凍てつく|灰域《アッシュランド》
第3部「折れた天秤」開幕。
風が鳴っていた。
ストーンクロスの壁の上に立つと、白く凍った灰域が一望できる。灰原草の穂は雪に埋もれ、旧世界の廃墟群が白い靄の中に輪郭だけを残していた。吐く息が白い。手袋越しでも指先が痺れる。焦土紀23年、12月の半ば。灰域の冬は容赦がなかった。
カイは壁の上から格納庫の方角を見下ろした。
門の前に、見慣れない残殻が3機並んでいる。今朝方ストーンクロスに到着した部隊だ。装甲の色も形も統一されていない。右腕だけが別の機体から移植されたもの、胴体に鉄板を溶接で貼りつけたもの。灰域の残殻は個体ごとに姿が違う。
バートンが壁の下から声をかけてきた。
「カイ。降りてこい。紹介する」
壁の階段を降りると、格納庫の前に大柄な男が立っていた。
革の外套を羽織り、腰に旧式の拳銃を提げている。顔には古い刀傷が走り、顎髭は無造作に伸びている。背後の残殻5機を従える姿は、傭兵というより山賊の頭だった。
「ボルト・レイダー。灰域南部で傭兵団を率いている」
バートンが紹介した。ボルトはカイを見下ろし、値踏みするように目を細めた。
「テオ・セヴァルの息子か」
声は低く、砂利の上を引きずるような響きがあった。
「お前の親父には借りがある。15年前、俺の部隊が壊滅しかけた時に助けに来やがった。頼んでもいないのに」
ボルトの口元が僅かに緩んだ。それが笑顔なのだと理解するまでに少し時間がかかった。
「借りは返す。それが俺たちの流儀だ」
残殻5機。操手は6人。ボルトを含めた傭兵たちは、一様にくたびれた装備を身にまとい、目だけが鋭い。灰域で生き延びてきた人間に共通する、獣のような警戒心がそこにあった。
* * *
午後、カイはケストレルで試験飛行を行った。
格納庫の扉が開くと、冬の白い光が鉄紺色の装甲を照らす。コックピットに乗り込み、ハッチを閉じる。計器が一つずつ点灯していく。燃料残量91%。機関温度、正常。外気温度、マイナス14度。
スロットルを上げた。背部のスラスターが唸りを上げ、ケストレルが地面を蹴る。
機体が宙に浮いた瞬間、凍えた空気がフレームの隙間に入り込んだ。関節部の応答が僅かに遅い。グリスが冷えて硬くなっている。右膝を曲げる動作に0.1秒ほどの遅延があった。夏場にはなかった硬さだ。
だが機体は動く。
アルマナック・フレームの関節精度は、30年経っても公差が極小だ。通常の残殻なら関節が凍りついて動かなくなる気温でも、ケストレルは動く。鋳脈機構を除去した分の空きスペースに増設された計器類が、機体の状態を数字で伝えてくる。
計器を読む。
目で読んで、頭で判断して、手で操作する。鋳脈者なら体で感じ取れる情報を、カイは一つずつ計器から拾い上げなければならない。その分だけ反応が遅れる。冴覚で補えるのか。それとも限界があるのか。
ストーンクロスの上空を旋回した。
眼下に集落の全景が見える。旧採石場の地形を利用した街並み。煙突から上がる煙。壁の上を歩く見張りの人影。その向こうに広がる白い灰域。
東の空に目を向けた。
何もない。白い雪原が地平線まで続いている。だがあの向こうから、セルヴィスが来る。
* * *
着陸後、格納庫にリントが戻ってきた。
偵察から帰還したリントの残殻は、装甲に雪がこびりつき、関節から白い蒸気を上げている。コックピットから降りたリントの顔は、寒さではなく緊張で強張っていた。
バートンとカイがリントを出迎える。
「報告する」
リントは息を整えてから言った。
「東から部隊が来ている。残殻の足跡じゃない。汎殻だ。正規軍の編成」
バートンの目が細くなった。
「コルヴァスか」
リントは首を振った。
「先鋒は違う。追撃隊だ。リオン・アスフォードの独断行動を追っている連中だ」
カイの胸に、冷たいものが落ちた。
リオンを追って、セルヴィスが来る。




