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10>●第二幕 キズモノと傷神様>第四節:米川老人と、祖母の名前

第五幕最終節まで、あと20節。

10:米川老人と、祖母の名前


「傷神様なんて、どこで知ったんだよ。本当にあるのか、そんな民間伝承?」


 僕はやや糾弾めいた調子で訊いた。


「あの日、バスで隣に座ったおじいさんと仲良くなってね、この話をしてくれたんだよ。信憑性はこれから調べていこう」


 コミュニケーションの化け物が涼しげに答える。


「ガセネタだったらどうするんだ?」


「それを調査結果とすればいい。調べた結果、ガセだとわかった、というのは立派な成果じゃないか」


 復調した僕は、学生食堂で昼食を摂りながら、絹倉が「傷神様」という情報を知った経緯を問い詰めた。


「キミが気にしているのは、民間伝承の信憑性じゃないだろ」


 見透かしたように絹倉が言う。


「傷神様が、キズモノと関連しているか、おそらくそんなところだよね」


 絹倉の推測に僕は異論を挟めない。「そうだよ」と認めるだけだ。


「キズモノが出る地域に、傷神様という民間伝承がある。どっちも『キズ』という言葉が入っていて、実在性が怪しまれるという点で共通点を感じずにはいられないよね」


「でも僕は、あのグループでキズモノのことを話すつもりはない」


「わかっているよ。あくまで調べるのは傷神様のことさ。そこでもし、キズモノにつながる情報が見つかればラッキーくらいに思っていればいい」


 絹倉が聞いたのは、この地域には昔、他人の傷を吸い取る神がかった力を持った者がいた、という話だった。それがいつの間にか傷神様と呼ばれるようになり、童歌やそれを原型とした遊びにもなっているという。


 グループワークでは調査対象が「傷神様」に決まったあと、グーパーで役割分担をした。「文献調査班」が杉山と竹本で、「現地、聞き込み班」が絹倉と明乃、そして僕、という分担になった。このあたりは実際に進めていくことで流動的に役割を変える想定だ。


 たぶん偶然の一致だろう。そう自分に言い聞かせるが、それでも胸の奥にあるザワザワが止まらない。僕はもっと絹倉から話を聞き出そうとした。でも、それができなかった。


「ちょっと聞いてよ、私、昨日キズモノに出くわしたんだけど」


 そんな女性の声を聞いたからだ。


 聞き違いを疑ったが、絹倉が人差し指を口に当てた。同じセリフを耳にした、ということだろう。聞き耳を立てていると、明らかに僕が探しているキズモノらしき不審者に出会ったことを友人に愚痴っている会話だった。


「ホント怖かったんだけど」という女子学生の声は、恐怖というよりは怒りの色が強いように思えた。結美などは恐怖に支配され、性格すら変わってしまったというのに。この辺りは同じ現象を見ても、そこから受ける感情は人それぞれ、ということになるのだろうか。そう割り切りでもしないと、僕は背後に座る女子たちに筋違いな怒りをぶつけてしまいそうだった。


 彼女たちの会話がひとしきり終わったあと、絹倉は再びコミュ強――コミュニケーション強者――、いや、コミュ狂――コミュニケーション狂者――な面を発揮して、「ごめんね……今の話、聞こえてきちゃってさ」と彼女たちの横に座る。


「その話、僕らにも詳しく教えてくれないかな」


 絹倉はそう言って僕を見ると、彼女たちがいるテーブルに来るように顎で示した。


 話題の主だった女子学生もその話し相手も、おそらく人工的に焼けた浅黒い肌に、濃いめの化粧をしていた。ウェーブのかかった明るい髪色やファッションは、僕がわかっている範囲でも、この大学では派手めなグループに属する部類と言えるだろう。近くにいるとだいぶ強めの香水が鼻を刺してくる。


 被害に遭ったという彼女の話は、先ほど聞き耳を立てて仕入れたものと大きな差異はなかった。そしてそれは、僕がSNSなどを使って集めた情報ともほとんど変わらない。唯一、今まで知っていた情報と違っていたのは、彼女がキズモノから「次回」を宣言されていたことだった。今までに僕が得ていた情報にはない現象だ。


 僕らは、キズモノが彼女に向けて言った「次回」を匂わせる台詞を確認する。


「来週も同じ時間に、この場所に来るといい。最高の経験を味合わせてやろう」


 次回を宣言するとは、どういう意図だろうか? キズモノの犯行ポリシーが変わったのか。それとも彼女が、キズモノの探し求めていた対象だったのか。


「どういう意味だと思う? 次回の出現場所を予告? あり得ないだろ」


 話をしてくれた女子学生が去ったあと、僕は絹倉に問いかける。だが、絹倉の返答はない。心ここに在らずという表情で、何かを思案しているようだった。


「絹倉?」


「ああ、ごめん。なんの話?」


「だから、次回予告なんて意味ないだろ、って話だよ」


 実際、先ほどの女子は、二度とその場所へは行かない、と言っていた。


「さあ……」興味なさげな絹倉は「キミがキズモノじゃないのなら、何を考えているかなんてわからないだろ。キズモノも自身の活動に限界を感じているとしたら? 何かしらの変化をつけようとしているのかもしれない。とにかく、彼女たちが教えてくれた予告時間と場所に行けば、はっきりすることだろう」と事もなげにその場を締め括った。


 齢七十は超えているだろう。その老人は、米川喜一郎という名の好々爺だった。


 絹倉とバスで隣の席に座ったとき、「傷神様」という民間伝承の情報を教えた老人だ。絹倉がその際に連絡先を聞いており、僕らがアポイントを取ると、簡単に会ってくれる約束が取り付けられた。


 手土産を持って、米川氏宅を訪れると、僕らみたいな訪問者が嬉しいのか、ニコニコした表情で迎え入れられる。


 経年を感じさせる独居老人の住まいで、居間という和風の表現がぴったりの部屋に通された絹倉、明乃、そして僕はスマートフォンのボイスレコーダー機能を使いながら、米川氏の語りを聞いていく。


 老人特有、というと語弊があるかもしれないが、米川氏の話は、自分史を今時の若者に聞かせたいといった様子で、「傷神様」の話は断片的に語られる程度のものだった。気分良く喋ってもらうためか、絹倉も明乃も脱線に次ぐ脱線を繰り返す米川氏の話を遮ることはしなかった。


 何百年も前の村社会だった頃、他人に手を当てるだけで、傷を吸い取るように治せる者がこの地域にいた。誰もが有り難がるはずの、その力が巡り巡って不幸な結果を招くことになった。当時の村人はそれを憐れみ、もしくは、その呪いを恐れ、供養のごとく「傷神様」として祀ることになったらしい。だが、あくまで政治などの強制力が関しない民間伝承だったため、今となっては子どもの遊びや童歌になって残っている程度だという。


「この傷神様のお話って、今では米川さんだけがご存知のお話なんでしょうか」


「いや、この地域で子ども時代を過ごしたモンなら、昔話や遊びで触れているから、たいてい知ってはいると思うがね……ただ詳しい人ってなるとワシの知っている限り、今となっちゃあ、おらんかなぁ」


 明乃の問いに、米川氏はやたらハキハキと答えている気がする。引き出し方がうまいのか、人柄か、単に米川氏が若い女の子と喋れるのが嬉しいからなのか。明乃の対応も相まって、米川氏は久しぶりに高揚しているのかもしれない。理由はどうあれ、高齢の方が元気なことは良いことだ。


「今となっては……ってことは、以前はいらっしゃった、ということですか?」


「ああ、そういうことだね」


 明乃のやや遠慮がちな質問に、米川氏は自分のしわがれた腕をさする。その寂しそうな口ぶりから、それなりに親しい人だったのだろうと、察せられた。


「長嶋静江さん、という方だったんだがね。数年前に……」


 米川氏が肩を落とす。その名前に、僕は思わず目の前の老人を凝視した。


 長嶋静江さんは、結美の祖母だ。


 夕食を終えた僕はダイニングテーブルに頬杖をつき、ソファでうとうとする結美の寝顔を眺めていた。


 日中、傷神様について語ってくれた米川氏の言葉を思い出す。


 傷神様の民間伝承に詳しい人……長嶋静江……静江さんは結美の祖母であり、故人だ。


 ときどき訪問するくらいの僕に話すことはなかったとしても、幼少期から長く時間をともに過ごしてきた孫娘になら、傷神様のことを語って聞かせたかもしれない。


 だが……僕は傷神様のことについて、結美に問うことはないだろう。


 回復傾向にあるとはいえ、キズモノとの遭遇によるショック状態をいまだに引きずっている結美に、静江さんのことを思い出させるのも、傷神様のことを訊くのもマイナスの影響を及ぼす可能性があるからだ。そんなことは万が一にもしたくない。静江さんが亡くなったときの結美が落ち込んでいる姿は、今思い出すだけでも胸が痛む。


 静江さんの突然の訃報は、結美に大きなショックを与えた。


 忘れることはない。高校二年生の秋頃の話だ。年相応に身体の至るところに不具合を抱え、医者いらずとまでは言えなかったが、それでも静江さんは大病などを患っておらず、お年を召した方の中では、健康なほうだった。


 そんな静江さんの死因は、階段転落による事故死だった。事件性の余地など微塵も入らない、周囲に誰もいない歩道橋の階段から、足を踏み外しての転落。唯一の救いは、頭を打っての即死であり、本人は一瞬も苦しむことがなかっただろう、という検死結果だった。


 心の準備などできていない、突然の訃報は大輪に咲き誇っていたひまわりが一気に萎れ切ったかのように、結美を塞ぎ込ませた。高校の学内では気丈に振る舞っていても、僕と二人になった途端、涙ぐむくらいに彼女の心を弱らせた。


「化けて出てほしい」結美がぼそっと呟いて鼻を啜らせた。「化けて出てくれていいから、もう一度おばあちゃんに会いたい。ちゃんとありがとうって言って、ちゃんとさよならって言いたい」


 僕はかける言葉が見つからなくて、ただ彼女の手を握っていることしかできなかった。


 このときの僕も、落ち込み続ける彼女にひたすら寄り添おう、と決めていた。


 だが、そんな覚悟が雲散霧消するほど、結美の様子が上向きに豹変したのは、静江さんの葬儀が終わって数日後のことだ。


「おばあちゃんが会いに来てくれた」


 あまりの豹変ぶりに何があったのかと問うた僕に対し、結美が興奮した口調で発した言葉だった。当然、意味がわからない。僕は自分なりに、夢で静江さんと会えたのだろう、と解釈し、結美の話に異を唱えることはしなかった。それに、なんとなく浮世離れした物言いをする静江さんは、たしかに化けて出てでも、かわいい孫娘に会いにくるかもしれないな、とも思った。なんでも良かった。夢でも幻想でも、ただの勘違いや思い込みであっても、結美が笑顔を取り戻してくれたのが嬉しかった。


 もし叶うのなら、もう一度化けて出てくれないだろうか。


 今もアパートの室内から一歩も出ることのできない結美のことを思い、そんなことを夢想する。静江さんなら、今の結美になんて言葉をかけてくれるだろう。僕はもう一度、結美に本当の笑顔を取り戻すことができるのだろうか。キズモノを捕まえれば、懲らしめることができれば、それが叶うのだろうか……本当に? だが、今の僕にはそれ以外、結美にしてあげられることがないのだ。自分の無力を恨めしく思う。


 僕は立ち上がると、寝室から持ってきた毛布を、小さく寝息を立てている結美へ包み込むようにかけた。


 さあ、そろそろ日課の素振りに出かけるとしよう。

読んでくださってありがとうございました。


ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。

どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。


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次節:第二幕 第五節「とがてにあまり」

6/5(金) 20:00 公開予定

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