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魔力量C評価のオレは、誰にも本当の実力を知られたくない  作者: 宗3
第一章 『魔術学園への入学』
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1話  『国の未来と森羅万象』

 バスに乗るのは、今日が初めてだった。


 最初のうちは感動していた。座っているだけで景色が後ろへ流れていくのも、見たことのない大きな橋や、どこまでも続く畑が次々と窓の外へ現れるのも新鮮だった。


 その感動は、乗り物酔いによって一時間も経たずに消えた。


 今では吐き気もだいぶ治まり、窓の外を見る余裕も戻っている。もっとも、景色の方にはすっかり慣れてしまった。さっきまであれほど珍しかった山も畑も、今となっては山と畑でしかない。人間の慣れというものは恐ろしい。


 車内には、オレと同じ制服を着た人間がちらほら乗っていた。学園が各地へ出している送迎用のバスらしい。オレの住んでいた地域から入学する人間は少ないのか、空席の方が目立っている。


 ……しかし、暇である。


 やることもなくなり、座席に置いていた学園案内のパンフレットを手に取った。表紙をめくると、いかにも立派そうな言葉が目に入る。


『この国の未来を担う魔術師へ』


「……国の未来、ね」


 ずいぶん大きく出たものだ。


 パンフレットを閉じて窓の外へ目を向ける。街並みはとっくに消え、山と畑の間を細い道路が延びている。この後には星陵魔法学園への入学が控えている。バスに乗るのも初めてなら、学園へ入学するのも初めてだ。初めてづくしの一日である。


 たぶん、今日という日は今後一生忘れないだろう。


 その時、車内に運転手の声が響いた。


「あと一時間ほどで到着します」


 オレは気が狂いそうになった。


 だが、表情には出さない。ここで感情的になったところで到着時刻が早まるわけでもない。残り一時間という現実だけが、何一つ変わらずそこにある。


 とはいえ、暇なのも事実だ。ぼんやり景色を眺め続けるのにも限界があるし、眠ろうにも眠気はまったくなかった。


 仕方ない。今日の日課はもう済ませたが、瞑想でもして過ごすか。何もせず時間を潰すよりは、まだましだろう。


 そう考え、オレは静かに目を閉じた。


「――きて。ほら、起きなさい!」


 そんな声で、オレは意識を引き戻された。どうやら、かなり深く集中していたらしい。


 ゆっくりと目を開け、声のした方を見る。そこには、オレと同じ制服に身を包んだ女子生徒が立っていた。肩のあたりまで伸びた赤い髪を、左右で高く結んでいる。揺れるツインテールはやたら目立つが、不思議と本人の雰囲気にはよく似合っていた。大きな赤茶色の目は、今は呆れたように細められている。


 顔立ちはかなり整っている。黙っていれば、近寄りがたいくらいには綺麗な顔だ。もっとも、眉間にはしっかり皺が寄っていた。


「やっと起きた。もうみんな降りて、先に行っちゃったわよ」


 車内には、もう誰も残っていなかった。オレだけが、最後列近くの席で堂々と眠りこけていたらしい。


「そうか。それは助かった。だが、一つ訂正させてもらう」


「なに?」


「オレは眠っていたわけじゃない。深い瞑想状態に入っていただけだ」


 礼は言う。しかし、眠っていたと誤解されたままなのはなんとなく癪だった。


 女子生徒は一瞬、きょとんとした顔になった。


「……じゃあ、その涎はなんなのよ」


「……」


 オレはゆっくりと口元へ手をやった。指先が湿っていた。視線を落とす。制服の胸元にも、しっかりと涎の跡がついている。


 うわ、汚ねえ。


「どうやら寝ていたようだな」


 女子生徒は、はぁ、と深いため息をついた。まるで、拾ってきた野良犬が部屋の中で粗相をした時のような目でオレを見ている。


 しかし、困った。ティッシュもハンカチも、学園に着いてから調達すればいいと思っていた。まさか入学初日に、制服へ垂らした涎を拭くために必要になるとは考えていなかった。


 何か使えそうなものがないか鞄を漁っていると、不意に目の前へ白いハンカチが差し出された。


「……ほら。これ使いなさい」


 女子生徒が、少しだけ顔を背けながら持っている。


「いいのか?」


「ええ。でも、あげるわけじゃないから。ちゃんと洗って返してよ」


 オレはハンカチを受け取った。涎を拭くために他人のハンカチを使うことには多少の抵抗があるが、渡した本人が構わないと言っているのなら、ここで遠慮する方が失礼だろう。ありがたく使わせてもらうことにした。


「……ほら。拭き終わったなら、私たちも早く行くわよ」


 女子生徒はそう言うと、こちらの返事も待たずにバスを降りていった。オレも鞄を持ち、慌ててその後を追う。


 口調はきつい。だが、寝ているオレを起こしてくれた上に、涎まみれの制服を拭くためのハンカチまで貸してくれた。案外、悪い奴ではないのかもしれない。


 バスを降りた途端、目の前の景色が一気に開けた。


 正面には石造りの巨大な門がそびえ、その上には金色の文字で星陵魔法学園と刻まれている。門の向こうには広大な敷地が広がり、その奥には城と見間違えるほど大きな校舎が建っていた。白い壁に赤い屋根。何本もの塔が空へ伸び、その窓には魔力灯らしき光が浮かんでいる。


「……でかいな」


 思わず声が漏れた。


 校舎の左右には寮らしき建物がいくつも並び、その先には店が軒を連ねる通りまで見えた。食堂らしき大きな建物もある。


 学園の中に街がある。


 そんな言葉が、一番しっくりくる光景だった。


 さらに離れた場所には、広い運動場のようなものがある。ただし、普通の運動場ではない。地面には巨大な魔法陣が刻まれ、周囲を分厚い壁が囲んでいた。おそらく魔法の訓練場なのだろう。火を放とうが、風を巻き起こそうが、多少の爆発が起ころうが問題ないように作られている。


「何、ぼーっとしてるのよ」


 前を歩いていた赤いツインテールの女子生徒が振り返った。


「いや。想像していたより、ずっと大きいと思ってな」


「当たり前でしょ。ここは、この国屈指の魔術学園なんだから」


 彼女は当然のことのように言った。


 パンフレットにも似たようなことは書いてあったが、文字で読むのと実際に見るのとではまるで違う。校舎だけでなく、寮も店も訓練場もある。本当にここだけで生活が成り立ちそうだった。


 門の外へ目を向ける。学園の敷地を囲むように、深い森が広がっていた。背の高い木々が何重にも並び、その先はほとんど見えない。さっきまでバスが走っていた道も、振り返れば森の中へ消えている。


 まるで、この学園だけが外の世界から切り離されているようだった。


「この森、ずいぶん深そうだな」


「勝手に入らない方がいいわよ。迷う人が多いらしいし、魔獣も出るって聞いたことがあるから」


 女子生徒はオレの視線の先を見ながら、少しだけ声を低くした。


「まあ、結界が張ってあるから、森から学園の中まで出てくることはないみたいだけどね」


 その瞬間、背後で低い音が響いた。


 振り返ると、巨大な門がゆっくりと閉じ始めていた。重たい扉が、外に広がる深い森を少しずつ隠していく。木々の隙間から見えていた細い道も、最後には完全に消えた。


 がしゃん、と門が閉じる音が、妙に大きく聞こえた。


 オレはしばらく、その門を見つめていた。学園の中では、新入生たちの話し声があちこちから聞こえる。これから始まる生活への期待や不安が、騒がしい空気の中に混じっていた。


 けれどオレには、そのどれもが少し遠く聞こえた。


「ねえ。ところであなた、なんて名前なの?」


 背後から飛んできた声に、意識を現実へ引き戻された。振り返ると、赤いツインテールの女子生徒が、不思議そうな顔でこちらを見ている。


「もりらばんぞうだ」


「……もりらばんぞう? それ、どういう字を書くのよ」


「森羅万象」


「そんな変な名前の人間いるわけないじゃない」


「それは、もりらばんぞうに失礼だろ。謝ったほうがいいぞ」


「なんで、もりらばんぞうに謝らなくちゃいけないのよ」


「だからオレの名前だって言ってるだろ」


「……ごめんなさい」


「ちなみに嘘だ」


「……」


 特に深い意味はない。なんとなく口から出ただけだった。


 赤いツインテールの女子生徒は、こめかみを押さえながら深いため息をついた。


「なんとなく、あんたの扱い方が分かってきた気がする」


「今さらだな」


「まだ会って数分よ」


「濃い時間だった」


「そういうところよ。それで、本当はなんて名前?」


「桐原朔也だ」


「私は二見華憐。……最初からそう名乗りなさいよ」


 女子生徒――二見は、呆れたように息を吐いた。


「まあいいわ。今後よろしくするかは分からないけど、一応よろしく」


「ああ。よろしく、二見」


 その時、前方から大きなざわめきが聞こえてきた。


 視線を向けると、広場の一角に新入生らしき人間が集まっている。人だかりの中心には石造りの大きな掲示板があり、何枚もの紙が貼り出されていた。おそらく、クラス分けだろう。


「あそこにクラスが書かれてるみたいね。それじゃあ、私は先に行くわ」


 二見は掲示板の方へ目を向けると、そのまま赤いツインテールを揺らしながら人混みの中へ入っていった。


 どうやら、オレとよろしくするつもりは本当にないらしい。


 少しだけ悲しい気持ちになった。そう、ほんの少し。オレも後を追おうとしたが、その前に目元を袖で拭った。


「……いかん。雨が降ってきたな」


 空は、どこまでも晴れていた。

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