地球外知的生命体的単騎行
変異体管理局、臨時本部。
またの名を、竜ヶ崎全司郎邸宅。都心の一等地を無造作に切り取ったかのような広大な敷地内には、海上基地から追い出された人員や機材が詰め込まれていた。
手間と時間と金を存分に掛けられた日本庭園には、各種機材を繋ぐケーブルが血管のように這い回り、四方八方から強烈な水銀灯が浴びせられ、高い漆喰塀の周囲は百人近い自衛官と多数の戦闘車両に取り囲まれている。
敷地に見合った広さの屋敷の母屋では生活感の欠片もない居間に管制室が再現され、通信機器の前ではオペレーターの女性達が座布団を敷いて関係機関と情報をやり取りしている。屏風のようなふすまは外されて無造作に部屋の隅に追いやられ、畳の上には重たい機材が載せられ、白衣の研究員達が屋敷の中を忙しく立ち回っている。政府の人間も多く出入りしており、何はなくとも騒がしかった。
夜空を通り過ぎる報道機関のヘリコプターを見上げながら、ガニガニは思い悩んでいた。変異体管理局から局員が全員退去したばかりか、関東一円の住民に避難命令が下され、政府が非常事態宣言を発令するほどの事態を引き起こす大事の一因を作ったのは自分だからである。
多次元宇宙空間跳躍能力宇宙怪獣戦艦こと、ワン・ダ・バが動き出したのは、もちろんゾゾがワン・ダ・バを蘇生したからだろう。変異体管理局内で竜の首と紀乃らの警戒に当たっていたガニガニは、本来の生体組織とワン・ダ・バの生体組織が混ざっているため、ワン・ダ・バの生体活動が活性化したことも感じ取り、長年の空腹で損なわれた神経伝達物質を補うために珪素回路である電影の代わりに小松の脳を使用していることも、外骨格の内側をなぞる感覚で理解していた。しかし、ワン・ダ・バが動き出したというだけで、竜ヶ崎全司郎が交戦姿勢を緩めてくれるとは考えにくい。
ワン・ダ・バの東京湾襲来に合わせて変異体管理局側の体勢を崩さなければ、竜ヶ崎は引き下がらないだろう。そう踏んだガニガニは、虎鉄と芙蓉と竜の首が隔離されている格納庫に近付き、ヒゲの尖端で鉄骨に触れた。支柱に手錠を掛けられている虎鉄の電磁手錠からバッテリーの電力を抜き取ると、それから間もなくして能力を取り戻した虎鉄が暴れ始めた。そして、芙蓉と竜の首も自由を取り戻し、局員や自衛官を叩きのめし、竜ヶ崎の自室にいた紀乃も救い出してくれた。
結果、この国はえらいことになってしまった。ガニガニはヒゲと触角を交互に動かして平静を装っていたが、内心、内臓が煮えるかと思うくらいに緊張していた。もしも、人間達にガニガニの謀反がばれてしまったら、ガニガニは一体どうなってしまうのだろうか。厳罰を喰らうのか、それともインベーダー側に戻されるのか、もしかしてカニ鍋なんかにされちゃうのか。嫌な想像ばかりが頭を巡り、ガニガニは不安に駆られてがちごちと顎を強く鳴らした。
不意に、正面玄関が騒がしくなった。竜ヶ崎邸の正面に配置されていたガニガニは巨体を伸ばし、塀の向こう側を見下ろすと、検問も警備の自衛官も蹴散らす勢いで黒のジープラングラーが爆走してきた。正面の門に突っ込んだヘッドライトが真っ直ぐに日本庭園を切り裂き、太いタイヤに踏み潰された玉砂利が飛び散る。
石畳や芝生のせいでブレーキングが甘くなってしまったのか、盛大にドリフトして半回転したジープラングラーは、庭木に追突する寸前でようやく制止した。直後、運転席のドアが弾かれるように開き、サイボーグの男が登場した。
『丈二兄ちゃん!?』
驚いたガニガニが手近な拡声器にヒゲを接触させて喋ると、山吹丈二は軽い調子で挨拶してきた。
「ちょい久し振りっすねー、ガニガニ」
「わー、ジョージーなんさー! でも、なんでジョージーに臨時本部の場所が解ったんさー?」
塀の右側を警戒していた電影が駆け寄ってくると、迷彩柄の戦闘服姿の山吹はにやりとした。
「俺はサイボーグっすから、その辺はどうにでもなるんすよ、どうにでも。暗号化されているものとはいえ、通信電波はじゃんじゃん飛び交っているっすから、発信源を辿れば一発っすよ、一発。ついでに言っちまえば、報道のヘリがカトンボみたいに飛び回っているっすから、昼間のうちにアタリを付けておいたんす。んで、夜になれば明かりが付くっすから、そこを目指してきたんすよ。どうっすか、凄いっすか?」
「わー、ジョージー、でーじ凄いんさー!」
両手を挙げて電影が褒めると、ガニガニも釣られて頷いた。
『言われてみればその通りだけど、なんか凄いね!』
「敵地に単身で放り込まれるという絶対的不利な状況を生き延びたばかりか、自力で同胞と合流した俺の判断力をブッ千切れるほど褒めてほしいっすけど、まずはむーちゃんの無事を確かめなきゃならないんす。どこっすか?」
山吹は二人に近付き、尋ねた。ガニガニは電影と一度顔を見合わせてから、山吹を見下ろした。
『秋葉姉ちゃんなら、別の場所に行ったよ』
「……へぁ?」
山吹は臨時本部に秋葉がいると信じて疑わなかったのか、声を裏返した。
「そ、そうなんさー。だからー、ジョージーはそっちに行くといいんさー。ここは手が足りているんさー」
電影はガニガニを押し退けて前に出ると、山吹にずいっと顔を寄せた。
「そうっすか。んで、むーちゃんがいるのはどこの場所っすか? 近場の駐屯地っすか、そうでなければ近隣住民を掻き集めた避難所っすか、もしかして政府に説明のために呼び付けられているんすか?」
山吹は落胆しつつも再度尋ねると、ガニガニは口籠もった。山吹には嘘は吐けない。だが、本当のことを言うと、大変な状況から無事に帰ってきた山吹を打ちのめしかねないからだ。現在、秋葉は臨時本部にはいない。けれど、山吹が例を挙げたような場所にもいない。秋葉は、今、近隣の病院に収容されているからだ。虎鉄と芙蓉と竜の首が海上基地で暴れた際に戦闘部隊との戦闘に巻き込まれて負傷した、と局員達には知らされた。
だが、それは嘘だとガニガニは知っている。また芙蓉に溶かされてはたまらないとハネを広げて基地上空に浮上した時、最上階の竜ヶ崎の部屋が偶然複眼に入ってきた。四角く大きな窓の奥では、異変を察知した秋葉が竜ヶ崎の部屋に飛び込んでいた。
秋葉は、虎鉄らの目を引き付けるために紀乃を捨てていこうとする竜ヶ崎に対して強く抗議していた。だが、竜ヶ崎は紀乃をその場に放り出し、伊号と波号だけを連れて自室から出ていった。防音効果のあるガラス越しなので音は聞こえづらかったが、秋葉の口唇が動いていたので内容が解った。
あなたは自分さえ良ければ他人などどうでもいいのですか、そんなあなたに従っていた私が馬鹿でした、この瞬間から私はあなたの部下ではありません、だから。そう言って拳銃を構えた秋葉を狙って、どこからともなく出現したナイフが放たれた。一瞬、日光を煌めかせた金属は秋葉の背中を袈裟懸けに切り裂き、秋葉は膝を折って崩れ落ちた。紺色の制服が赤黒く染まり始めると、竜ヶ崎の尻尾と戯れていた波号がけらけらと笑った。何の悪気もなく。
それからの先のことは、ガニガニにもよく解っていない。局員達が交わす言葉を仔細に聞き取って秋葉が病院に搬送されていることや、一命は取り留めていることは知ったが、細かいことは察知出来ていない。秋葉と波号の間に何があったのかは与り知らないが、あれほど可愛がっていた波号に裏切られた秋葉の心中は察するに余りある。
きっと、紀乃もそうなのだろう。敵対関係になったからと言えども、あれはやはり言い過ぎた。面と向かってきちんと紀乃に謝ろう、たとえ許してもらえなくても。再びジープラングラーに乗って去っていった山吹を見送ったガニガニは、巨体に見合わない大きさの脳を働かせ、この先どう動くべきかと懸命に考えた。
だが、まるで思い浮かばなかった。
小一時間、彼は鏡と睨み合っていた。
ひどく難しい顔をしながら剃刀を肌に当て、中途半端に伸びていたヒゲを剃り落としてから、事務用なので切れ味が今一つ悪いハサミで伸び放題だった髪を不器用に切り揃えていた。それまでは手探りでやっていた行為をちゃんと目視しながら行う加減が違うらしく、指先や顎に小さな切り傷を作っていた。
一通りの身支度を終えると、また鏡を射抜かんばかりに睨み付けていた。角度を変えてみたり、手を翳してみたり、身を引いてみたりと、思い付く限りのことをして自分が鏡に写っていることを確かめてから、忌部は振り向いた。
「なんでこうなったんだ?」
嬉しがるべきなのか困るべきなのか決めかねているのか、透き通っていない忌部は中途半端な表情をしていた。その顔立ちをまともに目にするのは初めてなので、ゾゾは単眼を据えた。
目元は若干吊り上がり気味だが、鼻筋は真っ直ぐ通り、唇の厚さは平均的で顎も同様だ。目を惹く容姿ではないが、これといった過不足はなく、日頃から忌部が望んでいるような普通の顔立ちだった。ゴ・ゼンとして忌部が融合合体していた竜の首から分離させた時は、まだ生体組織が不安定だったので忌部の肉体は赤黒い体液が混ざり合ったゼリー状だったが、ゾゾの持つ生体情報で生体復元を行った結果、忌部は五体満足で蘇った。と、同時に、その姿が見えるようになっていた。
「ゴ・ゼンとしてワンと融合した影響で、一時的に忌部さんの生体情報が補正されたのですよ」
忌部の程良く日に焼けた背を見つつ、ゾゾは答えた。忌部は今し方整えたばかりの眉を曲げ、再び鏡を覗く。
「一時的ってことは、しばらくするとまた俺は透明人間に戻るのか」
「ええ。忌部さんの新陳代謝の速度にもよりますが、二三日の間は色素が保たれるかと。それはそれとして、下着を履いたらいかがですか。見たくもないものが、先程からぶらんぶらんしておりますよ」
ゾゾが軽く目を逸らすと、忌部は私物の入った段ボール箱を開け、トランクスを履いた。
「となると、二三日は服を着なきゃならんのか。最悪だな」
「生体洗浄をお受けになったところで、忌部さんの性癖だけは洗浄出来ないでしょうねぇ」
ゾゾは首を横に振ってから、小さく嘆息した。
「さしずめ、東京インベーダーズってところか」
スラックスを履いてベルトを締めながら忌部が漏らすと、ゾゾは聞き返した。
「なんですか、それ」
「俺達の状況だよ。昨日までは南海インベーダーズだったがな」
「私達を一括りに言い表すとそうなるかもしれませんが、果たしてそんなものが必要ですかね?」
ゾゾが首を傾げると、シワの寄ったワイシャツを着た忌部は袖口のボタンを留めた。
「外側から見たら必要だろうが、内側から見たら不要だ。俺達をインベーダーとして分類し、忌部島に隔離したのは竜ヶ崎のクソ野郎だ。だから、俺達自身からインベーダーだと名乗ることは、奴の思い通りになってちまっているってことだ。俺達は俺達だ。インベーダー以外の上手い呼び名が思い付けば良いんだが、生憎思い付かん」
「いずれ思い付くかもしれませんね。その時を楽しみにしておりますよ」
それでは、とゾゾは一礼した。忌部はまだ納得が行かないらしく、ワイシャツの襟元を緩めたまま、何度となく鏡に写る自分を眺め回していた。気が済むまでさせておこう、と思い、ゾゾは忌部の部屋を後にした。
昨日までは変異体管理局の男性局員が寝起きしていた寄宿舎は、彼らが逃げ出す際に落とした私物がそこかしこに散らばっていた。下着、靴下、ワイシャツ、ネクタイに始まり、片方だけの革靴や携帯電話も点々と廊下に落ちている。エレベーターホールで区切られている女子寄宿舎も似たようなものだったが、こちらはいかにも女性らしく、ヘアピンやシュシュに始まり、生理用品、ハイヒールの片方などが無機質な廊下を彩っていた。
エレベーターホールに入ったゾゾは、海に面した窓から海上基地全体を見渡した。基地内の自家発電施設が生きているので、寄宿舎を始めとした建物には明かりが付いているが、対岸には窓明かり一つない。政府が非常事態宣言が出すと同時に、東京湾沿岸の住民や勤め人達は自衛隊や警察によって強制的に郊外に連行されたため、民間人はただの一人もいないからだ。情報源はテレビなので正確ではないだろうが、概要さえ掴めれば充分だ。
遠くから、呂号のギターの音色が聞こえてくる。住み慣れた自室に戻った彼女は、紀乃のセーラー服を脱いでからシャワーを浴び、メタルファッションに身を包んでヘヴィメタルを掻き鳴らしている。甚平は呂号が一人でもちゃんと動き回れることを確認すると、早々に資料室を漁りに行った。
翠は好奇心に任せて基地内を散策しているが、芙蓉がそれに付き合ってくれているので迷子になる心配はない。能力が使えない状態で鎖を噛み千切ろうとしたために上下の前歯が全滅してしまった虎鉄は、割れた歯の根本を全部抜いてくれないかとゾゾに頼んできたので、ゾゾはとりあえず出来る限りの処置を施した。生体接触して虎鉄の痛覚を黙らせてやり、医務室にあった器具で抜けるだけ抜いてやり、止血して消毒して抗生物質を飲ませてやった。
しばらくはろくにものも食べられないだろうし、口の中が傷だらけなので日常にも支障を来すだろうが、抜かずにいた方が良くないからだ。虎鉄の生体情報を存分に採取出来たので、今後に役立ててやらなければならない。でなければ、虎鉄が味わった苦痛に見合わないからだ。
女子寄宿舎の一室が開き、足音がした。蝶番が軋む音が静まり返った廊下に響き、青白い蛍光灯に照らされた空間に鮮烈な色彩が現れた。半袖の赤いブラウスに裾をレースで飾られた黒のチェックのプリーツスカートを着て、太い横ストライプのニーソックスを履いた紀乃だった。
女性局員の服ではサイズが合わないし、呂号の服を着ては少々面倒なことになりそうなので、その場凌ぎで伊号の服を借りたのである。ちなみに、下着の類は売店の商品を失敬して全て新しくしている。紀乃は黒いサテンのシュシュで短いサイドテールに結んだ髪を気にしていたが、ゾゾの目線に気付くと、エナメルの編み上げブーツを下げて心なしか身を引いた。
「よくお似合いですよ、紀乃さん」
ゾゾは厚い瞼を狭めると、紀乃はドアを閉じ、編み上げブーツの丸いつま先に視線を落とした。
「うん。私も、こういうのは嫌いじゃない」
ゾゾは紀乃に近寄ろうとかかとを上げたが、躊躇い、元の位置に戻した。紀乃はブラウスの上に羽織ったフェイクレザーのベストの裾を正していたが、半歩、後退した。
「現状について、ご報告いたしましょう。私達は来るところまで来てしまいました」
紀乃との距離を狭めたい気持ちを抑え、ゾゾは窓に向き、東京湾に横たわるワン・ダ・バの巨体を見やった。
「今現在、私達の元には、クソ野郎の野望を阻むために不可欠な人材が揃いつつあります。宇宙怪獣戦艦の本体であるワン・ダ・バ、ワンの首と融合なさったばかりか生体洗浄の実用性を我が身で立証して下さったゴ・ゼンである忌部さん、類い希な能力を持つ紀乃さんの御両親。そして、龍ノ御子に近い生体情報をお持ちの紀乃さんご本人。ワンの本体と融合し、ワンの脳の神経伝達物質に成り代わって下さったミーコさん、珪素回路であるヴィ・ジュルの代用となって下さった小松さん。小松さんの情報処理能力には若干の不安がありますが、ワンとの融合を続けていればおのずとキャパシティは増えていくことでしょう。物理的に考えて、小さな勾玉であったヴィ・ジュルよりも遙かに容量が大きいですからね。そして、ワンの能力を解放し、再び在るべき世界へと戻すことが出来る私の生体情報。足りていないものは、若き日の私がクソ野郎に分け与えた、生体情報の半分だけです。それさえ取り戻せば、私は首を縫合して元に戻ったワンに乗って地球を旅立ちましょう」
最後の言葉に、紀乃はびくりと肩を震わせた。
「私達は、この世界にとっては異物なのです。言ってしまえば、凶悪な感染力を持った病原体も同然です。ガン細胞なのです。ですから、排除され、差別されるのは、地球という惑星の免疫として至極真っ当なことなのです。しかし、私の忌々しい片割れは、次から次へと女性に手を出しては不要な因子を授かってしまった人間を産み出させます。それを止め、あなた方の人生を狂わせずに済む方法はただ一つ、私達がここから去ることなのです」
「……私は、この力がいらないものだなんて思わない」
紀乃はサイコキネシスを発現させ、廊下に散らばるものを浮遊させた。
「これがなかったら、私はゾゾに会えなかった。戦えなかった。露乃とだって、一生会えなかった。だから、この力も含めて私なんだ。だから、そんなこと言わないでよ」
「おやおや、それはそれは」
「嘘じゃない! 心からそう思う! ゾゾだって、私の才能だって言ってくれたじゃない!」
顔を上げた紀乃に、ゾゾは強張った眼差しを返した。
「確かに、並外れた適応範囲の広さとパワーを兼ね備えたサイコキネシスは、紀乃さんにしか許されない素晴らしい才能です。ですが、特殊能力を生まれ持っていたせいで、人間扱いされなくなり、学校にも通えなくなり、御両親からも引き離され、絶海の孤島に隔離され、母国を含めた人類から敵対されたとしても、ですか?」
紀乃は二の句を継ごうとしたが、唇を噛んだ。ゾゾは紀乃から目を逸らさず、続けた。
「いいですか、紀乃さん。紀乃さんには、人間として生きるべき道があります。全うすべき義務もありますし、いずれ出会うであろう生涯の伴侶と家庭も築くでしょうし、大切な御両親と妹さんもいます。ですが、私は紀乃さんの人生に関わるべきではないのです。私の生まれは地球ではありませんし、生物としては根本的に異なりますし、軍や母国が健在かどうかは定かではありませんが果たすべき任務もありますし、続けるべき研究もあります。私と紀乃さんでは、生きるべき世界そのものが違うのです。どうか、解って下さい」
「どうして、そんなこと解らなきゃいけないの?」
紀乃はゾゾと向き合い、拳を固めた。宙に浮き上がっている女性局員達の忘れ物が、一層高く浮かぶ。
「それは、今し方述べた通りですよ」
ゾゾは紀乃に背を向け、尻尾を下げた。紀乃は拳を緩めるが、浮かんだものは落ちなかった。
「それはそうかもしれない。だけど、ゾゾはゾゾだよ」
「お気持ちは嬉しいですが、困ってしまいますねぇ」
尻尾を半分だけ上げたゾゾは、目の端で紀乃を窺った。
「ずっとこのままじゃ、ダメなのかな」
紀乃は両手をきつく組んでサイコキネシスを押さえようとしたが、意に反して忘れ物は天井近くまで浮き上がる。
「そんなのダメだって、有り得ないって、頭じゃ解っている。解った気持ちでいる。でも、嫌。凄く嫌なの。竜ヶ崎って人を倒して、ヴィ・ジュルっていう名前の勾玉も取り返して、ガニガニも助けて、ワンを動かせるようにして、生体洗浄を受けなきゃ、って思うけど、嫌。力がなくなったら、私はゾゾにとってなんでもなくなるんだもん!」
堪えきれなくなった紀乃が声を荒げると、廊下を衝撃破が駆け抜け、女子寄宿舎のドアが一斉に開いた。
「それが、本来あるべき姿なのですよ」
紀乃の震える肩を抱き寄せたい衝動を殺すため、ゾゾは爪を手のひらに食い込ませた。
「ねえ、ゾゾ」
「はい、なんでしょう?」
紀乃の弱々しい問いにゾゾが返すと、紀乃は唇を舐めてから、開いた。
「露乃から聞いたんだけど、ゾゾが私のこと、利用したって本当?」
「ええ。それが真実です。幻滅いたしましたでしょう、お嫌いになったでしょう、さぞや腹立たしいことでしょう」
ゾゾは出来る限りの自嘲を込め、尻尾を揺する。
「……うん」
弱々しく呟いた紀乃は、泣き笑いのような顔をした。
「でも、それでもいいかなって思ったの。馬鹿みたいだけど」
本当に馬鹿だ。そう言って、罵倒すれば良かっただろう。頬でも何でも張り飛ばして、考え直せと叱るべきだった。目先のことに気を取られていないで現実を見極めろ、と、頭ごなしに怒鳴るべきだった。だが、そのどれも出来ず、否定する言葉すら吐けず、ゾゾは尻尾をだらりと垂らして歩き出した。
紀乃から引き留める言葉が掛けられたが、聞き取ることすら耐えられず、ゾゾは非常口を開け放った。夜気を纏った猛烈な潮風が吹き付ける中、ゾゾは己の生体情報を操作してコウモリに似た翼を生やし、非常階段を蹴って空中に躍り出た。
紀乃の思いに応えてやりたい。好かれているのと同じか、それ以上に好意を抱いていると伝えてやりたい。言葉にして、行動にして、料理に込めて、どれほど愛しているかを教えたい。
自分を抑圧すればするほどに欲望は増大し、心臓を締め付けて内臓を煮えさせる。思いを伝えるのは容易いが、問題はその先だ。ゾゾは竜ヶ崎全司郎とほぼ同じ生体情報で出来ている。だから、竜ヶ崎に成り得る因子がゾゾの内に宿っているはずだ。紀乃に思いを伝え、紀乃が応えてくれたなら、ゾゾの内なる竜ヶ崎が目覚めるかもしれない。
愛すればこそ慈しむべきところを、愛情を渇望にすり替えて貪ってしまうかもしれない。ほんの僅かな可能性に過ぎないとしても、可能性は可能性だ。夜気を切り裂いて東京湾上空を飛行しながら、ゾゾは口元を歪めて牙を剥いた。
片割れと変わらない自分が、心底憎らしい。
死んだ都市の中で、奴の居所だけが息づいていた。
だから、探すまでもなく、竜ヶ崎の居所は掴めた。都内有数の高級住宅地に程近い高層ビルの屋上に立ち、ゾゾは単眼を凝らした。四方八方からサーチライトを当てられている大邸宅は光の洪水に溺れていて、夜の帳を強引に押し退けていた。放置された乗用車が点在している道路にも街灯の明かりは落ちていたが、それ以外の街明かりは一切ないので、竜ヶ崎邸だけが目立っている。
ビル風に混じって流れてくる秋口の夜風は重たく湿り、冷たく硬い肌をずるりと舐め回してから翼を膨らませ、通り過ぎていく。立てていた尻尾を下ろし、ゾゾは深く息を吸うが、都会の空気はワン・ダ・バの周囲に比べると硫黄濃度が薄すぎ、二酸化炭素濃度が濃すぎた。肺の内部で呼気に必要な物質を補える構造にはなっているが、外から採取出来ないと若干不自由だ。
竜ヶ崎邸から飛び出したであろう一台の車が道路を走るエンジン音が死んだ街を掻き乱し、遠のいた。その音の行方を少しだけ気にしつつ、竜ヶ崎邸を注視した。警備は厳重極まり、これでもかと言わんばかりに自衛隊や警察から人員が割かれている。変異体管理局の重要性を世間にアピールするためであり、竜ヶ崎が我が身を守りたいがために寄せ集めた生け贄だ。
出来ることなら彼らに迷惑を掛けずに竜ヶ崎だけを仕留めたいところだが、生憎、ゾゾの戦闘の腕は皆無だ。かといって、今から生体改造を施したところで、馴染みのない能力を持て余して結局は隙が生まれ、やり込められるだけだ。実戦向きではない生体情報で生まれ付いたのが、今ばかりは疎ましい。
ビルの屋上を蹴って飛び出したゾゾは、翼を広げ、風を掴んだ。夜の気配に惹かれて外界に現れたコウモリの間を擦り抜け、ビルに寄り添うマンションの脇を抜け、幹線道路に沿うように飛行する。空から攻めるのが最良だが、馬鹿正直に上空から降下しては狙い撃ちされてしまう。だから、なるべく高度を下げて移動した後、急上昇して敵の懐に飛び込むのだ。
頭の良い作戦とは言い難いが、今のところ、ゾゾが思い通りに扱えるのは、科学文明の発達によって退化してしまった翼を再現して成した飛行能力だけだ。以前、紀乃のサイコキネシスを借りたこともあったが、あれはあくまでも紀乃の能力であってゾゾの能力ではなく、ゾゾの脳髄では小手先の出力でしか扱えない。それに、ワン・ダ・バの蘇生手術を行った日には使用出来たが、紀乃の能力を借りた日からは大分時間が経っているので、新陳代謝が行われて紀乃の生体情報は除去されて体外に排出されている。
もしも、紀乃を連れてきていたら、彼女は戦ってくれただろうか。きっと、我が身を省みずに最前線に飛び込み、強力なサイコキネシスを駆使して竜ヶ崎に立ち向かってくれるだろう。それが紀乃だ。情が深いというか、一途というか。だが、今はそれすらも心苦しい。
「私は、一体何をやっているんでしょうねぇ……」
ゾゾは給水塔を支えている鉄骨に寄り掛かり、ほうっと嘆息した。今やインベーダーの本拠地となった海上基地を飛び出さずに、紀乃の傍にいてやるべきだった。ゾゾに執心しているのは、状況が変わって不安になっているからだろう。そうでもなければ、紀乃の方からあんなことを言うわけがない。
両親や生き別れの妹と再会したのだから、優先すべきはそちらのはずだ。だから、紀乃のあの言葉を本気で受け止めてはいけない。相手は現住生物であり、異種族であり、余所様の娘なのだから。心から愛している。だが、それ故に越えてはならない一線がある。
「何もせずにワンの元へ帰った方が懸命ですね。私一人でどうこう出来る問題でしたら、当の昔に……」
突如、突風がゾゾの両翼を打ち付けた。真横から注がれたサーチライトが、一瞬、単眼を白く染める。ビルの足元から急上昇してきた武装ヘリコプターはゾゾを捉えた途端、機銃を発砲した。屋上に弾丸が跳ね、マズルフラッシュと同時に赤い火花が飛び散る。
ゾゾは素早く駆けてビルの屋上から身を投じ、翼を広げ、武装ヘリコプターの死角に入って前進した。敵も負けじと方向転換してゾゾを追ってきたが、旋回速度が早すぎる。目を凝らすと、操縦席には誰も座っておらず、操縦桿だけが独りでに動いている。
「これはこれは、伊号さんの仕業ですか」
ゾゾが呟くと、伊号が操る武装ヘリコプターはそれを耳ざとく聞き付けたらしく、スピーカーから怒声が飛んだ。
『だったらどうだってんだよ! てか、あたしの制空権に入ってきたんだし、気付かれねーわけねーし!』
「それはそれは、申し訳ありません。私をどこに向かわせるおつもりですか?」
『んなもん、決まってるし! 局長んとこしかねーし!』
ローターを激しく回転させた武装ヘリコプターは、ゾゾの斜め上後方にぴったりと付けてきた。ゾゾが少しでも回避行動を取ればすかさず機銃が火を噴き、罪もない民家の屋根や窓に大穴が開いた。高度を上下させても同じことで、振り切れそうにない。仕方なく、ゾゾは伊号に追い立てられるがまま直進した。
進行方向には竜ヶ崎邸の広大な敷地が待ち構えていて、武装ヘリコプターの接近と同時にサーチライトが照射される。視界を失いかけたゾゾが少々飛行速度を落とすと、頭上を数発の弾丸が通り抜けて庭木や池を砕いた。すると、今度はゾゾの真上に武装ヘリコプターが急降下してきた。どうやら、押し潰すつもりでいる。
ゾゾは慌てて高度を下げて敷地内の日本庭園に着地すると、武装ヘリコプターの腹部が漆喰塀と瓦屋根に擦れ、無人の武装ヘリコプターは頭から庭に突っ込んで轟音を立てた。がしゃ、と空回りしたローターが庭木に突き刺さり、機械油の匂いが充満する。
武装ヘリコプターの墜落地点から数メートル手前に着地していたゾゾは、肝を冷やしつつ顔を上げると、いつのまにか自衛官達がゾゾの周囲を固めていた。自動小銃の冷たい銃口がずらりと並び、ゾゾを睨み付ける。この人数では、飛んで逃げるのも難しいだろう。だが、対処しなくては。ゾゾが応戦姿勢を取ると、母屋の障子戸が開いた。
「客人だ、丁重に出迎えてやらぬか」
重武装した自衛官を伴って庭に下りてきたのは、着流し姿の竜ヶ崎だった。
「おやおや、これはこれは。諸悪の根源ではありませんか」
ゾゾは応戦姿勢を解かずに竜ヶ崎を見返すと、同じ顔をしたトカゲは単眼を見開いた。
「その言葉、そっくり返してやるとも。インベーダー風情が、国防の本拠地に何の御用かな?」
「私は別にあなたの汚らしく脂ぎったツラを拝む気は毛頭なかったのですが、伊号さんに誘導されてしまいましたので、仕方なく着陸しただけですよ。来て欲しくなければ追い返してくれればよろしいのに、わざわざここまで案内して下さるとは、言っていることとやっていることが正反対ではありませんか?」
「あれは伊号の独断だ。私が命じたわけではないよ。だが、私の屋敷に立ち入った時点で、お前を攻撃する材料には事欠かんよ。インベーダーとさえ名が付けば、いかなる行為も罰せられぬように法整備してあるのでね」
「永田町の古ダヌキさん方をどれだけ抱き込んだのですか?」
「連中は私から手を出さずとも近付いてきたのだ、それ故に有効活用しただけに過ぎんよ」
「彼らには不老長寿でも約束したのですか」
「何、大したことはしておらんよ」
「大したことではなくとも、現住生物に手を出した時点で問題なのですよ!」
こうなったら、腹を括って戦う他はない。ゾゾは体重を掛けていた足で地面を踏み切り、玉砂利を蹴散らす。翼を広げて低空飛行し、自衛官達の間を擦り抜けて一瞬にして竜ヶ崎の前に立ちはだかる。が、竜ヶ崎は逃れようとはせず、逆に尻尾を振るってゾゾを叩きのめした。首を薙ぎ払われたゾゾは玉砂利の津波を起こしながら倒れ、庭木に衝突する。硬い木の葉が落下して冷たい肌を掠め、落ちていく。脳震盪に陥ったゾゾに、竜ヶ崎は詰め寄る。
「私に生体情報を奪われに来てくれたのかね、片割れよ」
「逆ですよ。私があなたから、生体情報を奪い取るのです」
ゾゾは立ち上がるが、竜ヶ崎は尻尾を悠長に揺らしている。
「余程焦っているな、お前らしくもない。……ほう、そうか」
竜ヶ崎の愉しげな言葉と同時に脳の生体電流が乱れ、ゾゾは身動いだ。生体電流ごと思考を読まれたのだ。
「ふははははははははははは! 面白い、いや実に面白いぞ、お前とあの娘は!」
突然笑い出した竜ヶ崎に、ゾゾは後退ったが無意識に尻尾が立った。
「私を笑うのでしたら一向に構いませんけど、紀乃さんを笑うのは許せませんね」
「散々偉そうなことを言って私を蔑んだにも関わらず、同じ轍を踏もうとはな。やはり、私とお前は同じものか」
「戯れ言を。下半身ありきのあなたとは根本的な部分から異なっています!」
居たたまれなくなったゾゾが反論すると、竜ヶ崎は大きく踏み込んで間を詰め、ゾゾの首を掴んだ。
「馬鹿だと言うなら、お前の方が遙かに馬鹿だ!」
振りかぶった竜ヶ崎は、ほぼ同じ体格のゾゾを片腕で容易く投げ飛ばした。強烈な腕力で宙に放たれたゾゾは、体勢を立て直そうとするも、翼を広げた直後に障子戸を突き破っていた。紙片と木片にまみれながら畳に転がり、いくつかの木片が硬い肌にめり込む。単眼を押さえながらゾゾが上体を起こすと、竜ヶ崎は余裕を見せつけるためなのか、ゆったりとした足取りでゾゾに近付いてくる。
「私からしてみれば、お前は停滞している。状況に適応するための変化を恐れる、ただの臆病者だ」
ぎしり、と縁側を踏み締め、竜ヶ崎は母屋に上がってくる。
「進化こそが生命の本質であり、繁栄なき欲動など無意味極まるものだ。違うかね、科学者先生?」
サーチライトの逆光を背負い、竜ヶ崎は赤い単眼を細める。
「ええ、そうですね、あらゆる生き物は生き延びるために進化するものです。ですが、あなたのやったことは進化でもなんでもありません、人類という種の根底を脅かす汚染です」
ゾゾは折れ曲がりそうな膝を意地で立て、尻尾を使って直立する。
「いや、進化だよ」
竜ヶ崎はゾゾを放り込んだ部屋には踏み込まず、身を引いた。すると、竜ヶ崎の目の前の空間が湾曲し、その中から波号が出現した。波号は竜ヶ崎から一言命じられると、にこにこ笑いながらゾゾに向かってきた。
「わーい、パパの命令だぁ!」
満面の笑みの波号は両手を振り上げ、サイコキネシスでゾゾを宙に浮き上がらせた。と、思いきや、天井を破らんばかりの勢いで叩き付ける。埃が薄く舞い上がり、板が歪む。
衝撃と痛みで呻くと、今度は畳が襲い掛かってきた。三度に渡る衝撃で目眩がしたが、ゾゾは半ば意地で片膝を立てた。波号を見ると、無邪気な微笑みを保っている。竜ヶ崎は孫であり娘である波号を愛おしげに見つめていたが、その眼差しは生き物に対するものではなく、価値の高い骨董品を見る眼差しだった。
かなり浮かれている波号はサイコキネシスをしならせ、ゾゾを畳に沈めた。一瞬、気が逸れたせいで受け身も取れなかったゾゾは、ふすまを背中で突き破って次の間に転がる。背中の皮膚に来るであろう衝撃は訪れず、奇妙な柔らかさが包んでくる。
艶めかしくも生臭い匂いが鼻を突き、ゾゾは揺れ動く視界を補正しながら、次の間を見渡した。かすかに紀乃の匂いが残留する部屋には、それを塗り潰す竜ヶ崎の生臭さが、畳の目の一つにまで染み込んでいる。前触れもなく、細胞が全て凍り付くような嫌悪感がゾゾを襲った。
「こんなものが進化なわけがありますか! 愚行の極みです、種族の恥です、宇宙の穢れです!」
この部屋で、紀乃は竜ヶ崎に。ゾゾは嫌悪感を上回る怒りに震え、尻尾で畳を打ち鳴らす。
「ほう、妬いたな?」
竜ヶ崎が笑うと、波号が指先を曲げ、ゾゾの喉元が見えない力で締め上げられる。
「うっ、ぐぇ……」
「今も昔も、私は正しいことをしているだけなのだよ。私を本家の御前様だと祭り上げたのは、他でもない人間達だ。お前が言うところの汚染は、連中の意志によるものなのだよ。それが、御三家の歴史なのだよ」
ゾゾは息苦しさで喉を掻きむしるが、硬い爪先が皮膚を削っただけだった。
「私はまれびとなのだよ。崇められた瞬間から、神託を望まれた瞬間から、受け入れられた瞬間から、神となる資格を与えられているのだよ。故に、御三家は私を奉った。全てを司る神として」
ざらり、ざらり、と、畳を尻尾で擦りながら、竜ヶ崎は呼吸のままならないゾゾに近付いてくる。
「神託を求める人間に対して、神は対価を望むものだ。だから、私は娘達に種付けし、突然変異体を産み出した」
竜ヶ崎の硬い手が、ゾゾの顎を掴んで上向かせる。
「嫌だ嫌だと言うわりに、娘達は花弁を開いてくれる。しとどに濡らして、私自身をそっくり飲み込んでくれる。最初は嫌悪感から流していた涙も、事を終える頃には愉悦の涙に変わっている。私の種を受け止め、十月十日もすれば私の血を引く子を産み落としてくれる。解ったかね、まれびとの血を欲しているのは人間の方なのだよ」
竜ヶ崎の手があるからか、波号のサイコキネシスが若干緩んだ。その隙に、ゾゾは余力で言い返した。
「そんなものは詭弁です、あなたは神でもなければまれびとでもありません! ただの変態オオトカゲです!」
「お前に言われる筋合いはない!」
竜ヶ崎はゾゾを蹴り付け、別のふすまに突っ込ませた。ひどく咳き込んでから、ゾゾは声を張る。
「神というものは、いちいち他人の家庭を壊すものなのですか? 慎ましやかに愛し合っている家族の、可愛い盛りの娘さんを誘拐させるのですか? 異性と手すら繋いだことのない箱入りの御嬢様を手込めにして、強引に子供を産ませるものなのですか? 挙げ句、その娘さんが一生懸命築いた家庭をぶち壊しにするのですか? 本当なら、小学校に通ってお友達と楽しい思い出を作っているはずの娘さん達を兵器として扱うのですか?」
「それも全て、連中が望んだことよ。だが、私を安易に造ったお前が、私を非難出来る義理があると思うかね?」
「思いませんよ、そんなこと。ですが、だからこそ、あなたに腹が立ってどうしようもないんです!」
折れたふすまから尻尾を引っこ抜き、竜ヶ崎と波号との距離を測りながら、ゾゾは頭を巡らせた。竜ヶ崎にも波号にも勝ち目がないことなど、最初から解り切っている。
びりびりに破れた障子紙が貼り付いている障子戸が縁側から滑り落ち、玉砂利をけたたましく鳴らす。無謀だとは解っていても、あれ以上紀乃の傍にいたくなかった。寄り添って支えてやりたいと思う反面、心のままに紀乃を欲したいと思ってしまう。竜ヶ崎と同じか、それ以上のことをしてしまいたくなる。
自分の悪い部分を凝縮して煮詰めて毒素を混ぜ込んだような片割れを殺せば、自分自身の汚い部分も浄化されるような気がしていた。だが、そんなことはあるはずもない。ゾゾはゾゾであり、竜ヶ崎は竜ヶ崎だ。
折れたふすまの向こうに見える庭先から、ガニガニと電影が事の行方を窺っている。どちらも不安げで、ガニガニはしきりにヒゲと触角を動かしている。電影は何をどうすればいいのかが解りかねるのか、そわそわしている。至るところから向けられた銃口がゾゾを隈無く狙い、離れたビルの窓にもスナイパーライフルを構えた自衛官が控えているのが見える。
笑みを湛えている竜ヶ崎の傍にはにこにこしている波号が寄り添い、ゾゾを攻撃するタイミングを計っている。この場で、ゾゾに対して敵意を持っていない者はまずいないだろう。敵意と殺意と侮蔑と嫌悪を帯びた視線が注がれ、神経の末端をひりつかせる。思えば、紀乃らはいつもこんな目に遭っていた。本来であれば、共に暮らすべき人間達から蔑まれ、恐れられ、挙げ句の果てに敵視された。それだけでも、さぞ辛かろう。
それなのに、心身を削って同胞達のために戦い続けてくれた紀乃を、ほんの一時とはいえ道具扱いしてしまった。彼女はゾゾのことを非難しないばかりか、それでもいいと言った。どんな思いで言ったのか、考えるだけで胸が痛む。
「我が片割れよ」
波号を伴った竜ヶ崎は、ゾゾに顔を近寄せた。
「この星に来てから、お前は何をしたのかね? 何もしておらんだろう、ん? ワン・ダ・バの機能を復活させる施術もせず、生体洗浄プラントに代わる生体洗浄装置の開発も行わず、私を殺そうともせず、ミュータントと化した人間を根本から救う処置も行わず、ただ、無益な時間を消費し続けていただけだ。その結果が、これだ」
竜ヶ崎の尻尾が、ゾゾの右腕の付け根に突き立てられる。
「ぎげぁっ!?」
肩の関節に尻尾をねじ込まれ、その激痛にゾゾが呻くと、竜ヶ崎は尻尾に血を伝わせながら更に顔を寄せる。
「だが、私はお前とは違うのだよ。お前が悠長に生きていた間、私は模索し続けていたのだ。ニライカナイに至る道を開く術を、再びハツに出会う方法を、そして、ワン・ダ・バを動かす手段もな!」
「が、あ、あ、あ、あぐぁっ!」
びぢぃっ、と、竜ヶ崎の尻尾がゾゾの右肩に突き立てられたと同時に、筋が裂けて肩ごと外れた。
「……それをどうするおつもりで?」
血と体液が溢れ出す右肩を押さえながら、ゾゾは血溜まりの広がる畳に膝を付く。竜ヶ崎はゾゾの右腕を拾うと、それを弄びながら、笑顔を保ち続けている波号を撫でた。
「解り切ったことを問うな。ワン・ダ・バを新たに造り出すのだよ。そのためには、お前の生体情報が必要なのでね」
「あいつの生体情報をぜーんぶコピーして、すっごい宇宙怪獣になってやるんだから」
波号はけらけらと笑い、竜ヶ崎の足にしがみつく。ゾゾは瞳孔を竜ヶ崎に据えようとするが、視界が暗む。
「あなたの考えにしてはまともですが、しかし、それでは波号さんが」
「そんなこと、大した問題でもないよ。それよりも、今は己の身を案じたらどうだね?」
竜ヶ崎はゾゾの右腕をぶら下げながら、荒れ果てた部屋を出ると、その後を波号が駆けていく。ゾゾは追い縋ろうとするも、右腕の付け根からの出血は止まるどころか勢いを増している。自衛官達はゾゾが脱する隙を与えるまいと土足で和室に踏み込み、発砲する姿勢を取った。銃声は一発や二発では済まず、ゾゾの傷口を重点的に攻めてくる。ただでさえ多量だった出血が倍になり、赤い滝のように滴って畳を焼け焦がす。
傷口以外は分厚く硬い皮膚のおかげで跳弾していくが、痛みまでは跳ねていかない。眼球すれすれに擦れる弾丸も多くなり、立っていることすら怪しくなる。尻尾を支えに辛うじて体を立てていたが、もう、保たない。ゾゾは片膝を曲げ、畳に付いた。
「この匂いは」
ふと、竜ヶ崎が振り返った。ゾゾは目を見開こうとしたが、激痛と出血による疲弊がそれを阻んだ。一陣の夜風が母屋に滑り込み、酸の強い生臭さを掻き乱しながら、通り抜ける。伊号が遠隔操作しているらしい戦闘車両が応戦したのか、いくつもの銃声が轟く。自衛官達が騒然とする。竜ヶ崎の傍で波号が金切り声を上げる。
金属音も連なり、ゾゾを狙っていた銃口が別方向に向いた。ゾゾが反射的にその方向に向くと、母屋の屋根が嵐に絡め取られるかのように引き剥がされ、がらがらと瓦が剥がれて庭に転げる。瞼を強引にこじ開けたゾゾは、古びた木片と積年の埃が降る夜空に浮かぶ少女の姿を捉え、息を詰めた。
「……紀乃さん」
「来ちゃった」
若干の照れと躊躇いを交えながら、紀乃はゾゾを見下ろしてきた。ゾゾが戸惑いを示すよりも早く、竜ヶ崎邸上空に浮かぶ紀乃は慣れた様子でサイコキネシスを操った。
引き剥がした瓦を粉々に打ち砕いて即席の散弾を作り、致命傷を与えない程度に加減しながらばらまく。鯉が泳ぐ池の水を渦巻かせ、青臭い雨を降らせる。戦闘車両同士を衝突させたり、ひっくり返したりと、目に付くもの全てを弄ぶ。竜ヶ崎に命じられるよりも早く動いた波号は、紀乃に翻弄されている自衛官達を言葉汚く罵倒してから、波号は紀乃にサイコキネシスを放った。紀乃は力任せの攻撃を凌ぐ傍ら、スカートを締めているベルトに掛けていた電磁手錠を抜き、波号が驚いた一瞬の隙を衝いて電磁手錠を投げ付けた。
少女の腕には少々大きすぎる手錠が填ると、途端に波号は能力を失い、浮かび上がらせていたものも重力に従って地面に突き刺さった。紀乃は右腕をもぎ取られたゾゾを浮かび上がらせて同じ高度に招き、竜ヶ崎に対してもサイコキネシスを放ったが、竜ヶ崎の周囲だけは小石も動かず、竜ヶ崎の手からゾゾの右腕を奪い返すことすらも出来なかった。
電磁手錠に戒められている波号が紀乃を睨み付けているので、原因は波号に違いない。サイコキネシスなどの能力を使えなくなってはいるが、強烈な精神波で紀乃のサイコキネシスを相殺したのだろう。紀乃はすぐに分が悪いと判断し、ゾゾを連れて竜ヶ崎邸の上空から退避した。
心も体も、痛かった。
行き着いた先は、臨海副都心の倉庫街だった。
右腕の付け根からの出血はようやく止まったが、失血がひどい。骨も筋も無理に裂かれたので、千切れた筋繊維が垂れ下がり、分厚い肌も断面付近が剥がれている。臓器の損傷はないが、弾丸の雨を浴びた際に出来た細かな傷がちくちくする。
血圧と体温は生体操作で保っているが、ワン・ダ・バの体液を借りて補充しなければ生命維持は難しいだろう。背中に触れるコンテナの冷たさが、負傷によって熱を発し始めた体に優しかった。
月明かりの先に、ワン・ダ・バが横たわる東京湾が見える。藍色の波は穏やかに揺れ、南海を思い出させる潮騒が聞こえてくる。だが、潮の匂いはまるで違う。
排気ガスを始めとした化学物質が混じり合った、発展途上の文明の匂いだ。気管には悪いが、嫌いではない。右腕の付け根から流れ出ている血液と体液がアスファルトを汚していて、コンテナの外装を焼け焦がしていた。ゾゾは緩く息を吐いてから、居たたまれなさそうに俯く紀乃を見やった。
「怒らないでね」
紀乃はゾゾの向かい側にあるコンテナに寄り掛かり、エナメルブーツのつま先を見つめた。
「ゾゾの後を追い掛けるつもりなんてなかったの。だけど、ゾゾがどこに行くのかがどうしようもなく気になって、外に出たの。そしたら、ゾゾが一人であの屋敷に向かっていくのが解って、だから……」
「私の身を案じて下さったのですか」
「うん。だって、放っておけなかったし」
紀乃はつま先を揺らし、こつん、と太いヒールでコンテナを叩いた。
「で、念のためにって思って、倉庫から電磁手錠を出して持ってきたの。良かった、なんとかなって」
「よくありませんよ、何も」
ゾゾは露出した肩の骨を左手で押さえ、尻尾の先でアスファルトを叩いた。
「私や他の皆さんに相談もなしに、勝手に動かないで下さい。今夜のことは、全て私に非があるのです。紀乃さんや皆さんを巻き込みたくないから単独行動を取ったというのに、追い掛けられては困りますね。怒りはしませんけど、呆れました。大体なんですか、あなたは一度クソ野郎の手中に落ちたではありませんか。不用意に奴に近付けば、今度こそ手込めにされるかもしれないのです。前回は虎鉄さんと芙蓉さんが危ういところを助けて下さいましたが、毎度毎度、都合の良いことが起きるわけがありません。龍ノ御子たる生体情報の持ち主であると同時に、女の体であることも自覚して下さい。クソ野郎は、紀乃さんが十六歳になるまでは手を出さない、とかなんとかほざきやがったらしいですが、単純にあいつのストライクゾーンが十六歳だというだけであって十六歳以下でも以上でもお構いなしなんですよ。その辺もきちんと覚えておいて下さいね。あまりに無謀な行動を取られてしまうと、いくら私でもフォローのしようがなくなるんですから」
「やっぱり怒っている」
紀乃は唇を尖らせ、つま先でアスファルトを蹴った。
「言うべきことを言ったまでですよ。助けて下さったことについては、感謝しますけどね」
ゾゾは紀乃の横顔を見たが、目を逸らした。
「ゾゾの生体情報、取られちゃったってことでいいのかな」
紀乃はその場に座り込み、膝を抱えた。ゾゾは失った右腕を補うように尻尾を動かすが、反応は鈍かった。
「ええ、間違いなく。私という個体から生体情報を採取するのに必要な肉片はほんの数グラムですので、あれだけの量があればワンであろうが何であろうが動かせることでしょう。もっとも、クソ野郎はワンを奪い取る気はないようで、波号さんを利用して代用品を造り出し、それを利用してニライカナイへと至るつもりでいるようです」
「そんなことって、出来るの?」
「理論の上では可能です。ですが、波号さんに掛かる負担はとてつもなく大きいです。クソ野郎の生体組織によって波号さんのコピー能力に幅が出来たとしても、人間ですし、増して幼い女の子ですから、物理的にも精神的にもすぐに限界が訪れてしまいます。ワンと同じ質量の肉体は都心のビルや土を吸収すれば造れないこともないのでしょうが、まず、一時間と保たないでしょう」
「だったら、それを阻止しなきゃダメじゃん。波号って子を死なせるのは良くないもん」
「ええ、そうなのですよ。そうなのですが……」
ゾゾは右腕があった場所に左手を添え、自分への腹立たしさに任せて握り締めた。
「私の生体情報を得たクソ野郎を止める手立ては、最早、ありません。今でこそ、ワンは私の制御下にありますが、クソ野郎がゴ・ゼンとしての能力を取り戻したら、ワンを奪われてしまいます。ワンをコピーして巨大化した波号さんとワンがクソ野郎の配下となれば、手の付けようがありません」
「だったら、また私が行ってゾゾの右腕を」
「いけません。私の右腕を奪い返したところで、クソ野郎は既に生体情報を採取しているはずです。無駄足です」
「じゃあ、どうしたらいいの? ねえ、どうすればいいの?」
焦りと不安に駆られた紀乃が前のめりになると、ゾゾは規則正しく並ぶコンテナを一瞥した。
「逆転出来る機会があるとすれば、クソ野郎がワン並みに巨大化させた波号さんを利用して超越空間を開いた瞬間ぐらいなものでしょう。上手くいけばクソ野郎を異空間の狭間にでも放り込めるのですが、今のままではまず不可能です。忌部さんはゴ・ゼンとしての能力は足りていますが、過剰融合する傾向がありますので、再び合体してワンを操縦して頂くのは酷です。まかり間違えば忌部さんは溶けて消えかねません。ミーコさんと小松さんのおかげでワンは安定していますが、首の縫合手術を終えていないので不完全です。今のままでは、正直、勝ち目はありません」
「だったら、どうしてゾゾはワンを動かして東京まで来たの?」
「それは……」
紀乃を助けたかったからだ。ゾゾはそう言いたかったが、口籠もった。たったそれだけのために、分が悪くなると解っていながら、ワン・ダ・バの蘇生手術を行った。ミーコと小松を犠牲にした。愚行などというレベルではない、エゴの暴走だ。欲望に負けている。自分が情けなくてたまらず、ゾゾは口の端を歪めた。
「役に立たせてよ」
立ち上がった紀乃はゾゾに歩み寄り、腰を曲げて目線を合わせてきた。
「大丈夫だよ、やり直せるよ。だって、まだ全部終わったわけじゃないもん」
「ですが、紀乃さん」
ゾゾが躊躇うと、紀乃はゾゾの傍らに寄り添った。服が汚れるのも構わずに体を寄せ、柔らかな肌が接した。生体電流を感じ取らずとも、思考を読み取らずとも、紀乃の怯えは肌で感じ取れた。ゾゾは左腕で紀乃を抱き寄せようとしたが、押し止めた。紀乃は酸性の血溜まりにスカートの端が浸るのも気にせずに、ゾゾにしがみついてくる。紀乃の髪を比較的汚れの薄い爪先で梳きながら、ゾゾは胸中を締め上げる苦しさと戦った。
「ガニガニだって生き返った、ミーコさんと小松さんだって最後の最後は幸せになった。だから、なんとかなるよ」
紀乃はゾゾの胸に額を当て、静かに言った。ゾゾは張り詰めていたものが緩み、紀乃の髪に鼻先を寄せた。
「ようやく、紀乃さんに触れさせて頂けましたね」
「ゾゾの方が嫌がるかと思ったから、近付かなかったんだよ」
「おやおや、それはそれは」
「だって、私、ゾゾの役に立つどころか足を引っ張っちゃったんだもん。ゾゾの方こそ、私に愛想尽かしたでしょ?」
「そんなわけがありますか。埋め合わせは、そうですね、紀乃さんが御飯を作って下されば充分です」
「え? そんなんでいいの? だって、私がミスっちゃったせいでこんなことに……」
「あなたのせいではありませんよ、全てはクソ野郎が元凶なのですから。ですが、それ以上のことをなさって下さるのでしたら、快くお受けしますが?」
ゾゾは喉の奥でくつくつと笑いながら、紀乃の頼りない背に左手を伸ばした。手が触れた瞬間、紀乃の背はびくりと引きつったが、抗わずに委ねてきた。背中から腰に手を下ろし、軽く引き寄せると、紀乃は顔を向けないままではあったがゾゾに体重を掛けてきた。
柔らかく甘ったるい匂いが一層濃くなり、胸中の締め付けも強まる。手付きにはまだ躊躇いが残っているので力は込めていなかったが、越えるべきではない線につま先を掛けただけでも、快感は鮮烈だった。少女の体温は冷え切った体には特に心地良く、肉付きが控えめな体を抱いた感触は訳もなく優しい。
やはり、自分の内には竜ヶ崎全司郎が潜んでいる。体の奥でじっと息を殺し、魂の根底に住み着き、ゾゾが紀乃に対する欲望を抑えられなくなる瞬間を待ち侘びている。ゾゾの体液を浴びすぎて崩れ落ちそうなほど腐食が進行したコンテナから背を外し、気恥ずかしげに縮こまっている紀乃を見下ろして、ゾゾは改めて自分を戒めた。紀乃を愛しているのなら、扱いも丁重にすべきだ。そして、愛情と欲情を混同しないようにしなければ。
本当に、紀乃を愛するならば。
これは現実の光景なのだろうか。
病室の窓から見える景色は、昨日までの景色とは懸け離れていた。東京湾には、推定十五万メートルもの規模を誇る宇宙怪獣が横たわり、街明かりは一つ残らず消えている。
唯一機能を果たしている総合病院には、秋葉の他にもインベーダー絡みの負傷者が運び込まれてくる。今し方も救急車が乗り付け、ストレッチャーを押していったが、戦闘でも起きたのだろう。銃声も聞こえ、ヘリコプターらしき機影が墜落する様も窓から見えていたが、被害の程度までは解りかねる。虎鉄と芙蓉と斎子紀乃が反乱を起こした際、秋葉は波号を竜ヶ崎から引き離す絶好の機会だと踏んで竜ヶ崎の自室に踏み込んだ。だが、波号は秋葉の言うことに耳も貸さず、それどころか。
「むーちゃぁあああんっ!」
思い掛けない声に秋葉は動揺し、ベッドからずり落ちかけた。すかさず病室のドアが全開になり、迷彩服姿の山吹が飛び込んできた。なぜ、ここが解ったのだ。秋葉が目を丸めると、山吹は秋葉の傍に駆け寄った。
「大丈夫っすか、むーちゃん!」
「丈二君。なぜ、ここが」
秋葉が驚きつつも訝ると、山吹はへらっと笑った。
「窓明かりで解るっすよ、そんなもん。そこら中が真っ暗っすから、逆に見つけやすいんすよ。んで、変異体管理局関係の医者に聞いて、病室も教えてもらったんす」
「どうして?」
竜ヶ崎に乗せられたとはいえ、山吹を利用してしまったのに。秋葉が目を伏せると、山吹は快活に笑う。
「いいじゃないっすか、また会えたんすから」
今度こそ嫌われた、とばかり思っていた秋葉は、安堵しすぎて涙腺が緩みかけた。戦闘状況は継続しているし、非常事態宣言も解除されていないのだから、入院している身であっても緊張感を保つべきだ。そう思うも、波号から二度も攻撃された辛さが今になって沸き上がる。だが、これ以上は無理だ。踏ん張りきれなくなった秋葉は、自由の利く左腕で山吹に縋り付き、震える唇を歪めて嗚咽を零した。
「丈二君……」
「俺がいない間に、一体何があったんすか?」
山吹は秋葉を支え、入院着の下から垣間見えた右肩がテーピングされていることに気付いた。
「話す。けれど、一度には無理」
秋葉が山吹の戦闘服に顔を埋めると、山吹はベッドに腰を下ろし、秋葉を抱き寄せてくれた。
「だったら、ゆっくり話すっす。俺も、むーちゃんに色々と話すことがあるっすから」
秋葉は涙を拭ってから頷き、一つ一つ、話し始めた。山吹を箱詰めにして忌部島に送り込むという作戦を立案したのは真波だが、最終的な決定を下したのは自分であると言うこと。山吹の身柄と引き替えに東京に連行された紀乃と忌部が上陸した直後、虎鉄と芙蓉が反乱を起こし、変異体管理局が機能を失ったこと。その最中に波号から攻撃され、右肩を脱臼してしまったこと。忌部と異星体の頭部が融合合体し、竜ヶ崎を倒そうするも逆にやり込められて虎鉄と芙蓉共々逮捕されてしまったこと。電磁手錠を填められて能力を封じられた虎鉄の口から、竜ヶ崎の過去の悪行を語って聞かせられたこと。無条件に虎鉄の話を信用したわけではなかったが、一概に嘘とは言い切れないと判断し、伊号と波号を竜ヶ崎から引き離して戦闘から離脱させようとしたこと。だが、その際、波号がサイコキネシスで操ったナイフによって背中の皮を切り裂かれ、負傷したこと。
それらを話し終える頃には、山吹の戦闘服の胸元には涙による大きな染みが出来ていた。山吹は話を聞く間、ずっと秋葉を慰めてくれた。それがなければ、心の根本が折れてしまっていたかもしれない。辛いのは、山吹も同じだろうに。
秋葉の話が一段落すると、山吹も話し始めた。忌部島に荷物扱いで落とされた後、忌部島の真の姿が宇宙怪獣戦艦であるとゾゾから語って聞かされたこと。ゾゾと多次元宇宙空間跳躍能力怪獣戦艦ワン・ダ・バの本来の目的は、宇宙空間を跳躍する新技術の実験を行うためであったこと。竜ヶ崎全司郎の正体はゾゾの生体分裂体であり、ワン・ダ・バを操縦するために生体情報を分け与えられていること。竜ヶ崎の目的とは、遠い過去にニライカナイと呼ばれるゾゾの母星に旅立った女性と再会すること。そのためだけに、竜ヶ崎は御三家の女性達を孕ませて子を産ませ、龍ノ御子と呼ばれる生体適合者を作り出そうとすると共に、竜ヶ崎家、滝ノ沢家、忌部家の御三家を繁栄させてきたこと。その弊害で、多くのミュータントが生まれてしまったこと。ミーコこと宮本都子と小松建造は、我が身を犠牲にしてワン・ダ・バを復活させてくれたこと。二人は幸せになったこと。竜ヶ崎は詰めに入りつつあること。
「この戦いから、逃げるのは簡単っす」
語り終えた山吹は、秋葉の腰を引き寄せ、その頭にマスクフェイスをもたせかけた。
「でも、そんなんじゃダメっす。俺達はここまで深く関わっちまったんすから、局長が俺達を放っておいてくれるはずもないっすよ。だから、むーちゃん。俺と一緒に戦ってくれないっすか。出来ることがあるなら、するべきなんす」
「了解」
秋葉は泣き濡れた頬を拭ってから、頷いた。山吹は頷き返してから、秋葉を見つめた。
「じゃ、まず、最初に話しておくことがあるっす。主任も、十中八九ミュータントっす」
「主任? けれど、主任はただの人間であってミュータントではないはず」
「俺もずっとそう思っていたんすけどね。ほら、この前の公休日の時、むーちゃんの携帯が行方不明になって、俺とむーちゃんが行き違ったことがあったじゃないっすか。仕事がないはずなのにむーちゃんに仕事が割り当てられていたり、イッチーの親父さんの四十九日の法要に行ったはずになっていたり、俺のメールが届かなかったり、って。むーちゃんには深追いするなって言ったっすけど、どうしても気になったんで調べてみたんす」
山吹は、いつになく真剣に語った。
「忌部島、っつーか、ワン・ダ・バが海上基地に接岸してすぐ、資料室に潜り込んでハッキングしてみたんす。どうせ誰もいないんすからね。それまで、俺達は敵についての情報しか調べなかったし、興味を持っていなかったじゃないっすか。ていうか、敵も味方も元を正せば同じものだってことに気付いていなかったんすよ。だから、局員のどこからどこまでが局長や忌部さんの血縁者なんだろうって思って、洗いざらい調べてみたんすよ。変異体管理局の権限で政府のデータベースにも潜れるところまで潜って、時系列と照らし合わせてみたんす。そしたら、主任は二十一歳の時に病気療養ってことで丸一年も休職しているんす。だから、主任の病歴も洗ってみたんすけどね、あの人は持病なんてないし手術したことだってないんす。てぇことはつまり、病気療養って名目の産休だったってことっす」
「なぜ、産休だと言い切れる?」
「こいつが動かぬ証拠っす、証拠。主任しか使えない機密文書の棚をぶっ壊したら、出てきたんす」
山吹は戦闘服の内ポケットを探ると、小さな冊子を取り出した。一ノ瀬真波、紗波、との名前が記入されている、可愛らしいデザインの母子手帳だった。秋葉はその母子手帳を受け取り、開いてみたが、中身は真っ新でほとんど記入されていなかった。経過の数字もなければ記録の数字もなく、母親の我が子への感心のなさが窺えた。秋葉はそれを少々腹立たしく思いながら最後まで捲ると、見慣れた字で署名されていた。命名、紗波。竜ヶ崎全司郎。
「紗波ってのは、恐らくはーちゃんの本名っす。はーちゃんは産まれて間もなく変異体管理局に引き取られた、ってことになっていたっすけど、実のところは変異体管理局の中で産まれたんじゃないっすかね。医療設備も整っているっすし、どんな子供が生まれても内密に出来るっすし、手回しする手間が省けるっすからね。相手が局長だってことは驚きはしなかったっすけど、母親が主任ってのはさすがにビビったっすね。で、それを踏まえて考えると、主任も多少の能力を持っていてもおかしくないってことっす。はーちゃんの母親なら、尚更っす。だから、きっと、この間俺とむーちゃんが行き違っちゃったのは、主任がむーちゃんに変身していたんじゃないかって考えたんす」
山吹は秋葉の手元を覗き込むと、秋葉は母子手帳を閉じた。
「では、局長は実の娘を兵器利用し、主任も実の娘を兵器利用しているということになる」
「そうっすよ。はーちゃんに常時ゴーグルを被せていたのは、きっと、顔を隠しておく意味もあったんすね。でないと、はーちゃんが主任に似ているって誰かが気付いちゃうはずっすから」
「はーちゃんの意志は、どこにあるのだろう」
秋葉が悔しさを滲ませると、山吹は秋葉の左肩に手を回した。
「今からでも遅くないっす、やるだけのことをやってみるんす。何もしないでいるよりは、ずっとマシっす」
「同上」
秋葉は母子手帳に目線を落とすと、怒りとも悲しみとも付かない感情が広がった。お腹を痛めて生んだ我が子を愛せない人間がいる、ということは知っている。それが真波であり、愛されずに兵器利用されているのが波号であるということが、一層複雑な思いを生む。
波号は過剰な情報を吸収して一気に自我が成長したように見えるが、根底はまだまだ幼い。秋葉を攻撃したのは、竜ヶ崎に気に入られたいがための行動ではないのだろうか。他人に対して攻撃的になっているのも、自分を守りたいがためのことではないだろうか。どれも仮定に過ぎず、秋葉の一方的な思い込みかもしれないが、波号を放り出してしまいたくなかった。甲型生体兵器と現場監督官補佐という関係だけでは終わりたくない、いや、終わらせてはならない。真っ新な母子手帳を握り締め、秋葉は決意を固めた。
「丈二君。頼みがある」
「なんすか、むーちゃん?」
上体を曲げて覗き込んできた山吹に、秋葉は言い切った。
「結婚して。そして、はーちゃんを養子にする。主任もあの子を愛さない。局長もあの子を人間だと思ってくれない。だから、せめて、私だけははーちゃんを人間として生かしてやりたい」
「俺から言うつもりだったんすけどねー、それは」
山吹は照れ笑いしつつ、戦闘服の胸ポケットを探ってビロードの小箱を取り出し、秋葉に差し出した。
「んじゃ、俺からも改めて。結婚して下さい。新婚で子持ちなんて上等じゃないっすか、マジ上等」
「ありがとう、丈二君」
秋葉は山吹の手からビロードの小箱を受け取ると、蓋を開け、小さな宝石が填った細い指輪を確かめた。
「いやいや、こちらこそよろしくお願いするっす」
山吹は秋葉の頬にマスクを付けると、秋葉は左手を山吹のマスクに添えて腰を浮かせた。
「だから、私は丈二君が好き」
山吹の答えを待たずに、秋葉は乾いた唇を冷たい外装に押し当てた。山吹は秋葉の背中に腕を回すと、右肩の脱臼に気を遣いながら抱き寄せてくれた。久々に感じる山吹の存在感と、金属の肌であろうとも感じ取れる愛情の深さを味わいながら、秋葉はこの心地良さを波号にも伝えてやりたいと心から思った。
誰かの記憶と経験を借りていなければ生き続けられない波号、一週間ごとに記憶を失ってしまうために狭い世界の中でしか生きられない波号、竜ヶ崎によって能力の幅を増やされたせいで情緒不安定に陥った波号、いずれは呂号と同じように使い捨てられてしまう運命にある波号。
単純な同情だけでは、安易な愛情だけでは、陳腐な優しさだけでは、波号を救い出せるわけがない。秋葉は唇を引き締め、山吹の肩越しに闇に没した都市を見据えた。
余計なことは、一切考えるな。




