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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
折れた天秤

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150/155

|遊肢《ゆうし》の嵐

ケストレルの背部スラスターが唸りを上げた。

 灰白色の丘陵地帯を、カイは全速で駆け抜けた。左右に崩れた岩壁が壁を作り、足元には旧世界のコンクリート片が散乱している。残殻(ざんかく)なら関節に石を噛んで転倒する地形だが、ケストレルの鳥足型の爪が瓦礫を掴み、蹴り、跳ぶ。アルマナック・フレームの応答性が、この悪路を走路に変えた。

 燃料残量88パーセント。機関温度は緑の下端。まだ余裕がある。


 前方1200メートル。

 崩れた高架道路の残骸の向こうに、漆黒の機影が立っていた。

 ソルスティス。リーヴ・シェイドの銘殻(めいかく)。コルヴァスの黒を極限まで突き詰めた装甲が、雪に覆われた丘陵地帯の中で影のように見えた。肩部から背部にかけての懸架ユニットが、まだ折り畳まれたまま沈黙している。胸部の暗い朱のアクセントだけが、冬の灰域(アッシュランド)で唯一の色だった。頭部の縦長のメインカメラが赤く灯り、こちらを見ている。


 通信が開いた。リーヴの声。穏やかで、どこか疲れた声。

「2度目だな、カイ・セヴァル」

「ああ」

「今度は逃がさない」

 カイは答えず、操縦桿を握り直した。鍛翼刀の懸架ロックを外す。右腰部のハードポイントから、3.8メートルの片刃が低い機械音と共に解放された。


 ソルスティスの背部が開いた。

 花弁が開くように、4基の懸架アームが展開する。遊肢(ゆうし)が射出された。4つの扁平な影が空に散開していく。上方2基、左右に各1基。エイ型の飛翔型遊肢(ゆうし)が、薄い推進炎を引きながら灰色の空に広がった。リーヴの遊肢(ゆうし)は旋回しながら、カイの退路を計算で塞いでいく。等間隔に配置された4基の遊肢(ゆうし)が、見えない檻を空中に組み上げる。


 来る。

 カイは機体を右に跳ばした。左の遊肢(ゆうし)から射撃。20ミリの弾が岩壁を抉り、石片が弾け飛ぶ。右上の遊肢(ゆうし)が旋回し、カイの新しい位置を捕捉する。距離800メートル。遊肢(ゆうし)の有効射程の内側。ここからがリーヴの間合いだ。


 正面から、ソルスティスが踏み込んできた。

 双牙刀はまだ抜いていない。両前腕の内蔵機関砲が火を噴いた。30ミリの弾幕がケストレルの足元を叩き、コンクリートの破片が弾ける。カイは左に回避した。機関温度が緑から黄に向かって動く。全力機動の代償だ。

 その瞬間、右方の遊肢(ゆうし)が射線を合わせた。

 冴覚(さいかく)が警告を叫んだ。右。空気の密度が変わる。質量のある何かが射出される直前の圧力波。

 カイは機体を沈めた。頭上を20ミリが走った。装甲の表面を風圧がかすめる。同時に後方の遊肢(ゆうし)が回り込む。挟撃。前と後ろ、上と横。4つの方向から同時に圧力がかかる。


 ダリオ戦で学んだことを思い出す。遊肢(ゆうし)と母機の間に障害物を入れろ。カイは崩れた高架道路の橋脚の陰に飛び込んだ。コンクリートと鉄骨の残骸が頭上を覆う。遊肢(ゆうし)の射線が一瞬だけ切れた。

 だが一瞬だけだ。遊肢(ゆうし)は高度を変えて新しい射線を探る。橋脚の隙間から、20ミリが差し込むように飛んできた。右肩の装甲をかすめた。



 * * *



 戦場は丘陵地帯の東側全域に広がっていた。

 左翼の谷間でリントの残殻(ざんかく)キャリバーが移動射撃を続けている。「止まって撃つのは的だ」という信条の通り、リントは走りながらルークを撃った。40ミリの弾が、谷間に入ろうとするフィンの汎殻(はんかく)の脚部を叩く。フィンのウォーデン特別仕様機が後退し、体勢を立て直す。リオンの残殻(ざんかく)が谷間の反対側から側面を突いた。ルークの弾がフィンの右肩に当たる。装甲が弾いたが、フィンの注意がリオンに逸れた隙に、リントが位置を変えた。

 2機の残殻(ざんかく)が、正規軍の汎殻(はんかく)を翻弄している。だが長くは保たない。残殻(ざんかく)の弾薬は汎殻(はんかく)の半分しか積めない。


 正面ではボルトの残殻(ざんかく)部隊3機がコルヴァスの汎殻(はんかく)5機と衝突していた。残殻(ざんかく)汎殻(はんかく)の性能差は歴然だ。装甲の厚さ、関節の精度、計器の信頼性。全てにおいて汎殻(はんかく)が上回る。だがボルトの残殻(ざんかく)ハウラーは、性能差を操手(そうしゅ)の暴力的な技量で埋めていた。正面から汎殻(はんかく)に突っ込み、装甲板が砕ける覚悟で至近距離に持ち込む。至近距離では汎殻(はんかく)のライフルが取り回せない。ハウラーの鉄拳が相手のセンサーブロックを殴りつけ、バイザーが砕けた。

 だが3機対5機。ボルトの隣の残殻(ざんかく)が、右脚に被弾して片膝をついた。もう1機は左腕の関節が焼きついて、武装が使えなくなっている。


 カイにはそれを見る余裕がなかった。

 4基の遊肢(ゆうし)が、空を旋回しながらケストレルの周囲を固めている。岩壁の陰に入っても、遊肢(ゆうし)は高度を変えて射線を通してくる。ダリオの2基とは次元が違った。4基が独立して動き、しかも互いの死角を補い合っている。1基が射撃する間に、別の1基が次の射点に移動する。切れ目のない圧力。リーヴの冴覚(さいかく)鋳脈(ちゅうみゃく)が、4基の遊肢(ゆうし)を1つの意思で束ねているのだ。


 距離600メートル。ソルスティスが接近してくる。

 カイは鍛翼刀を構えた。距離を詰める。近接戦に持ち込めば、遊肢(ゆうし)の射撃精度は落ちる。母機もカイも射線に入る距離では、遊肢(ゆうし)は撃てない。

 ケストレルの全推力で地面を蹴った。背部スラスターが爆発的に噴射し、機体が弾丸のように橋脚の陰から飛び出す。雪が渦を巻いて舞い上がった。400メートル。300メートル。遊肢(ゆうし)が一斉に射撃。


 灰色が落ちた。

 世界から色が消え、音が水底に沈む。心拍だけが残った。


 左上の遊肢(ゆうし)。推進ノズルの角度が変わる。0.3度。射線が通る前に、カイの体は動いていた。20ミリが左腕をかすめる。装甲表面が削れた。

 右の遊肢(ゆうし)。旋回の頂点で速度が落ちる瞬間。射撃。カイは機体を横にずらし、弾を回避した。

 だが後方の遊肢(ゆうし)の射撃は読み切れなかった。4基同時は処理できない。冴覚(さいかく)の限界。


 衝撃。

 ケストレルの左腕に、20ミリが直撃した。装甲板がひしゃげ、肘関節から金属の悲鳴が上がった。左前腕のウェスペが沈黙する。コックピット内で関節負荷警告のランプが赤く点滅し、装甲健全度の表示で左腕が赤に変わった。


 200メートル。近接距離。

 ソルスティスが双牙刀を抜いた。左右の手に2.8メートルの短剣を一振りずつ。リーヴが正面から斬りかかる。

 カイは鍛翼刀で受けた。金属が激突する衝撃がコックピット全体を揺さぶった。操縦桿が手の中で跳ねる。リーヴの連撃は速い。左、右、左。双牙刀の一撃は軽い代わりに、隙間なく連なる。カイは受け、弾き、後退する。鍛翼刀の一振りは双牙刀より重いが、振りが大きい分だけ連撃の間に差し込まれる。

 冴覚(さいかく)が次の一太刀を読む。右の双牙刀。薙ぎ。

 鍛翼刀で受けた瞬間に左から追撃が来る。カイは体ごと機体を左に傾け、双牙刀を肩の装甲で受けた。衝撃で体が揺れる。ハーネスが肩に食い込んだ。


「成長したな」

 リーヴの声が通信から聞こえた。余裕があった。

「だが、まだ足りない」


 遊肢(ゆうし)が再び動いた。近接距離でも4基のうち2基が高度を上げ、母機の射線から外れた位置で待機している。カイが離れた瞬間に撃つ構えだ。残り2基は低空で旋回し、カイの側面を押さえている。

 退路がない。前にはリーヴ。上に遊肢(ゆうし)。横にも遊肢(ゆうし)。後退すれば射撃が待っている。


 カイはリーヴの動きを読もうとした。冴覚(さいかく)が捉えるのは母機の兆し。右肩の沈み、脚部の重心移動。だが遊肢(ゆうし)は別の操作系統で動いている。母機の兆しを読んでも、遊肢(ゆうし)の次の一手は読めない。


 トワの声が頭の中で響いた。「遊肢(ゆうし)を操る奴は、感覚帯域を遊肢(ゆうし)に割いてる。だが本当に上手い奴は、帯域を割いても母機が鈍らない。そういう相手にはな、遊肢(ゆうし)を無視しろ。母機を潰せ」


 カイは覚悟を決めた。遊肢(ゆうし)の射撃を覚悟で、ソルスティスの懐に飛び込む。

 鍛翼刀を振り上げ、踏み込んだ。リーヴが双牙刀で受ける。鍔迫り合い。金属が軋む。ケストレルの全重量を刃に乗せ、押し込む。


 その一瞬。

 カイはリーヴの左手を見た。双牙刀を握る左手。その動きが、右手より遅れた。0.2秒。前の戦闘でも感じた揺らぎ。リーヴの左手の触覚が失われている。握力はある。だが双牙刀の衝撃を受けた瞬間のフィードバックが鈍い。それが左手の刃の角度を僅かにずらす。


 そこだ。

 カイは鍛翼刀を押し込んだ。リーヴの左の双牙刀が弾かれる。胴体への一撃。だがリーヴはそれを読んでいた。冴覚(さいかく)同士の読み合い。右の双牙刀がカイの鍛翼刀を下から掬い上げ、軌道を逸らす。同時に膝蹴り。ケストレルの腹部に衝撃が走った。ハーネスが体に食い込み、息が詰まる。機体が後退する。


 その後退を、遊肢(ゆうし)が待っていた。

 上方の2基が一斉射撃。カイは左に跳んだが、右脚に被弾した。装甲健全度の表示が黄色から赤に変わった。右膝の関節負荷警告が連続音を発する。

 左脚のサーボモーターが悲鳴を上げた。左腕に続いて右脚。ケストレルの機動力が削がれていく。高架道路の残骸の間を走り回る機動ができなくなる。


 追撃。ソルスティスが距離を詰める。カイは鍛翼刀で受けながら後退するが、損傷した右脚が踏ん張れない。踏み込みが甘くなる。受けの角度がずれる。2度目の連撃で左膝の関節に衝撃が走り、ケストレルが片膝をついた。

 燃料残量61パーセント。機関温度は黄域。装甲健全度は左腕が赤、右脚が赤、左脚が黄色。


 リーヴの銃口が、カイに向いた。ソルスティスの右前腕に内蔵された30ミリ機関砲。至近距離。この距離なら、ケストレルの装甲を貫通する。

「終わりだ」

 リーヴの声は、静かだった。

ハウラー -- ボルト・レイダーの搭乗する残殻。鋼城護衛機の廃棄装甲を寄せ集めた、灰域随一の重装甲機である。

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