錆びた駅舎
旧鉄道の駅舎は灰域の朝霧の中に現れた。
アイアンウェルから南東に15キロ。旧世界の線路跡に沿って砂利道を進むと、灰原草の海の中にプラットホームのコンクリート台が突き出していた。ホームの端には駅舎の骨格が立っている。
屋根は半分崩落して壁は一面だけが残り、改札口の金属フレームが錆びて傾く向こう側に待合室の残骸が見えた。旧世界のベンチが一脚、ひしゃげた形で残っている。壁面に掛かる時刻表の看板は、文字が錆びて完全に判読不能だった。列車が来ることはもう永遠にない。
線路は鉄根樹に呑み込まれていた。レールの間から太い根が伸びて枕木を持ち上げて割っており、植物の力が鉄を侵食している。30年あれば自然は人間の遺構を食い尽くす。
ホームには灰原草が茂っていた。朝露に濡れて重く垂れる秋の白い穂が、カイの残殻の足元をかすめる。
「足跡がある」
トワが残殻のセンサーでホーム周辺を走査した。
「古いものと新しいもの。古い方はかなり風化してる。7年は経ってるだろう。新しい方は――3日以内だ」
ゲルハルトの先遣部隊か。だが足跡は偵察の形跡だけで地下に降りた様子はない。入口を見つけられなかったのか、それとも意図的に見送ったのか。
4人はホームに降り、残殻を駅舎の陰に隠して生身で探索する。
駅舎の内部を調べると、タイル張りの待合室の床はほとんどが割れて浮き上がっていた。その下に見えるコンクリートの床面のうち、一箇所だけタイルの剥がれ方が不自然だ。
ガルドが膝をついてタイルを外すと、コンクリートの床面にハッチが現れた。保線員用の地下通路への入口だ。ハッチは錆びた鉄板だが蝶番が外され、横にずらせる状態になっている。テオの手口だ。
「暗証コード」
ガルドがハッチの端にある小さな操作盤を指差した。10個の数字が並ぶ旧世界の暗証キーだ。ガルドの指が迷いなく動き、4桁の数字を入力する。
ロックが外れる音がした。
「知ってるのか」
「テオと俺の共通の暗証だ。コールサイン。二人しか知らない」
ハッチが開くと、地下への階段が暗闇の中に続いていた。
* * *
地下通路は旧世界の保線用倉庫に通じていた。
幅6メートル、奥行き20メートル、天井は4メートル。鉄殻が入れる高さではないが、大型機材を搬入できるサイズだ。
携帯灯が照らした先にそれはあった。
大きな布が被せてある。防水シートが幾重にも重ねられ、その下に人間より遥かに大きなシルエットが浮かんでいた。カイの心臓が跳ねる。
ガルドが防水シートの端を掴んで引くと、布が滑り落ちた。舞い上がった埃の細かい粒子が、携帯灯の光の中で渦を巻く。
銘殻がそこにいた。
膝立ちの姿勢で格納庫の中に収まっている。全高が天井ぎりぎりであり、立てばこの場所には入らない。膝をついたその姿は、まるで眠っているように見えた。
装甲は深い鉄紺色。明るくも暗くもない、夜明け前の空のような色だ。装甲板の表面には使用痕がある。弾痕の修復跡や摩耗したエッジ、交換された箇所と原型のままの箇所が入り混じっていた。長い年月を戦い、整備され、また戦い抜いた機体。
頭部は鋭角的な形状で、メインカメラは横長の細いスリットになっており猛禽の目を思わせる。肩幅は広くないが腕部は長く、関節が複雑に設計されていた。高い可動域を持ち、俊敏な動きを前提にした設計だとわかる。
胸部中央には小さなエンブレムが刻まれている。翼を広げた小型の猛禽、チョウゲンボウの意匠だ。
アルマナック No.46。ケストレル。
カイは息を呑んだ。
「テオの愛機だ」
ガルドの声が格納庫に低く響いた。
「銘殻ケストレル。俺が設計して、テオが乗った。アルマナック No.46のフレームに、テオの体格と操縦スタイルに合わせた全装を施した一点物だ」
カイはケストレルの前に立った。膝立ちの銘殻が見下ろすような姿勢でカイを見ている。メインカメラは死んでいるがスリットの奥にはレンズの反射があり、光が入ればこの目は再び開く。
リオンが装甲の表面を手で撫でた。
「一人の操手のために作られた機体だ。フレームの曲率、関節の可動域、全てが特定の人間の動きを前提に調整されている。この精度は、量産では絶対に出せない」
カイはコックピットに目をやった。胸部装甲の下にあるハッチをガルドが手動で開けると、内部が見えた。
操縦桿、ペダル、計器盤。狭いが整然としたコックピットだ。座席の表面は擦り減り、操縦桿のグリップは長年の使用で操手の手の形に凹んでいる。テオの手の形だった。
カイは壁に設置されたラダーを登ってコックピットの縁に手をかけ、中を覗き込んだ。座席に触れると、冷たい金属と使い込まれた革の感触がする。
ここに父が座っていたのだ。この操縦桿を握り、計器を見て戦場に出ていた。
カイはコックピットに体を滑り込ませ、座席に腰を下ろした。
体には合わなかった。座面が少し深く、ペダルまでの距離が少し遠い。テオはカイより背が高かったのだ。だが操縦桿のグリップを握ると不思議な感覚があった。父の手の形が自分の掌に重なる。
* * *
トワとリオンは格納庫を出て入口を警戒し、ガルドはケストレルの装甲パネルを一つずつ開いて内部機構を確認している。
「状態は?」
カイが聞いた。
「フレームは生きてる。アルマナック合金は30年でも錆びない。この金属は……」
ガルドが言葉を切り、何かを飲み込んだ表情で別の言葉を選んだ。
「関節の精度は、グランヴェルトの現行品より上だ。7年間眠ってたが、基本整備をすれば動く」
ガルドは装甲パネルの奥に手を入れ、何かを確認した。
「やはりあるな。鋳脈接続機構」
カイの体が強張る。
「テオは鋳脈者だった。この機体は鋳脈接続を前提に設計されている。だが――」
ガルドは装甲パネルを閉じるとカイの目を見た。
「これを直す。ただし、鋳脈の接続部は外す。お前が乗るなら、鋳脈なしの機体に作り直す」
カイはガルドの目を見返した。ガルドの瞳の奥には痛みがある。テオに鋳脈を入れたのは自分であり、その結果テオの体は壊れてしまったのだ。同じことをカイにはさせない。
「お前が乗るための機体にする。お前の体格に合わせて座席を調整し、ペダルの位置を変え、計器の配置を最適化する。鋳脈がなくても、お前の冴覚を活かせる機体にする」
ガルドの手が僅かに震えていた。
カイは頷いた。言葉は要らない。ガルドがこの機体をカイに託すことの重さは、その震える手が全てを語っていた。
父の機体がここにあった。
そしてこれから、カイの機体になる。




