グイド・チェルーティ
思えば最初からおかしかった。アルフレード殿下が許嫁のルクレツィア・フィオーレ嬢を溺愛しているというのは有名な話だ。その想いはフィオーレ公爵家が取潰され、ルクレツィア嬢が処刑されても続いていたという。だからこそ令嬢達は殿下に気安く近寄る事ができなかった。最愛のルクレツィア嬢を喪って傷心の殿下を慰める事など自分には……いや、誰にもできないと、彼女達もわかっていたのだろう。
しかし殿下はそんな予想を裏切るかのように、ジルに近づいた。ジルはルクレツィア嬢の姉君にあたる方だ。“奇跡の姫巫女”になった影響で、ジルはルクレツィア嬢の記憶を失っている。ジルの傍にいても、ルクレツィア嬢の思い出話などできないのに。
もしや殿下は、ルクレツィア嬢によく似たジルをルクレツィア嬢の代わりに愛してしまったのではないか――――いつのころからか、社交界にはそんな噂が流れるようになった。
我がチェルーティ家は、フィオーレ家やベッラヴィスタ家には劣るもののそれなりの家格を有する名門侯爵家だ。しかしどちらの家とも縁がなかったために、“奇跡の姫巫女”になる前のジルや生前のルクレツィア嬢と会った事はない。だが、だからこそ純粋に興味が湧いた。ルクレツィア嬢を盲目的に愛していたはずの殿下がなびいたジルは一体どんな女性なのだろう、と。
私は早速ジルに会いに行き、そしてすぐに虜になった。ジルは美しいだけではなく、どこか他の女性とは違う人だった。男慣れしていると見せてその実反応はうぶだし、男を手玉に取っているように振る舞うさまはままごとに興じる子供を見ているような微笑ましさがある。奔放なところもまた魅力的だ。あのように可愛らしい人のわがままなら、何でも叶えてあげたくなるのだから。
気取った令嬢達とは違い、彼女の笑みはいつだってきらきらと輝いていた。つんと澄まして可愛げのない事を言う事もない。いくぶん幼い言動は庇護欲をかきたてられ、素直に甘えてくるさまには男心をくすぐられた。
なるほど、この無邪気さが殿下の傷を癒したのか。ルクレツィア嬢とジルはよく似ていたというし、殿下が彼女に幼いルクレツィア嬢の影を重ねてしまったのも無理はないかもしれない――――だが、それはまったくの思い違いだった。
殿下は恋愛感情ではなく、神殿の罪を白日の下に晒すためにジルの傍にいたのだ。殿下とジルはともに神殿の内部調査をしていて、周囲に怪しまれないように殿下はジルの取り巻きのように振る舞っていたらしい。
私が真実を知ったのは、ジルが暗殺されるひと月ほど前だった。神殿の不正を暴いて宗教改革を行うからチェルーティ家も協力してほしいと、殿下が直々に我が家へ打診しにいらしたのだ。もちろん私も父もそれを快諾した。どこに敵の監視の網があるかわからないから、神殿で大っぴらにジルとその話をするのは避けて欲しい、と言い含められたが。
殿下は宗教改革を進めるため、あちこちに根回しをしていらした。不正の証拠はかなり溜まっていて、あとは直接現場を押さえるか強制捜査を始めるだけなのだと。無事根回しを終え、殿下は城の騎士達を連れて神殿に踏み込んだ。そこで目にしたのが、ルチアという女がジルを殺した現場だったという。
なんとすべてはテオバルドの仕組んだ事だったらしい。殿下は一足遅かったのだ。しかしテオバルドもまた遅かった。今さらジルを暗殺したところで、己の所業は消えないのだ。殿下はすぐにテオバルドを捕らえ、神殿の強制捜査に踏み切った。
神殿からは言い逃れできないほどの悪事の証拠がざくざくと見つかったという。文官を輩出する家で生まれ育ち、私自身も文官になる事が決まっている私は捜査に直接参加したわけではないが、城で神殿の罪をすべて記録していた。神殿の罪状を並べ立てた目録を見て吐き気を催した文官は、私だけではないだろう。……人はこれほどまでに邪悪な存在になれるのか? 本当にこんなものが私達の信じた神の家なのか?
不幸中の幸いか、フィデリオは裏切り者ではなかった。テオバルドが処刑された日に広場でフィデリオを見かけたが、彼は哀れみさえ覚えるほどに憔悴しきった様子だった。テオバルドが犯していた罪を知らなかった挙句、ジルが殺される場面に居合わせておきながら何もできなかったのだからそれも仕方のない事だろう。私は結局、彼に何の慰めの言葉もかけてやれなかった。
* * *
陛下が心身の衰弱を理由に退位なされた。週明けにはアルフレード殿下がアルフレード1世として即位なさる。民はそれを歓声とともに受け入れた。
陛下は、王都から遠く離れた空気の綺麗な王家の直轄地で療養生活を送るらしい。王妃殿下も陛下に付き添うそうだ。
陛下はまだお若いが、今この時機に殿下に王位を譲られるのも悪くはないだろう。神殿の闇を暴き、宗教改革を進めた殿下の支持率は高い。民衆は殿下を英雄視していて、神権が失墜した事による混乱も王権が強くなった事で抑えられるだろう――――問題は、本当に殿下が民衆の想像通りの英雄なのかどうかだが。
「――以上が私の推測です。不敬を承知でうかがいますが、殿下は私がこれを申し上げる事まで計算にいれていたのでは?」
ジルの死後、私は独自で事件の詳細を調べていた。
それはただの知的好奇心だ。テオバルドはルチアをどこで見つけたのか、テオバルドはルチアを身請けした後どこで生活させていたのか、そして殿下の手腕がここまで鮮やかだったのは何故なのか。その果てに辿り着いたのが、殿下とテオバルドが共謀していた可能性だった。
「面白い話でした。……ですがグイド、作り話をさも真実のように思い込むのはいただけませんね」
もしかしたら私は今日、殿下の手で消されてしまうのかもしれない。だが、それでも構わなかった。この恐るべき真実を胸のうちにしまっておく事などできはしない。もしこれがただの私の妄想なら、はっきりと否定してほしかった。そうでなければ、私はこの先純粋な気持ちで殿下に跪く事ができないだろう。
「僕がテオバルドと通じていて、ルチアを援助して? 挙句の果てに、父王をおどして退位させたなど……文官が優秀なのは結構ですが、虚言癖があるのは少々困ります」
殿下はティーカップを持ち上げて苦笑を浮かべた。そこに剣呑な雰囲気はない。……どうやら私は、想像力豊かな臣下をどう扱えばいいのかわからない、そんな戸惑いを殿下に与えてしまったようだ。よかった、すべて私の――――
「剣を用いて退位を迫るような真似などしませんよ。僕にも親子の情というものがありますから。……さあ、話はそれで終わりですか? 申し訳ありませんが、僕は忙しいんです。戴冠式に向けてやらねばならない事がまだありますから」
そう促されてもなお立ち上がる事ができなかった。動けなかった。殿下は武力を行使して王位を奪ったわけではないとおっしゃった。しかし殿下が否定したのはその部分だけだ。何故殿下は、テオバルドとルチアとの関係を否定をしてくれない?
「賢く優秀な側近は好きですよ。どうか君のその力を、僕と生まれ変わったこの国のために役立ててくださいね?」
* * * * * * *
――――王権の強化に努めて封建制の頂点に立ち、絶対王政の礎を築き上げた国王アルフレード1世。生涯を彼に捧げたとある忠実な文官が病の床で記した遺書には、こんな一文が書き記してあったという。しかしその真意を知る者はおらず、老いた文官はそれについて語る事なく亡くなった。
【ジュリエッタ嬢。もしも貴方が生きていたとしたら、愚かな私達を見て一体どんな言葉をかけたのですか?】




