灰の市場
月に二度の市の日。カラス商隊が運んでくるのは、物資だけではない。
月に二度の市が立つ日、ラストヘイムは少しだけ賑やかになる。
広場に並べられた木板の上に、廃材、食料、布、工具がずらりと並ぶ。近隣の小集落から住民が集まり、物々交換の声が飛び交う。灰域には通貨がない。全ては交換と分配で回っている。
カラス商隊の荷馬車が朝一番に到着した。
灰域を巡回する商隊の一つで、集落から集落へ物資を運ぶ。荷台には鉄材、工具、乾燥食品、布、そしてガラス瓶に入ったカラス商隊キャンディが積まれていた。蜂蜜と干し果物を固めた飴で、灰域の子供たちにとっては数少ない甘味だ。
リックが真っ先に駆け寄った。
「おっちゃん、キャンディある?」
「あるよ。だがタダじゃない。何を出す?」
リックは懐からボルトを5本取り出した。今朝、廃墟で拾ったものだ。商人は目を細めてボルトを検分し、「2個だな」と言って飴を渡した。リックは1個を口に放り込み、もう1個をポケットにしまった。母親の分だろう。飴の甘さに顔が綻ぶ。15歳の少年の、年相応の表情だった。
ロイド・ハートが市場の管理を仕切っている。
配給の帳簿を確認し、物々交換のレートを調整し、声を張った。
「エール一樽が鉄材10キロ。布一反が乾燥豆5キロ。異議があるなら今のうちに言え」
22歳にしてはいやに疲れた顔をしている。目の下の隈が深い。黒髪をきっちり後ろに撫でつけ、腰にはメモ帳と計算尺を差していた。
カイはロイドの横で荷の運搬を手伝った。鉄材の束を荷馬車から降ろし、秤に載せ、重量を記録する。単純な力仕事だが、数字の管理はロイドの頭の中で完結している。
「寝てるのか」
カイが聞くと、ロイドは帳簿から目を上げずに答えた。
「公差の中だ」
技匠のスラングで「問題ない」の意味だ。問題がない状態の人間がこんな顔をするかどうか、カイは黙っておいた。
ロイドは市場の運営を通じて集落の経済を支えている。備蓄量、消費量、交易の収支を全て頭に入れ、200人の住民が冬を越せるように数字を組み立てる。派手な仕事ではない。だがロイドがいなければ、ラストヘイムは食料の配分で揉め、備蓄を使い切り、冬の前に崩壊する。
* * *
タリアは商隊の荷の中から通信部品を探し当てた。
焼けた基板の中に、まだ生きているコンデンサが2つ残っていた。商人との交渉は粘り強かった。タリアが差し出したのは、先週自分で修理した懐中電灯だ。商人はしばらく考え、「いいだろう」と頷いた。
「見て、カイ」
タリアが手のひらに載せたコンデンサを見せた。薄い緑色の部品が2つ、油汚れにまみれている。
「これで通信機の出力が上がる。10キロ先までしか届かなかった信号が、20キロまで伸びる」
「よかったな」
「よかった、じゃないよ。すごいことだよ」
タリアの目が輝いている。カイはその顔を見て、少しだけ口元が緩んだ。
* * *
夕食は集落全員で共有する大鍋のドライベッド・シチューだった。
乾燥豆と干し肉と根菜の何でも煮込み。味付けは塩と、灰域で採れる辛味のある野草。ゲオルグの好みで塩が強い。鍋を囲む住民たちの顔を、カイは眺めた。
200人の集落。小さい。統治機構体の管区から見れば、地図に載らない点でしかない。
だが確かに、ここに暮らしがある。
子供たちが走り回り、老人が焚き火の傍に座り、女たちがスープの味を見ながら笑っている。壊れた水道管を直す者、屋根の継ぎ目に泥を塗る者、錆びた鉄板を叩いて鍋を作る者。一つ一つは小さな営みだが、それが200人分集まって、集落という形を保っている。
錆鉄キノコの苦い匂いが風に乗ってきた。鉄殻の残骸に繁殖する茶色いキノコを乾燥させ、粉にしてスープに混ぜる。錆を食う、と灰域では言う。文字通りの話だ。
カイはスープを口に運んだ。塩辛く、苦く、僅かに鉄の味がする。美味くはない。だが温かい。
隣ではリックが二杯目をおかわりし、タリアが新しいコンデンサの使い道をロイドに説明していた。ロイドは「通信より食料が先だ」と渋い顔をしたが、タリアは怯まない。
「通信が伸びれば、交易の効率が上がるんだって。結果的に食料も増える」
「理屈は分かるが、今の備蓄で冬を越せるかの計算が先だ」
「だからこそ、他の集落と繋がらないと」
二人の議論を聞きながら、カイは鍋底のシチューを掬った。
* * *
市が終わり、商隊が去り際にロイドを呼び止めた。
カラス商隊の商人の一人が、ロイドの耳元に顔を寄せた。周囲に聞こえないように、低い声で話している。
カイは離れた場所から、その光景を見ていた。商人の表情は険しく、ロイドの顔から表情が消えていくのが分かった。
商人が去った後、ロイドはしばらくその場に立ち尽くしていた。
カイが近づくと、ロイドは帳簿を閉じた。
「何を聞いた」
ロイドの声が、乾いていた。
「南の集落が一つ消えた」
カイの足が止まった。
「戦闘の余波じゃない。鉄殻が踏み潰した」
ロイドの目が、カイを見た。疲労と、怒りと、恐怖が混じった目だ。
「統治機構体の連中が灰域で戦争ごっこをやって、俺たちの集落が潰れてる。なぜ俺たちが巻き込まれなきゃならない」
カイは答えられなかった。ロイドの怒りは正しい。正しすぎて、返す言葉がない。
南の集落。名前は聞かなかった。聞けば、知っている人間がいるかもしれない。カラス商隊が通る集落は、ラストヘイムとも交易がある場所だ。
ロイドは帳簿をポケットにしまい、広場の片付けに戻った。その背中は、22歳の若者のものとは思えないほど硬かった。
カラス商隊――灰域を巡回する行商集団の一つ。集落から集落へ物資と情報を運ぶ、灰域の動脈。カラス商隊キャンディ(蜂蜜と干し果物を固めた飴)は、灰域の子供にとって数少ない贅沢品である。




