第10話 止まらない水路の怪
行政庁舎から少し離れた、都市の西側。そこにはルミナスの生命線である「魔導上水道」の中枢管理施設があった。
運河から引き込まれた水は、ここで巨大な魔導ポンプとバルブによって加圧され、網の目のように張り巡らされた水路を通って街の隅々へと送り出される。
だが、現在その「心臓部」からは、悲鳴のような金属音が響き渡っていた。
「また逆流だ! 第4区画のバルブを閉めろ! このままじゃ加圧塔がパンクするぞ!」
「ダメです、親方! レバーが動かない! 魔導回路が『開放』の信号を出しっぱなしで、物理的な操作を受け付けません!」
施設の中に足を踏み入れると、むせ返るような湿気と、焦げた魔石の匂いが鼻をついた。
床一面に水が溢れ、技師たちが泥だらけになって巨大な真鍮製のバルブに食らいついている。
その光景は、システム障害でパニックに陥ったデータセンターのサーバー室を彷彿とさせた。物理的な「水」が流れているか、目に見えない「データ」が流れているかの違いでしかない。
「セルアス様! お越しいただけたのですか!」
ずんぐりとした体格の、白髪混じりの技師が駆け寄ってきた。水路管理責任者のドーンだ。彼の顔は、過労と焦燥で土気色に染まっている。
「状況はどうだ、ドーン。原因は特定できたか?」
「それが……さっぱりなんです。配管に詰まりはない。魔力供給も安定している。なのに、制御信号だけが狂ったように暴れているんです。第3区画を閉めれば第5区画が勝手に開き、加圧を強めれば下流から水が逆流してくる。まるで、水路そのものに意志があって、俺たちを嘲笑っているようです」
ドーンの声は震えていた。
熟練の職人ほど、自分の経験が通用しない「理不尽な挙動」を恐れる。彼はこの水路を三十年守ってきた。その彼が「意志がある」とまで言うのは、相当に異常な事態だ。
「……意志、ですか。少し中を見せてもらってもいいですか」
俺が口を挟むと、ドーンは不審そうに眉をひそめた。
「あんたは? 見たところ文官のようだが、水路の仕組みを知っているのか?」
「特別監査官の真鍋修司です。仕組みそのものより、その背後で動いている『命令』の不具合を見に来ました」
俺は手首の腕輪をちらりと見せた。ドーンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに「勝手にするがいい。どうせこれ以上悪くなりようがねえんだ」と投げやりに吐き捨てた。
俺は施設の中央に鎮座する、高さ五メートルはある巨大な「主制御水晶」の前に立った。
ここから街全体のバルブへ、魔導的な開閉信号が送られている。
俺は右手を水晶の表面にかざし、意識を一点に研ぎ澄ませた。
『現仕様閲覧』
視界が、一瞬で青白い光の幾何学模様へと変貌する。
施設の床下、壁の裏を走る無数の魔力供給線が、血管のように脈動しながら浮かび上がる。
通常、正常な状態であれば、魔力の信号は「水源から末端へ」と一定のリズムで流れているはずだ。
だが、今の俺の目に見えている光景は、正視に耐えないほど醜悪なものだった。
本来一本であるはずのメイン回線に、いくつもの細い「バイパス」が無理やり継ぎ足されている。
さらに、ある地点で信号が衝突し、火花を散らすように激しく明滅していた。
【要求仕様】
市内各区画の需要に基づき、最適な水圧を維持し、逆流を防止する
【現仕様】
・バルブ制御ID:01〜50(各区画に対応)
・制御信号A:第4区画(低地)への給水
・制御信号B:第12区画(高層区)への加圧
【バグの正体】
過去の改修時、第12区画の新設に伴い、制御IDの「重複」が発生。
誰かが古いID(12)を流用して別のバルブを増設したため、一つの『閉鎖命令』が二つの異なるバルブに同時に届いている。
さらに、老朽化した魔力線の「ノイズ(魔力漏れ)」が隣接する回線に飛び火し、存在しないはずの『逆流許可』という幽霊信号を生成し続けている。
(……これ、ただの『コピペミス』と『絶縁不良』じゃないか。物理的な清掃をいくらやったところで、脳死したコントローラーがバルブを勝手に操作してるんだから、直るわけがない)
「……酷いな。これ、誰が最後にメンテナンスしたんです?」
俺の問いに、ドーンが首を傾げた。
「メンテナンス? そんなもの、十数年前に王都の技師が立ち寄ったきりだ。それ以降は、俺たちが壊れた箇所をその都度、魔力回路を繋ぎ直して凌いできた。……それが何か?」
「繋ぎ直した……。あちこちで回線が隣同士接触して、信号が混ざってるんですよ。おまけに、新しい区画のバルブに、古いバルブと同じ番号(ID)を割り当てた奴がいる。一箇所を閉めれば、別の場所が勝手に開く。あんたたちがやっていたのは、火事にガソリンを注ぐような作業だったんです」
俺が冷淡に告げると、ドーンの顔が青ざめた。
「な、なんだと……!? 俺たちは必死に……街を乾かせないようにと必死にやってきたんだ!」
「その熱意は認めますが、結果としてこのシステムは『脳』が二つあるバケモノになっている。……ドーンさん、第4区画の地下にある第12合流ポイント。あそこの魔力線を物理的に断線させてください。それから、主制御水晶の裏側にある、絶縁が剥げている部分に、魔力遮断の布を噛ませる。それで幽霊は消えます」
ドーンは躊躇した。俺の言っていることは、彼の三十年の経験にはない「未知の修理法」だったからだ。
「魔力線を切る……? そんなことをすれば、街全体の水が止まるぞ!」
「止まりません。別の回線(冗長化ルート)が生きています。それとも、このまま加圧塔が爆発するのを待ちますか? ……セルアスさん、許可を」
俺が促すと、セルアスは一歩前に出た。その瞳は、迷うドーンを射抜くように鋭い。
「ドーン。シュウジ殿は、これまでギルドの停滞を解消し、倉庫の在庫消失の原因を暴いてきた。この街で今、最も『真実』を見ている男だ。彼の言葉に従え。責任は私が持つ」
「……っ。分かった、やってやる! おい、お前ら! 第12合流点へ走れ! 指示通りに線を叩き切れ!」
ドーンの怒号と共に、技師たちが動き出した。
数分後。
――バチンッ!
足元の床下から、何かが弾けるような鈍い音が響いた。
同時に、荒れ狂っていた巨大な主制御水晶の明滅が、ふっと消えた。
施設を揺らしていた金属音が止まり、静寂が訪れる。
それから数秒。
ゴゴゴ、と地鳴りのような音が足下から聞こえ始め、やがてそれは、一定のリズムを持った「水の流れる音」へと変わっていった。
「……落ち着いたのか?」
ドーンが、恐る恐るバルブのレバーに手をかける。
先ほどまで岩のように動かなかったレバーが、吸い付くように滑らかに動き、メーターの針が適正な数値を指し示した。
「逆流が……止まった。各区画の水圧、安定! 魔力回路の暴走も収まりました!」
技師たちの歓喜の声が施設内に響き渡る。
ドーンは呆然としたまま、自分の手と、それから俺を見つめた。
「……あんた、魔導技師でもないのに、どうしてそれが分かった。俺たちが何年も悩まされてきた『水路の機嫌』が、たった二箇所の処置で……」
「機嫌じゃない。ただの論理の破綻です。仕様と実態を合わせれば、道具は正しく動く。それだけのことですよ」
俺は疲労感を隠すように、軽く肩をすくめた。
だが、内心では冷や汗をかいていた。
『現仕様閲覧』で見えたあの「不自然なバイパス」。あれは、単なる老朽化やミスによる継ぎ足しではない。
誰かが、意図的に特定の区画の魔力を抜き取るために作った「裏口」のようにも見えたのだ。
「シュウジ殿。またしても、あなたの目に救われましたね」
セルアスが歩み寄ってくる。だが、彼の顔に笑みはなかった。
「……ええ。ですがセルアスさん、今回の件で確信しました。このルミナスのインフラは、単にボロボロなだけじゃない。誰かが意図的に、この『バグ』を利用している節がある」
「……意図的、ですか」
「窓口のデッドロックも、倉庫の在庫上書きも、今回の水路の逆流も……。どれもが『現場が混乱すれば、裏での不正が見えなくなる』という一点で共通している気がするんです。まるで、街全体が巨大な『偽装工作の舞台』になっているみたいだ」
俺の言葉に、セルアスは銀縁の眼鏡の奥で、瞳を険しく光らせた。
「そこまで見えているのであれば、いよいよ本丸に踏み込む必要がありそうですね。……ルミナスの、そして王国全土の魔力を供給する心臓部。『魔導集積炉』の不審な出力低下。これが、全ての不具合の源流かもしれません」
行政という情報の流れ、水道という物理的な流れ。
それら全ての動力源である「魔力」そのもののデバッグ。
「特別監査官として、最後の仕上げに向かいましょう。……魔導師ギルドが支配する、聖域の闇へ」
俺は、袖の下で微かに輝く腕輪を強く握り直した。
ルミナス立志編、いよいよその核心へと物語は動き出す。




