13>●第二幕 キズモノと傷神様>第七節:気持ちの成仏
第五幕最終節まで、あと17節。
13:気持ちの成仏
「ごめん。行けなくなった」
スマートフォンの向こうで絹倉の声が告げてくる。
一時間ほど前、不機嫌になりながらおこなった打ち合わせは、いったいなんだったんだ、と思いながら、僕は「わかった」と了承した。
理由など聞く必要もない。今どこにいるのかを訊ねる気も起きない。
「やめたほうがいいんじゃないかな」
「なぜ?」
「一人でやろうとするのは危険だ」
「もともと一人でやるつもりだったんだ。協力者の有無は関係ない」
そうだ。僕は四月からずっとキズモノを一人で追いかけてきた。絹倉が九月から首を突っ込んできただけで、そんなものはおまけに過ぎない。僕の意思が変わらないのを悟ったのか、絹倉は「そう。なら、くれぐれも気をつけて」と電話を切った。
僕は今、キズモノが「再度現れる」と予告していたという町外れの路地を歩き回っていた。肩にかけてあったバットケースに意識を向ける。いつでも中身を取り出して振り回せるようにファスナーは開きっぱなしで、心の準備を整えた。まもなく、女子学生に教わった時刻になりつつある。
ちっとも激しく動いていないのに、心拍数だけが上がっている。
怖い?……いや、単純に緊張しているだけだろう。現れるわけがない。頭では考えていたが、心のどこかでそう思い切れない自分がいる。そんなアンビバレントな状態が、僕の鼓動を速めていた。
そのときだ。
突然、向こうの角から人影が現れた。
全身黒づくめの男だった。キャップ帽を被り、黒いマスクをしている。身長は僕よりも高そうだ。百七十五センチメートル超といったところだろう。
「お前の罪を背負ってやろう」
ヘリウムガスでも吸って声を変えているのかもしれない。甲高い声でそう聞こえた。僕がバットケースの中身に手をかける。距離にして十メートル。捉えられない距離ではない。
突然、黒づくめの男は僕に背を向け、元来た角へと引き返した。想定と違った。
だが、それ以上のことを考えている余裕はない。
「待て!」
僕は男のあとを追い駆ける。
男が消えた角を曲がった瞬間、腹に味わったことのない激痛が走った。
意識が持っていかれそうになる。膝からくず折れる体が言うことを聞かない。
「なんだ? こいつ一人だけか」
意識が途切れる寸前に聞こえた声だ。どこかで聞き覚えのある声だった。
腹部がジリジリと痛む。
気づいたときには、視界が覆われていた。全身を拘束され、椅子に座らされているらしい。まるで身動きが取れなかった。後ろ手に縛られているのは、感触からして結束バンドのようなものだろう。いったいどこに連れてこられたんだ?
「本命じゃねーけど、こいつでもまあ、悪くはねえわ」聞き覚えのある声が語る。「こいつがいなきゃ、俺らが勝ってたんだからな」
この時点でおおよそ、声の主に見当はついた。
「で、どうすんの。とりあえず二、三発入れとくか?」
ガスが抜けつつあるが、いまだに甲高さが滲む声が問う。
「それじゃ残らねーだろ、とりあえず全裸で土下座の動画でも撮るさ。それで、こっちの言うことを聞く奴隷くんの完成だ」
短絡的な発想だと思った。尊厳を奪うことで、他人を屈服させようとする下卑た考えだ。ただ、今ここでそれを抗弁しても仕方がない。僕は視界が奪われた中で、なんとか今置かれている状況をイメージしようとする。この埃っぽい場所には、主に会話をしている男二名以外にも、複数名の者がいるらしい。それは笑い声などから察することができた。
どうやって抜け出す? 完全に自由を奪われている。全裸で土下座など別に、大したことではないが、彼らの思い通りになるのは我慢がならない。
「つーか、いつまで寝てんだよ」
靴底で左肩を強く押される。
僕は括られた椅子ごと横倒しになり、顔の側面を床に打ちつけた。さすがにこのまま気絶を装うことはできないだろう。何か言わなければならない。
金属音がした。鉄製の扉が開き、勢いよく閉められる音のようだ。
「まったく……ここまで予想通りに動かれると、逆に予想外ですよ」
先ほどとはまた別の、聞き覚えがある声だった。というか数時間前に聞いたばかりだ。
「本当にあなたは、他人を自分の思い通りに動かしたい人ですね。別に夜道を歩く僕らを襲っても良かったのに、わざわざこんな回りくどい演出までして……彼が自分の考えた作戦にハマったときは、さぞ気持ち良かったでしょう」
ここでいう「彼」とは、僕のことを示しているのだろう。
「なんでここがわかった?」
「わかったも何も、つけてきただけですから」
入ってきた者の足音がこちらに近づいてくる。
「勝手に動いてんじゃねえよ!」
あくまで耳から入ってくる情報だけのイメージだが、闖入者に対し、その場にいた複数名が襲いかかったのだろう。次の瞬間、床に荷物を放り投げるような音がした。連続して三回。
「何をした!」
ほぼヘリウムの抜けた声が飛び、駆け出す足音が聞こえたかと思うと、また床から鈍い音がする。人間が倒れ込む音だと想像できた。
「手品みたいなものですよ。ああ、もう聞いてないですね」
涼しげな口調が聞こえ、倒されたのは元ヘリウム声のほうだとわかる。
「それ以上近づくな!」
「死神でも見るような顔してますね」
「そんなニヤついた死神がいるかよ!」
「たしかに。きっとあの手の方々は、ボクみたいな手荒なやり方ではなく、もっとスマートに解決するでしょうね」
「こいつがどうなってもいいのか?」
側頭部を踏みつけられる。ごつい靴底の感触が伝わってくる。
「どうにもさせませんよ、漆野さん」
側頭部にあった重みがなくなり、何かが壁に打ち付けられる音と同時に、漆野の呻き声が聞こえた。僕は顔面が床に接しているのを利用して、顔を上下動させる。目隠しを少しだけずらすことができた。蛍光灯の明かりが眩しい。首を動かせる角度には限界があるが、なんとか今起きている状況を視界の端に捉える。
絹倉に右腕一本で首元を押さえつけられた漆野が、コンクリートの壁に追い詰められていた。優男が巨漢の動きを片腕で封じている。漆野は必死に絹倉の手を振り解こうとしているようだが、ほぼ後ろ姿しか見えない絹倉は微動だにしない。
「いい加減、明乃への執着を手放したらどうです? どんなことをしたって、彼女の気持ちがあなたに向くことはありませんよ」
「何言ってんだ! 高見沢は関係ねーだろ」
「こじらせ方が小学生だな。そのくせ、自身のわがままに人を従わせる程度に力があるからタチが悪い」
絹倉が「まあ、認めたくないなら構いませんが……」と言った瞬間、漆野が苦しそうに唸り声を上げる。首元の締め付けが強まったのだろう。
「金輪際、明乃にも僕らにも関わらないと誓ってください」
漆野の唸り声が強まる。抵抗を試みているのかもしれない。
「最悪、誓わなくても今回と同じ苦痛を味わってもらうだけですけどね……何度でも」
「わ! わかった!」
掠れた漆野の声がした。
絹倉の力がさらに強まったのか、脅し文句が効いたのかのどちらなのかはわからない。漆野の性格的に前者のように思えるが。
「ありがとうございます。言質は取りましたので……」と絹倉は、「しばらく寝ててください」と告げる。
次の瞬間、大きく呻いた漆野がズルズルと、壁伝いにへたり込んだ。
「いつからわかってたんだよ」
「最初から」
「最初って……?」
「キズモノの遭遇話を持ってきた女子たちが、ここの学生じゃないってわかってたからね。誰かの企みってことはすぐに察しがついた。あとは簡単な連想ゲームだよ」
この大学に通う学生、全員の顔を知っている、というのは誇張かと思っていたが、本当だったらしい。
絹倉は僕に付けられた結束バンドをひとつずつ解除している。相当きつく締め付けられているらしく、器用な彼でも手こずっているらしい。
「僕は囮に使われたわけか……」
「百パーセントの確信はなかったから様子を見させてもらったんだ」
絹倉は「それに……」と付け足す。
「それに、設定に乗っかる、というのは大切なことなのさ」
「設定? 乗っかる?」
言葉の意味はわかるが、それを「大切」という意図がわからない。
「気持ちの成仏って言葉、知ってる? 僕も受け売りで、ちゃんとは説明できないけど」
また耳新しい言葉が出てきた。絹倉もちゃんと説明できないなら、分野的に近い知識を持っていそうな残花に、いつか聞いてみることにしよう。
「たとえば、僕ははじめから漆野さんの企みだ、というのには気づいていた。だから、事前にこの人のところへ行って、くだらないことをやめるように説得することはできたかもしれない。いや、今のボクならできる」
大した自信だが、たしかに絹倉ならできる気がする。
「だけど、やめさせたとしても、きっとまた似たようなことを考えるだろう。だから、彼の思い描いたシナリオに……それがどんなに出来の悪いものであっても、ちゃんと乗っかって動いて、その気持ちが晴れたところで介入するのが一番良い、と教わったんだ。漆野さんで言うなら、キミがまんまと仕掛けた罠にハマって、捕まえられたときかな。彼の中でボクらへ復讐したいという気持ちは快感にすら変わったかもしれない。その瞬間が彼にとって気持ちが成仏した瞬間で、ボクが彼の心を折るのに、もっとも適したタイミングだと思ったんだ」
椅子の足に結び付けられていたバンドが両方とも解かれた。足の指先に血が流れていくのを感じる。
「でも、最大の功労者はキミだよ」
絹倉は続いて、手に巻かれた結束バンドの解除に取り掛かった。
「嫌味か? ただ、罠にかかっただけじゃないか」
「そんなことはない。キミがこんな見事に罠にかかってくれなければ、この現場を抑えるところまで辿り着けなかったからね」
絹倉が目の前に広がる惨状を示す。そうかもしれない。釈然とはしないが、反論も浮かばなかった。改めて絹倉を見ると、息ひとつ乱れておらず、まるで散歩でもしてきたかのような様子だった。普通の人間が屈強な男性五人を相手にして、この程度で済むものだろうか。そんな疑問がよぎる。
僕が拘束されていた場所は、漆野が所属する野球サークル、ガーランドの部室だった。床にはガラの悪そうな男が四人、意識をなくしたひどい姿勢で横たわっている。絹倉曰く、この四人もうちの学生ではないらしい。壁際には白目を剥いた漆野も座していた。
「何か武道でもやってた?」
実際の光景を見てはいないが、絹倉が屈強そうな男たち四人をほぼノータイムで無力化している。まるで武道の達人のようだ。
「だから手品みたいなものだよ。道具を使えば誰だって簡単さ。君だって似たようなことをされただろ」
僕の場合は、おそらくスタンガンだろう、と思い返す。絹倉も同様の攻撃をおこなった、ということだろうか。絹倉は、僕の拘束をすべて解くと、頬にできていたらしい擦り傷にバンソーコーを貼ってくれた。
「ひとつ、謝らなければいけないね。僕が『誰も聞いてないだろう』とPCルームで『キズモノ』という言葉を出してしまったのが、回り回って漆野さんの耳に入ったんだと思う。軽率だったよ、ごめんね」
絹倉の殊勝な物言いに、僕は「そんなの結果論だよ。謝らなくていい」と返していた。
「じゃあそろそろ、行こうか」
絹倉の言葉に合わせて、僕は立ち上がった。
サークル棟の外を歩く僕らは、思いもかけない人と出くわした。
「どうしたんですか、こんなところで?」
僕の問いかけに、サークル棟のほうへ歩いてくる残花は「ちょっと相談を受けてね」と前置きし、「このあたりに出来の悪いニセモノが出回っている、というのを聞いた」と答える。
「偽物、ですか?」
カウンセリングをおこなっている僕以外の学生から、そういう相談があったのだろうか。だが、前後の文脈を知らない僕には、なんの偽物かも見当がつかない。
「ああ、そういえば、ガーランドの部室……サークル棟の122号室に、海賊版のゲームソフトや偽ブランド品なんかが、いくつもあるって聞いた気がします」
絹倉が口を差し挟んだ。
僕は心の中で、「おい!」と突っ込んでいた。一応、気絶した者たちを、整然と並べて寝かしつけてはおいたが、それでもあの部屋に行ったら異様さを感じるに違いない。
残花は「そうか、感謝する」と、そのまま歩き去っていく。
「大丈夫だよ、今頃彼らも目を覚まして、部室から出ていっているさ」
僕の心配を見越したように絹倉が人差し指を立てた。
読んでくださってありがとうございました。
ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。
どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。
──────────────────
次節:第二幕 第八節「フブキとクノ」
6/16(火) 20:00 公開予定
──────────────────




