■第十三話 アルバの食事が変わる
アルバが自治領として動き始めてから、しばらく経った。
道路が整備され。
水路が増え。
倉庫が建ち。
市場も大きくなった。
人口も増えている。
だが。
カイルには、一つ気になっていることがあった。
「……食事が、まだ寂しいな」
昼食の席。
テーブルに並んでいるのは、パン。
豆の煮込み。
塩漬け肉。
干し魚。
野菜のスープ。
もちろん、以前に比べればかなり豊かになった。
飢えることはない。
保存食もある。
肉も魚も食べられる。
だが。
「せっかく材料が増えたんだから、もっと料理を増やしてもいいよな」
カイルは呟いた。
「料理を?」
料理担当の女性が首を傾げる。
「そう。素材そのものを食べるだけじゃなくて、調理法を増やす」
「今でも煮る、焼く、干す、燻す、漬けるなどがありますが」
「もっとある」
カイルは紙を取り出した。
「揚げる」
「揚げる?」
「油で」
「……油で?」
「そう」
カイルは簡単な絵を描いた。
鍋。
油。
そして、魚。
「魚や野菜に衣をつけて、熱した油に入れる」
料理人たちは顔を見合わせた。
「油の中に?」
「そう」
アルバでは、菜種などから食用油を取る技術も発達していた。
それまで油は主に調理や保存、灯りなどに使われていた。
カイルはそこに、新しい使い道を加えようとしていた。
「まず魚で試してみよう」
翌日。
厨房には、大きな鍋が用意された。
中には油。
その横には、小麦粉と水を混ぜた衣。
そして。
エビ。
イカ。
白身魚。
ナス。
カボチャ。
インゲン。
玉ねぎ。
様々な食材が並んでいた。
「本当にこれを油に?」
「そう」
料理人が恐る恐る衣をつける。
そして。
ジュワッ!
油の中へ入れた。
「おお……」
周囲から声が上がる。
衣が一気に膨らみ、白かった衣が徐々に色づいていく。
香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。
「これは……」
「もう少し」
やがて。
カイルが取り出した。
「完成」
皿の上に置く。
表面はサクサク。
中には熱々の魚。
料理人が一口食べた。
「……!」
目を見開く。
「外はサクサクなのに、中は柔らかい……」
「これが揚げ物だ」
次にナス。
イカ。
エビ。
野菜。
次々と揚げていく。
「魚だけじゃないんですね」
「野菜もかなりうまい」
カボチャを食べる。
「甘い……」
ナスを食べる。
「とろっとしている」
そしてエビ。
料理人は無言になった。
「どう?」
「……もう一匹ください」
カイルは笑った。
「気に入ったな」
「これは売れます」
「だろ?」
数日後。
アルバ市場に、小さな店ができた。
『揚げ料理店』
看板には、魚とエビの絵が描かれている。
「いらっしゃい!」
店の前には、すぐに人が並んだ。
「エビを二つ!」
「魚を三つ!」
「野菜も!」
「イカもください!」
油で揚げる音。
香ばしい匂い。
市場を歩く人々が、次々と店へ吸い寄せられていく。
「なんだ、この匂いは?」
「新しい料理らしいぞ」
「うまいのか?」
「食べてみろ」
一口食べた男が目を見開く。
「……うまい!」
その声を聞いた別の客が注文する。
「俺にも!」
あっという間に評判が広がった。
そして。
店は一軒では終わらなかった。
別の料理人が店を出す。
魚専門店。
野菜専門店。
肉料理店。
パン屋。
スープ店。
チーズ料理店。
保存食を使った料理店。
市場には、次々と新しい店が増えていった。
だが。
カイルは、ある問題に気づいた。
「……これ、危ないな」
「危ない?」
料理人が首を傾げる。
「油だ」
カイルは熱した油を見た。
「高温の油は、火がついたら普通の水では消せない」
「水では?」
「むしろ危険になる」
料理人たちが顔を見合わせた。
「それは、どういう……?」
カイルは厨房の隅に置かれた水桶を指した。
「もし油に火がついたとする」
「はい」
「そこへ水をかけたら、水が一気に水蒸気になる」
カイルは手を広げた。
「その勢いで熱い油が周囲に飛び散る」
「……」
「火傷するだけじゃない。火が広がる可能性もある」
料理人たちの表情が変わった。
天ぷらは美味しい。
しかし。
油を大量に熱するということは、それだけ火災の危険も増える。
「じゃあ、どうするんです?」
「まず、油の入った鍋を火のそばに置きすぎない」
「はい」
「鍋を満杯にしない」
「はい」
「油を熱したまま、その場を離れない」
「はい」
「燃えやすい布や木材を近くに置かない」
「分かりました」
「そして、油に火がついた場合の消火方法を決める」
カイルは続けた。
「蓋をする」
「蓋?」
「鍋に合った蓋で覆って、空気を遮断する」
「なるほど」
「それから火を止める。ただし、慌てて鍋を動かさない」
カイルは真剣な顔をした。
「何より重要なのは、油火災に水をかけないことだ」
その言葉を、厨房の壁に大きく書いた。
『油火災に水をかけない』
カイルはさらに対策を進めた。
揚げ物を扱う店には、専用の消火設備を置く。
厨房には火元から離れた場所に消火用の砂や適切な消火器具を用意する。
鍋の周囲には燃えやすいものを置かない。
油の温度を確認する。
料理人には火災訓練を受けてもらう。
そして。
店を開く前に、厨房の安全確認を行う。
「料理を作るだけじゃないんですね」
料理人が言った。
「店をやるなら、火事を起こさない仕組みまで作る」
カイルは答えた。
「美味しい料理を作って、店ごと燃やしたら意味がないからな」
「……確かに」
さらに問題があった。
「油は何度も使っていいんですか?」
料理人が尋ねた。
「状態を見ながらだな」
カイルは油を確認した。
色。
匂い。
煙の出方。
汚れ。
「古くなった油を無理に使わない」
「もったいなくありませんか?」
「健康を考えれば、無理に使う方がもったいない」
使用済み油は濾して状態を確認する。
劣化した油は食用に回さない。
排水口へそのまま流すこともしない。
「油をそのまま水路に流したら、水路が汚れる」
「では、どうするんです?」
「回収する」
使い終わった油を集める容器を用意する。
燃料など別用途に使えるものは再利用する。
使えないものは適切に処理する。
「食事を豊かにするなら、後始末まで考える」
カイルはそう言った。
そして、もう一つ。
「生魚を扱ったまな板で、そのまま野菜を切らない」
「なぜです?」
「食中毒を防ぐためだ」
厨房では、生肉、魚、野菜などの扱いを分ける。
包丁やまな板を洗う。
手を洗う。
調理場を清潔にする。
加熱するものは十分に加熱する。
作った料理を長時間放置しない。
傷んだ食材は使わない。
カイルは、衛生管理の決まりを一つずつ作っていった。
「料理の味だけじゃない」
カイルは厨房を見渡した。
「安全に食べられて、初めて良い料理だ」
料理人たちは頷いた。
こうしてアルバでは。
新しい料理と一緒に、新しいルールも広がっていった。
揚げ物。
焼き物。
煮込み。
パン。
菓子。
乳製品。
保存食。
様々な料理が生まれていく。
同時に。
厨房の衛生管理。
火災対策。
油の管理。
食品の保存方法。
手洗い。
調理器具の洗浄。
食品を扱う人への教育。
それらも整備されていった。
そして、天ぷらをきっかけに。
アルバでは料理人という職業そのものが発展していった。
「エビ四匹!」
「イカも!」
「キスを三つ!」
「ナスを追加!」
市場では今日も注文が飛び交っている。
ジュワッ。
パチパチ。
油の中で衣が弾ける。
香ばしい匂いが市場に広がる。
人々は笑顔で料理を受け取っていく。
アルバの食事は、少しずつ豊かになっていった。
そしてカイルは、揚げたての天ぷらを一つ口に入れた。
「……うまい」
その隣で料理人が笑う。
「カイルさん」
「ん?」
「これ、本当に村なんですか?」
カイルは少し考えた。
「……まだ村だろ」
「人口三千人ですよ?」
「……」
「市場に飲食店が何十軒もありますよ?」
「……」
「港もありますよ?」
「……」
「鉱山もあります」
「分かった」
カイルは箸を置いた。
「その話はまた今度にしよう」
アルバの食文化は、さらに発展していく。
そして。
食料が豊かになるほど。
農業、漁業、畜産、製油、製粉、食品加工、飲食業まで、アルバの産業全体が大きく動き始めていた。




