第32話 そうだ、聖域に踏み入ろう!
大広間が、爆発した。
「ふざけるなッ!!」
最初に叫んだのは、白銀の明星のギルドマスターだった。片腕の男が椅子を蹴って立ち上がった。
「カネスキさんがいなかったら俺たちは今でも路頭に迷ってたんだッ! 勇者様を連れていくなんて許さねぇ!!」
その声に呼応するように、傍聴席のあちこちで冒険者たちが立ち上がった。
「そうだッ! カネスキ様は俺たちの手取りを増やしてくれた恩人だぞ!!」
「節税の知識がなかったら、俺は今頃借金で首が回らなかった! 恩人を犯罪者扱いするなッ!」
フランチャイズギルドの冒険者たち。黄金の天秤から節税を学んで、自分たちの人生を立て直した連中だ。
次に動いたのは市民だった。
「勇者様は孤児を50人も引き取ったのよ!? そんな方が犯罪者なわけないでしょう!!」
「株だって! ちゃんと配当も出てるじゃないの! 私たちに投資の機会をくれた人なのよ!?」
「税務省こそどうなのよ! ネンキンは85歳まで出さないくせに、庶民からはガッポリ搾り取ってッ!!」
最後の一言で、空気が完全に変わった。
もはやカネスキの贈賄の話ではない。市民の中に溜まっていた税制への不満――ネンキン、ショトク税、冒険者ホケン、チイキフッコウ税――あらゆる怒りが一気に噴き出していた。
「税務省が悪いんだ!!」
「税金が高すぎるからこうなるんだろ!!」
「ダーツとかいう野郎こそ出ていけッ!!」
衛兵たちが動揺している。市民が詰め寄ってきている。書記官が書類を抱えて後ずさった。
ダーツは動かなかった。
傍聴席を見回して、一つ息を吐いた。
「……やれやれ。厄介なことになりましたね」
その一言には、苛立ちではなく、疲れたような響きがあった。
この男は怒らないのだ。正しいことをして恨まれても、怒らない。淡々と事実を述べて、淡々と仕事をする。
……だからこそ、俺はこいつに勝てなかった。
ダーツは衛兵に目配せした。
「カネスキ殿の身柄を確保したまま、速やかに退出してください。混乱を拡大させないように」
「は、はいッ!」
衛兵に両脇を固められたまま、俺は大広間の裏口から外に出された。
背後で市民たちの怒号がまだ聞こえている。「勇者様を返せ!」「税務省のクソ野郎!」「カネスキ様は英雄だぞ!」
……俺は犯罪者だ。贈賄をした。それは紛れもない事実だ。
なのに市民が俺を守ろうとしている。俺が脱税のためにやった善行の副産物が、今この瞬間に俺を庇っている。
変な気分だった。嬉しくはない。ただ、喉の奥が詰まるような感覚があった。
◇ ◇ ◇
留置場。
冷たい石の床。鉄格子の窓。薄暗い独房。天井の隅に蜘蛛の巣。
……さて整理しようか。
今、俺たちの悪行は何がバレて、何がバレていないんだ?
贈賄はバレたな。動かぬ証拠も抑えられている。金貨と紋章入りの革袋とゴーマンの証言。全く間抜けな話しだが言い逃れはできない。
闇市ルート。売上の過少申告は疑われている。だが闇市の取引は記録に残らない。ジーコの頭の中にしかない数字は押収のしようがない。セーフ。
ペーパーギルド。実態がないことはほぼバレた。2週間の猶予をもらったが捏造は不可能。ここは追徴課税を食らわざるを得ない。
インサイダー。法律がない以上、違法とは言えない。ダーツもそう認めた。だが市民の前で手口を晒された。信用は傷ついた……と思ってたけど、実際どうなんだろう。法廷での反応を見るにそこまで地に堕ちたというわけでもないらしい。
フフフフ。日頃の行いですネ⭐︎
で、次に株式全般。配当課税の法整備はまだ完全に整っていないので……ここも直接の罪にはならないはずだ。
つまり――致命傷は贈賄だけ。
……だが、それで「助かった」と思える状況じゃない。
公衆の面前で帳簿の矛盾を暴かれた。ペーパーギルドの実態がないことを示唆された。インサイダーの手口を市民に知らされた。
ダーツは「脱税の証拠」を出せなかった。だが「勇者カネスキは怪しい」という印象を、数百人の前で焼き付けたのだ。
……これが、あの男のやり方か。
俺の多大な人気とカリスマ性のおかげで、今すぐは有罪にできそうにないが、次の調査の地ならしは確実にしてきた。毎月の定期調査が始まれば、今度こそペーパーギルドも闇市も全部暴かれるちゃうんだろうなァ〜
……あれ、これ詰んでね?
脱税だけじゃ、もう無理だ。
◇ ◇ ◇
2日目の夜。
独房の鉄格子の向こうに、影が立った。
「カネスキ」
ジーコの声だった。
「……よう。差し入れはあるか」
「酒は持ち込み禁止だ」
「最悪だな留置場」
軽口を叩いてみたが、声に力がなかった。
「3日後に釈放される見込みだ。贈賄の罰金500万リーフ。あと毎月の定期調査が課される」
「毎月……」
「ダーツが直接来る。帳簿を全部見る。もう誤魔化しは効かない」
「…………」
「ペーパーギルドの架空経費も追徴対象になる。金額はこれから計算するが……相当な額になるだろうな」
ジーコの声は淡々としていた。だが鉄格子越しでもわかる。こいつも限界だ。
「……ジーコ。すまなかった」
「何がだ」
「ゴーマンの件。お前は止めようとしたのに」
「……止めきれなかった俺も同罪だ」
ジーコが鉄格子に背中を預けた。
「ただ、一つだけ朗報がある」
「?」
「大広間の後、市民が税務省の前で集まった。数百人規模だ。『勇者を返せ』『税制を改革しろ』。暴動未遂で衛兵が出動する騒ぎになった」
「……マジかよ」
「マジだ。コーダが子供たちを避難させてる間にも、フランチャイズギルドの冒険者たちが税務省に押しかけてた。ネキーンが止めに入ったらしいぞ」
「……爺さんが?」
「『お前たちが捕まったら誰が稼ぐんじゃ。帰って冒険しろ』と」
……あのジジイ。説得の理由がめちゃくちゃだ。だがそれで冒険者たちが引いたらしい。ネキーンの言葉は、理屈じゃなくて重みで人を動かす。フッ……さすが54年やってきただけはあるな。
「あと、ダイカンも裏で動いてるらしい。カネスキの釈放手続きを早める方向で、貴族のコネを使ってると報告が来ていた」
「……あの男、やは同じ穴のムジナ……こういう時は本当頼りになるぜ! あとでたんまりお礼しなきゃな!」
ジーコが鉄格子越しに振り返った。
「カネスキ。脱税は、もう限界だ。ダーツがいる限り、何をやってもバレる。あいつは金で動かない。騙せない。出し抜けない」
「わかってる」
「……じゃあ、どうする」
俺は独房の天井を見上げた。
石造りの天井。染みが一つ。蜘蛛の巣が揺れている。
前世で追徴を食らった時のことを思い出した。あの時は、全部終わったと思った。実際終わった。借金が膨らんで、消費者金融に手を出して、過労と心臓発作で死んだ。
だが今は違う。
守るものがある。
コーダと子供たち。ネキーンとジーコ。カネスキッズ62人。フランチャイズのギルドマスターたち。俺を信じて株を買った市民。税務省の前で暴動を起こしかけた馬鹿ども。
俺が倒れたら、全部崩れる。
……なら、倒れるわけにはいかない。
脱税が無理なら、脱税じゃない方法で税金から逃げる。
税金が「かからない」仕組みを作る。
前世の知識が蘇る。
宗教法人。公益法人。NPO。
一定の条件を満たせば非課税になる。収入も。土地も。建物も。寄付金も。
非課税。合法的に、税金がゼロになる世界。
ダーツの帳簿が追いかけてこられない場所。
「ジーコ」
「何だ」
「この世界に、非課税団体ってあるか」
「……宗教法人なら、収益事業以外は非課税だ。教会がそうだろう」
「教会か。……あの、俺たちの報酬にはがっつり課税するくせに自分たちは非課税でウハウハやってる、あの教会か」
「そうだ」
俺は立ち上がった。
独房の中で、拳を握った。
「……作るぞ」
「何をだ」
「宗教法人だ。俺たちの教団を作る」
ジーコが黙った。
鉄格子の向こうで、こいつの目が変わるのがわかった。帳簿をいじる時の目。新しい仕組みを設計する時の目。
「……お前、今回もマジで言っているらしいな」
「あたりまえだ。脱税・節税ではダーツに勝てない。というかそういう法律だしな。それは認めよう」
俺はジーコの目を見た。
「だが、負けたのは脱税の勝負であって、税金との戦争じゃない。戦場を変えるだけだ。脱税から非課税へ。ダーツが追いかけてこられない、文字通り『聖域』に踏み入る」
「……教団、か」
「ま、具体的なことはこれから考えるとして〜……とりあえずここから早く出してちょうだい! ションベン臭えメシはもう懲り懲りだぜ」
ジーコが鼻で笑った。今日初めてこいつが笑うのを見た気がする。
「3日待て。俺たちでどうにかしてやる」
ジーコの足音が遠ざかっていく。
俺は独房の壁にもたれた。
石壁が冷たい。だが、頭の中は燃えていた。
ダーツ・ゼイ・キライ。
お前には負けた。今回は。
だが次は負けない。お前が帳簿をめくっても、数字を睨んでも、令状を振りかざしても、手が届かない場所に俺は行く。
税金のかからない世界。非課税の聖域。
そこに、教団を建てる。
……フッ。
牢屋の中で新しいスキームを思いつく勇者。
我ながら、ロクな死に方しないんだろうな……それも一興か。
◇ ◇ ◇
――同じ頃。
王国税務省。臨時執務室。
ダーツは調査報告書を書いていた。
窓の外では、まだ市民の残り火がくすぶっている。抗議の群衆は衛兵によって解散させられたが、怒りは消えていない。街のあちこちに『勇者を返せ』の落書きが残っていると報告があった。
「ゴーマン調査官、収賄で懲戒免職。勇者カネスキ、贈賄で罰金2000万リーフ」
報告書にペンを走らせる。
「脱税の直接的証拠は、確保に至りませんでした」
悔しさは、ない。
予想通りだった。闇市ルートの証拠は掴めなかった。ペーパーギルドの架空経費は追徴課税で対応するが、核心には手が届いていない。
だがそれ自体、大した問題ではない。
毎月の定期調査が始まる……もう彼らに逃げ場はないのだ。
ダーツはペンを置いて、窓の外を見た。
夕日が税務省の建物を赤く染めている。
「カネスキ殿」
静かに呟く。
「脱税は、もうできないでしょう。あなたは頭がいい。もう気がついているはずです。ならば、次は何をしますか」
ダーツは引き出しから一冊のファイルを取り出した。
先月、個人的に取り寄せておいたものだ。
ダーツは要件書をめくった。
全てのページに目を通してから、ファイルを閉じる。
「楽しみにしていますよ、勇者殿」
窓から差す夕日が、ダーツの眼鏡に反射して光った。
ここまでで第1章「節税・脱税編」は終わりになります!
次話から新章「宗教法人編」開始ッッッッッ!!
――乞うご期待




