フォートレスの朝食
残殻のコックピットは冷え切っていた。
リオンは操縦席に座り、計器類を確認していた。トワが用意してくれた予備機。右腕の装甲が別の機体から移植されたもので、関節の遊びが大きい。左膝のアクチュエータが時折異音を立てる。計器パネルの半分が消灯しており、残りも表示が霞んでいる。
息を吐くと、白い靄がコックピットの中に広がった。
指先が痺れている。ポラリスなら、コックピットの保温系統が体温を維持してくれた。
ふと、記憶が蘇った。
* * *
フォートレスの朝。
セルヴィスの中枢都市フォートレスは、三重の防壁に守られた計画都市だ。朝日が舗装された街路を斜めに照らす。等間隔に並ぶ街灯。亀裂ひとつない歩道。遠くの外壁沿いを巡回する汎殻の影が、朝靄の中を横切っていく。
アスフォード家のダイニング。
テーブルには白いクロスが敷かれ、セーラが焼いたパンの匂いが部屋に満ちている。コーヒーの湯気が窓からの光に揺れる。ケネスは向かいの席で日報を黙読している。紺色の軍服は、朝食の席でさえ一分の乱れもない。
リオンは士官学校の課題をテーブルの端に広げていた。戦術理論の演習問題。仮想の灰域集落を制圧する最適な部隊編成を答えよ。
机の上で書いている。灰域の集落を「制圧する」最適な方法を。
玄関のチャイムが鳴った。ルークが迎えに来たのだ。
「リオン、行こう。今日の訓練は野外だ」
ルークの声は明るかった。士官学校の同期。リオンが数少ない「友人」と呼べる人間だった。
二人で通りに出る。
市場を通った。肉屋の店先に豚の腿肉がぶら下がっている。八百屋には冬の根菜が並び、果物屋の棚にはガラス越しに林檎が見えた。管区統制価格のタグが貼られているが、品切れはない。
医療施設の前を通り過ぎる。予約制の看板が掛かっている。風邪を引けば、翌日には薬が届く。骨を折れば、三日で固定具が作られる。
それが普通だった。
リオンにとって、それは空気のように当たり前の風景だった。
* * *
記憶が途切れた。
リオンは残殻のコックピットで目を開けた。
灰域のストーンクロスには、あの全てがない。
舗装された道路がない。街灯がない。市場に並ぶ果物がない。予約制の医療施設がない。風邪を引いたら、クレアが手持ちの薬で何とかするしかない。骨を折ったら、自分で添え木を当てる。
自分が知っていた「普通」は、灰域では贅沢品だった。
フォートレスのあの朝食は、灰域の人間が一生手にできないものの上に成り立っていた。
リオンは操縦桿を握った。
冷たい金属の感触。ポラリスの操縦桿は手の温度で温まった。毎日のように握っていたから、革のグリップにリオンの手の形が馴染んでいた。この残殻の操縦桿は凍えている。鉄の管に薄い布を巻いただけの、素朴な代物。
息を吐いた。
「ここが、今の私の場所だ」




