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気になる彼女

※本文の最初の方に流血表現があります。

夕日の光がカーテンの隙間から差し込む部屋。遊び疲れて家に帰る子供たちの笑い声だけが、外から小さく響く薄暗いこの空間。

少年は少女の手首から滴り落ちる血を抑えながら、自分の無力さを呪っていた。


なぜ、こいつはこんなことをするのだろう。

なぜ、こいつは死にたいと嘆くのだろう。

なぜ、自分の声はいつも届かないのだろう。


床に放り出された薄く血のついたハサミを少女から遠ざける力も、少年には残されていなかった。


「もう、こんなことやめてくれ、宮原」


少年は少女の名を力なく呼び、その華奢な体をただ、抱きしめた。



ー2ヶ月前ー



「宮原見てると本当イライラするよねー」

「わかるわー」


とある朝のホームルーム前。教室のど真ん中で、三、四人ほどの女子の集団が口々にとある人物の悪口を言っている。


長崎純也は、その少し離れた席で友人と駄弁りながら彼女たちの会話に眉間にシワを寄せた。


本人に直接言わずに、あえて本人に聞こえるか聞こえないかの声のトーンでギリギリのラインを攻めながら、ターゲットの反応を楽しむ…そういった獲物をいたぶるような彼女たちのやり方を、彼は好ましく思わないのだ。


しかし、触らぬ神に祟りなし。

彼女達の放つオーラの嫌な刺々しさは常々クラスの連中誰もが感じている。その刺々しさを苦手とする生徒がいるということ以外は基本的に仲の良いこのクラスの調和をできれば乱したくなくて、皆あえて黙っている。そんなこのクラスの暗黙のルールに逆らえば異端児として見なされることくらい彼にはわかっていた。

ここは聞こえないフリをするのが最善の選択だ。


しかし今日はその悪口のネタになっているのが「宮原海音」だったから、無関心ではいられなかった。


女子たちが続ける。


「こないだなんかさ、あいつとトイレ掃除一緒だったんだけどさ、バケツの水新しくしてきてって言って水汲ませに行かせたんだよ。そしたらなかなか帰ってこないから見に行ったわけ。あいつ何やってたと思う?」

「え?え?何やってたの?」

「水汲まないで蛇口の前でボーっとしてた。」

「あはは!なにそれ!?面白すぎ!」

嫌な笑い声が教室に響く。


「でさ、なにボーッとしてんの?って聞いたら、慌てて水汲んで、ワタワタしてバケツの水溢しながらトイレに戻っていってさ。水溢したのあいつなのにあたしが先公に怒られて、あたしが床の水拭く羽目になったんだよね。ほんっとイライラする。」

「仕方ないよ。あいついっつもそうじゃん。なんか変なんだよね、基本的に。」


こんな具合に「宮原海音」は彼女たちの悪口のネタになりやすい。


無理もない。彼女の挙動不審ぷりはこのクラスの名物で、他クラスにも知れ渡るほど強烈なものであり、ネタにするには打ってつけの異質さを持つ人物だからだ。


当の彼女は教室の端の席で、なぜか空な目で天井を見つめている。やはり挙動不審だが、それより悪口が本人に聞こえてしまっていないか、純也はそれだけが気がかりだった。


もったいない。せっかく可愛い顔をしてるんだから、もう少し普通にしてればクラスに馴染めるのに…


「純也、聞いてる?また宮原のこと見てんの?」

見惚れていたところ、友人の拓実の声で我に返った。

 

「いやっ…別に見てなんか…」

「いやバレバレだって。おまえ本当宮原好きだよな。」

「べっ別に好きじゃねーし」

「好きだろ。宮原のこといっつも目で追ってるし、会話の中によく宮原出てくるし。」

「……」


言葉に詰まる。

このように指摘されると、恥ずかしさで否定したくなるが、幼稚園からの付き合いである拓実からはお見通しと言ったところか、彼女に空きがない恋愛上級者の彼は初々しいなと言わんばかりの微笑ましそうな笑みでこちらを見ている。


そう、純也は宮原に恋をしていた。中3にして、初恋。

一目惚れだった。何せ皆気づかないが、彼女は顔が良い。そして彼女の挙動不審さも逆に何を考えているかわからなくて彼にとってはミステリアスで惹かれるものがあった。


「とにかく全然好きとかじゃないから。」

再び誤魔化して、純也はもう一度宮原を見る。今度は頬杖をついて窓の外を見ている。何を考えているんだろう。横顔もいいな。サラサラの髪が陽の光に溶けてしまいそうだ。ぼんやりとそんなことを思う。


「あー!長崎が宮原に熱い視線送ってるー!」

甲高い声にビクリとなった。


真っ直ぐにのびたツヤツヤの長い黒髪、ピアス、短い制服のスカート。いかにも一軍女子といった見ための女生徒。そして先程女子集団の悪口の中心となっていた「宮原水こぼし事件」の被害者、雪下怜が自分を指差している。


「な、何が熱い視線だよ!よそ見してただけだし!」

「いや、ガッツリ宮原の方見てたじゃん」

「証拠でもあんのかよ!」

「はいそれ追い詰められたやつが言うセリフー」


純也と怜。

二人の関係もまた小学校時代からの腐れ縁といったところで、怜が純也にちょっかいをかけ、純也がそれに反応する、といったこのようなやりとりはこのクラスではよく見られる光景である。


「あんたら朝から夫婦喧嘩おっ始めんじゃないよ。毎日毎日うるさくてしょうがないんだわ。」

「ほんとよ」

女子集団が二人を茶化す。


「は?こいつと夫婦とか嫌すぎだし。むしろ宮原とこいつのがお似合いじゃね?いっつも見てるもん。」

「だからそんなんじゃねーし!」

皆んなの前で怜に突っ込まれ、純也は拓実に言われた時よりも激しく否定するが、怜に続けて女子集団が今度は純也を肘でつつき始めた。彼女らにとって自分はただのよく吠える子犬でしかないのだろう。

こういう時、純也は自身の小柄さを嘆きたくなる。自身の女子の平均とさほど変わらない体格の悪さは舐められやすくつくづく不利だと思う。ただでさえこのクラスでの自分はすでに単純バカキャラが定着しておりいじられムーブから脱却できないというのに。男なら威厳が欲しいところである。


「まぁでも純也がよそ見してたってのは事実だよ。今日天気いいから休み時間外で何しようとか考えてたんじゃねーの?宮原窓側の席だし。」

拓実が言った。


「まぁ…拓実くんが言うならそうなのかな」

女子集団が言う。さすがモテ男。自分の時とは違い、女子は彼の言うことなら大抵は聞いてしまう。純也は拓実の言葉にそうだそうだと大きく頷く。


しかし、怜は構わず宮原に声をなげる。

「つか宮原はどうなんだよ。いっそ付き合えば?どうせおまえ彼氏いない歴が年齢だろ?」


純也はドキッとして、宮原を見る。


宮原がこういう無茶振りに対応できないキャラなのはクラスの誰もが知っている。そんな彼女はいったい何を答え、どういう反応をするんだろうと、クラスメイトたちに好奇の目を向けられて、宮原は困ったような笑みを浮かべている。教室の端でずっと本を読んでいた生徒でさえ、ページを捲る手を止めて彼女を見ている。

純也は居た堪れなくなった。


怜が更に続けた。

「今長崎フリーだしさ。チャンスチャンス!」


自分は怜に揶揄われるのは慣れてるからいいが、宮原にまで飛び火が行くのは望ましくない。


これまで何度か怜が宮原を揶揄う場面は見てきた。それを調和が乱れるのが嫌で黙って見ているだけだったが、今回は自分が宮原を巻き込んだ責任もあると思い、黙っていられなかった。


言うなら今だ、と思った。


女子集団を押しのけて、純也は怜の前へずいっと顔をだす。

怜は少し萎縮する。


「な、何よ?」

「おまえさ、おれにいろいろ言うのはいいけど宮原にはやめろよ。そういうの嫌なんじゃねーの?あいつ」

「は…?」


クラス全体がシーン、となった。同時にクラスの視線が二人に集まる。


無言で睨み合う純也と怜。その様子に女子集団たちからも笑いが消え、それぞれ顔を見合わす。


「あーあ!変な空気!誰かさんのせいで!」


怜は少し決まり悪そうに悪態をつき、続けて何かぼそっと汚い言葉で捨て台詞を吐きながら、どかっと自分の席に座った。


無鉄砲なクラスメイトの叱責が、一軍女子の機嫌を損ねてしまったと誰もが認識し、気まずい空気が流れた。


早く謝れと、どうにかしろ、と、周囲は純也に軽いヤジを飛ばすが反応のない彼に皆苛立ちを覚える。


そこで鐘がなり、同時にバインダーを持った恰幅のいい中年男性が教室に入ってきた。


「なんだおまえら今日は珍しく静かだなぁ。清々しい初夏の朝だってのに。」


この恰幅の良い男性…彼らの担任の察しの悪さがかえって助け舟を出した、といったところか。彼の登場で空気が一掃され安堵するクラスメイトたち

。生徒それぞれが次々とホームルームの準備をし始める。


「とりあえずおまえも席座れよ。な?」

拓実に声をかけられても純也には聞こえない。

ただ呆然と宮原をみていた。


宮原は伏せてしまっていた。


思うことは一つ。


完全に嫌われてしまった、と。


ポコっと頭に軽い衝撃を受けた。


「おまえがホームルームやるか?」

と、隣でバインダーを持って嘲笑する担任。ハッとして意識を外界に向けると、またしても注目の的だった。


少年は落胆し、静かに席に座った。


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