第4話 4000万円
その日、つばさと会ったのは、夕方だった。
いつものように食事をして、他愛のない話をした。
仕事の話。
休日の話。
最近見た映画の話。
俺は楽しかった。
ただ、つばさはいつもより静かだった。
「どうしたん?」
「……いえ」
「なんかあった?」
「よしおさん」
「ん?」
「少し聞いてもいいですか?」
「ええよ」
つばさはしばらく黙ってから言った。
「よしおさんって、借金ありますよね?」
心臓が止まりそうになった。
「……なんで?」
「前に、お会計のときにカードを何枚も使っていたので」
「いや……まあ、ちょっとはあるよ」
「いくらですか?」
俺は答えたくなかった。
だが、ここで嘘をつくのも違うと思った。
「……4000万くらい」
「4000万?」
つばさの声が小さくなった。
「全部が遊びでできた借金じゃないで」
俺は慌てて説明した。
「仕事とか生活とか、いろいろあって……」
もちろん、それだけではなかった。
麻雀。
パチンコ。
飲み会。
友人たちとの付き合い。
友人に頼まれて買ったブランド品。
誰かの飲み代を払ったこともある。
負けた金を取り戻そうとして、さらに金を使ったこともある。
生活費が足りなくなり、カードを使ったこともある。
それが何年も積み重なった。
「……4000万円ですか」
「まあ、長いことかかってるから」
「返済は?」
「してるよ」
「毎月?」
「もちろん」
「何年かかりますか?」
「……分からん」
つばさは黙った。
その沈黙が怖かった。
「でも、俺、これから変わるから」
「どうやって?」
「資格取って、給料上げて……」
「資格?」
「1級土木施工管理技士」
「勉強してるんですか?」
「してる」
俺は胸を張った。
だが、その直後に自分で苦しくなった。
勉強している。
確かに参考書は買った。
机にも置いてある。
しかし、実際にどれだけ勉強した?
答えはすぐに出た。
ほとんどしていない。
◇
「よしおさん」
「ん?」
「どうして、そんなに友達との付き合いを大事にするんですか?」
「仲間やからや」
「仲間……」
「昔からの付き合いやし」
「でも、その人たちは、よしおさんの借金を返してくれるんですか?」
言葉が刺さった。
「……それは」
「資格の勉強を手伝ってくれるんですか?」
「……」
「よしおさんが結婚したいって言ったら、時間を空けてくれるんですか?」
答えられなかった。
つばさは責めるような言い方をしなかった。
だからこそ、余計に苦しかった。
「私、よしおさんを責めたいわけじゃないです」
「うん」
「でも……」
つばさは一度、視線を落とした。
「私には、よしおさんが自分の人生を大事にしているようには見えません」
胸の奥が痛かった。
「そんなことない」
俺は反射的に否定した。
「俺だって、ちゃんと考えてる」
「じゃあ、どうして変えないんですか?」
「……」
「お酒を飲まないといけないんですか?」
「付き合いやから」
「麻雀も?」
「付き合い」
「パチンコも?」
「……付き合い」
つばさは静かに言った。
「じゃあ、全部、付き合いなんですね」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
◇
帰宅した。
部屋は静かだった。
机の上には参考書。
棚には酒。
財布の中には、ほとんど金がない。
スマートフォンには友人からメッセージが来ていた。
『明日、麻雀な!』
『よしお来るやろ?』
俺は画面を見つめた。
断ればいい。
簡単なことだ。
『明日は勉強するから行かない』
それだけ送ればいい。
指を動かそうとした。
だが、動かなかった。
しばらく悩んだあと、
『分かった』
と返信した。
送信した瞬間、自分が嫌になった。
「……俺、何やってんねん」
52歳。
借金4000万円。
資格もない。
結婚もしていない。
そして、明日もまた麻雀に行く。
その夜、初めて思った。
もしかすると――。
俺の人生を壊しているのは、友達だけじゃないのかもしれない。
俺自身が、
毎回「いいよ」と言っている。
毎回「付き合う」と言っている。
毎回「一日くらい」と言っている。
そして、そのたびに、
自分の未来を後回しにしている。
それでも俺は、その答えから逃げるように眠った。
翌朝。
友人から電話が来た。
「よしお、今日パチンコ行こうや!」
俺は少しだけ迷ってから、
「……分かった」
と言った。
その瞬間、俺はまだ知らなかった。
つばさとの関係が、もうすでに終わりへ向かっていることを。




