少年の試み
「純也!そっち行ったぞ!」
「え?」
背中に強い衝撃を受けた。ぐえっ、と純也はそのまま床に倒れ込む。
「よっしゃ!純也ゲット!」
「今日はこいつ役に立たないよ。朝からずっと上の空だもん」
「なんでぇらしくねーなぁ」
ごめんごめんと、背中を抑えて立ち上がりながら純也は敵の外野へ急ぐ。
1時間目は体育だった。得意のドッジボールだというのに、友人の言う通り今日の純也は心ここにあらずだ。
昨日の宮原のことをずっと考えていたのだ。
海の中に入り、泣きながら「死にたい」と言った宮原。
その理由は、おそらく一つしかない。
彼女は昨日入水しようとしたのだろう。
あの時自分が止めていなかったらどうなっていたかと思うと、純也は怖くて仕方なかった。
自分の知らないどこかで、自分の命を自ら絶とうとしている人、または絶ってしまった人がこの世界に数多く存在しているということは人間の共通認識といってもいいほど当たり前であり手に余る事実である。だから深く考えても仕方ない。そのくらいの気持ちでいていい。そう、純也は思っていた。
しかしそれがクラスメイト、ましてや意中の相手のこととなると、もはや他人事ではいられなかった。
あの宮原が、自分の命を…
いったい、なぜなのか。
「純也!大丈夫か?後でエナドリやろうか?スッキリするよ」
試合が終わり休憩をするために壁側に行こうとすると、友人の健が肩に手を回してきた。
「あー、欲しいかも。さんきゅ」
純也はなるべく平常心を装い答える。
その矢先。
「そういえば宮原もさー」
バン。
健の口から突然のその名前が登場し、純也は顔ごと目の前の壁にぶつかった。今日はよく物にぶつかる日だとつくづく思う。
「だ、大丈夫か?鼻血出てない?」
健はたじろぐ。
「な、なに?宮原?宮原がどうした…?」
純也は鼻を抑え、壁に座る。彼の平常心はすでに崩れていた。
「いや…そういえば宮原もよくボーっとしてるよな〜って、言おうとしただけなんだけど…」
健は不思議そうに純也を見ながら、純也の隣に座った。
彼は少し考えてから、純也の背中をバンバンと叩く。
「…まあまあ。宮原が今日休んだのはさ、別におまえが悪いってわけじゃないし、雪下がおまえにいろいろ言われてキレたのだってあいつが調子乗ってんのがわりんだから!いい加減いつもの元気な純也に戻りーや!」
背中を叩きながら、健は彼の特徴である高声とエセ関西弁で純也を激励した。
昨日の朝の時、怜が怖かったのか、健は普段の教室でのうるささとは打って変わって、終始ほかの生徒と同じように気まずそうにそわそわしているだけだった。
おそらく激励は親友である純也が揉めているのに何もできなかったうしろめたさからくる彼なりの純也への謝罪の現れで、突然宮原の話題を出したのもきっかけがその欲しかったのだろう。
純也は感謝したが、叩かれた背中がまだじんじんとしていて、少し笑いが引き攣る。
そして、健の激励で、昨日の朝の宮原を純也は思い出した。
昨日の朝、怜にちょっかいをかけられ、困ったように笑っていた宮原。そんなふうに笑うのはただ単純に元々極度の人見知りだからなんだろうと、自分は彼女を見ていた。
けれど、昨日の下校時、彼女の単純でない一面を見た。
そう、自分は彼女を勘違いしていた。
自分は、宮原の一部しか知らない。
だから、また、昨日のように、自分には到底予期できないようなことを、彼女はするかもしれない。
もしかすると今度は本当に…
はっとして、思わず純也は自身の頬を叩く。
そして、いけないいけない、と心で呟き、前を向いた。
「おっ、気合い入れてんのか?らしくなってきたじゃん」
「まぁな。」
健の言う通りだ。こんな底なし沼にハマっていくような思考をめぐらせて、じとじとしているのは自分らしくない。
健に先程激励されたのもあり、少し目が覚めたようだ。
さて、これからどうしようかと思案した時、純也の中にある考えが浮かぶ。
宮原のことがわからないなら、わかるために行動を起こせばいいのだ。
純也は健に尋ねた。
「健さ、まさか宮原の連絡先わかったりしない?昨日の帰り…じゃなくて、昨日の朝、のことでちょっと連絡したくって…」
健が言う。
「わりぃ、わかんねーや。あいつ浮いてっからな。多分誰も知らねんじゃね?」
「だよなぁ…」
純也は肩を落とす。
しかしその時、あ!そういえばと、健が何かを思い出した。そして彼の発言が、純也に干天の慈雨を降らせた。
「滝沢さん!」
純也の廊下での呼びかけに、涼しげな瞳で振り返る女生徒。
彼女の名は滝沢由香里。鬼のように性格がいいことで純也のクラスで男女問わず人気者の彼女は、その呼びかけに朗らかに応じた。
「長崎くんじゃん。なあに?そんなに慌てて。」
「えっと、ちょっ、ちょっときて!」
「えーなにー?」
人気のない階段沿いに彼女を連れていく。
「ちょっと聞かれたくない話があってさ。ごめんね急にこんなとこ連れ出して」
「え、私襲われちゃう感じ?」
純也は思わず吹き出した。ほぼしゃべったことがない物同士特有の緊張感をほぐすためにあえて冗談を言えるこの心配りは滝沢がクラスで慕われてる理由のひとつだ。
「その…宮原のことなんだけど…」
「あー、めーちゃんのことね」
「へー、めーちゃんって呼んでるんだ」
「そうそう。昔からの友達だからね。」
純也は先程の体育の時の健との会話を思い出す。
滝沢が宮原の小学校からの友人であること。
そして、クラスの誰も知らない宮原の連絡先を唯一彼女だけが知っているらしいということ。
「えっと、滝沢さんってさ。宮原の連絡先知ってる?」
念の為、純也は確認する。すると、はい、っとスカートのポケットからスマホを出してQRコードを見せられた。
「これって…」
「私の連絡先。登録して。めーちゃんの連絡先送るから。昨日の朝、長崎くんとめーちゃんいろいろあったからね。話したいんでしょ?」
その察しの良さとスマートさに、純也は感服した。
「ほら早く長崎くんもスマホ出して。見つかったら先生に怒られちゃうでしょ?あ、もしかして今スマホない?」
「ある、あるよ!マジ滝沢さん神!」
「大袈裟だってぇ」
純也は歓喜のあまりスマホを落としそうになりながら滝沢と連絡先を交換した。
授業開始の鐘が鳴る。
二人で鐘がなる方へ目線を向ける。
「そろそろ教室戻らないとだね。別々に行った方がいい?めーちゃんのことで何か相談してたって勘付かれたら怜とかにまた揶揄われちゃうかも…」
「あー!そうしてくれるとありがたい!」
「じゃ、私先に行くね」
滝沢の後ろ姿を見送る途中、純也は心に引っ掛かりを感じた。
「あのさ、滝沢」
思わず呼び止める。
「何?」
またしても涼しげな瞳をして振り返る滝沢。
少しの間で、純也は考えを巡らす。
こいつは知ってるのだろうか。
宮原の心の闇を。
その闇の深さは、自ら命を断とうとするほどまでに及ぶことを。
いや、詮索はよくない。知っていたとしても滝沢なら口外しないだろう。
なんでもない、と言って純也は再びその姿を見送った。
その日の放課後、滝沢からメッセージが届いた。




