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黒の福音

「やめ……!

 もう、やめてくれぇ!」


「まだだ!」


 倒れようとするカノの顎を蹴り上げて、無理矢理立たせる。


 そう簡単には寝かせてやらない。


 こいつには、これまでの非道な行いの報いを受けさせねばならないのだ。


「はぁっ!」


「げほぉおおおッ⁉︎」


 カノ・クーガーの身体を突き放し、みぞおちを剣の柄で強かに打ち据える。


 カノは身体をくの字に曲げ、口から吐瀉物をはき散らしながらその場にうずくまった。


 ◇


「ガオオオオッ!」


 そばから狼の声が聞こえてきた。


 イーリィが召喚獣であるウォーウルフのラグを使役しながら戦っているのだ。


 彼女は前衛をラグに任せ、自らも後衛から弓を射って戦っている。


 さすが召喚術士と召喚獣だけあって、イーリィたちのコンビネーションには、はたから見ても隙がない。


「よし、いま!

 突進よ、ラグ!!」


 ラグが隙を見せた相手選手の脇腹に食いついた。


 そのまま持ち上げてぶんぶん振り回し、地面に叩きつけた。


「ぎゃあああッ⁉︎」


「くそ!

 どうなってやがんだ。

 ティト・キュイナさえ罠にはめれば、あとはやりない放題だって言ってたのに……。

 カノのやつ、適当なこと言いやがって!」


「あら?

 余所見していても、いいのかしら?」


 イーリィが引き絞った弦から、矢を放った。


「ぐぇえええ⁉︎

 いでぇ!

 いでぇよぉ!」


 男は肩から矢を生やしたまま、その場にうずくまる。


「グルゥウウウ!」


 そこにラグの強烈な爪撃が炸裂した。


「ぎゃ⁉︎」


 男が吹き飛び、ピクリとも動かなくなる。


 イーリィのほうは、もう相手を倒したみたいだ。


 流石である。


 彼女の華麗な戦いぶりを確認し終えた俺は、再び意識を目の前のカノ・クーガーに戻した。


 ◇


「ひぃい⁉︎

 死んじまう……。

 これ以上やられたら、本当に死んじまうよぉ!」


「……だからなんだって言うんだ?

 俺はお前の悪辣な行いを知っているぞ。

 事故死に見せかけて、イカルガさんを殺したのもお前に、そんな命乞いをする資格はない!」


 縦横無尽にロングソードを振る。


 滅多斬りだ。


 腕に、肩に、脇腹に、太もも。


 俺は目にも止まらない速度で剣を振るい、カノ・クーガーを斬り刻んでいく。


「ぎゃあ!?

 ぎぃゃぁああああああああ!」


「喚くな、このゲス!」


 カノが膝から崩れるように倒れた。


 でも俺はまだそれを許した覚えはない。


 髪を掴んで引きずり起こし、顔がパンパンに腫れ上がるまで殴りつける。


「思い知れ!

 これがティト先輩の受けた屈辱。

 そして心の痛み!」


「ッこひゅッ⁉︎

 やめ……ッ、かっひゅ⁉︎」


 カノが両腕で頭を抱えて震えだした。


「これで、トドメだ!」


「ひぅぃぃッ⁉︎

 ひゃぁぃいッ⁉︎」


 カノを突き飛ばして、剣を振り上げた。


 だがそのとき――


 ◇


「……待っ……て、……く、れ……」


 背後から弱々しい声がかけられる。


 痺れ毒にやられたティト先輩だ。


「……はぁ、はぁ。

 ……ま、待って、くれ。

 ……ユウ……」


「せ、先輩⁉︎

 無茶するな」


 駆け寄って彼女を支える。


 先輩は剣を杖にしながら、苦しげな表情で立ち上がった。


 かなり辛そうだ。


「先輩!

 大丈夫なのか?」


「ふふ……。

 心配させて、すまないな……」


「あとちょっとだけ待っててくれ。

 いま、あいつにトドメをさしてくるから……」


 キッとカノを睨みつける。


「ま、まぁ、待て……。

 なぁ、ユウ。

 私のために憤ってくれるのは、嬉しい。

 けど、やり過ぎだ」


「……先輩」


 言われて気付いた。


 たしかに俺は、怒りに我を忘れてカノを一方的にいたぶってしまっていた。


 これではいけない。


「それにな……。

 トドメの一撃は、私に。

 私に兄さんの、仇を討たせてくれ……」


「……わかった」


 俺はそっと道を譲る。


 ティト先輩が、ゆっくりとカノに近づいていく。


「カノ……、クーガー……」


「ひ、ひゃぁあああああああ!」


「……お前に慈悲を、与える。

 もう嬲られるのは嫌だろう?

 一刀で終わらせてやる。

 なに、殺しはしない。

 だが君をこれ以上、のさばらせるわけにもいかない。

 だから、腕を1本いただくとしよう……」


 先輩が大剣を頭上に持ち上げた。


 恐らく彼女はカノのことを無駄に痛めつけずに、一撃で楽にしてやるつもりなんだろう。


「くるなぁ……。

 くるなよぉおお!

 ……おぇえ⁉︎」


 カノが恐怖で吐いた。


 這いずり回って逃げようとしている。


 まったく、最期まで見苦しいヤツだ。


「……カノ・クーガー。

 これに懲りたらもう、卑怯な真似はやめるんだ。

 そしていつか、きみが死んだときには、あの世で兄さんに詫びてこい」


 先輩が大剣を振り下ろした。


 重厚な刃がカノの肩に食い込み、腕を一本斬りとばす。


「ぎゃぁああああああああ!!」


 カノは絶叫し、口から泡を吹いて動かなくなった。


 ◇


「勝者!

 ロ・ナウ魔法学園!」


 勝利が告げられた。


 しかし観客席は静まり返っていた。


 復讐を終えたはいいが、どうにも後味が悪い。


「……なぁ、ユウ。

 復讐とは、つまらないものだな……」


「……先輩」


 ティト先輩は試合場に倒れ伏したカノ・クーガーをじっと見つめている。


 その表情からは、どんな感情も窺い知れない。


 ――ピクッ……。


 そのとき、倒れたカノの身体が僅かに震えた。


 肩と、斬り飛ばされた腕の切断面から、肉が盛り上がってくる。


「ぐひゅ……。

 くけけ、くけけけけ……」


「な、なんだこいつ……。

 イーリィ!

 先輩!

 まだ終わってない。

 油断するな!」


 カノが幽鬼のようにふらりと立ち上がった。


 その瞳は澱んだタールのように濁っている。


 カノは飛ばされた腕を無造作に拾い上げ、切断面にくっつける。


 すると盛り上がった肉が結合し、腕が再生した。


「なん、だと……。

 斬りとばした腕が……」


「ガルルゥ……!」


「い、いったいどうなってるの⁉︎

 こんな、腕がくっ付くなんて。

 に、人間じゃない!」


 俺たちはあまりの出来事に慄いて、身動きが取れない。


「くひゅっ。

 くけけけけ……」


 カノ・クーガーだった『もの』が、俺たちを眺めて薄笑いを浮かべた。

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