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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
灰を踏む者たち

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旧高速道路

 東への移動は4日目に入っていた。

 毎日同じ景色の中を歩いている。鉄錆色の土と灰原草の海。たまに廃墟。それだけだ。さすがに飽きてくる。だから朝の霧が晴れ、前方に灰白色の帯が地平線まで続いているのが見えたとき、カイは思わず身を乗り出した。

 旧世界の高速道路の跡だった。アスファルトの路面が二車線分の幅を残してまっすぐに伸びている。中央分離帯のコンクリートは半ば崩れ、灰原草に覆われていた。それでも道はまっすぐ残っている。

 残殻(ざんかく)の足で踏むと、荒野の土とは違う硬さが操縦桿を通じて手に伝わってきた。骨に当たるような死んだ硬さだ。30年、と思う。30年も踏まれずにいた道が、まだこっちの足を弾き返してくる。


「この道を鉄殻(てっかく)なしで車が走ってた。時速100キロ以上で。信じられるか」

 ガルドの声だった。作業車の窓から顔を出して道路を見上げている。

「100キロ?」

「ああ。この幅の道を、小さな箱みたいな乗り物がひっきりなしに走ってた。信号があって、標識があって、休憩所があった」

 壁も装甲もない箱がその速さで。カイは想像しようとしてすぐに諦めた。

「危なくないのか。それ」

「さあな。俺も乗ったことはねえ。だが、みんな当たり前に乗ってたらしい。テオがそう言ってた」

 テオ。父の名が出ると、カイはいつも少し耳を澄ましてしまう。


 路面に錆びた自動車の残骸が転がっている。

 カイは残殻(ざんかく)のセンサーで拡大した。四つの車輪はぺしゃんこに潰れ、窓は割れて運転席にはハンドルらしきものだけが残っている。鉄殻(てっかく)の足元にも及ばない小さな鉄の箱だ。こんな箱に座ってガルドの言う速さで走っていたのか。やっぱり想像がつかない。



 * * *



 道路標識が傾いていた。

 金属の柱が錆びて折れかけ、標識板が斜めに垂れ下がっている。かろうじて数字が読めた。「80」。もう一つの標識は塗料が剥げて錆に覆われ、読めない。文字があった跡だけが残っている。


「この標識の先に何があったか、誰か覚えてるのか」

 カイはガルドに聞いた。

「さあな。旧世界の地図を持ってる奴がいれば分かるだろう。俺は持ってない。テオの地図にも、そこまでは書いてない」

「テオの地図にも載ってないことが、あるんだな」

「当たり前だ。あいつが歩いたのは、灰域(アッシュランド)だけだ。旧世界のことは、あいつだって生まれる前の話さ」

 それもそうかとカイは思った。父をなんでも知っている人間のように思いがちだが、父にも見ていない世界はいくらでもある。

 カイはしばらくその読めない文字を見上げていた。どこの街だったのか、今もあるのか。分からないし、誰も知らないのだろう。


 通信にトワの声が入った。

「旧世界の人間は、道を作るのが好きだったらしい」

「今は?」

「どこにも行けない。道が途切れたからな」



 * * *



 旧高速道路を一時間ほど歩いた。

 平らな道は歩きやすかった。荒野では一歩ごとに足場を確かめなければならないが、ここでは残殻(ざんかく)の脚が勝手にリズムを刻んでくれる。操縦桿に伝わる振動が規則正しく、これなら関節の消耗も少ない。トワが速度のムラを嫌う理由が体で分かる気がした。

 だがそれも長くは続かなかった。路面の亀裂が徐々に大きくなっていく。アスファルトが内側から盛り上がり、裂け目から鉄根樹の根が突き出していた。錆色の太い根が中央分離帯を持ち上げて砕いている。

 カイの残殻(ざんかく)の足がめくれた路面の縁を踏んだ。ぱきんと乾いた音がして路面が崩れ、脚が一瞬がくんと沈む。カイは小さく舌打ちした。せっかくの平らな道ももう終わりかけている。


 路肩にガードレールが残っていた。その一本に灰域(アッシュランド)鴉が止まっている。黒い羽根が風に膨らんでいた。鴉はカイの残殻(ざんかく)を見上げて一度鳴き、飛び去った。それだけだった。


 そこから先は路面の状態がさらに悪くなった。亀裂とめくれが増え、錆びた残骸を一つずつ避けながら進むうち、残殻(ざんかく)の脚はかえって荒野を歩くより神経を使った。やがてガルドが作業車を止めた。

「ここから先は舗装が残ってない。テオの地図だと、旧サービスエリアの跡が5キロ先にある。今日の宿はそこだ」

 カイはテオの地図を確認した。父の筆跡で「SA跡 屋根あり 水なし」と書かれている。インクの掠れ方までいつもの父の字だ。親父もここで足を止めたのか。同じ屋根の下で。カイは地図を畳んだ。



 * * *



 旧高速道路は唐突に終わった。

 路面がひしゃげた鉄筋を吐き出して千切れている。爆撃か、地盤の崩落か。2メートルほど下には鉄錆色の土が剥き出していた。めくれた縁から赤黒く錆びた鉄筋が覗いている。

 カイは残殻(ざんかく)を止めた。ここで道は終わりだ。いや、道なんてとっくに無いか。その向こうには灰原草の海と点在する廃墟の影だけが地平線まで続いていた。

 カイは残殻(ざんかく)の足を剥き出しの荒野へ踏み下ろした。アスファルトの死んだ硬さが消え、ざらついた土が足裏に重みを呑み込む。操縦桿を通じてその柔らかさが手に伝わってきた。

 カイは作業車の轍を追って荒野へ機体を進めた。東へ。


 * * *


 日が傾く頃、ようやく旧サービスエリアの跡が見えた。

 崩れかけたコンクリートの建物だった。屋根は半分落ちていたが、残った半分の下なら雨風はしのげそうだ。それだけで強張っていた肩が少し下りた。父の地図の通り水はない。井戸らしき穴を覗いても底まで乾き、灰が積もっているだけだ。

 ガルドが作業車を停めて機体の点検を始める。トワはシルフから降りると、いつものように真っ先に脚部の関節を覗き込んだ。カイも残殻(ざんかく)を降りた。一日歩いた機体の脚は、関節のあちこちで嫌な音を立てている。降りる前に健全度表示をもう一度確かめた。右膝の数値がまた一段下がっていた。もうかなり危うい。だましだまし使ってきたが、いつ動かなくなってもおかしくない。トワの言う通り、いい加減ガルドに見てもらわなければ。

 建物の壁に誰かが彫った跡があった。文字なのかただの傷なのか判然としない。ここで休んだ誰かが退屈しのぎに彫ったのかもしれない。ずっと前に、あるいはつい先日に。

 カイは壁の傷を指でなぞった。冷たいコンクリートの感触だけが指に返ってくる。


 夜になると屋根の残った一角で火を焚いた。

 ガルドが鍋をかける。乾いた携行食を煮込んだだけの味のない粥だ。毎日これでさすがに飽きた。それでも文句を言ったところで他に食うものがあるわけでもないため、黙って口に運んだ。トワは火から少し離れた場所でいつものように壁に背を預けている。手元でシルフの予備部品らしき金具を点検していた。

「明日も、こんな道が続くのか」

 カイが訊くと、ガルドは粥をすすりながら答えた。

「いや。この先はしばらく、ただの荒野だ。道もない。目印もない。テオの地図と、トワの勘が頼りだな」

 トワは何も言わなかった。火の向こうで金具を点検する手を止めない。聞こえていないのか、聞こえていて答えないだけなのか分からない。

 カイは火を見つめた。明日からは旧世界の道もなく地図の線もない、ただの土の上だ。少しだけ心細かった。火の熱を顔に受けながら、カイはもう一度何も見えない東の闇のほうへ目をやった。


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