第8話 消える在庫の正体
「いいから、やってみてください。あんたたちの無実が証明されますよ」
俺の言葉に、倉庫長のバルトは毒気を抜かれたような顔をした。
彼は半信半疑のまま、計量器の横にある『王都基準・換算ボタン』に太い指をかけた。
台帳用の記録水晶には、現在『魔石:百個』と表示されている。
「……こうか? 一、二、三……」
バルトがボタンを叩くたび、計量器の魔導回路が淡く発光する。
そして、十回目が終わった時――記録水晶に浮かぶ数字が、音もなく書き換わった。
『在庫:九十個』
「なっ……!?」
バルトが、飛び退くように計量器から手を離した。
背後で見ていた作業員たちからも、悲鳴に近いどよめきが上がる。
魔石の箱は、計量器の上に載ったままだ。一つも動かしていない。中身を抜く隙など、誰にもなかった。
だというのに、帳簿上の在庫は、瞬きする間に十個も「消滅」したのだ。
「消えた……。本当に、触ってもいねえのに数字が減ったぞ!」
「シュウジさん、これは一体どういうことなんだ!? 魔石はどこへ行ったんだよ!」
バルトが俺の肩を掴まんばかりに身を乗り出してくる。
俺は計量器の回路に浮かぶ『現仕様』の赤いノイズを指差した。
「魔石はどこにも行っていません。そこにある箱の中に、ちゃんと百個入っていますよ。……消えたのは、魔石そのものではなく、水晶に刻まれた『記録データ』の方です」
俺は、混乱する彼らに向けて、努めて平易な言葉で解説を始めた。
「この計量器には、王都の単位へ換算するための複雑な計算式が組み込まれています。ですが、その計算結果を一時的に保存しておくための『魔力の器』が、本来の在庫数を記録する場所と、中で繋がってしまっているんです」
「繋がっている……? それがどうして、在庫が減る理由になるんだ?」
「計算をするたびに、その器から魔力が溢れ出し、隣にある在庫記録を少しずつ上書きして消してしまっているんですよ。いわゆる、データの自己破壊です。バルトさんがボタンを押せば押すほど、この機械は『在庫を数え直している』つもりで、自分の記憶を消去していたんです」
事務室に、しんとした静寂が訪れた。
バルトは、自分の大きな手を見つめ、それから計量器を、最後に俺を見た。
「……じゃあ、俺たちが夜通し在庫を確認するために、何度も換算ボタンを押して帳簿を付け直していたのは……」
「ええ。正確にやろうとすればするほど、数字が合わなくなっていく。最悪の悪循環です。横領犯なんて最初からいなかった。いたのは、現場の運用を無視して作られた、欠陥品だけですよ」
俺が断言した瞬間、事務室を支配していた重苦しい沈黙が、音を立てて崩れた。
「あ……あああ……っ!」
一人の若い作業員が、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
彼はこの数ヶ月、もっとも「数字の管理」を任されていた若手だ。自分が計算を間違えたのか、あるいは無意識に盗んだのではないかと、毎夜自分を疑い、周囲の冷たい視線に怯えていたのだろう。その細い肩が、堰を切ったような嗚咽と共に激しく震えている。
他の作業員たちも、互いに顔を見合わせ、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は壁に手をついて深く項垂れた。
「横領」という、現場の人間にとって死刑宣告にも等しい汚名。その刃がようやく自分たちの喉元から退いたことを、彼らは魂の底から理解したのだ。
バルトもまた、震える手で何度も壁を叩いていた。
彼が守りたかったのは、単なる荷物ではない。三十年かけて築き上げた「現場の誇り」であり、自分の息子のように育ててきた部下たちへの信頼だった。
機械が「お前たちは盗人だ」と突きつけてくる不条理な現実に、どれほどの無力感と絶望を感じてきたか。
その目には、じわりと熱いものが浮かび、深く刻まれた皺を伝って落ちた。
「……よかった。誰も、盗んでなんかいなかったんだな。俺の部下たちは、誰も裏切り者じゃなかった……!」
絞り出されたその声は、掠れてはいたが、確かな力強さを取り戻していた。
その光景を眺めながら、俺の胸にも苦い、けれど温かいものがこみ上げてくる。
たった一つの設計ミス。現場を知らない人間が書いた、たった一行の不備が、これほどまでに人間を追い詰め、心を壊しかけていた。
仕様書のないこの世界では、その「不具合」はすべて「人間のせい」にされてしまうのだ。
「シュウジさん……! ありがとうございます、本当に……!」
顔を上げた若い作業員が、涙に濡れた顔で叫んだ。
続いて、バルトが大きく一歩踏み出し、俺の細い手をその分厚い両手で包み込むようにして握りしめた。
「あんた……。あんたは、俺たちの命の恩人だ」
バルトの声には、先ほどまでの警戒心や、王都から来た役人への反発など微塵も残っていなかった。
「あんたがいなけりゃ、俺たちは今頃、王都の憲兵に引き渡されて、一生汚名を着せられたまま地獄を這いずっていたはずだ。……ありがとう。心の底から、礼を言うぜ」
掌から伝わってくる、熱を帯びた、そして硬いタコのできた現場の男の手。
王宮で「戦闘能力がない」と捨てられた俺の力が、この異世界の片隅で、絶望していた人間たちを救った。その確かな手応えが、俺の心に深く刻まれる。
* * *
「……やはり、そうでしたか」
行政庁舎に戻り、報告を終えた俺に、セルアスは静かに頷いた。
彼はすでに、バルトの無実と魔導具の改修指示を済ませていた。
「王宮の魔導技師たちは、自分たちが作った仕組みが現場でどう動いているか、興味がないのです。彼らにとって、書類上の『仕様』が完璧であれば、現場で起きる不具合はすべて『使い手の無能』で片付けられてしまう」
「現場の人間は、その『仕様』を信じて死ぬほど苦労してるんですけどね」
俺が皮肉を込めて言うと、セルアスは銀縁の眼鏡を外し、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「シュウジ殿。あなたに解決していただいたギルドと倉庫の件。これらは、このルミナスの街を蝕む病の、ほんの表皮に過ぎません」
セルアスは、机の引き出しから小さな黒塗りの木箱を取り出し、俺の前に置いた。
中には、王家の紋章が刻まれた、深紅の石が埋め込まれた腕輪が入っていた。
「それは『特別監査官』の証です。代官名義の強力な介入権限を付与します」
「……随分と物々しいものですね。ただの雑務係には重すぎませんか」
「今のあなたなら分かるはずだ。現場の叫びを無視し、無意味なルールを押し付ける組織の深部に切り込むには、もはや『雑務係の善意』では足りません。……これを受け取り、ルミナスの街を正していただきたい。まずは、市民からの苦情が殺到している、あの場所から」
セルアスが指差したのは、ここ行政庁舎の一階にある、混沌とした「行政窓口」だった。
「分かりました。……特権をもらった以上、これまで以上に遠慮なく『バグ』を叩かせてもらいますよ」
俺は腕輪を受け取り、手首に装着した。
冷たい石の感触が、これから始まる、より泥沼な「組織のデバッグ」への覚悟を促すようだった。




