第二話 『例のお方』の来訪
「……一体どういうことですの? そんな帝国にとって利もなさそうな、ただの事故物件がお相手だなんて……。お母様はわたくしに何か恨みでもございまして?」
いくら政略結婚と言えど……いえ、政略にすらなっていない相手だなんて、さすがにあり得ません。
帝国にも、わたくし自身にも、全く旨味のない縁を結ぶ理由がどこにあるのでしょう?
婚約は仮初めでヴァロワール王国を『乗っ取る為だ』と言われたなら……まだ、まだ! 納得出来ますが、この話しぶりを聞く限りそれはなさそうです。
わたくしは扇子の先を口元に添え、母に向かってにっこりと微笑みながら問い掛けました。
お腹の底から沸々と黒い感情が湧き上がり、体から漏れ出ているような気がしますが、そこは仕方がないと諦めて下さい。
どう考えても、喧嘩を売られているようにしか思えません。
いいでしょう、これでも氷帝の娘です。
喧嘩は言い値で買わせて頂きます。
「リーゼ、落ち着いてちょうだい。わたくしも諸手を挙げて賛成しているわけではないのよ? ただねえ……ちょっと困ったことがあるのよ……」
————母の話はこうでした。
例の第一王子は廃太子の沙汰が下った際——たいそう驚き、膝から崩れ落ちたそうです。
当然のことでしょうに……驚く意味が分かりません。
頭の中がお花畑になった際に、脳が養分となったのでしょうか?
第一王子として生まれ、優秀な王太子として傅かれて生きて来たのですから、大方、本人としてはそこまで大事になるとは思っていなかったのでしょう。
その後は弟君の第二王子が新たな王太子となり、元々好意を持っていた元婚約者の公爵令嬢に求婚し、婚約を結び直したそうです。
第二王子は兄の婚約者がなかなか諦められず、ギリギリまで先延ばしにしていたことが幸いしました。
今から別の令嬢に王太子妃教育を始めても間に合うはずがありませんし、既に彼女が教育を修了していることは王家としても都合が良かったはずです。
公爵令嬢も新たに婚約者を見つけるとなると、それなりの身分でなければ外聞が良くないですし……彼女にとってもある意味救いだったのかもしれませんね。
当の第一王子は処罰と言えど「臣籍降下程度だろう」と高を括り、例の珍獣……子爵令嬢や元側近たちとどうにか接触しようとしているのだそう…………。
あ、そういえば彼女は貴族籍を剥奪されているので、平民になっていましたね。
ちなみに第一王子の側近たちも一様に廃嫡・廃籍されたようです。
側近として主を諌めず、珍獣を側に近付け、挙句王太子と共に醜態を晒したのですから妥当な処分でしょう。
彼女と『愉快なお友だち』たちは平民となっても逞しく、処分を免れた者や新たなパトロンから援助を受けてそれなりの暮らしを送っているものの、未だ物足りないのか、こちらも王籍だけは残っている第一王子にどうにか接触出来ないか思案しているとのこと……。
…………もはや、言葉もありません。
仮に王籍を剥奪し平民として放逐しても、彼の中に流れている血は紛れもなく王家の血です。
————反第二王子派。
スペアがいない以上、断種するわけにもいかず……かと言って、このまま国内に置いておけば彼の血を利用しようとする輩が現れるかもしれません。
ヴァロワール王国は穀物や綿、麻などの生産が盛んなのです。
帝国は海にも面しており、国土も広く、自給自足が可能な国なので、そういった部分で困ることはありませんが、他国ではそうはいかない国もあります。
ヴァロワールからの輸入品を必要としている国もありますし、我が国と貿易をするにしてもヴァロワールを通る必要がある国もあります。
そのこともあり、ヴァロワール国内が荒れることを周辺国は望んでいません。
————そこで、わたくしに縁談が持ち込まれたのです。
国庫を使用し王太子として受けた教育を活かして、我が国との繋がりを更に『確固たるものにして欲しい』というのが表向きの理由ですが、実際は国内の混乱、そしてあの珍獣たちとの繋がりを完全に切り離したい、という思惑もあります。
「————リーゼはしっかりしているから、第一王子の手綱を握ってくれるのではないかと頼まれたの……。わたくしや陛下としてもお相手がお相手でしょう? 難色を示していたのだけれど…………」
「……隣国であるヴァロワール国内がこれ以上乱れるのも『看過できない』、と言うことですのね」
深い溜め息と共に零れた言葉に、母は困ったように頷きました。
——いっそのこと問題の子息たちを全員『処分』してしまえばいいのでは? と思わなくもないですが……あまりにも数が多すぎるのでしょう。
それならば『真実の愛劇』の直後に元子爵令嬢を処分していれば良かったのでしょうが、正直『その程度』の者など定期的に湧いて出るものです。
そんな珍獣にコロッと転がされた第一王子の素行の方が問題でしょう。
今更、何と言っても遅いですね。
王国の詰めの甘さに、再び深い溜め息が漏れました————。
それから、話はとんとん拍子に進みました。
ヴァロワール国内に残せない上、わたくしは皇帝か大公になるので、婿入りして貰うことになります。
……この縁談の話を知った弟が激怒したことは、今は置いておきましょう。
一月後、件の第一王子が堂々と帝国にやって来ました。
……ええ、文字通り堂々と。
自分が諸外国にどう見られているのか気付きもせず、まるでここに来たのは『選ばれた』かのように謁見の間で父の前に立ちました。
壇上で父と母は玉座に座り、わたくしと弟のシルヴィオ————シルはそれぞれ二人の隣に控えています。
帝国よりも格下である王国の王子の為、彼と彼の従者たちは跪き頭を垂れて口上を述べました。
「アストリア帝国皇帝陛下、並びに皇后陛下。お初にお目にかかります。ヴァロワール王国第一王子のルイ・ヴァロワールと申します。この度は私共を受け入れて下さり、誠に感謝申し上げます」
さすがに無礼なことは言わないとは思いましたが、思ったよりまともな挨拶は出来るようです。
……まあ当然のことなのですが、彼に関しては信用が地に落ちていますからね。
この程度のことでも感心してしまいます。
「うむ、頭を上げよ。遠路遥々よく来た。紹介しよう。私の隣に立つのが第一皇女のリーゼロッテ、皇后の隣に立っているのが第一皇子のシルヴィオだ。二人とも其方と同い年だな」
父は玉座の肘掛けに肘を突き拳に頭を乗せ、足を組みながら労いの言葉と共にわたくしたちを紹介しました。
膝を突き頭を下げていたルイ第一王子が父の言葉で立ち上がり、真っ直ぐに高壇にいるわたくしたちに視線を向けます。
ハニーブロンドの柔らかそうな髪にアメジスト色の瞳————。
……なるほど、確かに令嬢たちが騒ぎそうな顔立ちです。
まあ、王族も高位貴族も自らの価値を高める為に見目の良い者と婚姻をすることが多いので、当然の結果と言えば当然のことなのですが。
「————左様でしたか。第一皇子殿下、並びに第一皇女殿下。本日より、よろしくお願い致します」
……帝国の事情を知っている諸外国の要人は挨拶する際————わたくしを先に呼びます。
わたくしにも帝位継承権がある以上、継承権第一位であるわたくしが優先されるのです。
…………一瞬だけ上がっていた感心度が再びマイナスに戻りました。
「お初にお目に掛かります、ヴァロワール第一王子殿下。アストリア帝国第一皇女のリーゼロッテと申しますわ。以後、お見知りおきを」
「同じく第一皇子シルヴィオだ。姉共々、よろしく頼む」
カーテシーと共に挨拶をすると、シルは慇懃に言葉を紡ぎました。
…………まだ怒っていますね。
ルイ第一王子は、わたくしたちの挨拶に頭を下げて応えました。
帝国はヴァロワール王国よりも遥かに大国で、同じ『皇族、王族』を名乗ろうと、そもそもの格が違い彼が恭しくなるのも当然なのです。
これが国力の差というものでもあるのですが…………まあ、それもどこまで理解しているのか分かりませんね。
「今日は到着したばかりなのでゆっくり休み、明日にでも婚約者同士の顔合わせをするといい」という父の言葉に、ルイ第一王子は感謝の意を述べるとその場を後にしました————。
「————リーゼ。どう思った?」
謁見の間には両親とわたくしたち姉弟、そして宰相たち一部の重臣が残っており、彼の姿が完全に見えなくなるまで黙っていた父がようやく口を開きました。
「……そうですわね……。まあ、現段階では『貴族』としてなら『及第点』といったところでしょうが、王族としては……。己の責務を忘れ、姦臣ばかり側に置いていたことを考えると……今回のことの意味を正しく理解出来ているのか……疑問が残りますわね」
私情を交えず、目の前にある事実のみを告げると、父は深く頷きました。
「……あれは、理解していませんよ。頭を上げる際に瞳の中に『怒り』のようなものが見えました。大方、「何故、自分が」とでも思っているのでしょう」
シルの言うことは当たっているでしょう。人の感情の機微に敏いですからね。
先ほどの振る舞いは本当に『儀礼通り』だったのでしょう。
ですから、必要以上に話さなかった——と言えます。
「まあ、問題は明日だ。————リーゼ、分かっているな?」
「ええ、もちろんですわ。まだ頭の中に咲き誇っているお花畑を、全て灰にして差し上げましょう」
わたくしは手元の扇子を広げ口元を覆いながら、ルイ第一王子が出て行った扉を見て、目を細めました。




