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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
折れた天秤

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149/154

嵐の前

焚き火が爆ぜた。

 乾いた木片が割れる音が、夜の灰域(アッシュランド)に小さく響いて消えた。カイは炎を見つめながら、両手を火に翳した。指先が痺れている。冬の灰域(アッシュランド)の夜は、鉄殻(てっかく)のコックピットの中にいても骨まで冷える。外に出れば尚更だった。頬に当たる風がマイナス14度の鋭さを持ち、鼻腔の奥が凍りつくような感覚がある。


 仮設拠点は、ラストヘイムとアイアンウェルを結ぶ線上の廃墟群の中にあった。旧世界の倉庫らしき建物の壁が3面だけ残っており、崩れた天井の代わりに鉄板を渡して雨と雪を凌いでいる。壁にかけられた灯油ランプが、集まった人間たちの顔を橙色に照らしていた。壁のコンクリートには旧世界の文字が薄く残っている。何かの企業名だったのだろう。今はもう読めない。


 バートンが地図を広げた。

 旧世界の印刷地図に、灰域(アッシュランド)の集落や通行路が手書きで書き加えられた、使い込まれた地図。折り目が白く擦り切れ、端がほつれている。15年間、この男が灰域(アッシュランド)を歩き回った軌跡がこの紙の上にある。バートンの右手が地図の上を滑った。小指のない手。

「リーヴ率いるコルヴァスの本隊が、旧ストーンクロスを発った。進路はこちらに向かっている。到着は早くて明後日の朝」

 バートンの声は淡々としていた。15年かけて育て上げたストーンクロスを失っても、この男の声は揺れない。揺れる余裕がないのだ。残されたものを守るために、感情を脇に置いている。カイにはそれが分かった。


 ボルトが腕を組んだ。筋肉の塊のような腕が、焚き火の光で赤黒く光る。革の袖無しから覗く肩に、古い刀傷が走っている。

「戦力を並べるぞ。こっちは残殻(ざんかく)が8機。うち稼働できるのは6機。俺の部隊が3機、リントの分隊が2機、それからカイのケストレル。以上だ」

「向こうは」

「コルヴァスの本隊。リーヴの銘殻(めいかく)汎殻(はんかく)が6機。フィン・カーターの特別仕様機を含む。それに後続で通常の汎殻(はんかく)部隊がもう8機」

 ボルトは自分の言葉に、苦い笑みを浮かべた。

「数で負けてる。質でも負けてる。どうする、バートン」


 バートンが地図の一点を指した。仮設拠点の東方、丘陵地帯の入り口にあたる場所だ。等高線が密に並んでいる。起伏が激しい地形。

「ここで受ける。丘陵に入れば、地形が味方になる。平原で正面からぶつかれば全滅だが、起伏と瓦礫を使えば数の差を多少は埋められる。旧世界の高架道路の残骸が東西に走っている。これを防衛線にする」

 トワが壁に背を預けたまま口を挟んだ。

「高架っつっても半分崩れてるだろう。遮蔽物としてはいいが、相手が上から来たら丸見えだ」

「だから上は取らせない。リントの分隊が高架の北端を押さえる」


 リオンが口を開いた。

「セルヴィスの教本通りなら、コルヴァスは先に遊肢(ゆうし)で偵察を行います。リーヴの偵察型遊肢(ゆうし)が来た時点で、こちらの配置は割れる」

 灰域(アッシュランド)の男たちの視線がリオンに集まった。セルヴィスの軍人だった女。軍服を脱いだ今は暗色の戦闘服を着ているが、姿勢も口調も軍人のそれだった。灰域(アッシュランド)の会議にセルヴィスの人間が出席すること自体、数ヶ月前には考えられなかった光景だ。だが誰もそれを咎めない。ストーンクロスの撤退戦で、リオンが残殻(ざんかく)で味方の退路を守ったことを全員が見ていた。

「偵察遊肢(ゆうし)を潰す手はありますか」

 リントが聞いた。赤いスカーフの下で、若い操手(そうしゅ)の目が真剣に光っている。

「音響センサーの死角になる谷間に伏せて待ち伏せれば、残殻(ざんかく)でも偵察遊肢(ゆうし)を撃墜できます。飛翔型遊肢(ゆうし)の装甲は薄い。ルークの一射で落ちる」

「谷間のどこだ」

「高架道路の南側。崩れたコンクリートが谷状になっている場所がありました。あそこなら音響は反響して発信源を特定できない。遊肢(ゆうし)のセンサーでも位置を割りにくい」

 リオンの分析は淀みなかった。カイは横目で彼女を見た。セルヴィスの教本を逆手に取っている。自分が属していた組織の弱点を、灰域(アッシュランド)のために差し出している。その覚悟の重さを、カイは分かっているつもりだった。


 トワが煙草に火をつけ、煙を天井に向かって吐いた。

「民間人の避難は終わってるな」

「アイアンウェルに向かった。コンラッドが受け入れている」

 バートンが頷く。

「なら、ここにいるのは死んでもいい連中だけだ」

「死んでもいい人間はいない」

 バートンが静かに言い返した。トワは煙草を咥えたまま薄く笑い、それ以上は言わなかった。


 会議が終わった。戦術は決まった。丘陵地帯の入り口でコルヴァスを受け止める。ボルトの残殻(ざんかく)部隊が正面を支え、リントの分隊が高架北端の要所を押さえ、トワが遊撃として側面を脅かす。カイのケストレルはリーヴの銘殻(めいかく)を引きつける。リオンは残殻(ざんかく)でリントの分隊を支援し、偵察遊肢(ゆうし)の排除を担う。

 決まったことを並べれば、それは作戦に見えた。だが全員が知っている。これは時間稼ぎだ。コルヴァスの本隊を止められるとは、誰も思っていない。削って、遅らせて、その間に何かを変える。何を変えるのかは、まだ分からない。



 * * *



 焚き火の周りに、酒瓶が回った。

 バートンが棚の奥から出してきた蒸留酒だった。灰域(アッシュランド)で作られる灰原草の蒸留酒は、喉が焼けるほど強い。ボルトが一口飲んで、顔を歪めた。

「生きて帰ったら、もう一杯やろう」

 バートンが瓶を傾けながら言った。ボルトは鼻で笑った。

「生きて帰る気しかないぞ、俺は。死ぬつもりで戦場に出る奴は、大体死ぬ」

「経験則か」

「39年生きてきた実感だ」

 リントが酒を受け取り、一口飲んで咳き込んだ。トワが「ガキは水でも飲んでろ」と言い、リントが「22ですよ」と言い返す。ボルトが「22は充分にガキだ」と笑い、リントが不満そうに口を尖らせた。


 ガルドは焚き火から少し離れた場所で、ケストレルの最終整備を続けていた。ランプの光の中で、工具が鈍く光る。油と金属粉の匂いが、酒と焚き火の匂いに混じった。関節部のグリスを冬季用に入れ替え、ボルトの一つ一つを締め直している。その手つきは丁寧で、迷いがなかった。何千回と繰り返してきた動作だ。


 カイは酒瓶を受け取ったが、飲まなかった。隣に座るリオンの横顔を見た。

 リオンは炎を見つめていた。紺色の目に、橙色の炎が映っている。軍人の目でもなく、少女の目でもなかった。覚悟を決めた人間の目だ。

「眠れるか」

 カイが聞いた。

「眠れない。あなたは」

「同じだ」

 二人とも、それ以上は何も言わなかった。言葉にする必要がなかった。明日の朝には戦場に立つ。それだけのことだ。


 ガルドが工具を置いて、焚き火に近づいた。作業着の袖を捲り上げた腕に、古い火傷の痕がランプの光で浮き出ている。

「ケストレルは万全だ。関節のグリスは全部入れ替えた。冬の灰域(アッシュランド)で凍結しないやつに。左腕の装甲板は前の戦闘で歪みが出てたから、裏側から叩いて直した。完璧じゃないが、一戦は保つ」

「ありがとう」

「礼はいらん。生きて帰ってこい。修理するのは俺だからな」

 ガルドはそう言って、酒瓶を取り上げた。一口飲んで、カイに差し出した。カイは今度は受け取って、一口だけ飲んだ。灰原草の蒸留酒が喉を灼き、胃の底で小さな火を点けた。



 * * *



 夜明けが近い。

 東の空が、灰色の中にわずかな白みを帯び始めた。雪が止んでいる。風も凪いでいる。静かな朝だった。灰域(アッシュランド)の冬の夜明けは、世界が息を止めたように静かだ。鳥の声もない。灰域(アッシュランド)鴉は真冬には南に移動する。残されたのは、灰色の空と白い大地と、凍った空気だけ。


 カイはケストレルのコックピットに座った。ハッチを閉め、計器の灯りが薄く点る。機関温度計は青の底。外気温度はマイナス14度。燃料残量93パーセント。弾薬はファルケの短銃身型が満弾、ウェスペの三連装が満弾、ドナーが2発。鍛翼刀は右腰部の懸架にロックされている。

 深呼吸をした。操縦桿を握った。冷たい金属が掌に馴染む。ケストレルのコックピットは、テオのために設計されたものだ。ガルドが人間工学の粋を尽くして作った空間。カイの手には少し大きいが、もう慣れた。


 足元から、振動が伝わった。

 最初はごく微かだった。地面の下を何かが這うような、低い振動。次第にそれは大きくなり、規則的なリズムを持ち始めた。鉄殻(てっかく)の足音だ。一機ではない。複数の鉄殻(てっかく)が、隊列を組んで進軍している。地面を伝わる振動が、ケストレルの脚部からコックピットの床に届く。

 通信にリントの声が入った。

「東方、距離15キロ。センサーに複数の熱源。残殻(ざんかく)のものじゃない。汎殻(はんかく)の反応です。7機以上」

 ボルトの声が重なった。

「全機起動しろ。配置につけ」

 残殻(ざんかく)のエンジンが次々と唸りを上げる音が、仮設拠点に響いた。冬の灰域(アッシュランド)では、エンジンの始動に通常の3倍の時間がかかる。凍りついた関節が軋み、排気管から黒い煙が噴き出す。


 カイは操縦桿を握り直した。


 リーヴが来る。

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