12>●第二幕 キズモノと傷神様>第六節:鍵の開いた部屋
第五幕最終節まで、あと18節。
12:鍵の開いた部屋
「これはすごいな……十五分間のプレゼンに収めるのがもったいない」
感嘆を口にしたのは、現時点で話者となる予定だが、その本番弱さに自信を失っている杉山だ。
キヨさんが「とっておき」と言ったのは、彼女が女学生時代に入手したという文集だった。さすがに原本を長く預かることは気が引け、近くのコンビニエンスストアでコピーさせてもらったものを、先ほどグループ内で回し読みし終えたところだ。
藁半紙で印刷され、劣化により文字の判読ギリギリなほど薄くなっている箇所のある文集のコピーは、最大濃度で出力しても読みづらい。だが、そんなことすら気にならないほど、女学生時代の静江さんが手がけた文集は読み応えがあった。ありとあらゆる文書がデジタルで作成される現在において、数十ページにわたる手書きの文章を見るのは、それ自体が貴重な体験に思える。
キヨさん曰く、この文集は当時文芸部だった頃の静江さんが作成したもののひとつだという。そこには、彼女が調べた傷神様伝承における詳細や信憑性、「きずのおに」のことはもちろん、傷神様の生まれるきっかけとなった話を、静江さんが想像を交えつつ物語調に書いたものまで収録されており、かなりの力作になっていた。
かくして、資料用のスライド、および、プレゼンテーションの発表原稿を作成するための素材は整い、僕らは順番的に二週間後には回ってくるだろう発表の準備に取り掛かる。
さて……僕は素材集めにおける自分の役割は果たしたと思っていいだろう。
それでも、胸の奥がざわつくのは、今日の夜に待ち構えている出来事に思考が吸い寄せられているからかもしれない。
「残花さんは、『傷神様』って知っていますか? この地域に伝わる民間伝承らしいんですけど……」
大学での様子を聞かれ、僕は逆に質問で返していた。残花は顔色ひとつ変えず、いつもの淡々とした調子で「知ってはいるが、君に伝えられるようなことは、ほとんどないだろう。君たちはもう、たいていのことを調べ上げているようだしね」と答えた。
いつもなら、質問に答えることが多い僕が、今日は自ら話題を切り出し、饒舌に喋っている。残花に変に思われているかもしれない。その自覚はある。だが仕方がない。無性に誰かと話したい気分だったのだ。
いつもなら絹倉とそうしているのだろうが、静江さんの文集を読み終え、役割分担を組み直したあと、彼はいつの間にか姿を消していた。神出鬼没を地で行く絹倉の所在を考えたところで、無意味だと知っている僕は、吸い寄せられるように予約を取り、残花がいる相談室へと足を運んでいたのだった。
今日は先週、学生食堂で話を聞いた「キズモノが出現予告をした日」だった。
本当に現れるとは思っていない。
理性ではそう考えているが、胸の奥がざわつくのを止められない僕は、その代償行為のように残花に取り留めのない話をしているのだろう。
その場限りで思いつく話をし終えた僕と、残花のあいだに短い沈黙が居座る。
左手の薬指に嵌めた正十字の銀の指輪を右手でなぞった残花は、「ところで……」と話題の転換をする。
「以前話した記憶の欠落について、最近でも感じたことはないか?」
残花に問われ、僕はここ数日を振り返る。
そういえば……傷神様の話題が出た次の日、学校を休んで部屋で過ごしていたあいだ、いくつかの記憶が飛んでいる気がした。だが、それは単純に風邪で意識が朦朧としていたからだけなのかもしれない。僕がそのまま話すと、残花は「そうか」とこぼして、しばらく考えるような素振りをする。
それから程なく、僕は残花のいる相談室を後にした。
夕方。
階段を上がり二階にある自部屋の前に来る。玄関ドアの鍵を回した瞬間、妙な違和感を覚えた。開いている? 僕は慌てて、部屋の中へ入ると「結美!」と呼んだ。三和土に見覚えのあるスニーカーが置かれている。嫌な予感しかしない。
「やあ。ずいぶんと遅かったね」
涼しげな声が聞こえてくる。真っ先に目に入ったのは、リビングのソファに座る結美だ。それと向き合うように、絹倉が立っていた。別に絹倉が僕らの部屋を知っていても、なんら不思議ではない。
「なんでここにいるんだ?」
結美がいる手前、僕は込み上げる怒りを抑える。
「彼女が招き入れてくれたんだよ、君の知り合いだって言ったらね」
絹倉が答えた。
そんなバカな。そう思いながら「そうなのか、結美」と僕は問う。
結美は不思議そうな顔をして頷いた。信じられない。いや、信じたくない。だが結美が否定しない以上、認めるしかなかった。
「今日のことを打ち合わせようと思ったんだよ」
絹倉が話し始めた。「今日のこと」というのは、キズモノの出現予告のことだろう。
「そんなの大学で良かっただろ」
「さっきまで学外で調べ物をしていてね」
「だったら、連絡をくれればいい。わざわざ家に訪ねてくることじゃない」
「連絡なら何度もしたさ。電源でも切っているんじゃないかってくらい、音信不通だから心配になって来たんだよ」
「そんなわけ……」
僕はポケットからスマートフォンを取り出して画面を見る。思わず、「ゲッ」という声が漏れた。たしかにスマートフォンの電源が切れていた。いったいどうして? 充電はちゃんとしているはずなのに。
「とにかく……ここだとアレだから外で話そう」
今となってはスマートフォンの電源などどうでもいい。とにかく絹倉を一刻も早くここから連れ出したかった。
「わたしがあっちの部屋にいればいいんじゃない?」
結美が気を遣ってくる。
「ちょっと込み入ってるんだよ」
僕は苦し紛れに答えて、無理やり絹倉を引っ張りながら外へ出ようとする。
「またね」
僕に手を引かれながら、絹倉が結美に向かって言った。
僕もつられて結美のほうを見る。結美が小さく頷いた。わずかに頬を赤らめているように見えた……ような気がする。気のせいか? そうだ気のせいだ。僕はそう思考を回しながら、絹倉を部屋の外へ連れ出した。
そのあとの会話など、ロクなものにならなかった。
読んでくださってありがとうございました。
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どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。
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次節:第二幕 第七節「気持ちの成仏」
6/12(金) 20:00 公開予定
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