5話 ~婚約破棄~
「婚約は破棄させていただきます」
彼女の正面に置かれた皿、手付かずの『鴨のロティ』からは、皮肉なほど美味しそうな湯気がうっすらと立ち昇っています。
ここは王都でも最高格を誇る料理店『レ・エトワール』。クリスタルのシャンデリアが輝く個室に、場違いな沈黙が流れていました。
フリードは、最高級のラシャ生地で作られたドイツ式の軍服風正装に身を包み、椅子の上に重ねられた三座布団の上に座っています。
対面に座るのは、クートー家の至宝、ロザリア。
彼女はプラチナブロンドの髪を高く結い上げ、貴族の矜持を体現したような、燃えるような真紅のドレスに身を包んでいました。派手な装飾が下品に見えないのは、彼女の細身で四肢の長い肢体がそれを完璧に着こなしているからです。
首元には、大粒のサファイアが、彼女の灰色がかった青い瞳と同じ冷たい輝きを放っていました。
「え……?」
「何を驚いていらっしゃるのですか? そんな貴方の反応こそ、私にとっては驚きなのですけれど」
すでに自分の皿を空にしていたフリードは、口を開けたまま固まっていました。そんな彼を、ロザリアは蛇が獲物を射抜くような視線で見下ろします。
「どうして私が、ゴブリンなどという化け物と結婚しなければならないのでしょうか。……先ほどから私が一口も料理に手を付けていないことに、お気づきでしたか? 貴方のその醜悪なお顔を見ていると、食欲など微塵も湧きませんでしたの」
フリードは、何も言い返せませんでした。ただ、自分のピンク色の短い指先をじっと見つめることしかできません。
「野菜には一切触れず、お肉ばかりを貪るなんて……。以前の貴方は、そんな野蛮ではありませんでしたのに。外見だけでなく、中身まで化け物になり果ててしまったのですね」
フリードは無言のまま、空になった自分の皿を虚しく見つめていました。
「元々、私たちは分かり合えない運命でした。生まれた環境も、重んじる作法も、何もかもが違うのですから。けれど、貴方がどうしても私と結婚を前提に付き合いたいと仰るから、今日まで我慢して差し上げました。ですが、もう限界ですわ。いくら我が家が貴方の家から多額の融資を受けているとはいえ、これ以上の恥辱には耐えられません」
ロザリアは、一口だけ水を口に含むと、流れるような所作で立ち上がりました。
「もう二度と、私の前には姿を現さないでください。どれだけ言葉を重ねようと、どれほど金貨を積み上げようと、私の心が変わることはありません。……それでは、ごきげんよう」
踵を返し、優雅に去っていく彼女の後ろ姿。
無言の豪奢な個室には、ただ甘く棘のある薔薇の残り香だけがいつまでも虚しく漂っていました。
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