正気に戻り現実を見られる様になっただけで、あの当時から何も変わってはいない。罪を認め贖罪を尽くすのもやるべきことだと認識しているからだ。
けれど、だからといって帰る場所を得てはいけないのか。本当は誰よりも人の温もりを求めているのに、それこそ死んでも拒否し続けなければならないのか。
「罪は―――許されてはいけないの?」
イオは唇を噛んでアスギルを見上げた。
「償い続ける限り、帰る場所を持ってはいけないの?」
安らぎすら許されないなんてあっていいはずがない。
「罪を犯していない人間なんて何処にもいやしないわ。それとも何処かにいるの? 本当にいるならお目にかかりたいくらいよ。」
そんな人間がいるなら今すぐ連れて来いと見上げるイオに、アスギルは少し困った様な表情になる。確かに罪の重さでいえばアスギルの犯した罪はそうとうな物になるだろう。けれど軽い罪をいくつも繰り返し、少しも反省しない人間も多い。それに比べたら死んで詫びるより生きて償いを続けようとするアスギルの方が余程賢人だと思うのは贔屓だろうか。
「アスギルは自分に厳し過ぎるわ。」
きっと逆の立場ならアスギルはイオにさらりと許しの言葉をくれるに違いない。
「シャナ皇女の事はあれが一番の救いにわたしには思えた。アスギルの言う様に元の綺麗な姿に戻せたとしても彼女の苦悩は永遠に続くの。それこそあの皇帝がいる限り永遠に。そして多分、死んでも。何が正解だったかなんてわからない。彼女の命を奪ったのを後悔しているならするべきだわ、一度奪った命は二度と戻らないんだもの。でもね、どんな極悪人でも帰る場所くらいあったっていいじゃない。」
悪人でありたい、許せないのならしょうがない。アスギルの気が済むまでそれこそ永遠に償いは続くのだろう。けれどだからって安らげる場所を持っていけないなんて話にはならない筈だ。帰る場所もないなんて普通の人間ならきっと瞬く間に荒んでしまう。そうならないのはアスギルだからで、けれどそのアスギルにも限界というものがあるのだ。
「ここはわたし達の家よ。アスギルの部屋だってちゃんとあるの。」
逃がさないとばかりにローブの中にある手をぐっと、痛いくらいに握り締める。
本当なら自分の力だけで得たかった住処だが、幸運にも王より賜るに至った。事情があるしこれでも譲歩してもらえたのだというのは良く解っている。感謝している。けれどアスギルがこの家を気に入ってくれないなら如何に頑丈なお屋敷でも隙間風に吹かれて過ごす様になるだろう。
イオはじっとアスギルを見つめ、だた一つだけの返事を待ち続ける。アスギルもイオから視線を反らさずじっとしていたが、やがてゆっくりと屋敷に顔を向けた。
「そうですね。いかに極悪人であろうと、帰る場所があってもいいのかもしれません。」
アスギル自身はそれ程望んでいる場所ではないだろう。けれど空腹になり食事を求める最終的な場所がイオであるのには間違いなく、イオの為に頷いてくれたのだというのも解っている。でもそれでよかった。アスギル自身がそうと望まずとも彼には帰るべき場所が必要なのだ。孤独は人を追い詰める。イオの自己満足かもしれないが、アスギルには帰る場所と迎え入れてくれる人間が必要なのだ。
イオは折れてくれたアスギルの手を引いて扉を潜った。中ではイオが早起きして作った祝いの料理と、アルフェオンとイグジュアートがアスギルの訪れを待ってくれている。アスギルを彼の部屋へ案内する前に二人にも会わせたくて食堂へと続く廊下を進み、美味しそうな匂いが漏れる扉を押し開けた。
*****
アスギルの手を引き食堂への扉を開けたイオは目の前の光景に凍りつく。
早起きして準備したお祝いの料理。魔法で冷めない様に保たれたそれは美味しそうな匂いを漂わせ鼻孔をくすぐっていた。席にはアルフェオンとイグジュアートが……座っておらず、立っている。その二人の視線の先には、まるで二人の代わりにとでも言う様に席につき、イオが早朝から丹精込めて作り上げた料理を貪る人間が一人。
「遅かったな、先に始めているぞ。」
招待していない人間が上座に腰かけ、湯気を上げ油を滴らせる鶏もも肉にかぶりつきながら優美な笑顔でイオを出迎えた。
「フィルネスっ?!」
イオは驚きとともに絶叫し指を突き付けた。
「何であなたがここにいるのよっ!」
レバノの封印で自らアスギルの代わりに封印された筈のフィルネスが、何事もなかったかのように招待客よろしく料理を貪っていたのだ。
何故、何故だ?!
封印を施したのはモーリスだ。フィルネスの方が力が強いので自分で封印を破って出て来ることも可能だろう。けれどそれでは自分で書いた台本が台無しではないか。何のために人を傷付け大騒ぎを起こしてまで封印されたというのだ。
憤慨と驚きで口をパクパクさせ言葉を出せないイオに、フィルネスはそれはそれは美しい微笑みを零した。
「封印の礎となる宝剣は俺様が紡いだ逸品だ。自分の魔力で自分を封じるなんて意味がねぇの、そんくらいちょっと考えりゃすぐに解る事だろうが。てめぇみてぇな阿呆な餓鬼がいるからほんっと助かるぜ。だから馬鹿な女は嫌いじゃないって褒めてやったんだよ。」
封印の印ともなったイクサーン王家に伝わる宝剣。初代国王の血を引く人間だけが扱える、闇の魔法使い復活に備え紡がれたそれはフィルネスの残した品だ。彼自身の魔力がふんだんに込められるそれに外部の魔力がいくら込められようと、フィルネスにとっては何の意味もなさないのは少し考えれば解る事だった。
封印はレバノ山に有り続ける。が、封印の中身はからっぽ。封印されている筈の悪い魔法使いは美しい顔をほころばせ鶏肉を貪っていた。
良い事だ、きっといい事。なのに納得できないのはどうしてだろう。先にフィルネスを迎えたであろうアルフェオンとイグジュアートも微妙な顔をしている。
けれど隣で静かに息を吐いたアスギルに顔を向けると何処となく嬉しそうで、そんなアスギルの様子にイオは、まぁこういうのもありなのかと怒りを鎮め、腰に手を当てると美貌の魔法使いに向き直った。
これにて完結です。
自己満足の為に書き始めた話ですが、最初からお付き合い頂いた方、途中からの方も今まで読んで頂き、本当にありがとうございました。