第296話 甘夢
最近のリクレールは、悪夢を見ることがほとんど日課になっていた。
それは、捌いても捌いても減る気配がない仕事が押し寄せる夢だったり、過酷な訓練や厳しい罰を課したせいで、訓練の途中で死んだ傭兵たちの恨みがましい顔だったり、東帝国で幾度も浴びた嘲笑のまなざしだったり…………何もかもが、リクレールの安眠を妨げようと、夢に現れては彼を悩ませていたが、その都度夢にまでエスペランサが駆けつけ、湧き出る悪意を片っ端から斬り捨てていった。
おかげで、リクレールは何とか睡眠不足になることはなかった。
しかし…………この日の夜リクレールが見た夢は、いつもと様子が違った。
(あれ、ここは……)
とても、懐かしい気配がした。
まるで陽だまりの中にいるような心地よさの中、リクレールは優しさそのものに包まれているかのように、ふわりとしたそれに抱かれていた。
落ち込んだ時、怖かった時、いじけた時……数えきれない位くらい、こんなふうに優しく抱きしめてもらった。
そして、もう二度と、こんな安らぎは得られないと思っていたのに……
「リクレール、よく頑張ったわね。大丈夫、大好きなお姉ちゃんがいるから、今はゆっくり休んで」
(マリア、姉さん……)
今でもしっかり心に残っている、世界で一番大好きだった人の声が聞こえたことで、リクレールは改めて確信した。
戦場で亡くなったはずのマリアに、まるで子供をあやすように、優しく抱きしめられている。
(ああ……これは夢か)
リクレールはすぐにそう理解したが、同時にこの夢から覚めたくないとも思っていた。
もう、二度と見られないと思っていた最愛の人の顔……もう二度と聞くことができないと思っていた優しい声音。
残念ながら、陽だまりのような温もりや、甘えたくなる香りを感じることはできなかったが……たとえ夢の中だけの幻であっても、リクレールにとっては十分だった。
現実の何もかもを投げ捨てて、ずっとこのまま、意識が消えるまで甘えたままでいたい。
そうすることができれば、どれほど幸せなことだろう。
(けど、夢ならいつか目覚めないと。僕は、大勢の人を守らなきゃいけないのに……)
「偉いわ、リク……立派になったのね。お姉ちゃんは嬉しいわ。これからも……お姉ちゃんはリクのことを見守っているからね」
(見守ってくれる……姉さんが)
「だから、今はたくさん甘えて、しっかり休むのよ」
(うん……おねえちゃん)
心地よい夢の中でゆっくり目を閉じて、今は亡き姉の幻に全てを預け、一時の幸せに浸るリクレール。
彼は気づいていないが、この様子を遠くから見つめる者がいた。
『主様……』
艶やかな黒髪に、裸の上からローブを纏った妖艶な美女――――エスペランサが、まるで自分が大切にしているものを奪われたかのような、嫉妬と怒りが入り混じった瞳で、じっと抱き合う二人を見つめていた。
『人は……悪意に耐えられても、快楽に耐えることはできない……主様の深層心理が、お姉様を呼び起こしたのでしょうか。このままでは主様が、夢から戻って来られなくなるかもしれませんわ』
エスペランサとしては、主であるリクレールの妨げになるのであれば、彼が愛する姉の幻影であっても真っ二つにしてしまいたいのだが、そんなことをしては、リクレールとの信頼関係が瓦解することは目に見えている。
今のエスペランサにはリクの力が必要な以上、気配を消して遠巻きに眺めるほかなかった。
だが……
『あら、この気配』
エスペランサはふと別の気配を感じたことで、この甘く優しすぎる夢が終わりを迎えようとしていることを感じ取ったのだった。




