1話 ~ゴブリンな目覚め~
夜の砂漠を、満月に向かって歩いていた。
一歩、また一歩。砂に足を取られるたび、喉の奥が焼け付くように乾いていく。
水が飲みたい。冷たい水が、ひとしずくでもいい。
限界だった。膝をつき、歩くのを止めてしまいそうになったその時、足の裏に奇妙な違和感を感じた。
くすぐったい。
執拗に、足の裏を刺激する何か。
やめろ、やめてくれ。
「おい、やめろってば!」
叫んで目を開けた瞬間、視界を覆っていた黄金の砂は消え去った。
そこは、見慣れた自室のベッドの上。
「……あれ?」
ぼんやりとした視界の中に、二人の人物が立っていた。
「おお! 目を覚ましましたか、フリード様」
眩しいほどの爽やかな笑顔を向けてきたのは、白衣を着た高身長の若い男。悔しいが、同性から見てもイケメンと認めざるを得ない整った顔立ち。我が一族専従の医師、『エリトン』だ。
その傍らで、何も言わずにこちらを見つめているのは、黒髪を流した長身の美女。
皺ひとつない完璧な着こなしのメイド服に身を包んだ彼女は、僕の専属メイドである『マリーゴールド』だった。彼女は手に羽ペンを持っている。どうやらあれで僕の足の裏をこちょこちょしたらしい。
「一体……何が……」
自分がなぜここで寝ているのか、記憶の糸が絡まって解けない。
困惑する僕に、エリトンがにっこりと微笑み、立て板に水のごとく説明を始めた。
彼が言うには、あの日、僕はマリーゴールドと一緒にピクニックに出かけたのだという。
その帰り道、僕たちは黒いローブを纏った不気味な老婆に出会った。老婆から差し出されたのは、一つの林檎。
僕はそれを一口、食べた。その瞬間に白目を剥いてぶっ倒れたのだという。
僕はすぐさまマリーゴールドによって自宅へと運ばれ、屋敷はひっくり返るような大騒ぎになった。しかし、検査の結果は意外なものだった。意識がないこと以外、僕の体は至って健康体。ただ眠っているのと見分けがつかない状態だったらしい。
「持ち帰った林檎も分析しましたが、毒物は一切検出されませんでした。処置のしようがなく、私たちはただ、貴方が目覚めるのを祈って見守ることしかできなかったのです」
「そうだ……覚えている……」
霧が晴れるように記憶が蘇る。
そこへ、マリーゴールドが氷のように冷ややかで、しかしはっきりとした口調で追撃を加えた。
「私は申し上げました。そんな怪しげなものを口にするのはおやめくださいと。しかしご主人様は『大丈夫、大丈夫!』と言って、むしゃむしゃと食べてしまったのです」
「そうだったっけ……?」
あまりに断定的な彼女の言い方に、曖昧な記憶が「そうだったかも」と上書きされていく。
「けど、無事に意識が戻って良かったよ。僕はどれくらいの間、寝ていたんだ?」
「丁度、三か月です」
「そんなに……! 道理で、喉が渇いているわけだ」
三か月も水を飲んでいなかったのか。僕は枕元のチェストに手を伸ばし、水差しからコップへ水を注いだ。一気に飲み干すと、砂漠の夢を見ていた喉がようやく人心地ついた。
しかし、エリトンの表情は晴れない。彼は言い出しにくそうな顔で僕を見た。
「……それともうひとつ、伝えなければいけないことがございます」
「なんだろう……?」
嫌な予感がした。
「この三か月の間に、フリード様は――ゴブリンになってしまいました。ただのゴブリンではありません、世にも奇妙な、桃色のゴブリンです」
エリトンは何故かすこし嬉しそうだった。
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