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『52歳の僕が、23歳の君に振られた理由』  作者: こうた


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第10話 僕の人生



 会社からの帰り道。


 車を運転しながら、俺は何度も上司の言葉を思い出していた。


『昨日、断れなかったんですか?』


『それとも――断らなかったんですか?』


 答えは、もう分かっていた。


 俺は、断らなかった。


 もちろん、友人たちにも責任はある。


 「男気を見せろ」


 「付き合い悪いな」


 「せっかく来たんやから」


 何度もそう言われた。


 俺は、その言葉に弱かった。


 嫌われるのが怖かった。


 仲間外れになるのが怖かった。


 「いい人」でいたかった。


 だから断らなかった。


 でも――。


 最後に選んだのは、俺だった。


     ◇


 家に着いた。


 玄関を開ける。


 静かだった。


 いつものようにテレビをつける気にもならなかった。


 冷蔵庫を開ける。


 そこには、以前なら必ず入っていた酒がない。


 俺は冷蔵庫を閉めた。


 机の上には参考書が置いてある。


 付箋だらけのページ。


 書き込みだらけの問題集。


 模擬試験の答案。


 68%。


 74%。


 81%。


 90%。


 その数字を見ていると、胸が苦しくなった。


「俺……頑張ってたんやな」


 誰もいない部屋で呟いた。


 一年間。


 俺は本当に頑張った。


 仕事が終わってから二時間。


 休日は六時間。


 酒を断った。


 麻雀を断った。


 パチンコもやめた。


 友人からの誘いも断った。


 腹も少し引っ込んだ。


 朝も楽になった。


 借金の返済も少しずつ進んだ。


 人生が変わり始めていた。


 それなのに。


 たった一晩。


 たった一晩で、俺は昔の自分に戻った。


     ◇


 スマートフォンが鳴った。


 昨日の友人だった。


『昨日は楽しかったな!』


『またやろうや!』


 俺は画面を見つめた。


 以前なら、


「おう!」


と返していた。


 でも、今は違った。


 返信画面を開く。


 文字を入力する。


『もう行かん』


 送信しようとした。


 指が止まった。


 怖かった。


 また嫌われるかもしれない。


 また「付き合い悪い」と言われるかもしれない。


 また「昔はそんなんじゃなかった」と言われるかもしれない。


 でも――。


 昨日までなら押せなかった送信ボタンを、俺は押した。


『もう行かん』


 それだけ送った。


 すぐに返信が来た。


『なんや急に』


 続けて、


『一回くらいええやん』


『仲間やろ』


『そんな真面目になってどうすんねん』


 昔なら、ここで折れていた。


 俺はスマートフォンを机の上に置いた。


 返信しなかった。


     ◇


 窓の外を見る。


 夜だった。


 静かな街だった。


 俺は椅子に座った。


 そして、これまでの人生を考えた。


 結婚したかった。


 資格も取りたかった。


 仕事でも、もっと認められたかった。


 借金だって減らしたかった。


 健康にもなりたかった。


 そして――。


 つばさと一緒になりたかった。


 でも、全部、


「いつか」


だった。


 資格は、


「そのうち取ればいい」


 結婚は、


「友達が女の子を紹介してくれる」


 借金は、


「いつか返せばいい」


 健康は、


「もう少し歳を取ってから考えればいい」


 勉強は、


「今日は付き合いがあるから」


 全部、後回しにした。


 そして、そのたびに俺は言った。


「まあ、ええか」


 たった四文字。


 でも、その四文字を何千回、何万回と言い続けた結果――。


 俺の人生には、4,000万円の借金が残った。


 資格は取れなかった。


 結婚もできなかった。


 酒で身体を壊しかけた。


 そして、ようやく掴みかけた一年間の努力まで、自分で手放した。


「……俺やん」


 声が漏れた。


「俺がやってたんや」


 友達だけのせいにしていた。


 確かに、利用されたこともあった。


 金を出させられたこともある。


 無理に飲まされたこともある。


 「男気」を利用された。


 「仲間」という言葉も利用された。


 でも――。


 俺は何度も自分から財布を出した。


 自分から酒を飲んだ。


 自分から麻雀の席に座った。


 自分からパチンコ店に入った。


 自分から時間を差し出した。


 誰かに人生を奪われたんじゃない。


 俺自身が、毎回、差し出していた。


     ◇


 翌朝。


 目覚ましが鳴った。


 俺は起きた。


 久しぶりに、酒のない朝だった。


 頭は重くない。


 吐き気もない。


 カーテンを開ける。


 朝日が入ってくる。


 俺は机の前に座った。


 参考書を開く。


 試験は、もう終わった。


 合格したかどうかも分からない。


 でも――。


 俺は勉強をやめなかった。


 昨日までの俺なら、


「試験も終わったし、もうええか」


と言っていたかもしれない。


 でも、今日は違った。


 ペンを握った。


「次は、落とさん」


 何のために勉強するのか。


 誰かに褒めてもらうためじゃない。


 会社のためでもない。


 つばさのためでもない。


 友人たちに見返すためでもない。


 自分のためだった。


     ◇


 数日後。


 上司に呼ばれた。


「よしおさん」


「はい」


「試験の結果は、まだ先ですね」


「そうですね」


「どうでした?」


「分かりません」


「そうですか」


 上司は少し笑った。


「でも、今回のことをきっかけに、また勉強を続けてください」


「……はい」


「資格だけじゃないですよ」


「え?」


「借金も、生活も、人間関係も」


 俺は黙って聞いた。


「一つずつ整理しましょう」


「……はい」


「52歳でも遅くないです」


 その言葉に、胸が熱くなった。


「ありがとうございます」


「ただし――」


 上司が少し笑った。


「もう試験前日に麻雀はやめてください」


「……はい」


「あと、酒も」


「……はい」


「今度こそ、自分で断ってください」


「分かりました」


 俺も笑った。


     ◇


 その夜。


 俺はスマートフォンを手に取った。


 つばさの連絡先が残っている。


 メッセージを送ろうと思った。


 でも、やめた。


 「変わった自分を見てほしい」


 そんな気持ちが少しあった。


 でも、それは違うと思った。


 俺が変わるのは、つばさに認めてもらうためじゃない。


 誰かに愛してもらうためでもない。


 自分の人生を、自分で生きるためだ。


 スマートフォンを置く。


 そして、俺は机に向かった。


 52歳。


 人生の半分以上を過ぎた。


 借金はまだ4,000万円近くある。


 試験に受かったかどうかも分からない。


 恋人もいない。


 家族もいない。


 何も解決していない。


 それでも――。


 今日から、自分で決める。


 飲みに行くのか。


 断るのか。


 金を使うのか。


 返済するのか。


 勉強するのか。


 遊ぶのか。


 誰と付き合うのか。


 誰と離れるのか。


 全部、自分で決める。


 俺は、ようやく分かった。


 人生を変えるというのは、


 何か特別なことをすることじゃない。


 毎日の小さな選択を、


 自分のために選び直すことなんだ。


 俺は52歳になって、


 ようやく――


 「断る」という言葉を覚えた。


 そして、もう一つ。


 「自分の人生は、自分で生きる」


 という当たり前のことを、


 初めて理解した。

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