10.狩りに行きたい
俺はメリアと出会ったのがいつなのか、覚えていない。気がついたら隣にいて、それが当たり前の少女だった。
「ゼシカちゃん」
「何」
「また花壇の花、抜いたでしょ」
「それが何だよ」
メリアはメフィルス家の使用人で同じ年だから、いつも一緒にいた。いちいちうるさいマセたガキだったのを覚えている。
「あんたが悪いことする度に、使用人が悪いことになるのよっ」
「じゃあ、俺がやったって、言えばいいだろ。メリアが」
「そ、それは……。自分で言えっ」
結局、メリアは俺がした悪戯を何一つ言わなかった。ただ、側にいてずっと見張られたけれど。
ずっと一緒にいて、身分も違うのに兄妹みたいで。
母が死ななければ、ずっと、メフィルス家で一緒にいたのかもしれない。
××××××
静かだった。冷ややかな視線同士がぶつかり合っても、火花は散るらしい。俺は黙ったまま、二人を見つめた。
「で、何の用だ」
沈黙に耐えかねたのか、リューリクは言った。
「今後、アリスティとメリアに関わらないで欲しいと思ったので」
「ただで、頼みに?」
アレクセイはジュースを飲みながら、傍観者になっている。リューリクはそんな双子の弟を見て、小さくため息を吐く。
「俺が、何でもします」
「何でも?」
「二人を傷つける以外なら」
「リク兄に男をいたぶる趣味はないよ」
でしょうね。
あったらあったで、寧ろ大いに引く。俺はどう挑発しようか、暫し考え、口角があがるのを感じた。
「では、こうしましょうか」
「ん?」
「俺が音を上げるのが先か、あなた方が飽きるのが先か、勝負しましょう」
「意地でも頼みを聞かせようってか」
忌々しげにリューリクは呟くが、顔はニヤニヤと笑みを浮かべている。
面倒だ。出来れば今すぐ部屋に閉じこもって、読書をしたいのに。
「良いだろう。その代わり、あの二人にお前も関わるな」
「分かりまし……」
謝らなくて、いいのか。
謝らない口実作りになっていないか。
俺は、逃げていいのか。
「明日だけ、猶予が欲しいです」
「……」
「リク兄、良いんじゃない?」
「明後日から、ここに来い。いいな」
足が重い。どんな顔で、会えばいいだろうか。
彼女は、まだ泣いているだろうか。
××××××
ノックをするが、返事はなかった。恐る恐る、ドアを開ける。
背を向けて立つアリスティがいた。
「……アリスティ」
「どうしたの」
「メリアに聞きました。泣いていたそうですね」
「な、泣いてなんかっ」
「なら、こっちを向いたらどうですか」
アリスティは振り返らない。目元を手で擦っている。
赤いんだろうな、目が。
アリスティの後ろに俺は立った。
「すみませんでした」
瞬間、アリスティは振り返り、俺に掴みかかった。見た事のない怒りの色に支配された瞳が、俺を貫いている。
「謝らないでよっ! バカっ! ゼシカなんか、ゼシカなんかっ、泉狼に追い回された挙げ句に泥沼に落ちて泥まみれになってうわぁ汚いって言われちゃえばいいんだぁっ!」
「妙にリアルなんですけど」
因みに泉狼は魔物だ。魔力を持つ生き物。特にシャルルでは珍しくもない。
「バカバカぁっ」
「どうせ馬鹿ですよ」
ボロボロと、涙を流すアリスティ。ハンカチを差し出しながらも、俺はアリスティを見て、つい呟く。
「なんか、泣いているアリスティって……」
「な、何……?」
急激に顔面に熱反応。
いっその事貶してくれと、頼みたくなるくらい情けない気分だ。
「なっ、何でもありません」
泣き顔がなんか良いなどと思ったのは内緒だ。
表情を戻した俺は、最終的な結論を言うために、息を整えた。
「ともかく、責任をとるので、何なりとご用命ください」
「何でも、いいの?」
「何度も言わせないで欲しいです」
アリスティはただ真顔で言った。
「じゃあ、旅に出たい」
「行商人ですか。んー」
「ううう、嘘だからっ! なれるわけ無いでしょ」
冗談なのは直ぐに分かった。アリスティは単純馬鹿だから。どこか違和感が滲み出るものだ。
アリスティは少し考え始めた。これで、殴らせろ、とか言われた方が楽に済むだろう。どうせ、猶予は明日の一日だけだ。
「狩り」
「え?」
「森に、狩りに行きたい」
冬の森には、沢山の強い生命力をもった生き物がいる。つまり危ない。
「お弁当持って行きたいなぁ」
「いいですよ」
危機感ゼロ。
狩りと言うよりはピクニックみたいなノリだ。
いつものアリスティだ。
彼女は黙ったまま俺を見つめた。そして、小さく首をひねる。
「何か、ゼシカが優しい」
「悪いですか」
「何か変」
言われても困る。
××××××
朝日が昇り、雪の照り返しが眩しい。天気は良い。少し寒めだが、大丈夫だ。
アリスティはいつもとは違い、ズボンに弓を持つ格好。膝下まであるブーツは暖かそうだ。
「ひ、久しぶりだなぁ……」
「俺は、初めてです、ね」
何故か顔を合わせられず、歩いていた。広い場所では何人分もの間を空け、狭ければ縦に間が空く。
「……」
「……っ」
沈黙は嫌いではない。ただ、アリスティが何かを言おうとするのが、すこぶる気になる。
「ゼシカっ」
「何ですか」
振り返ると、顔の赤いアリスティ。唇が震えていた。甘い感触を思い出し、触れようと反応する体を押し留める。
こんな時、男は不便だ。
好きでもない女なんだから、馬鹿なことは考えるな。俺は義務で動いているに過ぎない。
「……え」
「何ですか」
しかし、その顔が急に青くなった。
「うし、うし……」
「牛?」
「後ろーっ!」
「はぁっ!?」
振り返ると、猛スピードで獣が突っ込んで来た。俺とアリスティは、横に飛び退いた。
青がかった長めの体毛に、ひれのような尾。
泉狼だった。
「狩り、ですよね」
「うん」
「……これは、どうしますか」
アリスティの方は向かず、あくまで泉狼を睨みながら問う。泉狼はじりじりと近付いてきていた。
「流石に、これは……」
泉狼が地を蹴るのと、俺がアリスティの腕を引っ張ったのは同時だった。
「よし。逃げます」
魔術も近過ぎれば、詠唱が間に合わない。噛んだらアウトだ。
雪に足を取られ、上手く進めない。
「アリスティ」
「な、なにっ、で……っ」
「舌、噛みますっ、から黙って聞いて」
俺はアリスティを荷物担ぎをし、再び走り出す。エルフで女で二歳下なだけあって、俺が担いでも走ることはできそうだ。
「矢で、い、射て下さい。狙うのは足、ですからね」
「りょっ、うかいっ」
確かポケットにこの間の、魔法陣を描いた紙が入っていたはずだ。気休め程度だが、使ってみるのもいいかもしれない。
「あ」
俺の体は突如、動きを止めた。
「え?」
「足が」
「足が?」
「はまりましたね」
「……」
その間にも泉狼はじりじりと近付いてくる。
「伏せてろっ」
アリスティを雪の上に落とし、例の紙、雷の魔法陣に魔力を込めた。瞬間、紙は弾け飛んだ。入れ替わりに黄色い魔法陣が現れる。そこから生まれた雷は、真っ直ぐに泉狼を射抜き、魔術の勢いに負けた俺の体は後ろに倒れ込んだ。
「いったぁ……」
クスクスと、忍び笑いが届く。隣を向くと雪まみれなアリスティと目が合った。
「本当に泉狼に襲われちゃったね。泥まみれじゃなくて雪まみれだけど」
「……そうですね」
「……っ!?」
「どうしましたか?」
立ち上がり、落ちた荷物を拾い上げる。バスケットの中の昼食は崩れてしまっただろう。胃の中に入れば同じだが、口に入った時点では別物だ。甘いものと辛いものが混ざっていないことを祈ろう。
「ゼシカが、笑った……?」
「何か言いましたか?」
しかし、アリスティは顔を横に振るだけだった。その時、はらはらと髪についた雪が宙に舞ったのを、俺はただ眺めた。




