3.それは、彼の色
忘れたことはなかった。でもヴィクトルと出会ってからは少しも薄れず、まぶたの裏にいる。
覚えているのは笑顔ばかりだった。
“ライラック”
いつも笑顔で俺を呼んだ。
もっと素直でいられたら良かったのに。
ずっと後悔していた。
優しい笑顔、困った顔、怒るときの顔はあまり怖くなかった。
強引で、能天気で、だけど体力もなくて、長い槍は振り回すほどの力が無くて、飛び抜けて強くもなくて、逃げ足は速い。
インパクトのある人で、俺の大好きな人。
俺が、黄昏と呼んだ赤髪の男の人だった。
××××××
背丈よりも長い槍を担いで、その先についた二つの鈴を鳴らしながら歩く男の後ろを俺は歩いていた。
「どうしたんだい? いつもにまして静かだなぁ」
「………………」
「ライラック」
「……な、なにか用かよ」
振り返った男は、ふわふわと笑った。どこか女みたいな顔。
「ほら、隣においで僕からじゃライラックが見えない」
「見なくていい」
「さみしい」
「…………」
そっと隣に行って見上げると、頭を少しだけ撫でられた。兄と言うのはこういう存在なのだろうか。
よくは分からないが、ほんのりと暖かい何かが流れ込んでくるようで、怖い。
「もう、戻れっていわない」
「そうか。まあ、今更戻ったところで意味もないけどな」
「……いみ」
「そうだ。自分を粗末にするような行動に意味は無いよ。それで守られる人がいるわけでもない」
「守られるなら、いい?」
「もちろん! 良くはないね!」
俺には彼の言う意味が分からない。
なぜ、そんな男と一緒にいたのかも分からない。
彼の逃走劇に巻き込まれた理由も。
「さて、まずはこの岩山を越えるとしよう! ロテリアは緑が少なくて息苦しいよ」
「緑? 少ない?」
「ああ、そうか君は知らないんだっけ」
赤髪は 、両手を広げて懐かしい故郷を語った。
青々と多い繁る木々や、底まで見える澄んだ泉 、季節折々の草花や、多くの生き物たち。
「きっと気に入るよ。僕が気に入った場所なんだから」
気に入ったらいいなと思った。この人の見てきた景色。
砂と石にまみれた世界が俺の世界だったから。
××××××
俺は悩んでいた。
何故ってもちろんあの赤髪のせいだ。名前は? って聞いたのに、好きにしてときた。
つまり、呼びやすいあだ名をつけろと言うことだ。
そんなこと言われても、思い付かない。
あったとしても気まずい。
「ね、ライラック。魚がたくさんとれたよ!」
「……………」
「おーい、食べようよ」
俺にライラックと名付けたように自分で適当に名乗れば良いのに。
すると突然赤髪が目の前に来た。驚いて固まった俺は、ずるずると後ずさる。すると俺に避けられたのに驚いたらしく、間抜け面をしていた彼はそろそろと近づいてきた。
ずるずる、そろそろ。
なんだか変な攻防戦はすぐに幕をおろした。
「なんで? 僕が怖いの?」
「………………」
特に怖くはない。どう考えても弱いし。ああでも魔術師としての腕はどうなのだろう。
「……じゃあ、向こうにいるから」
とっさに目の前をヒラヒラした彼の上着を掴んでしまった。
「ライラック?」
無責任だと思った。
俺をこんなところまで連れてきたくせに、理由も、目的も、名前すら教えてくれない。
こんなチビを連れて行くなんて、もしかしたら反抗されたかもしれないのに、こんなお荷物を連れて旅をしようなんて、意味が分からない。
「…………」
「どうしたの?」
「……た、……黄昏」
夕日も落ちて、ほんのりと赤みの残る空。
こいつの赤髪のような。
「ああ、綺麗な空だね」
「……黄昏」
「そうだね」
「黄昏!」
「……えっと」
振り向いた赤髪の目を見て、もう一度言った。
「黄昏」
その目が、不思議そうにまばたきして、そのあと少しだけ息をのんで、微笑んだ。
「えへへ、どうしたの? ライラック」
××××××
見るもの全部が珍しくて、新しかった。
大地をかける動物と同じように走り回って、黄昏の魔術もたくさん見せて貰った。
俺には魔力の欠片も無いらしかったが、そんなことどうでも良かった。
黄昏がいるから、必要ない。
永遠なんて無いって身をもって教えてくれたのは、黄昏だった。一生を過ごすはずのあの場所から連れ出して、世界を一緒に見た。
だから、
「僕がどれぐらい強いのは知ってるでしょ?」
「すごく弱い」
「えー……」
つまりは永遠なんて無い。
「僕は強いよ。特に守るものがいるときはね」
「俺の方が強い!」
「大丈夫。君はたくさんの緑を見られるよ」
「黄昏」
黄昏は、最強の魔術師で、最弱の戦士だった。
「待って、俺も、たたか……いた……い」
「ライラックの悪いところは、自分を捨てた戦い方だよ」
急激に意識が遠退き、暗い世界に落ちていく。
最後に聞こえたのはそれで、赤い髪は、何も見えなくなるまでそこにいた。
そのあとすぐに目を覚ましたようだった。底まで沈んで、一気に浮上したと思った。
「黄昏、どこだよ」
本当は分かってる。半獣は人より鼻はいいんだ。
あれから何時間も経っていることも、黄昏は俺のそばにいなかったことも。
景色は変わっていた。
周りは岩の壁に覆われている。草木も少し生えている。それは国境が近いからだと言っていた。
ロテリアは町の中にしか緑はないよね。
いつか黄昏が言っていた。
「……鉄、の」
見たくない。
ここで眠ったままで良かったのに。
一緒に、戦いたかったのに。
俺が小さかったから。
まだ、弱い子供だったから。
「俺も、一緒にいきたかったのに」
誰かを守って、戦ってみたかった。
俺は岩影から離れて、驚くこともなく、それを見た。真っ赤に染まった大地を見た。
岩の側まで敵が迫っていたのを初めて知った。
赤い大地の中心に、やはり変わらない赤色をした彼がいた。
「た……黄昏!!」
彼は、今まで俺がそうしてきたのと同じに、ただの抜け殻にされていた。
「あ……ぁ、あ……」
結局、あの時殺せば良かったのだ。こんな大勢に一人で向かっていくことも、苦しみながら死ぬことも無く、終わらせてあげられたのに。
俺が、世界を見たかったばかりに。
××××××
「ライラック?」
黄昏の正体はもう分かっていた。
それでも、彼は黄昏だった。
「……爆発音や。陣魔術、やな」
「ああ」
「たくさん、死んだな」
「そうだな」
そしてこいつはヴィクトルだ。黄昏ではない。
「…………」
結局、俺は何をどうしたかったのだろう。




