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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
鉄の鳴く夜

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隊長の歩み

轍が続いていた。

 灰色の大地に鉄殻の脚部が刻んだ深い溝が2列、進軍路に沿って伸びている。先行した汎殻部隊のものだ。乾いた土が踏み崩されて灰と砂利が溝の縁に盛り上がり、その轍の上をコルヴァスの隊列が進んでいた。


 ソルスティスが先頭を歩いていた。

 メインカメラの赤い光が前方の荒野を走査している。地平線は灰色で空との境界が曖昧だった。灰域の風が横から吹きつけ、機体の装甲を乾いた砂が叩く。轍の先はストーンクロスへ続いている。


「隊長、3時方向に鉄殻の残骸。残殻です。2機」


 通信に入ったフィンの声は落ち着いていた。汎殻のカスタム機が隊列の右翼を守りながら、メインカメラを残骸へ向けている。


 リーヴが視線を動かすと、ソルスティスのカメラが残骸を捉えた。2機の残殻が荒野の窪地に横たわっている。脚部が千切れて胴体が地面にめり込み、装甲の表面は砂塵と錆に覆われているものの損傷の形は新しい。数日以内の戦闘痕だった。


「先行部隊の戦果か」


 シーラが言った。左翼を守るヴァーグラスから響く声は平坦で、遊肢3基は懸架アームに収まったままだ。


「停止」


 リーヴの言葉でソルスティスが歩を止め、隊列が停まった。


 残殻の傍に人影があった。


 * * *


 3人だった。

 壊れた残殻の影に膝をついて座っている。2人の男と1人の女で、全員が灰域の傭兵だった。汚れた防護服は破れて顔は灰と汗にまみれ、疲弊した目がソルスティスを見上げている。恐怖と諦めの混ざった目だ。


 リーヴはハッチを開けずに外部スピーカーを起動した。


「武器はあるか」


 低く平坦な声が荒野に響いた。ソルスティスの外部スピーカーを通すことで金属の反響が加わり、人の声とは思えない冷たさを帯びている。


 傭兵の1人が首を横に振った。年嵩の男だ。40代かそれ以上か。灰域の人間は実年齢より老けて見える。


「銃は壊れた。残殻も動かねえ。もう戦う気はねえ」


 男の声は掠れ、乾いた唇が割れている。


 リーヴがカメラで3人を見ると武装はない。残殻は完全に機能停止し、コックピットのハッチが開いたまま配線が垂れ下がっている。投降者だった。コルヴァスの進軍路上で壊れた機体と共に取り残された傭兵だ。


「立て」


 リーヴが命じると3人が立ち上がった。年嵩の男が先に立って残りの2人を促す。若い男は右腕を庇っており、骨折か脱臼か。女は左足を引きずっている。


「一人ずつ前に出ろ。正面を向け」


 3人が従い、ソルスティスの赤いメインカメラが1人目の男の顔を映す。


 リーヴは冴覚を薄く広げた。

 灰色の静寂が意識の縁に触れる。完全展開ではなく、薄い膜のように五感の表面へ張った冴覚が眼前の人間から流れる情報を拾う。心拍、呼吸の間隔、瞳孔の動き。リーヴが見ているのは恐怖の度合いではなかった。


 目の動きだった。

 素養のある人間は目が違う。意識の外で勝手に情報を拾うのだ。士官学校の選抜で使われた判定法を、リーヴは今灰域の傭兵へ向けていた。


 1人目は年嵩の男。目の動きは鈍い。疲労もあるだろうが視線の遷移にリズムがなく、素養はなかった。


「通れ。北へ行け。この進軍路には戻るな」


 男が頷いて背を向けた。足取りは重い。数歩進んで振り返り、自分の機体だったのだろう残殻の残骸を見た。離れがたそうに見つめてから北へ歩き始める。


 2人目は右腕を庇った若い男だ。リーヴのカメラの前に立った瞬間、視線が動いた。ソルスティスの胴体から肩部、懸架アームの遊肢、脚部関節、そして地面のスラスター痕。一連の視線移動が滑らかだった。痛みで顔を歪めているのに目だけが機体の構造を追っている。操手の目だった。壊れた残殻に乗っていただけの傭兵ではない。


「名前」


「……コズロフ」


「年齢」


「22」


 若い声が震えていた。リーヴの冴覚が拾う心拍は速い。だが視線の動きは止まらず、無意識にソルスティスの装甲の継ぎ目を見て関節の可動域を測っている。


「セルヴィスへ連行する。拘束に従え」


 コズロフの顔が強張った。


「待ってくれ。投降したんだ。通してくれるんじゃ――」


「冴覚の素養がある。セルヴィスで検査を受けろ」


 リーヴの声に感情はなかった。コズロフの目が見開かれ、恐怖が先ほどとは質の違うものに変わる。保護の名目で連れていかれた者がどうなるか――その噂をこの男も知っているのだ。


「シーラ。拘束しろ」


「了解」


 ヴァーグラスが進み出た。シーラの動きに迷いはない。


「隊長」


 通信回線に僅かな緊張を混じらせたフィンの声だった。


「それは命令の範囲を超えています」


 リーヴはカメラを3人目の女に向けたまま答えた。


「何がだ」


「投降者の処遇は後方に委ねることになっています。現場での選別と連行は、作戦命令にありません」


 フィンの声は抑制されている。生意気なわけではなく事実を述べている。19歳の非鋳脈操手が隊長に対して正面から異を唱えていた。


「命令は更新された」


 リーヴが言った。


「いつ、誰がですか」


「俺が、今、更新した」


 通信が沈黙し、フィンは黙った。反論する材料がなかったのではなく、反論しても通じないと判断したのだ。フィンは賢い。だからこそコルヴァスにいる。


 3人目の女を見た。足を引きずっており、目の動きは遅い。素養はなかった。


「通れ」


 女が男の後を追って去っていく。コズロフだけがヴァーグラスの足元で手首を結束された。22歳。ハルと1つしか違わない。


 リーヴはそのことを考えなかった。


 * * *


 進軍を再開した。

 コルヴァスの隊列が再び動き出し、轍の上を4機の鉄殻が歩いていく。拘束されたコズロフはヴァーグラスの掌に収まるコンテナに押し込まれていた。捕虜輸送用の簡易収容器で、本来は負傷した味方を後方に運ぶためのものだ。


 ナディルは何も言わなかった。

 後方を守るナディルの機体がリーヴのソルスティスの背中を映しているが、通信には一言も入らない。ハルの代わりに後方を任されたナディルは、ハルがいた位置でハルと同じように後方を監視している。だがハルのような軽口はなく、「後方クリアっす」の一言すら聞こえてこない。ナディルの沈黙はハルの沈黙とはどこか違い、言葉そのものを失っていた。口を開く理由が見つからないかのようにただ黙っている。


 リーヴにはナディルの視線が分かった。冴覚で読んでいるのでも背中で感じているのでもなく、ただ知っていたのだ。ナディルが自分の背中を見ていることを。困惑と戸惑いと、それでも離れられない忠誠が混ざったあの目で。


 構わなかった。


 進軍路の先に灰色の地平線が続いている。ストーンクロスまであと2日。


 * * *


 夜営地の設営が終わり、コルヴァスの機体が停止した。

 リーヴはソルスティスのコックピットに残り、ハッチを閉じて計器の電源を落とした。暗闇が落ちて外界の音が装甲に遮断される。


 左手を見た。


 膝の上に置いた左手が震えていた。細かく絶え間なく指先が痙攣している。止めようとして右手で左手首を掴み力を入れたが、左手は止まらなかった。


 昨夜と同じだった。


 だが一つ違うことがあった。昨夜は震えを見て何かを感じた。不安か恐怖か、あるいは悲しみか。名前をつけられない何かが胸の奥にあったのだ。


 今夜は何もなかった。


 左手が震えている。それは事実だ。触覚が失われているのも事実だった。震えているのに何も感じず、掴んでいるのに掴まれている感覚がない。右手が左手首の骨の硬さを伝えてくるが左手からは何も返ってこない。震えだけが意志を持ったように続いている。


 この手で遊肢を制御している。この手で双牙刀の左の柄を握る。この手で投降者の目を見て冴覚の素養があるかどうかを判定した。震える手で。何も感じない手で。


 胸の内ポケットにはハルの結び目の紐があった。12の結び目。帰りたい理由の数。右手が無意識に胸の内ポケットへ這い上がり、布地に触れる寸前で膝へと落ちた。


 耳の奥でノイズが鳴っていた。昨日より僅かに大きい。砂嵐の中にいるようなざらついた音で、聴覚の劣化が進んでいる。左耳のノイズは既に常態化し、右耳にも侵食が始まっていた。世界の音が一枚ずつ薄い布を被せられるように鮮明さを失っていく。


 左手の震えを見つめた。


 何も感じなかった。

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