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16>●第三幕 地獄のダブルデート>第二節:菜々穂、参戦

第五幕最終節まで、あと14節。

16:菜々穂、参戦


 二週間ほど前、呟き型SNSにアップロードされた文章を見ていた。


 その数日前、僕は漆野に監禁されていたことを思い出す。写真を見る限り、場所についてもだいたいのところは特定できる。漆野に誘き出された場所と大して距離のないところだ。もし少しでも日時が違っていたら……ちょっと場所がずれていたら……僕は偽物ではなく、本物のキズモノと遭遇できていたかもしれない。


 そんなことを考えながら、突っ立っていると「深くん」と声をかけられた。


 僕は慌ててスマートフォンの画面をオフにする。声の主は明乃だ。講義の終わり際、「ちょっと話したいことがある」と言われ、このラウンジに呼び出されていたのだ。


 世間話もそこそこに明乃は、本題、と話し始める。


「最近の絹ちゃん、ちょっと様子が変じゃない?」


「いつものことじゃない?」


 冗談ではなく、真面目に僕は返していた。


「そういうんじゃなくて……」


 明乃の口調にもどかしさが混じる。


「勘違いかもしれないし、気にし過ぎなのかもだけど……」明乃はそう前置きをして言う。「絹ちゃんってさ、わたしの知っている限り、好青年オブ好青年って感じなのね。どんなときでも周囲に気を配れて、話をちゃんと聞いてくれて、みんなのことを元気づけたり、笑顔にしてくれたりする存在じゃない? それなのに……」


「ちょ、ちょっと待って」


 僕は余計な合いの手と思いつつ、話を遮った。


「くれぐれも確認するけど、それって絹倉を持ち上げることで、暗に僕ら他の男子の不甲斐なさを指摘している、とかじゃないよね?」


 明乃が嫌味を言うような女子じゃないことくらいわかっている。ただ、「好青年オブ好青年」なんて耳が痒くなるような台詞を聞かされて、思わず突っ込まずにはいられなかった。多少なりとも裏での姿を知っている僕としては、外面にどれだけのバフを重ねがけしているんだよ絹倉……と嘆息してしまう。


「そんなわけないでしょ。深くんにだって、いいところいっぱいあるじゃん」


「え?」


「え?」


 急に引き合いに出されて、ヒキガエルのような声が出た。そんな僕に釣られたのか、明乃もしゃっくりのような声を上げる。


「あ、別に深くんだけじゃなくて、杉やんも、竹ちーも……他のリベリアンドの人たちも、みんないいとこあるってちゃんと知ってるから」


 なんかいろんな人のフォローをさせてしまったようで申し訳ない気持ちになる。


 若干の膨れっ面になった明乃が「それで、話を戻すけどさ……」と続ける。


「なんか最近の絹ちゃん、ぼーっとしたり、疲れたような顔をしたりすることない? 意識しなければ気づけないような、ほんの一瞬のことだけど」


 話を本題に戻した明乃は、心配そうに目を細める。


「僕はそこまで絹倉の顔を長時間眺めたことないから……」


「わ、私だっていつも見ているわけじゃないよ。たまたま、たまたま絹ちゃんのほうを向いたときにいつもみたいに笑ってないことがあるなって……私の取り越し苦労ならいいんだけどさ」


 明乃が少し口をすぼませた。


 ころころ表情が変わって面白いな、と微笑ましい気持ちになる。だが、それを伝えたら、また明乃は「からかわないで」と不機嫌になるかもしれない。


 僕は明乃の心配を誠実に受け止め、対応するべきだろう。


「明乃が気がかりに思っているのはよくわかった。それとなく訊いてみるよ」


 実のところ、僕が絹倉のことを請け負ったのは、明乃の話を聞いたのがきっかけではない。もう少し前から気になることがあった。順を追って考えてみる。


 たしかにこの数週間で、僕らを……というか、絹倉を取り囲む雰囲気が変わった。原因は情報整理学でおこなわれた絹倉のプレゼンテーションだ。


 もともと、人好きのする見た目をしている上に、先だっての神がかったようなプレゼンテーションが、一気に絹倉への注目度を高めた。何人かの女子が、僕に絹倉のことを訊きにきたくらいだ。それだけでも、明乃の言っていることの根拠になり得る。


 しかも、僕はもうひとつ、明乃には語れない現場を目撃していたのだ。


 数日前、僕が残花の相談室を訪れようとしたとき、ドアが開いた。先客がいるのに出くわしたことがない僕は、思わず物陰に身を潜めたが、そこから出てきたのが絹倉だったのだ。守秘義務を負っているだろう残花には当然、そのことを訊くことはできない。その後、何度か絹倉と夜の見回りをいっしょにおこなったときも、具にもつかない世間話をするばかりで、相談室から出てきたときのことは訊けなかった。


 残花のいる相談室を訪ねた、ということはなにかしら悩みでもあるのだろうか。そうすると、明乃の話ともつながってくるような気がしなくもない。


 明乃を送り出した僕は、スマートフォンを取り出して通話をしてみる。


 数コールで「はい」という声がした。なんとなく潜めた声だった。


「今どこにいる?」


 僕は示された場所へ向かった。


「どうしてこんな埃っぽいところに? 今日の練習は四時からだろ」


 まだ午後の一時を過ぎたばかりだ。


 絹倉は、サークル棟にあるリベリアンドの部室に置かれた簡易ベンチに座っていた。数週間前まで別の野球サークルの根城になっていたが、とある出来事があって没収され、僕らが譲り受けている。


「ん……ちょっと、考え事をね」


「何か……」


 悩みでもあるのか? と訊こうとすると、後方で鉄の扉が開く軋みが聞こえた。


「こんなところにいたのね」


 責めるような声に振り向くと、欧米人のような美形の女性が仁王立ちしていた。


「やっと見つけた」と笑顔を浮かべるその瞳は、僕をすり抜けて絹倉へと向かっている。


「なんかごめん」


 おそらく僕がつけられていたのだろう。絹倉が抱える悩みを察した僕は、その原因を連れてきてしまったことを謝っていた。


「キミのせいじゃない。この展開を予想できなかったボクが悪い」


 絹倉の微笑みにいつもの清涼感がなく、疲労感や諦観のようなものが感じられた。


 明乃が語っていた言葉の意味がわかる。


 その女子は、「城井菜々穂」と名乗った。


 学年は僕らと同じ一年だという。サークル棟の部室から、誰も使用していない小教室へと移動して簡単な自己紹介を済ませると、僕は「で……絹倉への用件を訊いてもいいかな」と切り出した。


「交際を申し込んでいるのよ」


「こーさい?」


 僕は思わず、絹倉のほうを見る。


「何度も断っているんだけどね」と絹倉は困り果てたように苦笑いを浮かべた。


「だから何度も言ってるじゃない! 私たちはまだ何もわかり合っていないんだから、まずはちゃんとデートをして、お互いを知ることから始めましょうって」


 さも、自分のことを知れば好きになる、とでも言うような口ぶりだった。羨ましいくらいの自信だし、杉山あたりならふたつ返事で応じそうなものだ、とも思ってしまう。


「ち、ちなみに、城井さんは、なんで絹倉のことを?」


「菜々穂でいいわよ。あなた、同じグループなんだから、あのプレゼンテーション、聞いてたでしょ?」


 彼女も情報整理学で、絹倉のプレゼンテーションに惹き込まれたクチだった。


「私たちだって、かなり気合い入れて、プレゼンテーションの準備をしてたのよ。膨大な資料集めて、超凝ったパワーポイントだって作ったのに……それが当日になって急に教授から『待った』がかかって……」


 そこまで聞いて、彼女が僕らの前に発表する予定だった第七グループの所属だと思い至り、別のところに興味が向いてしまった。


「教授は待ったをかけた? なんでまた?」


「題材が場にふさわしくないって」


「知らなくてごめん。君たちは何をテーマにしてたの?」


「相南平で起こった事件、事故の調査よ」


 そういえば、事前の進捗発表で、そのようなテーマを取り上げるグループがあった気がする。ただ、その場に菜々穂の存在を見た憶えがなかった。これだけ目立つ外見をした女子なら、それだけで注目を浴びそうなものなのに……。


「身近な事件などの情報は、あらぬ憶測を生む可能性があるから、加害者や被害者への配慮上、慎むようにって」


「もしかして、その中に『キズモノ』関連もあったりする?」


「は? なんであなたたちの扱った民間伝承が絡むのよ?」


「ごめん、考え過ぎだった」


「教授が伝えてきた指摘は、そりゃわからなくもないわ。むしろ、エコロジカルチェックがしっかりとなされた、理性的で大人な判断だって、感心すらしたくらいよ」


 エコロジカルチェックとは、個人や組織が何か行動を起こす際に、それが周囲の環境や他の人々にどのような影響を及ぼすかを考え、評価することである……というのを、情報整理学の講義パートで教授が解説していた。


「だったら……」


「それとこれとは話が別!」


 菜々穂の語気だけで、吹き飛ばされそうだった。


「理屈がわかったって、ムカつくものはムカつくじゃない! プレゼンテーションの資料もそうだけど、うちらのグループは華々しさを演出するギャップ作りも計算に入れて、演者になる予定だった私は、メイクも普段の格好もすごい地味にしてたんだから」


 それでいまいち情報整理学における菜々穂の印象が薄かったことに納得がいった。


 僕らも準備は頑張ったほうだと思う。だが、それ以上の情熱をかけて準備をしていたグループには敬意を表する他ない。


 菜々穂は当時のことを思い出してか、悔しそうに歯噛みする。


「『事前に想定できなかったこちらの落ち度だと認める。資料の出来も、そこから想像できるプレゼン内容も素晴らしいものだとわかる。だから、君たちのグループには最高評価Sのさらに上をいく、Sプラスをつける。その代わり、講義内での発表は取りやめにしてほしい』って言われてさ……うちらは泣く泣く教授の言う通り、引っ込んだってわけ」


 水面下でそんな駆け引きがされていたのか。僕らはただ、順番が前倒しになってパニックになっていたというのに。パニックになっていたのは、主に杉山だったけれども……。


「でも、そんな悔しさも全部吹っ飛ばすくらいに、彼の発表は……エクセレントで、チャーミングだった」


 菜々穂はわずかに頬を染め、絹倉のほうを見つめる。帰国子女か何かなのだろう。カタカナ系の発音がさっきからネイティブのそれだ。というより、考え方や情熱の伝え方の文化的背景が、僕の知っている女子とはかけ離れている。


 僕は絹倉に、どうする? とでも問うように目線を送る。絹倉は何度も断っていると言っていた。きっと彼女に必要なのは、言葉による説得ではないのだろう。


「わかった」と絹倉が口を開いた。


「じゃあ、一度デートをしましょう」


「ホントに?」


 菜々穂の大きな瞳がキラキラと輝いた。


「ただしひとつ、条件をつけさせてほしい」


 絹倉が人差し指を立てて、僕のほうを一瞥する。もう悪い予感しかしない。


 相談室の予約を取っていた。


 絹倉のことは守秘義務として答えてもらえないだろうことはわかっている。実はもうひとつ前から残花に訊こうと思っていて、なかなか口にできないことがあった。しかし、絹倉が相談室から出てきたことを訊くよりは、はるかに楽な話題だと思うと、僕の口もいささか軽くなる。


「前に、情報整理学の講義で、僕らのプレゼン聞いてましたよね」


「ああ。君たちがどのような発表をするか興味があったからな。見事だった」


 残花があっさり言ってのけるので、僕は次の問いを投げかける前に、「どうもありがとうございます」と礼を述べる他なくなる。訊きたかったのは、なぜあの場にいたのか、と絹倉のプレゼンテーションを聞いての感想だった。それらをひとつずつ問う前に、いっぺんに両方の回答をもらってしまった僕は、次の話題提示に窮してしまう。


「君はどう思った? どこの部分がもっとも印象に残っている?」


 いつの間にか、質問者が逆転している。


 僕は、自分たちが集めた資料や静江さんが文集にまとめていた詳細な情報、そして、絹倉が語った傷神様伝承の顛末を思い出し、直感的に答えた。


「やっぱり……クノのことですかね」


「なぜ、そう感じる?」


「感情移入してしまっているんだと思います。最愛の人がひどい目に遭わされたら、そりゃすべて呪いたくなるっていう気持ちもわかるなって」


 実際に、僕はクノに近しい立場にいる。大切な人を傷つけられて、その恨みを晴らすべき相手を追っている。


「クノの呪いを認めるのか?」


 残花の唐突な問いに、僕は驚き、少し考えて「わかりません」と言葉を切った。


 クノの気持ちがわかるのか? と問われれば、即答で「はい」だった。だが、残花の言った「呪いを認めるのか?」というのは、呪いを肯定するのか、という意味だろう。クノの気持ちには共感する。だが、育ってきた環境で植え付けられてきた「人を呪うのは良くない」という価値観が、呪いの肯定にブレーキをかけていた。


「残花さんはどうなんですか?」


 これ以上、問われても何も出せない僕は、もう一度問い返す側に回る。


「私はクノと同じだ。君たちの話を聞いて、クノの立場に立つ自分しか想像できない」


 共感どころの話ではなかった。同一視、とでも言うのだろうか。残花は目の前に持ってきた左手の薬指に嵌められた銀の指輪を、右手の人差し指で静かに撫でる。


「私もかつて最愛の人を失った。そのときの悲しみは今でも言葉で表すことができない。その原因を私は生涯許すことはない……だが、それ以上に願っていることがある」


「……何を、ですか」


「最愛の人が今世で理不尽な目に遭ってしまったことが既成の過去であるなら、せめて来世では幸せであってほしい……それも虚しい願いだが」


 しばらく身動きが取れなかった。いつもの飄々とした残花の深淵を覗き込んでしまったように感じた。怖さではない。でも、なぜか体を強張らせるように迫る感覚があった。


「すまない」


「はい?」


 今度は突然の謝罪だった。ジェットコースターのような残花の語りに僕は完全に脳を振り回されていた。


「だいぶ熱くなっていたようだ」


 残花はいつもと変わらない無表情のまま反省の弁を述べる。


 でも、それでも僕は、能面みたいな残花の顔に人間らしさを垣間見た気がした。


「今後、このようなことがないように努めよう。私は私の役割に徹するべきだ」


 残花の反省の弁は、これ以上、この部屋で自分のことは語らない、と言っているようにも聞こえた。僕にはそれがなぜか、残念に思えた。

読んでくださってありがとうございました。


ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。

どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。


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次節:第三幕 第三節「クノの生まれ変わり仮説」

6/26(金) 20:00 公開予定

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