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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
折れた天秤

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リオンの潜入計画

リオンがセルヴィスへの潜入を提案したのは、冴覚児童回収計画の情報を受け取った翌日の会議だった。

 バートンの執務室。ストーンクロスの中枢にある、旧世界の事務所を改装した狭い部屋。壁に灰域の地図が貼られ、テーブルの上には通信機器と報告書が散らばっている。


「管区内に戻る必要がある」

 リオンの声は硬かった。報告のときの、軍人の声だ。

「冴覚児童回収計画の証拠を更に集めなければ、灰域だけでなくセルヴィスの管区民にも伝えることができない。アイリスが入手した文書の写しだけでは弱い。原本か、あるいは施設そのものを確認する必要がある」


 バートンは腕を組んだ。

「管区内に潜入するということは、追われる身で敵地に飛び込むということだ。リスクが高すぎないか」

「高い。だが、この情報を確保できなければ、灰域の集落が一つずつ潰されるだけだ。戦闘で持ちこたえても、情報戦で負ければ意味がない」


 通信機が鳴った。ルイ・ヴェルデからの暗号回線だ。

 受話器の向こうのルイは、いつもの抜け目ない商人の調子で切り出す。

「クレスタの物流船にルートがある。ポートガード経由で管区内に入れる。荷物の検査はクレスタの協力者が誤魔化す。管区内の協力者は――アイリス・トレントだ」

「アイリスが受け入れるかどうか」

「既に打診した。受け入れる用意はあるそうだ。あの女も、お前と同じものを内側で見ちまった口だからな」


 カイが口を開いた。

「危険すぎる」

 リオンが顔を向ける。カイは壁に背を預け、腕を組んでいた。顔に怒りはない。怒りではない、別の何かだった。

「捕まったら処刑だ。師団を無断で抜けた人間が、敵地に潜り込んで情報を盗む。軍の連中が一番嫌うやつだ。裁判もなしに、その場で撃たれて終わる」

「知っている」

「知ってるなら、なぜ行く」

「これは私にしかできないから」

 リオンの声は揺るがなかった。

「セルヴィスの内部を知っているのは私だけ。施設の配置、通信プロトコル、士官証の偽造に必要な情報。管区民の中に紛れ込める言葉遣いと所作。灰域の誰にもできない。私にしかできない」


 カイは言い返せなかった。

 リオンの言う通りだった。灰域の人間がセルヴィスの管区に潜入しても、歩き方で、話し方で、視線の動き一つで見破られる。管区の空気を纏ったまま灰域のために動けるのは、リオンだけだ。


 やがて、バートンが口を開く。

「灰域の戦力としては損失だが、情報戦としては必要だ。行け、リオン。ただし、無理はするな。証拠が取れなければ引き返せ。命を賭ける段階ではない」

 リオンは頷いた。

「ルイ、出発はいつになる」

「明後日の夜。クレスタの物流船が定期便でポートガードに寄る。それに紛れろ。偽の通行証は今から準備する。名前は仮のものを使え」

「了解」

 短い雑音を残して、回線が切れる。


 バートンが執務室を出て行った。ルイとの連絡調整のためだ。部屋にカイとリオンが残った。


 沈黙が落ちた。

 カイは窓の外を見ていた。冬の灰域の空。低い雲。雪がちらつき始めている。

「カイ」

 リオンが名前を呼んだ。カイが振り向く。

「私がいない間、ストーンクロスを頼む」

「俺がいなくても、バートンとボルトがいる」

「あなたがいることが大事なの。ケストレルがいれば、灰域の戦闘員の士気が違う」

 カイは肩をすくめた。納得していない顔だ。それでも言い返さないのは、たぶん私の読みを信じているから。


「帰って来い」

 カイの声は低かった。感情を抑えた声。だが、抑えきれない何かが滲んでいた。

「絶対に」

 リオンは少し驚いて、カイの顔を見る。灰色の目が、真っ直ぐにリオンを見ていた。不器用で、言葉が足りなくて、でも真っ直ぐな目。

「ええ。必ず」

 リオンは頷いた。こんなふうに誰かと言葉を交わしたのは、いつ以来だろう。


 リオンは執務室を出て、仮宿に戻った。荷物をまとめなければならない。軍服はもう着られない。灰域の防寒着と、ルイが用意する偽の通行証と、アイリスとの暗号鍵。それだけが持ち物になる。

 部屋の隅に、残殻のコックピットから外した操縦桿のグリップカバーが置いてある。ストーンクロスで初めて残殻に乗ったとき、握った鉄は凍えていた。磨き上げられたポラリスの操縦桿は、いつだって手の温度ですぐ温まったのに。

 その冷たさを、指がまだ覚えている。


 窓の外で、雪が本格的に降り始めていた。明後日の夜、セルヴィスの管区に、一人で戻る。敵の懐に。怖い。指先が冷たいのは、寒さのせいばかりではなかった。父の顔が浮かんで、すぐに消えた。あの人は、娘が敵地へ向かうことを、知りもしないのだ。


 それでも、カイの「帰って来い」が、耳の奥で鳴っている。

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