序章 筋肉の地殻変動、翠嶺国という名の奇跡
大陸の歴史は、常に血と鉄、そして飽くなき覇権の奪い合いによって紡がれてきた。魏、呉、蜀の三つの巨大な勢力が互いの領土を削り合い、数多の英傑たちが戦場に散っていく。それが、中原の誰もが信じて疑わなかった乱世の理であった。しかし、その理を根底から覆す、前代未聞の地殻変動が大陸の辺境で巻き起こっていた。中原の遥か南西、峻険な山々に囲まれた架空の小国が存在する。その名を「翠嶺国」という。 旅人が遠方からこの国を望むとき、誰もが「なんと緑豊かな、美しい山脈が連なる平和な地だろうか」と感嘆の息を漏らす。だが、それはあまりにも哀れな誤認であった。翠嶺国を囲むその山脈の正体は、豊かな自然などではない。国境線に沿って整列し、背中の筋肉を極限まで広げた英傑たちの「広背筋」そのものだったのである。右を見ても左を見ても、恐るべきバルク(筋肉の体積)を誇る巨漢たちが、鬼の形相で背中を誇示している。彼らの広背筋が折り重なり、互いに盛り上がり、巨大な壁を形成している様子が、遠目には緑豊かな嶺に見えていたに過ぎない。これこそが、この国の真の姿。世界で最も密度の高い、筋肉の聖地であった。「うむ……今日の広背筋の山並みは、少しカッティングが甘いわね」翠嶺国の中心にそびえ立つ白亜の宮殿。その最上階にある豪奢なテラスで、一人の美しい女性が、退屈そうに小さなあくびを噛み殺していた。彼女の名前は麗蓮。この翠嶺国を統べる姫であり、大陸全土の男たちを狂わせる、神罰レベルの美貌を持つ絶世の美女である。かつて中原の歴史を暗黒に染めた暴君・董卓が、自らのあらゆる贅を尽くして築き上げた要塞「郿塢」に、ひっそりと、しかしあまりにも気高く咲き誇った大輪の蓮、彼女の美しさは、まさにその再現であった。高貴で、冷涼で、触れる者すべてを拒絶するような絶対的な美。 その麗蓮姫が、薄紅色の唇をわずかに開き、気だるげに言葉を紡ぐ。
「奪い合いなさい。勝ったものに、この麗しき私を捧げます」
その一言が、中原に届いた瞬間、歴史の歯車は完全に破壊された。戦火に明け暮れていた三國の英傑たちは、持っていた槍を投げ捨て、自慢の愛馬を放流し、重々しい鎧を剥ぎ取って、一斉に翠嶺国へと大移動を始めたのである。「天下を統一する? そんな虚しい名誉のために戦うなど愚の骨頂。麗蓮姫の視線を一瞬でも勝ち取ることこそが、男として生まれてきた唯一の証明ではないか」英傑たちの価値観は、姫の美貌によって完全に書き換えられた。彼らにとっての「強さ」とは、もはや兵の数でも、武器の鋭さでも、策略の巧みさでもない。姫の瞳に映るにふさわしい、圧倒的な「バルク」と「筋肥大」の美。ただそれだけが、この国における絶対的な正義となったのである。かくして、三國志の英雄たちは武器を捨て、己の肉体のみを研ぎ澄ますために翠嶺国へ移住した。かくして、三國志の歴史は、麗しき一人の姫を巡る、最も熱く、最もシュールな「筋肉の饗宴」へと姿を変えて動き出したのである。




