第11話 現仕様、承認
都市運河沿いにそびえ立つ、巨大な石造りの塔。
ルミナス支部の「魔導集積炉」は、外見こそ古めかしい砦のようだが、その内部はこの街で最も濃密な魔力が渦巻く、聖域にして心臓部だった。
「これより先は、代官といえども許可なく立ち入ることはできん。ましてや、そのような素性の知れぬ雑務係など論外だ」
炉の入り口に設けられた、分厚い魔導障壁の前。
俺とセルアスの前に立ちはだかったのは、白を基調とした豪奢な魔導衣に身を包んだ、神経質そうな男だった。集積炉の管理を司る魔導師ギルドの幹部、マルファスだ。
彼の背後には、同じような白衣を着た若い魔導師たちが、俺を蔑むような、あるいはセルアスを疎がるような目で睨みつけている。
「マルファス殿。彼はただの雑務係ではない。私が全権を委任した特別監査官、真鍋修司殿だ。この腕輪が目に入らぬか」
セルアスが厳然と言い放ち、俺の手首の腕輪を指差す。
王家の紋章が刻まれた深紅の石が、集積炉から漏れ出る魔力に反応して、不気味に、けれど力強く明滅していた。
「……特別監査官だと?」
マルファスは忌々しげに腕輪を凝視し、それから俺の顔を見た。
戦闘能力を持たず、王都から「外れ枠」として左遷されてきた男。その噂は彼らの耳にも届いているのだろう。マルファスは鼻で笑い、傲慢な態度を崩さない。
「ふん。代官様も焼きが回ったものだ。そのような無能の烙印を押された素人に、我々魔導師ギルドが数百年にわたり守り抜いてきた集積炉の監査をさせるとは。魔導の深淵を知らぬ者に、一体何がわかると言うのだ」
「深淵なんて高尚なものはわかりませんが、不具合の場所ならわかりますよ。マルファスさん」
俺は一歩前に出た。
前職でも、似たような「聖域」を守るベテランエンジニアには何度も遭遇してきた。彼らは自分たちが構築したブラックボックスを神聖視し、外部からの介入を「冒涜」として拒絶する。
だが、その拒絶は多くの場合、自分たちの怠慢や不正が露見することへの恐怖の裏返しだ。
「このルミナスの街は今、魔力不足と重税にあえいでいる。ギルドの滞留、倉庫の消失、水路の逆流……これらすべての事象は、この集積炉の『出力低下』に起因している。……それとも、何か? 中を見せられない『不都合な仕様』でもあるんですか?」
「貴様……! 口を慎め! 出力低下は、水源からのマナの質の低下による不可抗力だ! 我々は寝食を忘れてその調整に当たっているのだ!」
マルファスが声を荒らげる。だが、その声には「自分たちこそが被害者だ」と言わんばかりの歪んだ自負が混じっていた。
俺は視線を外さず、障壁の特定の箇所を指差した。
「寝食を忘れて、ね。……その割には、この入り口の障壁、魔力効率が悪すぎませんか? 誰も本来の実態――現仕様を見ていない。障壁を通すために、本来の魔力波形を無理やり歪めている。その歪みを直すために、さらに外付けの術式を継ぎ足している。……結果として、この障壁を維持するためだけに、出力の一割が無駄に浪費されている。……これ、ただの設定ミスですよ」
「……な、何をデタラメを! これは王都の最高技師が組んだ完璧な術式だぞ!」
マルファスが色をなして反論しようとした瞬間、俺はスキルを発動させた。
『差分解析』
ふっと視界が切り替わる。
本来あるべき「効率的な障壁」の術式と、今目の前で動いている「継ぎ足しだらけの障壁」が重なり合い、その差分が浮き彫りになった。
「あそこの第三節、波形の同期がコンマ一秒ずれている。そのズレを補正するために隣の術式が余計に魔力を食っている。……計算すればわかるはずだ。マルファスさん、あんたほどの実力者がこれを見落とすはずがない。……意図的に、この障壁の維持コストを『高く見せかけて』いませんか?」
「……っ!?」
マルファスの顔から余裕が消え、冷や汗が流れた。
彼の背後にいた若い魔導師たちが、慌ててその点を魔導端末で計測し、一斉に悲鳴のようなどよめきを上げた。
「ば、馬鹿な……! 計測不能のノイズだと思っていた箇所に、これほどの魔力漏れが……!?」
「……素人が。なぜ、それを一目で見抜いた」
マルファスは、もはや蔑むような目はしていなかった。
得体の知れないバケモノを見るような、深い警戒と戦慄が、その瞳に宿っている。
「言ったでしょう。俺はデバッグに来ただけだって。……セルアスさん、許可を」
「行きましょう、修司殿。障壁を開けなさい、マルファス殿。これは代官の、いいえ、王家の命令です」
セルアスの威圧感に圧され、マルファスは震える手で魔導障壁を解除した。
障壁が消えた瞬間、むせ返るような濃密な魔力が、濁流のように俺たちに押し寄せてきた。
*
集積炉の内部は、巨大な洞窟のような空間だった。
その中央には、天井まで届くような、青白い光を放つ巨大な水晶の塊が鎮座している。街全体の魔導インフラの源たる「魔導集積炉コア」だ。
コアからは、網の目のように張り巡らされた魔力供給線が街の隅々へと伸び、脈動しながら魔力を送り出していた。
俺は炉の中央へと歩み寄り、主制御盤の前に立った。
マルファスはまだ、プライドの欠片を守ろうと必死に抵抗を続けていた。
「……中に入ったところで何が変わる。このコアは古代の遺物、誰にも触れられぬブラックボックスなのだ。出力が下がっているのは事実。我々にできるのは、その限られた魔力をどう分配するか……それだけなのだ!」
「分配、ね。……その分配の仕組み、見せてもらいましたよ」
俺はコアへと意識を集中させた。
差分解析によって、集積炉という巨大なプログラムの「本来の仕様」と「現在の挙動」を比較していく。
モノクロームの視界の中で、魔導コアから流れる膨大な魔力が、光の線となって浮かび上がる。
水源からの入力は……正常だ。だが、コアから市内への出力が、不自然な減衰を見せている。
その「消えた魔力」の行方を追うと、コアの深層にある、本来のマニュアルには存在しない隠された「バイパス回線」へと誘導されているのが見えた。
そして、その回線を制御する術式の隅に、小さな「注釈」が刻まれているのを俺の目は捉えた。
(……転送先:カロリ公爵邸・優先供給ライン。※維持費は管理損耗として計上すること、か……)
ご丁寧にメモ書きまで残してくれてるのか。
隠蔽してるつもりで、システムの中には証拠が丸残りだ。
俺は視線を上げ、マルファスを真っ直ぐに見た。
「マルファスさん。……あんた、このコアの中に仕込んだ『カロリ公爵邸』への裏回線、いつから動かしているんです?」
「……っ!? な、なぜその名を……!」
マルファスの顔が劇的に引き攣った。
彼は後退りし、背後の機材にぶつかって大きな音を立てる。その瞳には、もはや隠しきれない動揺と恐怖が溢れていた。
「公爵の名前なんて、この回路のログに嫌というほど刻まれていますよ。あんたが『不可抗力の劣化』だと言っていた三十パーセントの魔力は、全部そっちへ流れている。……ルミナスの住民が夜中に冷たい水を使い、暗い夜道を歩いている間、王都の公爵様はあんたたちが盗んだ魔力で、温かい風呂に入り、豪華な庭園をライトアップさせていたわけだ」
「……違う! それは……我々は、逆らえなかったんだ! 公爵様はギルドの予算を握っている。回線を繋がなければ、この支部の魔導師たちは全員解雇されるところだったんだ!」
「そのために、街全体を犠牲にしたのか? あんたが守りたかったのは『街の魔導』じゃない、自分の『席』だろう」
俺の冷徹な指摘に、マルファスは膝をついた。
彼は技術者として有能だった。だからこそ、この「汚い仕様」を誰にも気づかれないように組み込み、それを隠すために周囲のインフラにまで偽装のパッチを当て続けてきた。
その有能さが、街を窒息させていたのだ。
「セルアスさん。……証拠は揃いました。あとは、こいつらの手でこのバグを修正させましょう。……マルファスさん、立ちなさい。最後に一度だけ、魔導師としての仕事をしろ。王都への裏回線を叩き切って、魔力をルミナスの街へ戻すんだ」
マルファスは、震えながら立ち上がった。
彼は割れた眼鏡を外し、血の滲んだ唇を噛み締め、主制御盤へと向き直った。
「……全魔導師に通達。王都への不当転送術式を、直ちに破棄する。……魔力を、ルミナスの街へ……本来あるべき場所へ還せ!」
マルファスの号令が、集積炉内に響き渡った。
一時間後。
集積炉コアの脈動が、澄んだ、一定のリズムを持った鼓動へと変わっていった。主制御盤のメーターが、数年ぶりに「出力:百パーセント」を指し示した。
*
「……修司殿。お見事でした。あなたがいなければ、この街は永遠に、王都の貴族たちに吸い尽くされていたでしょう」
行政庁舎に戻り、報告を終えた俺に、セルアスは深く頭を下げた。
彼はすでに、魔導師ギルド幹部の拘束と、公爵への糾弾に向けた書状を作成していた。
「ルミナスのあらゆる不具合は、これで解消されました。……ですが、これは始まりに過ぎません。ルミナスで起きていたことは、王国全土のあちこちで起きているはずです」
セルアスは、王宮の紋章が刻まれた、正式な身分証を俺に差し出した。
「真鍋修司殿。あなたを『ルミナス特別領 首席検査官』に任命したい。……王宮での判定は、やはり間違っていました。あなたの 『差分解析』こそ、この歪んだ王国を救う、唯一の力です」
戦闘能力のない「外れスキル」から、都市の全仕様を司る「首席検査官」へ。
俺は、渡された紋章をじっと見つめた。
「……分かりました。ただし、首席になった以上、残業代と現場の協力体制だけは、これまで以上にしっかり確保してくださいよ」
俺が肩をすくめて答えると、セルアスは今日初めて、心底から安心したように笑った。
不具合だらけの異世界。
俺の業務改善――デバッグは、ルミナスを離れ、やがて王国全土という巨大なスパゲティコードへと広がっていく。
現仕様、承認。
首席検査官の仕事は、まだまだ始まったばかりだ。




