14.メリアと赤
少しばかり残酷な場面があります。
ほんの気持ち程度のつもりだけど、念のための、注意。
ゼシカちゃんが再び、アリスティ様と一緒にいるようになっても、リューリク様とはあまり関わることはなかった。そして、アレクセイ様は絶対に私を避けていると思う。
「あ、アレク……」
「ままま、また後でっ」
「……」
納得いかない。
ずっと、この調子だ。後でとは一体いつなのか。仲が悪かった頃以上に避けられているとか、腹が立つ。
ともかく、今日もお客様が来た。ドアを開けるとあの赤髪が見えた。あれから何度か来ているが、彼は無表情で少し怖いくらいだ。
「リューリク様に、用事ですよね」
「あぁ」
ヘンリー様が持つ槍は普通の槍よりはどう見ても短い。
身長程の長さも無いのだ。
「……何だ」
「え?」
「これか?」
彼が用を告げる以外に話したのを見たのは、初めてかもしれない。私が小さく頷くと、彼は体の前に槍を立たせるように持った。
「東方で使われる棒術と、槍術を組み合わせて使う、短槍だ」
「東方にいたのですか?」
「師匠が、東方の人間だ」
それからリューリク様の部屋に行くまでの短い間、師匠と東方についての話をしてくれた。ずっと森の中にいる私にはまるで異世界の話みたいだ。
凍てついた茶の瞳をしていたが、少し表情が和らいだ。良い思い出があるのだろうか。
「つきましたよ」
「あぁ」
しかし、ヘンリーは動かない。私は彼を見上げた。
「……いや、何でもない」
その時には、元の冷たい表情に戻っていた。
リューリク様の部屋に入っていくヘンリー様を見送り、仕事に戻ろうとして立ち止まる。
「……」
これはいけない事だ。
しかし、ロテリアの人間がシャルルに来て何を話しているというのか。下手したら、私たちエルフがシャルルに疑われる事に成りかねないのだから。
私はそっと、ドアに近付いた。
××××××
目の前に、銀髪がいる。
ちなみにここは俺の部屋で、ソフィア様も椅子に座って彼と向き合っていた。アレクセイはいつになく落ち着かない様子で、情けない顔をしていた。
正直、こいつのこういう顔は苛つく。いつもの飄々とした態度にも腹が立つところではあるけれど。
「取り敢えず、落ち着いて、クッキーを食べましょう?」
「そ、そうだね。母さん」
二人は、皿に盛り付けられた大量のクッキーに手を伸ばす。ソフィア様はついでに俺にも勧めてきたので、お言葉に甘えて一つだけ頂く。
美味しい。
暫し沈黙が続く。それを破ったのはソフィア様だった。
「つまり、メリちゃんと顔を合わせることが出来ないのですね」
「まぁ、そう」
「アリスちゃんに、そういう事はありましたか?」
「無い、けど」
「あの」
取り敢えず、状況に乗せられて淹れてしまった紅茶を彼らの前に置きながら、俺はやっとの思いで疑問を口にした。
「何故俺の部屋で相談室を開いているのですか」
「……」
ソフィア様はきょとんとした顔で俺を見る。暫く見つめ合ったが、ソフィア様はアレクセイに視線を戻した。
「この場合、自分で答えを見つけるしかありませんね」
答える気はないらしい。
俺は仕方なく、この部屋を後にした。取り敢えず掃除でもしながら、メリアに会ったら聞いてみようか。
××××××
「……ど、どうしよ……」
思わず声が出てしまい、慌てて手で口を塞いだ。心臓が早鐘を打ち、外まで聞こえるのではないかと思うくらいだ。
リューリク様の部屋の前で聞き耳を立てていた私は、とんでもない話を聞いてしまったのだ。
皆に伝えなければいけない。
「おい」
「ひゃうあっ!」
「どうして、まだいるんだ」
ドアを開けたヘンリー様に腕を掴まれ、部屋に引きずり込まれる。
早くも私は後悔していた。聞いていなければ、知ることは出来なかっただろう。しかし聞いていなければ、こんな目には遭わなくて済んだ。
「さて、どこまで聞こえていた?」
リューリク様は手に持ったペンを弄びながら、私に近づいてくる。
ヘンリー様の手に噛みついてみたり、足を蹴っても、離す気配はない。痛い目を見る所では無いのは、目に見えている。
「まだ、傷は治ってないようだけど、もっと酷い目に遭うのは賢いお前のことだ。分かっているだろう?」
彼は笑うと、私の頭を掴んで床に叩きつけた。星のように視界が瞬いた。痛む頭を踏みにじられ、空気の抜けた声が、喉から出た。
「命乞いすれば、俺の心も動くかもしれんぞ」
「だ、れがっ……」
「そうか」
顔を蹴られ、塞がりかけていた頬の傷が開いたらしく、血が飛び散った。
怖い。
恐怖に身が竦み、呼吸が浅くなる。
「助けを呼んでも良いが? ゼシカかアリスティに」
「……え?」
「その代わりに」
ナイフが私の手を貫いた。
「あぐっ!?」
「同じ目に、奴らも遭う事になる」
それでも助けて欲しい。そう思ってしまう自分が嫌だった。誰かを犠牲にしてでも助かりたいだなんて、最低だ。
叫びたくなる自分を抑え、唇を噛みしめてリューリク様を睨み付けた。
「……目障りだな、その目」
彼は落ちていたペンをおもむろに拾い上げる。そのペン先が煌めいたのを見た瞬間、凄まじい痛みと共に右の視界が黒くなった。
「いやあぁぁあ……っ!」
灼かれるような痛みに、吐き気と嗚咽が入り混じる。
「ヘンリー、仕方ない。動くぞ」
「……分かった」
いっその事、死んでしまいたかった。
部屋を出ようとしていたヘンリーは振り返ると、静かに私を起こした。そして、音もなく私の体にナイフを突き立てる。鉄の味が喉元を迫り上がる。
「……」
激痛に、私の意識は暗闇の底に落ちていった。
××××××
何やら辺りが騒がしい。
窓の外を見ると、武装した人間が集まってきていた。
一体何があったのか。確か、リューリクの所に赤髪の人間が来ていたはずだ。無関係な筈はないだろう。しかし、リューリクの部屋の周りは静かだった。
「……リューリク様?」
ノックしても、返事はない。誰もいないらしい。微かに嫌な空気が、染み出しているようだ。開けたくない。
俺は、微かな恐怖に似た感覚を持て余しつつドアを開いた。
「……え」
茫然自失とは、この事だろうか。
鮮やかなまでの赤が、目に焼き付く。吸った空気を吐き出すのも忘れて、その光景を眺めていた。
「……メリア?」
掠れた俺の声に答えるように、メリアは俺を見た。
片方の目で。
「な、どうして……」
「……ん、ゼ、シカちゃ……?」
「すぐ手当てをっ」
「聞い、て」
意志の強い声音。しかし、傷からはその強さが流れ出ていた。メリアは視点の定まらないまま俺を見つめる。息を吸い込み、呼吸を宥め、声が震えないように押さえ込み、話し出した。
「リューリク様は、アリスティ様の……命、と、引き換えに……ロテリア側につきまし、た」
「は? どういう事ですか」
「アリスティ様と、逃げて……このままじゃ……ッ」
血が、彼女を染めていく。
鮮やかな赤が広がっていく。
「……メリア、が死ぬ……?」
目の前で、いなくなる。
命が消えていく。
「アリスティ、さまを……」
「……わかった」
俺は、メリアを置いてアリスティを探すために走り出した。
俺は、メリアを見捨てた。
幼なじみを見捨てた。
アリスティを助けるという、メリアの願いを言い訳にして。
××××××
ゼシカちゃんは行ってしまった。一人は寂しいけど、早くアリスティ様を助けて逃げてほしいから、いいんだ。
「メリアちゃん」
「……?」
私はもう駄目だ。だから、今更誰が来て何をされるとしても、どうでもいい。
半分の視界に映った物が分からない。
「わ…たし、ね……」
「しゃべらなくて良いよ。死ぬから」
アレクセイ様だ。今までで一番無機質な声だった。
ずっと避け続けていたくせに。
「……」
アレクセイ様が、私の傷口に触れる。その指先に微かに魔力を感じ、何をするのかがわかった。
「……どう、し…て」
「我願い、朱に染まる器の時を戻さん」
治癒魔術。
しかし、私の体はその魔術が意味を成さない程、死に近づいていた。
「…もう、遅…んっ…は、ごほっ…」
私の体に触れているアレクセイ様の手を、私は握った。
いつも私を傷つけた手。私を戸惑わせて突き放した、彼の手。
その手が震えていた。
「……リク兄がメリアちゃんを、殺そうとした」
「……」
「俺、リク兄を殺しても良いかなぁ」
「……だ、め…です」
あなたは今、どんな顔で言葉を吐いているのだろう。
苦しい顔だろうか。
楽しい顔だろうか。
「私の…初、恋…は、ゼシカ…ちゃん、だっ、た……」
「俺の初恋は妹だったよ」
過去形。彼も、叶わないと分かって、思いを切り捨てたんだろうか。
血の味がする。
もう、死んでもいいやだなんて。彼が看取ってくれるなら、それでも良いかもなんて。
私なんかの頑張りなんて、誰かのそれとは全く釣り合うようなものではないけれど、頑張ったよね、私。
「酷いこと、しても良いかな?」
「え」
「君を、死なせてあげない」
アレクセイ様は、そっと私の頬を包み込んだ。そして彼の息が口元に掛かる。
息を呑む気配が辛うじて伝わる。一縷の迷いを断ち切るように、額を私の額に合わせる。
「……我祈る」
強い力に引き寄せられる感覚。
「……っ!」
「死に神の慈悲と許しを請い 汝と再び相見舞えんことを」
その感覚は強まり続けた。
これは甦生魔術。しかしそんなのは名前のみで、実際は消えかけた魂を一方の魂でこの世に繋げる魔術だ。
そして二つの魂は、寿命と命運を共にする。
「な、んで……」
つまりこれから片一方が死んだら、もう片方も死ぬのだ。
「あーあ、これで一蓮托生だなぁ」
「ばっ……かじゃないのっ!?」
「違いない。けど、これはこれでいい」
アレクセイ様は楽しそうに笑うと、私を抱き起こす。
「ずっと一緒にいられるし?」
「はぁ、……何それ」
「さぁ?」
彼は笑う。
視界が晴れていくように暗かった視界が開け、ずれた焦点が合った時、彼の微かに赤くなった頬が見えた。今までで一番良い笑顔だった。
気が合わない自信があったから、変な気分だ。
じわじわと、温かい何かが私の中に広がっていくのを感じた。




