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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
折れた天秤

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鋼城《こうじょう》の報

ケストレルの左腕は、肘から先が動かなくなっていた。

 ガルドが整備用のランプをコックピットの下から当て、露出したフレームの間を覗き込んでいる。金属と金属の接合部が歪み、動力伝達系のケーブルが3本断裂していた。ガルドは煙草を咥えたまま、その断面を指先で触った。左手の中指と薬指の火傷痕が、ランプの光で白く浮き出ている。

「左腕は直せる。ケーブルの予備がある。だが装甲板は交換品がない。内側から板金で叩いて形を戻すが、強度は7割に落ちる」

「どれくらいもつ」

「一戦。二戦目の保証はしない。左腕は盾代わりにするな。次に20ミリを食らったら肘ごと持っていかれる」

 ガルドの声は淡々としていた。いつも通りだ。壊れたものを前にすると、この男は感情を工具の先に閉じ込めて、ただ直す手だけが動く。


 仮設拠点に戻ってから2日が経っていた。

 コルヴァスは撤退した。だが遠くに退いたわけではない。ストーンクロスに戻り、態勢を整えている。リントの偵察によれば、コルヴァスの汎殻部隊は損傷機の修理を進めている。次の攻勢はいつ来てもおかしくない。

 灰域側の損耗は深刻だった。ボルトの残殻部隊は3機が損傷し、うち1機は修理不能だった。動力炉のケースが割れ、内部の冷却剤が漏れている。これはガルドでも直せない。操手は無事だが、機体がない。リントの残殻キャリバーも右肩の関節を損傷しており、ガルドが応急処置を施した。リオンの残殻は最も酷い状態で、まともに動くのは右脚と胴体だけだった。

「部品が足りない」

 ガルドが呟いた。煙草の煙が、冬の冷気の中で白く漂った。

「残殻の部品は残殻から取るしかない。だがまともな残殻自体が足りない。アイアンウェルの鉄鉱山に廃材がいくらかあるが、使える部品を選別するだけで1週間はかかる」

 ガルドは工具をツールベルトに戻しながら、ケストレルの右脚に目を移した。こちらも装甲が赤域まで損傷している。関節そのものは無事だが、装甲が薄くなった状態では被弾に耐えられない。

「ケストレルはアルマナックだから、フレームは持つ。だがフレームが無事でも装甲を全部剥がされたら終わりだ。裸の骨格で戦場には出せない」



 * * *



 その日の夕方、通信が入った。

 バートンが暗号を解読し、紙に書き写した。手元のランプの光が紙の上の文字を照らしている。バートンはカイとリオンとガルドを集めた。


「ヒューゴからだ」

 バートンは通信内容を読み上げた。

「グランヴェルトが鋼城の建造を開始した。場所はグランヴェルト本領の工業地帯、旧中欧の奥地。試験段階のデータを使い、不完全ではあるが建造は進行中。完成予測は3ヶ月から4ヶ月後。名称はモノリス」


 沈黙が落ちた。

 灯油ランプの炎だけが、誰の声もない部屋で小さく揺れていた。


 鋼城。全長数キロの超巨大移動要塞。1機で国家と交戦可能な自己完結型戦力。ドール生産施設を内蔵し、行軍中に無人機を量産し続ける。その臓腑には、24名の鋳脈者が繋がれる。

 カイの父、テオ・セヴァルが命を懸けて止めようとしたもの。それがなくても、グランヴェルトは試験段階のデータで動かし始めた。


「完全版がなくても動くのか」

 カイが聞いた。

「動く」

 ガルドが答えた。煙草を指の間で転がしながら。灰が落ちた。

「だが性能は大幅に落ちる。試験段階のデータでは、鋼城の装甲配分と動力炉の制御系統が最適化されていない。不完全版は完全版の6割の性能だ。イグニス・コンバーターの出力制御も安定しない。だが6割でも、通常の鉄殻部隊で止められる代物じゃない。汎殻が100機束になっても、鋼城の装甲は抜けない」

「じゃあ完全版のデータを手に入れたら」

「鋼城の性能は飛躍的に上がる。装甲配分が最適化され、動力炉の効率が上がり、ドール生産能力も倍になる。グランヴェルトにとって完全版データの回収が最優先なのは変わらない。不完全版で動くと分かった今、尚更だ。完全版があれば完璧になる」


 リオンが口を開いた。

「鋼城の運用に24名の鋳脈者が必要ということは、グランヴェルトは今、鋳脈者の確保に動いているはずです。自前の鋳脈者だけでは足りない可能性がある」

「足りない」

 ガルドが断言した。

「グランヴェルトの鋳脈者は技術試験要員が中心で、実戦向きの鋳脈者は10名前後。冴覚持ちの鋳脈者となると更に少ない。ヴィルヘルムは必ず外から調達しようとする。セルヴィスの鋳脈者を引き抜くか、灰域から冴覚の素養がある人間を回収するか」

 リオンの表情が硬くなった。膝の上で、指が一度きつく握られた。


 バートンが地図を広げた。灰域、セルヴィス、グランヴェルト。3つの勢力の位置関係が、手書きの線と印で示されている。

「灰域だけではどうにもならない。鋼城を止めるには、他の勢力を巻き込む必要がある」

 バートンの声は冷静だった。

「セルヴィスの中にも、鋼城を危険視する勢力がいるはずだ。グランヴェルトの一強化を望まない人間が」


 リオンが頷いた。

「グラント最高司令官は、グランヴェルトとの力の均衡を重視しています。鋼城が完成すれば、その均衡は崩れる。使えるかもしれない」

「お前の父親は」

 バートンが聞いた。リオンの表情が硬くなった。紺色の目が一瞬だけ揺れた。

「ケネス・アスフォード参謀長は、組織の存続を最優先にする人間です。鋼城がセルヴィスにとって脅威であれば動くでしょう。だが灰域のために動くかどうかは、別の話です」

「それでいい。灰域のために動く必要はない。自分たちの利益のために動いてくれれば、結果的に灰域の助けになる」

 バートンは小指のない右手で地図を叩いた。

「交渉のカードを揃える。まずはヒューゴに頼んで、クレスタとの接触を探る。クレスタは鋼城の建造を歓迎しない。どの勢力が突出することも、あの連中の商売には邪魔だからな」



 * * *



 夜。

 カイはケストレルの格納区画から外に出た。仮設拠点の壁の外。灰色の空には雲が厚く垂れ込め、星は見えない。雪がちらついている。吐く息が白い。足元の雪が、靴の下できゅっと音を立てた。


 足音が聞こえた。ガルドだった。

 ガルドはカイの隣に立ち、煙草に火をつけた。赤葉の匂いが夜の冷気に混じった。


「鋼城が動き始めてる」

 カイは言った。

「ああ」

「親父が止めようとしたことだ」

「ああ」

「止めないと。あれが完成したら、全部終わる」


 ガルドは煙を吐いた。白い煙が夜の空に溶けた。煙草の先端だけが赤く光り、二人の顔を照らしては消えた。


「カイ。鋼城の問題は機体の問題じゃない」

 ガルドの声が低くなった。いつもの飄々とした調子ではなかった。

「あれを動かすために、24人の鋳脈者が部品として接続される。冴覚を持つ鋳脈者が6人。その6人は、鋼城の制御系統に繋がれたまま戦場に出る。体が壊れても、ただ別の鋳脈者とすげ替えられる。部品だからな。消耗品だ」


 奥歯を噛み締めた。リーヴの左手を思い出した。20歳で触覚を失い始めている手。鋼城に繋がれる鋳脈者は、それより早く壊れるのだろう。


「データの場所は」

「俺が知ってる。テオが隠した場所だ」

「どこだ」

「今は言えない。だが必要な時が来たら教える。それまでは俺の中だけに留めておく。ヴィルヘルムに漏れたら終わりだ」


 二人の間に、言葉が途切れた。

 コルヴァスとの戦闘の後から、何かが変わりつつあった。カイには、その変化をうまく言葉にできない。


「ガルド」

「なんだ」

「親父を止められなかったのは、お前だけの責任じゃない」


 ガルドの手が、一瞬だけ止まった。煙草を持つ指が震えたように見えた。煙草の灰が、雪の上に落ちた。

「……そういうことは、全部終わってから言え」

 ガルドの声は掠れていた。


 カイは空を見上げた。灰色の雲が低く、星は見えない。

 灰域、セルヴィス、グランヴェルト。3つの勢力の間で、鋼城という巨大な影が動き始めている。3ヶ月から4ヶ月。それが残された時間だ。

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