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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄の鳴く夜

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情報の値段

 ルイ・ヴェルデが2度目にストーンクロスに現れたのは、3月の半ばだった。

 前回は冬の最中だった。凍りついた給水路と砲撃で崩れた街並みの中に、汚れ方の均一な作業着を着た女が座っていた。あれから2ヶ月。ストーンクロスは変わった。崩れた壁は修復され、屋根は張り直され、人口も少しだけ増えた。だがルイの目は変わっていなかった。暗緑色の瞳が、部屋に入った瞬間に全員の顔を一巡りする。情報を食う目だった。


 バートンの仮執務室。旧世界の商業ビルの2階。窓には相変わらず板と布が張られているが、机の上にはコンラッドから送られた鉄鉱石の分析報告書が新たに積まれている。


「2度目の訪問に値する情報がある、ということだな」


 バートンが椅子に腰を下ろしたまま言った。背筋は伸びている。白髪交じりの黒髪は相変わらず丁寧に整えられ、短い顎髭もきちんと手入れされていた。灰域(アッシュランド)にあっても身だしなみを崩さない男。元クレスタの管区長。その経歴が、ルイの前では微妙な意味を持つ。バートンはクレスタを捨てた男であり、ルイはクレスタで食っている女だった。


「お代も高くつくけどね」


 ルイは前回と同じ椅子に座った。栗色の髪を片側に流し、テーブルに両肘をつく。姿勢は崩れているのに、隙がない。体の重心がいつでも立ち上がれる位置にある。


 カイは壁際に立っていた。バートンとルイの間に入る気はなかった。前回の会議で、自分がこの種の駆け引きに向いていないことは分かっていた。だが聞いておく必要はあった。鋼城(こうじょう)モノリスの話であれば、なおさら。


「まず品物を見せてもらおう」


 バートンが言った。


「値段は中身を見てからだ。空箱に金は払わない」


「もちろん。でも全部は見せない。一部だけ。味見ってやつ」


 ルイはポケットから折り畳んだ紙を一枚取り出した。薄い灰色の紙。裏面に手書きの文字が並んでいる。きちんとした字だった。誰かが口述したものを書き取ったのか、文体に硬さがある。技術者の言葉だ。


鋼城(こうじょう)モノリスの動力系統。48基の複合動力炉が搭載されている。それだけなら以前の情報と同じだけど、問題はそっちじゃない」


 ルイは紙をテーブルの上に置いた。バートンの手が伸び、紙を取り上げた。目を落とす。表情は変わらない。だがカイは見ていた。バートンの右手の小指がない手が、紙の端を僅かに強く握ったのを。


「48基の動力炉は補助。主機関は別にある。詳細はまだ掴めていないけれど、主機関が稼働した場合のエネルギー出力は、動力炉48基の合計を大幅に超える。グランヴェルトの技術者たちがどんな顔で計算しているか、想像はつくでしょう」


「問題は弱点だ」


 バートンが紙から目を上げた。


「あの化け物をどうやって止めるか。それが知りたい」


「3つある」


 ルイは指を3本立てた。


「一つ。エネルギー消費。あの大きさの物体を動かすには、途方もない燃料がいる。動力炉48基で駆動する場合、全力稼働の持続時間は72時間。3日。それを超えると動力炉のオーバーヒートが始まる。もっとも、主機関が動けば話は変わるけれど」


「つまり3日以内に決着をつけろ、ということか」


 カイが口を開いた。壁に背を預けたまま。


「もしくは、主機関を起動させるな、ということ」


 ルイはカイの方を見た。暗緑色の目が、カイの顔に一瞬だけ止まった。値踏みしているのか、興味を持ったのか。読めなかった。


「二つ目。冷却システム。48基の動力炉はそれぞれ独立した冷却機構を持っている。だけど、冷却水の循環路は共有部分がある。循環路の分岐点は鋼城(こうじょう)の下腹部に集中している。そこを破壊すれば、複数の動力炉が同時に過熱する。全部止められなくても、半数が落ちれば鋼城(こうじょう)は歩けなくなる」


「下腹部。装甲は」


 バートンが聞いた。


「薄くはない。でも、主砲や側面装甲に比べれば弱い。地面に近い部位だから、対地砲撃を想定していない。設計者は下から撃たれることを考えていなかった」


「考えていなかったんじゃない。考える必要がなかったんだ」


 カイが言った。


「3.2キロメートルの鋼城(こうじょう)の腹の下に潜り込める鉄殻(てっかく)なんて、普通はいない」


 ルイが微かに口の端を上げた。笑みとは言えない程度の動きだった。


「三つ目。これが一番重要。鋳脈(ちゅうみゃく)接続中枢」


 部屋の空気が変わった。バートンの背筋がさらに伸びた。カイの肩が壁から離れた。


鋼城(こうじょう)は24名の鋳脈(ちゅうみゃく)者を接続して制御している。6つの区画に分かれて、それぞれが鋼城(こうじょう)の機能の一部を担っている。脚部の制御、火器の管制、動力の管理。鋳脈(ちゅうみゃく)者がいなければ、鋼城(こうじょう)はただの鉄の山。動けないし、撃てないし、ドールも出せない」


「接続中枢の位置は」


「胴体下部の最深部。外からの砲撃では届かない。潜り込むしかない」


 沈黙が落ちた。


 バートンは紙をテーブルに戻し、両手を組んだ。右手の小指がない手と、左手。灰域(アッシュランド)で15年間を生き延びてきた手だった。


「情報の価値は認める。では対価を聞こう」


 ルイは背もたれに寄りかかった。両肘がテーブルを離れ、腕を組んだ。


「クレスタ資源同盟は、戦後の灰域(アッシュランド)に参入したい。資源の採掘権と交易ルートの優先利用権。灰域(アッシュランド)が独立した場合でも、灰域(アッシュランド)連合の領域内でクレスタが事業を行う権利を保証してほしい」


 バートンの目が細くなった。


灰域(アッシュランド)はクレスタの植民地ではない」


「植民地にするつもりはないよ。事業の権利だけ。採掘はこっちの設備と人手でやる。灰域(アッシュランド)の住民を雇用する。利益の一部は灰域(アッシュランド)に還元する。対等な取引相手として」


「対等、ね」


 バートンの声に皮肉が混じった。元クレスタの管区長として、その言葉の空虚さを誰よりも知っている男の声だった。


「お前たちの言う『対等な取引相手』がどういう意味か、俺は15年前に見てきた。資源を持ち出し、利益を吸い上げ、灰域(アッシュランド)には塵が残る。それがクレスタの『対等』だ」


「それは15年前の話。今のクレスタは違う」


「組織が変わっても、構造は変わらない」


 カイは二人のやり取りを聞いていた。バートンの言い分は正しかった。クレスタがどれだけ言葉を飾っても、資源を持つ側と持たない側の力関係は変わらない。灰域(アッシュランド)は常に弱い側だった。


 だが。


「バートン」


 カイが言った。


 二人の視線が同時にカイに向いた。バートンの奥二重の目と、ルイの暗緑色の目。


「勝てなければ、権利もクソもない」


 短い言葉だった。交渉の技術も、政治の言葉も持っていなかった。ただ事実を言った。


鋼城(こうじょう)が動いたら、灰域(アッシュランド)は終わる。灰域(アッシュランド)が終われば、資源利権も交易ルートも全部消える。クレスタとの交渉条件がどうであれ、生き残れなければ意味がない」


 バートンは黙った。


 カイの目を見ていた。17歳の目を。灰域(アッシュランド)で生まれ、灰域(アッシュランド)で戦い、鋳脈(ちゅうみゃく)を拒み、それでも鋼城(こうじょう)に立ち向かおうとしている少年の目を。


「……まず生き残る。条件はその後に詰める」


 バートンはそう言った。声に渋みがあった。政治家としての矜持が、現実に押し切られた音だった。


 ルイは腕を解いた。


「賢明な判断だと思うよ。残りの詳細データは明日までに整理して渡す」


 ルイは椅子から立ち上がった。外套の襟を直し、テーブルの上の紙を回収する。動作に無駄がなかった。


 カイは仮執務室の扉を開けた。ルイが通り過ぎる時、足が止まった。


 暗緑色の目がカイを見下ろした。ルイの方が背が高かった。カイより10歳年上の女が、17歳の少年を見つめている。


「一つ、おまけ」


 ルイの声が低くなった。


鋼城(こうじょう)の中には6人の鋳脈(ちゅうみゃく)者が繋がれている。私が確認できたのは6人。まだ全容は掴めていないけれど、その6人のことは見てきた」


 ルイの表情が変わった。あのポーカーフェイスが、一瞬だけ崩れた。嫌悪ではなかった。もっと深い何かだった。


「あれを見たら、お前は鋳脈(ちゅうみゃく)なんて欲しくなくなるよ」


 ルイは振り向かずに廊下へ出た。階段を降りる足音が、布と板で塞いだ窓の向こうに消えていった。


 カイは扉の枠に手を置いたまま、しばらく動けなかった。


 鋳脈(ちゅうみゃく)なんて欲しくなくなる。


 2日前、ネイサンの体を見た。味覚を失い、右目の視野が欠け、手が震える36歳の男の体を。あれが鋳脈(ちゅうみゃく)の代償だった。


 だが鋼城(こうじょう)の中に繋がれている6人は、ネイサンとは違う。ネイサンは鋳脈(ちゅうみゃく)の劣化で壊れた。鋼城(こうじょう)鋳脈(ちゅうみゃく)者は、壊れながら使われ続けている。


 その差が、カイの胸を冷たい手で掴んだ。

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