トワ・カジャ
旅の師匠。
旧ルジェフの集落を出て東に進んだ先に、平坦な荒野が広がっていた。
灰原草が膝の高さまで生い茂り、風が吹くたびに白い穂が波を作る。見渡す限り遮蔽物がない。残殻が2機、その真ん中に立っている。
「ここで訓練する」
トワの声は、通信越しでも温度がなかった。事実を述べているだけ。訓練という名の実戦に近い何か。
「何をやる」
「模擬戦だ。近接格闘。俺がお前を殴る。お前は耐えろ」
カイは操縦桿を握り直した。
トワ・カジャという人間を、カイは断片的にしか知らなかった。
ガルドが旅の前に説明した。灰域随一の残殻乗り。独立傭兵。かつてはクレスタの傭兵ギルドに登録していたA級の腕前。ある依頼で仲間を失い、大規模な部隊戦を嫌うようになった。以来、一人か少人数で動くことを好む。
それだけだ。それ以上のことは、トワ自身が語らない限り分からない。
* * *
シルフが動いた。
速い。骨格だけの機体が、灰原草を薙いで突進してくる。背部と腰部のスラスターが火を噴き、残像を引くような加速。カイの残殻の倍の速度で間合いを詰めてきた。
右から来る。
カイの体が反応した。操縦桿を左に倒し、機体を横にずらす。シルフの右腕が空を切った。戦闘短刀の刃が、カイの残殻の肩装甲を掠める。金属が擦れる甲高い音。
「遅い」
トワの声。既に離脱している。シルフは一撃離脱の後、30メートル後方に跳んでいた。
「冴覚で読めても、機体が追いつかなきゃ意味がない。お前の残殻は重い。その重さを前提に動け」
次が来た。今度は左。斜め下から。
カイは操縦桿を引き、機体を半歩後退させた。シルフの蹴りが空を薙ぐ。だが次の瞬間、トワは蹴りの反動を利用して回転し、背面からの斬撃に繋げた。
読めなかった。蹴りの後に回転が来ることを、カイの冴覚は捉えていたはずだ。だが機体が間に合わない。
シルフの戦闘短刀が、残殻の背部装甲を叩いた。コックピットが揺れる。計器のアラートが一つ鳴った。
「冴覚に頼りすぎるな」
トワは容赦なく言う。
「相手が機械的に動けば冴覚は効かない。五感全部を使え。目で見て、音を聞いて、機体の振動で地面を読め」
* * *
3度目。4度目。5度目。
カイは何度も地面に叩きつけられた。残殻の関節が軋み、装甲が凹み、計器の黄色いランプが増えていく。汗が目に入る。操縦桿を握る手が滑った。
トワの動きには一貫したパターンがあった。
攻撃の後、必ず離脱する。接近し、一撃を入れ、即座に距離を取る。三手先に退路を用意している。攻めている最中でも、離脱ルートが確保されている。
カイの戦い方とは根本が違う。カイは攻める時に前に出る。退く判断が遅い。ラストヘイムでの戦闘でも同じだった。
「お前は攻める時に前のめりになる」
6度目の模擬戦の後、トワが言った。通信越しではなく、二人とも残殻の上に座り、水を飲みながら。
「灰域で一番大事なのは生き残ること。勝つことじゃない。死んだら何も守れない」
カイは水を飲んだ。喉が乾いている。体中が痛い。残殻が受けた衝撃は、コックピットの中の人間にも伝わる。背中と腰が鈍く疼いていた。
「分かってる」
「分かってない。分かっていたら、5回も転ばない」
トワの言い方は突き放しているようで、そうではない。事実を述べている。感情を載せない声で、必要なことだけを伝える。
7度目の模擬戦が始まった。
シルフが正面から来た。直線的な突進。カイは後退しようとして、やめた。後退すれば距離を取られる。距離はトワの領域だ。
前に出た。
シルフの斬撃を、半歩の踏み込みでかわす。刃が頬の横を通過した感覚がある。冴覚が時間を引き伸ばしている。トワの右腕が伸びきった瞬間、そこに隙がある。
カイの残殻の左拳が、シルフの胴体に触れた。
軽い衝撃。装甲越しに伝わる金属の硬さ。有効打とは呼べない。だが当たった。
トワの機体が一瞬、動きを止めた。
「……やっと当たった」
声に、微かな温度があった。
* * *
訓練後、ガルドが作業車の荷台に座って赤葉の煙草を吸っていた。辛い煙が夕暮れの空に溶けていく。
「トワ。手加減するな」
「してないよ」
トワは嘘をつかない。だがカイは気づいていた。トワの斬撃は、装甲の薄い部分を避けていた。コックピットの直上には一度も打ち込んでこなかった。殺さない範囲の全力。それがトワの「容赦のなさ」の正体だった。
カイは自分の右肩に触れた。
訓練の最後にトワが言ったことが、頭から離れない。
「悪くない。でもお前は一つ癖がある。攻める時に右肩が先に動く。冴覚で読み合う相手には致命的だ」
右肩。無意識の動作。気づいてもいなかった。
自分の体のことを、自分が一番知らない。その事実が、妙に怖かった。




