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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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39/61

異形姉弟的幸福論

 掘って、掘って、掘り進めた。

 火山島である忌部島の地盤は軟らかい。水捌けが良いので作物の栽培には適しており、そのおかげもあってゾゾが育てた野菜の恩恵に与れている。石や珊瑚礁に混じって過去に起きた噴火の名残と思しき溶岩の固まりもいくつか埋まっていたが、大した問題ではない。綺麗な穴を掘る必要などないのだから。

 ただひたすらに火山灰混じりの土を掘り返し、忌部島の地表そのものに近付ければいいのだ。小松は背中の排気筒から黒煙を噴くと、掘削用のバケットを装着した多目的作業腕を振り上げて大量の土砂を穴の外に掻き出した。土の飛沫はいびつな弧を描き、穴の外側に降り積もった。

 こういった作業には紀乃がいてくれれば捗るのだが、生憎、人智を越えた超能力を操る少女は忌部島から遠く離れた本土で竜ヶ崎全司郎の手に落ちている。かといって、他の面々では助けになるどころか足手纏いでしかない。畑と森の中間地点を掘り始めてから一日半が経過したが、まだまだ終わりそうにない。

 半球状の頭部を半回転させると、安全圏から事の次第を見守っている面々が目に留まった。作業を始めてからは微動だにせずに直立しているゾゾ、興味深げに大穴を覗き込んでくる甚平、手慰みにエレキギターを爪弾いている呂号、不安げで今にも倒れてしまいそうな翠、いつになく真面目な顔をしたミーコ。

 彼らの姿は小松の頭上より遙かに遠く、穴の深さが窺い知れた。この分では外側に降り積もった土は山ほどあるだろうが、小松にはそれを捨てに行くことは出来なくなっていた。随分前に紀乃を連れて昇った火山の火口とは異なり、土壌が軟らかすぎて六本足を突き立てようにも崩れ落ちてしまう。

 ワイヤーフックを打ち込んで昇ろうにも、外周部には小松の体重に耐えられるほどの強度はない。深さにして十二三メートル、といったところだろう。円形に区切られた空はすっかり暮れていて、漁船の集魚ランプを改造して作った投光器からの光がなければ、穴の中は真っ暗で作業どころではない。

 砂と土と火山灰が積もった地層にバケットを突っ込み、抉る。バケットを擦らせながら何百回と繰り返した作業を行おうとしたが、バケットに硬いものが擦れた。

 また溶岩の固まりにぶち当たったか、と思いながら、小松は頭部に内蔵されているランプを下に向けた。バケットの中身を背後に放り出してから違和感の主を凝視すると、岩のようでいて岩ではないものが現れた。土を払いのけてから更に凝視すると、バケットの幅と同じ摩擦痕が付いた赤い岩盤があった。赤だと解ったのは、投光器だけでは光量不足なので光度を調節した上に色調を補正して見たからだ。

「ゾゾ。出てきたぞ」

 顔を上げた小松がシャッターを瞬かせると、ゾゾは頷いた。

「それだけ露出させて頂ければ、よろしいでしょう」

「……ん」

 不意にエレキギターの音色が止まり、セーラー服姿の呂号は指を止めて耳を澄ませた。

「あ、えと、どうしたの?」

 ほとんど腹這いになって穴の底を覗いていた甚平が訝ると、呂号は穴の方向に顔を向けた。

「音が聞こえる。恐らく脈拍だ」

「それが、ワンさんの心臓の音ですの?」

 離れた場所に座っていた翠が腰を上げると、ミーコが笑った。

「そうだよ、だよ、だよ、だよー。だって、ワンは生き物だもん、もん、もーん」

「では、術式開始です」

 ゾゾは軽く足元を踏み切ると、穴の真上に跳躍した。背中からはコウモリのそれに酷似した翼を生やし、広げると同時に空気を叩いた。それを何度か繰り返して落下の勢いを緩めたゾゾは、土砂まみれになっている小松の頭部の上に着地し、滑り落ちないように外装に足の爪を立てて単眼を凝らした。顎に太い指を添えたゾゾは低く唸ると、しばらく考え込んでいたが、小松に指示を出してきた。

「下大動脈に程近い場所ですね。では、小松さん、まず最初に杭打ち機で杭を打ち込んで下さい」

「ここに直接か?」

 小松はバケットを付けたままの腕で、僅かばかり露出した宇宙怪獣戦艦の皮膚を叩いた。

「ええ。ワンは生きてはいますが、脈が弱すぎますので。まずは刺激を与えて下さい、それも強烈に」

 ゾゾが頷いたので、小松は両腕からバケットを外して合わせ、杭打ち機に変形させた。

「解った」

 合体させた多目的作業腕の後方からは油圧シリンダーが伸び、掘削用のスクリューの尖端の奥に長い杭を装填した。ギアを組み替え、エンジンから発せられる動力を両腕にだけ伝わるようにし、六本足も曲げて衝撃に耐えうる状態にした後、小松は杭の尖った尖端を岩盤に似た皮膚に据えた。

 スクリューを時計回りに回転させて岩盤に似た皮膚の表面に抉り込ませていくと、次第に感触が変化し始めた。最初は岩を砕く時となんら変わりない手応えだったが、一メートル、二メートルと押し進んでいくと、ぐじゅりと水気が噴き出した。小松は作業は止めずにメインカメラを足元に向けると、液体が滲み出してきた。だが、それはただの地下水ではなく、小松の外装に触れると途端に酸化して薄い煙が立ち上った。痛みはなかったが少々動揺した小松は、思わずスクリューの回転を止めた。

「うおっ」

「御心配なく、ワンの体液は金属は腐食しますが、生き物は腐食いたしません」

 ゾゾは小松が開けた穴を睨みながら、宇宙怪獣戦艦の体液の臭気を嗅いだ。

「ふむ。多少栄養失調気味ではありますが、火山から乖離しての生命活動には支障は来しませんでしょう。杭打ち機で掘り進めているだけでもかなりの刺激になっているからでしょうね、鼓動が早まり始めています」

 ゾゾが言い終えるや否や、小松の足元が上下した。

「杭の方向を、下大動脈から右心房に向けて下さい。こういう具合に」

 ゾゾは小松のメインカメラの前で手を捻ってみせるが、小松は今一つ把握出来ず、左半身を下げてみた。

「こうか?」

「その姿勢のまま、もう少し前に出てみて下さい。杭の尖端が下大動脈を通って右心房に入るはずです」

「こう、か?」

 小松が上半身を押し出すと、杭が円筒形の液体の中に没した。噴き出す体液の量も増え、小松の外装を焼く。

「ええ、そうです。それでよろしいのです」

 ゾゾは小松の杭が突き刺さった位置を確かめてから、指示を出した。

「次は、杭から電流を流して下さい。強さは小松さんにお任せしましょう」

「解った」

 小松は右腕から伸びているスクリューと杭を据えてから、穴の外に向けて言った。

「電気が必要だ。なんでもいいから、ケーブルを下ろしてくれ。投光器の傍にあるはずだ」

「だそうだが。早くしろ」

 呂号が投光器に顔も向けずに言い捨てると、ぞんざいな返事と共に太いケーブルが穴の中に放り込まれた。鞭のようにしなりながら降ってきたケーブルは、ゴムカバーが剥がされて露出した銅線から火花が散っていたので、小松は左腕を伸ばして体液に浸かる前に絡め取った。それを杭に巻き付けると鋭く電流が弾け、強烈な刺激を受けた心臓の筋肉が一度収縮した後に痙攣した。

 小松の杭がへし折れかねないほどの痙攣が何度となく続いていたが、不意に足元がぐらついた。と、同時に地面自体を揺らがす振動が発生し、どぅん、どぅん、どぅん、と規則正しい揺れが始まった。

 それが心臓の鼓動であることは言うまでもなく、宇宙怪獣の名に相応しい強さで、六本足のシリンダーが鼓動を受けるたびに伸縮してしまう。このままでは横転してしまう、と危機感を覚え、小松はスクリューを高速回転させて杭ごと回収すると、心臓の真上から後退った。途端に穴を開けられた皮膚から大量の体液が噴出し、小松に襲い掛かった。防ぐ手立てもなかった小松はたっぷりと体液を浴び、黄色と黒の外装はすっかり剥げ落ちた。

「ワン・ダ・バは体液が酸性なのか。だとすると、お前もそうなのか、ゾゾ」

「ええ。ワンほど酸性は強くありませんけどね」

 ゾゾは小松の頭部から操縦席の上に下りると、膝の高さまで溜まった体液を掻き分けて進み、小松の杭打ち機が開けた穴の中に尻尾を差し込んだ。それを宇宙怪獣戦艦の肉に突き刺したのか、鼓動とは違ったタイミングで小松の足元が上下して体液の海が荒く波打った。ゾゾは単眼を閉じて考え込んでいたが、赤黒く汚れた尻尾を体液の中から引き抜くと、飛沫を散らしながら尻尾を立てた。

「おかしいですね? ワンの心臓には間違いなく電気ショックを与えられたのですが、反応が今一つ……」

「どうかしたのか」

「頭部がないことを差し引いても、生体活動に活性が見られないのです」

「心臓は動いているぞ」

 と、小松が鼓動に合わせて波打つ体液の海を指すと、ゾゾは首を横に振った。

「それだけではいけません。脳を目覚めさせなければいけないのですが、私が生体接触しても条件反射程度の反応しか返ってこないのです。エンジンが動いても、運転手がいなければ車は動きませんからね」

「ワン・ダ・バは、首がないのに脳があるのか?」

「構造としては、人類が発明した機械と同じですよ。小松さんだって頭部に様々なセンサーが搭載されていますが、そこに脳が入っているわけではありませんでしょう? ワンもそうなのです、頭部は飽くまでも感覚器官であって脳はまた別にあるのです。ですが、頭部がなければワンは外界を知覚できませんし、満足な動作も取れませんし、次元乖離空間跳躍航行技術など以ての外なのです」

「だったら、どうするつもりだ」

「恐らく、ワンに足りていないのは神経伝達物質でしょう。脳が反応していないのに条件反射が返ってくる、ということは、ワンの神経系統は生きているのです。ハルキゲニアも小松さんの資材も元気に食べておられましたから、内臓は至って元気ですし、その他の器官もそうでしょう。ですが、脳だけが沈黙しているようなのです。神経伝達物質が消耗した原因として考えられるのは、前回、恒星間航行技術を使用してから補給しなかったからでしょう」

「要するに、ワン・ダ・バは腹が減っているのか」

「それはそうなのですが、ワンの主食は、惑星のエネルギーと言いますか、惑星を破壊した際に発生する大規模な衝撃破が生み出す空間変動による次元断裂によって異次元空間から通常空間に飛散する反物質なのです」

「面倒臭いな」

「そうなのですよねぇ。ですが、そのために地球を吹っ飛ばしてしまっては元も子もありませんし」

「だが、こいつが動かないと困るのか」

「それはもちろん。紀乃さんも、あなた方も、助けられませんからね」

 ゾゾは体液にまみれた尻尾を揺すりながら、思案し始めた。小松はその様を視界の端に捉えながら、単眼に似たメインカメラを上げて穴の外を見やった。呂号以外の視線が集まっていたが、小松はミーコに視線を向けた。ミーコは酸性の体液に浸りすぎて外装がすっかり焼け焦げてしまった小松が心配で仕方ないのか、眉を下げていて、身を乗り出して覗き込んでいる。自分の肉体から立ち上る煙を纏いながら、小松は姉と向き合った。

「ねえ、建ちゃん」

 ミーコはおもむろに口の中に手を入れると、喉の奥から寄生虫を一掴みして引き摺り出した。

「私のコレ、使えないかな? かな? かな?」

「使うって……ああ、うん、そういうことかな。でも、それは……」

 すぐにミーコの考えを察したが、甚平は口籠もった。呂号はそれが面白くないのか、つま先で甚平を小突く。

「何がどういうことかさっさと説明しろ」

「ああ、うん、えとね。ほら、ミーコさんって、寄生虫の固まりでしょ? 見た目は人間っぽいけど、人間の皮を被っているだけっていうかで。要するに群体だね。軍隊じゃなくて、群れる体って書いて群体。でも、ミーコさんの場合は、魚の群れとか虫の大群とかとは違って、全体が一つの意志でまとまって動いているわけじゃなくって、女王寄生虫っていう中枢があるっていうか。で、一匹一匹はその意志を伝え合って一人の人間のように動いているっていうか、脳も神経もなしに人間っぽいことが出来ているっていうか。だから、その」

「要するにミーコの寄生虫は接触するだけで神経細胞と同じ役割を果たすばかりか同時に情報統制を行っているというわけか。シナプスもニューロンもないのにだ。その理屈が正しければミーコの寄生虫を不足した情報伝達物質の代用品として使用出来る可能性もなきにしもあらずだがミーコをミーコとして構成している寄生虫が著しく欠如すればミーコはミーコではなくなってしまう可能性も非常に高い。そういうことだろう。ゾゾ」

 呂号が捲し立てると、ゾゾは両手を上向けた。

「大体はそんなところですね。説明する手間が省けましたが、御株を奪われました」

「何もミーコがそこまでする必要はない。なんとか出来るだろう、ゾゾ」

 小松は頭部を左右に振ってから、ゾゾを見下ろした。ゾゾは体液の底を探っていたが、呟いた。

「残念ながら。今のワンでは、地球の大気圏外まで飛行すら出来ません。地球以外の惑星を破壊して反物質を調達することも考えてみましたが、まず無理です。それこそ、地球存亡に関わる重力変動が起きてしまいますから。ですから、最も安全かつ効率的な手段としては、ミーコさんのお命を頂く他はないでしょう」

「まあ……」

 動揺した翠がよろめくと、それをミーコが受け止めた。

「大丈夫だよ、だよ、だよー。大したことないもん、もん、もーん」

 ミーコは翠を抱き締めて宥めつつ、いつものように明るく笑っている。投光器からの青白く鮮烈な光が逆光となり、図らずもミーコの陰影を濃くしていた。良い子良い子ー、と泣き出しかけている翠を撫でてやりながら、ミーコは笑顔を絶やさない。甚平は呂号から裾を引っ張られてつんのめったが、呂号がいつになく表情を強張らせていると知ると彼女の手を取ってやった。

 小松は再びゾゾを見下ろしたが、なぜか憎悪は湧かなかった。ワン・ダ・バを生かすためにミーコを殺すと明言したのに、エンジンは過熱しなかった。逆に冷却装置が暴走したかのように冷え込んできて、視界が定まらずにメインカメラがふらつき、端々にノイズが散った。

「やっぱり、あんたって最低っすよ」

 投光器の真後ろから声を荒げたのは、投光器を操作していた山吹丈二だった。

「お褒め頂き、光栄です」

 ゾゾが自嘲すると、小松は呆気に取られた。

「なぜお前が怒る、山吹」

「なぜってそりゃ、あんたらのリアクションが薄いからっすよ」

 在り合わせの資材を組んで作った投光器から飛び降りた山吹は、穴の傍まで駆け寄り、更に叫んだ。

「乙型一号もそうっすけど、ミーコのことも道具扱いしてばっかりじゃないっすか。インベーダーだけあって、血も涙もないっすね! インベーダーが減るのは結構なことっすけど、やり方ってもんがあるんじゃないっすか!?」

「山吹にしてはまともな言い分だな」

 呂号は、甚平の傍から離れずに言った。翠はミーコに抱き締められながら、山吹を見やる。

「ですけれど、山吹さん。私には、ミーコさんのお気持ちもゾゾさんのお気持ちもよく解りますわ。私も、こんな体ですから誰のお役にも立てませんでしょう。御兄様を始めとした皆様には余りあるほどの御恩がございますし、どんな形でもよろしゅうございますから、お返ししたいって思っておりますわ。御兄様や紀乃さんをお助けして差し上げたいというお気持ちも、本家の御前様を快く思わないお気持ちも、私には解りますわ。ですから、ゾゾさんのお考えも一概に否定出来ませんし、ミーコさんのお気持ちもとても嬉しゅうございますの。どちらもお止め出来ませんわ」

「あ、えと、まあ、そういうことだから。だから、その、僕らだって、全面的に賛成したわけじゃないっていうか。でも、そうしなきゃ、もっと悪いことになるっていうか。だから、その……」

 甚平が翠の意見に同意すると、小松は山吹に問うた。

「山吹。お前にも女がいるじゃないか。このままだと、竜ヶ崎のクソ野郎はお前の女にも手を出すかもしれない。それでなくとも、放っておけば竜ヶ崎のクソ野郎がのさばるばかりだ。それが良くないと思ったから、お前はワン・ダ・バの蘇生手術を阻止しなかったんだろう? 俺達の誰も殺さなかったんだろう?」

「そうっすよ! 俺だって、本当は局長のことは裏切りたくなかったすよ! インベーダーなんか信じたくなかったし、増して俺とむーちゃんを殺しかけた小松建造となんか口も利きたくなかったすよ! 俺は天下の国家公務員であり、この世でただ一人の人型軍用機のパイロットであって、地上最強のサイボーグであって、むーちゃんの未来の旦那なんすよ! でも、でも、でも!」

 山吹は銀色の拳を固め、土砂の中に転がる溶岩の固まりを殴り付けた。

「どう考えたって局長はやりすぎなんすよ! 乙型一号と忌部さんが逮捕されるのは仕方ないにしたって、竜の首をメテオの地下から復活させるように仕向けたり、虎鉄と芙蓉を逮捕したりして! 無茶苦茶じゃないっすか!」

「遠からず関係者の粛清が始まると見て間違いない。甚平が話してくれた歴史にはそういう展開が多い」

 呂号が淡々と述べると、山吹はいきり立った。

「そうっすよ、俺の頭でもそんな展開が予想出来るから、じっとしていられないんすよ! 俺もむーちゃんも局長から見れば余計なことを知りすぎているはずなんす! だけど、俺には飛行能力もなければあんたらみたいに常識外れの能力なんてないっす! でも、こうしている間にも、むーちゃんが危ない目に遭っているかもしれないって思うと、あんたらに味方するしかないんすよ! 自分で自分が馬鹿みたいっすけどね!」

 山吹は荒く吸排気を繰り返していたが、穴に背を向けた。

「だから俺は、忌部島で起きている件には一切関知しないっす。本土に戻り次第、局長の腹積もりを止めるために動くっす。俺は忌部さんと違うからあんたらと馴れ合うつもりなんて毛頭ないっすけど、あんたらが動いてくれなきゃ、事態はどうにもならないんす」

「前から思っていたが。山吹。お前は他人に対して優しすぎる。ミーコから概要を聞かされた宮本都子の件にしてもそうだ。今の演説にしてもそうだ。角を立てたくないあまりに緩衝材になろうとしすぎている。その結果がこれだ」

 呂号が冷ややかに言い切ると、山吹は肩を竦めた。

「そりゃどうも。ロッキーは良いプロファイラーになれそうっすねぇ」

 山吹が足早に立ち去っていくと、穴の周辺には静寂が広がった。小松は山吹の気配をセンサーで感じ取ったが、機体の冷え込みがますます深まった。その理由は考えるまでもなかった。ミーコは翠から離れると、ちょっと寂しげだが、妙に誇らしげな表情を作っていた。小松の胸中がぎしりと噛み合い、鈍い音を立てた。

「ゾゾ」

 小松は単眼をゾゾに据え、一度、シャッターを開閉させた。

「神経伝達物質の他に、足りないものがあるんじゃないのか」

「ええ。ヴィ・ジュルの珪素回路です。彼がいなければ、ワンの演算能力と情報処理能力は大幅に低下してしまい、通常空間の航行もままなりませんが、私がワンと生体接触して情報処理を行えば、ワンを飛ばせられないこともありませんから。お気持ちはありがたいですが、ミーコさんだけで充分です」

 ゾゾは大きく裂けた口を薄く開いて笑みに似た表情を作ったが、小松は頭部を半回転させて目を逸らした。

「俺の脳を使え。珪素で出来ているのなら、ヴィ・ジュルよりも性能は低いだろうが、多少は役に立つだろう」

「ですがね、小松さん」

「俺もミーコも、生体洗浄を受けても元の姿には戻れないんじゃないのか? だから、ミーコを止めないんだろう?」

「よくお解りで。小松さんもミーコさんも、クソ野郎の生体情報との相性がなまじ良すぎたのです。それに、お二人は元々の生体情報をほとんど失っておりますから、ワンの生体洗浄プラントにお入りになったところで、本来の肉体を取り戻せる保証はありません。むしろ、ワンに吸収されてしまうかと」

 ゾゾは小松を直視出来なくなったのか、単眼を逸らした。

「だったら、尚更だ」

 消えるくらいなら、いっそ、共に果てたい。小松は今一度ミーコを見上げると、片腕を掲げて振ってみせた。柄でもない上に慣れないことだったので恥ずかしかったが、ミーコは瞬時に歓喜して飛び跳ねながら手を振り返してきた。姉の歓声を聞き取りながら、小松はメインカメラのシャッターを出来る限り細めた。笑みに見えるかどうかは定かではなかったが、初めて笑ってやりたいと思った。

 ミーコは小松の意図を感じ取ったのか、奇声に近い歓声を上げて跳ね回っている。視界の隅にゾゾを捉えると、ゾゾは顔を覆って項垂れていた。惜しんでくれているのだ。

 それが、照れ臭くなるほど嬉しかった。



 

 ログハウスから見下ろした海は、朝焼けに煌めいていた。

 二人の家を建てた崖は島の南西側なので、太陽は後方から昇りつつある。穴の底から這い出した後に見る朝日は格別の美しさだったが、ワン・ダ・バの酸性の体液に浸っていた六本足は塗装がすっかり剥げ落ち、土砂と体液の飛沫に汚れたメインカメラ越しでは爽やかさは半減していた。

 空は高く、雲の切れ端が風に流されている。潮風の匂いは解らなかったが、きっと生命の匂いがするのだろう。小松は頭部を一回転させて背後のログハウスに向き、窓の中で忙しく動き回るミーコに視線を据えた。あれから一睡もしていないのにいつも以上に元気で、慣れない仕事をしながら調子外れの歌を歌っている。小松は背筋に虫が這うような気恥ずかしさを覚え、思わず目を背けた。

 ワン・ダ・バの心臓の蘇生手術を終えた小松は、ゾゾが以前に紀乃の能力を模倣して会得したサイコキネシスによって無事に地上に引っ張り上げられた。だが、当の本人であるゾゾはサイコキネシスを使ったことで疲弊したのと、ワン・ダ・バが小松の珪素の脳やミーコの寄生虫を代用品として受け入れることが出来るのかを調べるために穴の底に残り、今も尚作業を続けている。

 小松は穴を出てからすぐに砂浜に行き、海に入って外装を腐食する体液を洗い流したが、それが金属製の体にとっていいはずがない。だが、給水塔に溜め込んである雨水は他の面々の飲み水なので、無闇に浪費するわけにはいかない。それに、この体との付き合いは、今日限りなのだから。

「建ちゃーん」

 板を填め込んだだけの窓から顔を出したミーコは、外したエプロンを振り回した。

「出来たよ、よ、よ、よー」

「またフナムシじゃないだろうな」

 小松は前後を反転させて窓に近付くと、ミーコは不満げにむくれた。

「違うもん、もん、もーん。ちゃーんとしたお料理だもん、もん、もーん」

 ミーコは窓から体を引っ込めると、小走りに駆けて崖側に面しているウッドデッキから出てきた。その手には、白い湯気を立てる白飯のおにぎりが十個ほど載っていた。小松は潤滑油が剥げ落ちたためにシリンダーの滑りが悪い六本足を縮め、這うような姿勢になり、得意げに胸を張るミーコとそのおにぎりを見比べた。

「それだけか。もっと他にないのか」

「だけって、ひどい、どいどいどいどーい! お釜で御飯を炊くのって難しいし、ゾゾから教えてもらったのはこれだけなんだもん、もん、もん、もーん! そりゃ、時間があれば他にもお料理を覚えたかったし、ここの台所で一杯一杯作って建ちゃんに御馳走したかったけど、でも」

 ミーコは盆を引っ込め、舌を出した。

「文句言うなら、建ちゃんにはあげない、ないないなーい!」

「すまん。悪かった」

「本当にそう思ってるぅ? うー?」

「というか、実際問題、血糖値が足りない。だから、単純にそれが喰いたい」

「……むー」

 ミーコは小松の答えが物足りないのか、唇を尖らせ、盆を背中に隠した。

「もっと、何か言うことってないの? の? の? の?」

 体格差の都合もあるが、ミーコは上目に小松を睨み付けた。子供っぽく膨らませた頬は綺麗な小麦色に焼けて、尖らせた唇は中身が寄生虫だとは思いがたいほど柔らかく、血色も良かった。色褪せて擦り切れる寸前のTシャツの胸元は豊かに膨らみ、そのくせ腰は細く、丈の合わないTシャツの裾から出ている腹部は引き締まっている。

 一度溶解して肉体を再構成したから、以前、小松が水死体も同然の彼女を開腹してガスや水を抜いた後にワイヤーで縫合した手術痕は残っていなかった。手足は長く肉も付ききっているのに、顔立ちは未だに幼さが垣間見えるのは単純に言動が足りていないからではない。十八歳で死んだ頃のままの姿を、止めているからだ。今更ながらそれに気付いた小松は、機体の奥が冷え込むのと同時にセンサーしか入っていない頭の中が熱した。

「俺も、お前も、本当はとっくの昔に死んでいるんだよな」

「うん、そうだね、ね、ね、ね」

 ミーコは幼い表情を消し、おにぎりを載せた盆をウッドデッキのテーブルに置いた。

「死んでいるんだ。生きてはいないんだ。ここにいる俺も、ミーコも、ただの名残なんだ」

 小松は右腕をミーコに伸ばすと、ミーコはマニュピレーターにしがみついてきた。

「でも、建ちゃんはずっと建ちゃん。宮本都子は好きになってくれなかったけど、ミーコが大好きな建ちゃん」

「そうだ。だが俺は、ミーコが好きだってだけで、山吹丈二や色んな人間を殺しちまった」

 太く硬い指先を曲げた小松は、指の角を使ってミーコのざんばらの髪を梳いた。

「それでも、俺が好きなのか」

「うん。だって、ミーコだって、建ちゃんのものにしかなりたくなくて、一杯一杯、親戚の人を殺しちゃったもん」

 ミーコは小松の太い指に甘えながら、殺戮の記憶に震えた。

「建ちゃんは、そんな私でも好き?」

「好きだ」

 小松は手中にミーコを抱き寄せると、精一杯背を屈めて顔を近寄せた。ミーコは破顔し、かかとを上げた。

「うん。大好き」

 半球状の頭部にミーコの顔が寄せられ、メインカメラの真下に彼女の唇が接した。センサーが詰まっているだけの何も感じないはずの頭部がひどく熱し、ガソリン以外のものがエンジンに込み上がる。どるん、と背中の排気筒から黒煙を一つ噴いた小松は、ミーコを離すまいと腕を引いた。ミーコも小松から離れるまいと、頭部に腕を回す。

「姉さん」

 小松は心中から込み上がったものを吐き出すと、ミーコは小松の単眼に擦り寄った。

「建ちゃんは、私がお姉ちゃんだから好きなの? なの? なの?」

「それもある。でも、それだけじゃない」

 姉さん、と、再度小松は呟いてから、ミーコを見つめた。久々に間近に見たミーコは、小松の強張った世界の中で最も暖かく、最も柔らかく、最も優しい存在で在り続けている。

 物心付く頃には珪素生物の目線で世界を見ていた小松には、生身の人間はミーコしかいなかった。人間ではないからこそ一番人間らしく見えていた。その正体が世にも恐ろしい寄生虫の固まりでしかなくとも、女王寄生虫によって統率された無数の寄生虫が成している群体の意志に近い人格の持ち主だとしても、竜ヶ崎全司郎に対する抗体としての本能に駆られて血族達を殺戮していたとしても、小松が抱く感情は揺らがなかった。

 むしろ、執念に近かった。ミーコを愛していれば、思っていれば、自分は今でも生き物らしくいられると信じられるからだ。珪素の脳と機械の体を持つ小松もまた、生きているからだ。

「今度産まれてくる時は、どんなのがいいかな? かな? かな? かな?」

 小松に持ち上げられたミーコは、操縦席の上に乗せられながら尋ねてきた。小松はミーコを離さずに、返す。

「俺は、別に人間じゃなくてもいい。ただ、ミーコが傍にいてくれればいい」

「うん。私も。建ちゃんが建ちゃんなら、それが車だって、ロボットだって、石だって、なんでもいい、いい、いい」

 ミーコは頷きながら、小松の操縦席に体を寄せる。

「でも、次はちゃんとお姉ちゃんしたいかなって思うこともある、る、る、る。呂号ちゃんと仲良くなってきた紀乃ちゃんとか、翠さんと仲良くしている忌部さんとか見ているとね、羨ましくなっちゃうの、の、の、の。だけど、お姉ちゃんってことは、建ちゃんはやっぱり私の弟ってことになるから、それは良くないね、ね、ね、ねー」

「それもそうだな。だったら、無難に幼馴染み辺りにしておくか」

「だけど、それじゃ普通すぎてつまんない、ない、ないないなーい」

「それもそうなんだが、どっちつかずってわけにもいかないだろう」

 小松は少しだけ声色を上擦らせると、ミーコは両足を揺らして小松の錆び付いた外装を叩いた。

「それよりもさ、建ちゃん。おにぎり食べよう、冷めちゃうよ、よ、よー!」

「だな」

 小松はミーコを掴んでウッドデッキに下ろすと、ミーコは軽やかに着地した。テーブルに放置されていたおにぎりの盆を取るかと思いきや、ログハウスの中に駆け戻っていった。空腹が極まり始めていた小松は不満に思いながら、体を捻るようにして窓の中を覗き込むが、ミーコの様子はよく解らなかった。

 大きな布を広げたような音から始まり、何かを踏んで転んだ音、悪戦苦闘しているらしい声が聞こえていたが、なかなか外に出てこなかった。そうこうしているうちにおにぎりから立ち上る湯気は完全に消えてしまい、小松の血糖値は深刻なレベルに下がりつつあった。若干苛立ちながら辛抱強くミーコを待ち続けていると、ウッドデッキにミーコが転げ出てきた。

「建ちゃーん!」

 白い布をたっぷりと身に纏ったミーコは、思い切り跳ねて小松に飛び掛かってきた。

「なんだ、その格好」

 小松は戸惑いながらもミーコを受け止めると、ドレスのような衣装を着たミーコは白い布の裾を持ち上げた。

「お嫁さーん! あのね、翠さんがね、作ってくれたの、たの、たの、たのー!」

「だが、俺達がああするって決めてから半日もないぞ。さすがに翠さんでもドレスを縫う時間はないと思うが」

「だからね、突貫工事! これね、翠さんの持っている白い襦袢なの、なの、なの! ほら、見て見て見て!」

 ミーコは遠慮なくドレスのような服の裾を捲り上げ、中を見せてくれた。小松はズームして中を確認したが、確かに突貫工事でその場凌ぎのドレスだった。

 ぱっと見では、ミーコのドレスはなかなか立派だ。上半身は襟元を大きく広げてあり、肩と胸元が露出している。そのすぐ下に白地に金糸の鶴の帯を締めてあるので、胸元が更に強調され、腰回りの細さも引き立てている。襦袢なのに胸元が透けていないのは、突貫工事ではあるがちゃんと裏地を当てているからだろう。

 帯から下は裾が割れているが、その中には襦袢で作ったらしい白く薄い布のドレープがたっぷりと詰め込まれてウェディングドレスらしくスカートを膨張させている。足元だけは間に合わなかったらしく、足袋に草履だった。和装と洋装を中途半端に混ぜた衣装だが、それらしく見えるのはひとえに翠の才能だ。

 ミーコはドレープを作っている襦袢の布ごと裾を持ち上げると、小松の手の上でくるくると回ってみせた。

「どう? どう? どう? お嫁さんでしょ、でしょ、でしょー!」

「いや、全然」

「あー、建ちゃんひどーい!」

 回転を止めたミーコが拗ねると、小松は咳払いをするようなつもりで排気してから、歩き出した。その間も手の上ではミーコが文句を言っていたが、出来る限り気を逸らして聴覚センサーも心持ち落とした。海に面した崖に沿って生い茂っている森を覗き込み、すぐに目当てのものを見つけた。

 小松は森の中に半歩踏み込み、左腕を伸ばして赤い花を枝ごと千切り取った。エンジンが焼き切れかねないほど照れ臭かったが、小松は野生のハイビスカスの花をミーコに差し出し、裏返りそうな声を必死で押さえ付けた。

「花嫁には、花が必要だろ」

「……うん」

 枝葉の付いたハイビスカスを受け取ったミーコは、頬を染めて頷いた。

「それはそれとして、メシを喰おう。血糖値が下がりすぎた」

 自分で自分が恥ずかしくなった小松が早足で駆け戻ると、ミーコは受け取ったばかりの花を振り回した。

「あーもう、建ちゃんってばー! もうちょっとあるでしょー、もうちょっと、とー、とー、とー!」

 あるにはある。だが、恥ずかしすぎて気が狂いそうだ。小松は花を渡してからというもの、花嫁姿のミーコを直視出来なくなり、ログハウスに戻っても上の空だった。ミーコはぐちぐちと不満を零しながら、小松に冷めたおにぎりを食べさせてくれた。

 建ちゃんは女心を解っていない、だの、もっと新婚っぽいことしたかった、だの、ドレス着たのに綺麗だとか似合うだとか言ってくれなかった、だの、小松の男のプライドを抉る言葉を並べ立ててきたので、小松はミーコへの愛情と良心の呵責と羞恥心の板挟みになりながら、辿々しくミーコの花嫁姿を褒めた。

 ミーコは赤い花を髪に挿してから、一応納得してはくれたが物足りなさそうだった。次はないと解っているのにどうしてこう自分は度胸がないんだ、と小松は自責しながら、ミーコを頭部の傍に乗せて視線を合わせて海を見下ろした。

 その時が来るまでの間、小松とミーコは取り留めのない話をした。子供の頃のこと、学生時代のこと、体が人間でなくなってしまってからのこと、忌部島に来てからのこと、最近のことを。嫌だったことも、辛かったことも、悲しかったことも、振り返ってみればいい思い出だ。塗装の剥げかけた半球状の頭部に寄り掛かったミーコは、何度となく小松に好きだと語り掛けてきた。小松も同じ分だけ、好きだと言った。日が沈みかけた頃、ようやく小松は言えた。

 姉としても、女性としても、ミーコを愛していると。



 積み重ねてきた時が失われるために必要な時間は、ほんの一瞬だ。

 ログハウスから帰ってきた小松とミーコが目にしたのは、廃校の残骸だった。以前、紫外線アレルギーの影響で巨大化した翠が破壊した時と同じか、それ以上の惨状だった。

 小松や皆が苦労して建てた廃校は瓦礫と木材の山と化していて、その真下の地面が真っ二つに割れている。小松が心臓を探り当てるために掘り起こした穴より更に深く、底は見えない。家財道具や図書室の本やその他諸々の生活用品は、小松の工作場から運んできたと思しき漁船の中に詰め込まれている。廃校から追い出された格好の甚平は困っていて、呂号は相変わらずエレキギターを掻き鳴らしていて、日没後なので外に出てきた翠は甚平以上に困り果てていて、山吹丈二の姿はなかった。

 小松はミーコを伴って穴に近付き、目を凝らすと、底が見えた。地表から数十メートル下の亀裂の底には、赤黒い肉が覗いており、その下には大理石の岩盤に似た骨が見える。小松がライトを照らすと、ゾゾらしき影が動いているのが解った。小松とミーコが落ちかねないほど身を乗り出していると、甚平が独り言のように喋った。

「あ、えとね、その、この亀裂はゾゾがやったっていうか、ゾゾがワン・ダ・バにやらせたっていうかで。昨日の夜中に心臓の蘇生手術が成功したから、体液の循環が良くなって、神経系統もある程度は復活したんだ。で、だから、ゾゾは脳の傍の筋肉を伸縮させて地割れを起こしたっていうか、一万年近い年月の間に堆積した地面を割って表皮を出したっていうかで。あ、それで、おかげで解ったことがある。この島には教師がいないのに学校があるのは変だと思っていたんだけど、うん、それは僕の見当違いだったの。脳の真上に学校が建てられていたってことは、つまり、学校そのものが教師だったんだよ。たぶん、その頃はまだワン・ダ・バも元気だったんじゃないかな。だから、皆に色々なことを教えられていたんだと思う。その辺のことも、ちゃんと調べてみたいところだけど」

「ほう」

 小松が甚平の慧眼に感心すると、甚平は照れた。

「あ、でも、うん、僕がそう思ったってだけであって、根拠はこれから探す必要があるんだけど」

「翠さん、ドレスありがとう! とっても素敵素敵素敵!」

 小松の肩の上でミーコがはしゃぐと、翠は気落ちした面差しではあったが笑顔を見せた。

「よくお似合いですわ、ミーコさん。喜んで頂けたようで、大変嬉しゅうございますわ」

「呂号。一つ、リクエストしていいか」

 小松が呂号に向くと、呂号は弦から指を外した。

「何だ」

「この前弾いていた、レッド・ツェッペリンの天国への階段を弾いてくれないか」

「引き受けた。最高の演奏で天国まで送り届けてやる」

 呂号は快諾し、リクエスト通りの曲を滑らかに弾き始めた。今回は呂号も腹に力が入っているらしく、ちゃんと歌を付けていた。淀みなく連ねられる英語の歌詞とギターの音色を背に受けながら、小松は皆を見渡した。だが、あまり惜しむと決意が鈍りかねないので、六本足を力強く伸縮させて穴の真上に跳躍した。

 廃校の規模よりも遙かに広い穴は縦に裂けていて、忌部島が積み重ねてきた歴史である地層が露わになっていた。火山灰と珊瑚礁の層の下には倒れた木々の層もあり、岩だらけの層もあり、色とりどりだった。数秒間の空中遊泳の後、小松は脳の真上らしき皮膚の上に着地した。凄まじい金属音と共に六本足が上下して衝撃が吸収されると、視界の隅でミーコのドレスが舞い上がって白い花が咲いたように見えた。既に溜まり始めていた体液が波打ち、小松の肌を焼く。

「ゾゾ、来たぞ」

 地層と皮膚のクレバスの底を進み、小松が声を掛けると、脳を守る骨に触れていたゾゾが立ち上がった。

「良い歌ですね」

「そう思ったから、呂号に頼んだんだ」

 小松は頭上を仰ぎ、遙か彼方の地上から聞こえてくる少女の歌と演奏に耳を澄ませた。

「じゃあね、ゾゾ。今まで御世話になりました、した、した、した」

 ミーコが笑いかけると、ゾゾは左手に携えていた体液まみれの銅鏡を拭いながら返した。

「いえいえ、こちらこそ。あなた方がいらしてくれたおかげで、随分と面白可笑しく暮らすことが出来ました」

「ああ、俺もなかなか楽しませてもらった。他の連中には、よろしく言っておいてくれ。紀乃と忌部にもな」

 小松は六本足を広げて這い蹲ると、下半身が体液に没して煙が上がった。

「かしこまりました。他に、何かお伝えしたいことは?」

 ゾゾが了解すると、襦袢のドレスを脱ぎながら、ミーコが毒突いた。

「本家の御前様に伝えておいて。地獄にはあんた一人で行け、って、て、て、て」

「ええ、それはもちろん。全力で伝えておきますとも」

 ゾゾは少し笑ってから、ミーコに手を差し伸べた。健康的な裸身を曝したミーコは名残惜しげに小松の頭部に唇を付けてから、素足で焼けた外装を蹴り付け、一息に跳んだ。

 綺麗な弧を描いてゾゾの立っている場所に着地すると、ミーコの足元で赤い体液が荒く波打ち、波紋が広がる。ゾゾは岩盤のような脳蓋骨に空けた穴にミーコを導くと、ミーコは蛋白質のような柔らかさと珪素のような手応えを兼ね備えた脳の上に立った。

「では、ミーコさん。彼の元に、参りましょう」

 ゾゾはミーコの背後に立ち、尻尾を振り上げた。ミーコが目を閉じると、頸椎に尻尾の尖端が深く突き立てられ、薄い皮膚が裂けてワン・ダ・バの体液に似た体液が噴出し、ミーコの髪も、髪に挿したハイビスカスも赤黒く濡れた。後ろ髪も日に焼けた肌も同じ色に染まり、ミーコの背は周囲に同化していった。体液が抜けていくと、ミーコの膝が折れ、ばしゃりと座り込んだ。ゾゾが尻尾を引き抜くと、ミーコは両手を差し伸べるような姿勢で俯せに倒れ、途端に頸椎の傷口から白くうねる無数の虫が噴出した。

 今度は体液とは違い、ぬめぬめと意志を持って這い回り、次第に萎んでいくミーコから離れて足元の脳に埋もれていく。寄生虫の行進が終わり、何もかもが抜けて薄い皮膚の袋と化したミーコはゆらりと体液の海を漂い、そして、溶けた。ゾゾは唯一残った花を拾うと、小松を見上げた。

「では、小松さん」

「ミーコは、苦しんではいないんだよな?」

 ゾゾを見下ろして小松が尋ねると、ゾゾは銅鏡の表面をなぞり、浮かび上がった文字らしきものを読んだ。

「ええ。今のミーコさんはワンの生体組織で出来ていますから、お互いに拒絶反応を起こすこともありませんし、痛みどころか何の苦痛もありません。ミーコさんの生体電流も感じ取っていますが、異変はどこにもありませんよ」

「そうか。だったら、いいんだ」

「御心配なさらずとも、ミーコさんは幸せですよ。小松さんが傍にいるのですから」

「……ああ」

 小松は機能を落とし、脳を収めているクーラーボックスと機体の接続を切断した。ゾゾはミーコが付けていた花を大事に抱えながら、小松の機内に入ると、全てのケーブルを外してクーラーボックスを取り出した。

 あらゆる感覚を奪われた小松は、珪素の脳の端でぴりぴりとした刺激を感じ取っていた。それはワン・ダ・バの生体電流なのだと直感的に理解したが、ワン・ダ・バが何を言いたいのかは解らなかった。ミーコの意識らしきものはなく、ただひたすらに巨大で強大な存在が待ち構えている。

 ゾゾはクーラーボックスを開けて人工体液の中に浸っている小松の脳髄を取り出し、その代わりにミーコの花を浮かばせてからクーラーボックスを閉じた。呂号が演奏している天国への階段はクライマックスを迎えていたが、音は最早聞こえず、空気の振動として脳の表面を優しくくすぐるだけだった。

 途切れ途切れの記憶と感覚の中、小松は在る声を聞いた。声にはならない声と、朧な意志と、生への貪欲な願望が入り混じった意識だった。孤独と飢餓と空虚と退屈を絡み合わせながら、ワン・ダ・バは明確に生きていた。

 小松は海よりも濃く、体液よりも苦く、生暖かくも生臭い他人の意識に浸りながら、愛する姉を求めた。ミーコはすぐさま小松の元に至ると、無数の触手のように蠢く細分化した意識を絡み合わせてくれた。姉を通じてワン・ダ・バと記憶と意識を共有しながら、小松は己の分を弁えた。

 珪素回路は考える必要はない。ただ、ワン・ダ・バが要求してきたことを計算して返せばいいだけのことだ。そこに自分の意志は挟めず、ただの部品でしかなくなった。

 けれど、己の意識を薄らがせれば薄らがせるほどに、ミーコの意識は重なり合い、馴染んできた。それは、生前果たせなかった行為であり、果たすべきではない行為に酷似した快感と温もりをもたらしてくれた。意識と意識を融かし合いながら、小松は緩やかに姉と共に果てた。赤く濁った酸の海の中で、小松建造でも宮本都子でもミーコでもなくなった。

 二人は、ただの生体部品と化した。


 

 竜は、目覚めた。

 二人が生きた証しであるログハウスのウッドデッキに集められた面々は、巨大な花が作り出した泡越しに崩れゆく忌部島と向き合っていた。

 以前、紀乃と忌部と甚平が上空二万メートルまで上昇した際に使用した生体兵器を衛星軌道上から呼び戻したゾゾは、花が分泌する粘液を使用した泡の中にログハウスが建っている崖ごと、皆を入れて安全を確保してくれた。淡い色合いでありながら、地球上に存在している植物の常識を凌駕する耐久性を誇る花弁がログハウスと地面を柔らかく包み込み、茎から伸びたツタが宇宙怪獣戦艦とログハウスを繋ぎ合わせていた。

 ゾゾはログハウスの屋根の突端に立ち、腕を組んでいた。事の成り行きを一時も見過ごしてはならないと、単眼を大きく見開いて尻尾も立てていた。ワン・ダ・バが目覚めていくに連れ、神経を逆立てる感覚が強くなった。

 何万年も研究し続けてきたが、宇宙怪獣戦艦であるワン・ダ・バを理解し切れたわけではない。彼とは友人関係ではあるが、同胞ではないからだ。

 宇宙怪獣戦艦は、ゾゾの種族とは根本から異なる異種族だ。数十億年もの昔、ゾゾの母星である惑星ニルァ・イ・クァヌアイに飛来して息絶えた謎の巨大宇宙生物の生体組織を採取し、構造を丹念に解析して造り上げた人工生命体である。思考するパターンも違えば摂取する物質も違い、脳の位置も精神構造も何もかもが異なっている。そのワン・ダ・バを酷使した末に辿り着いた惑星、地球でも、現地調達の生体兵器を酷使してばかりだった。呂号の意見は正しすぎて、胸が痛くなる。故に、今度こそ償わなければならない。

 ワン・ダ・バが上昇するに従って地盤に火山が崩れ、割れた山肌から溶岩が流れ出していく。赤い舌のような溶岩は地表を伝って海に落下した途端に水蒸気爆発を起こし、白煙が高く上がった。既に廃墟と化した廃校にも溶岩が及び、程なくして残骸に火が付いた。

 ガニガニが生まれ育った豊かな森も、皆の日々の生活を支えていた田畑も、竜ヶ崎一族が栄えた東側の集落も、忌部一族と滝ノ沢一族が栄えた西側の集落も、地面ごと滑落して海面に没していく。手間暇掛けて完成させた箱庭をひっくり返したかのような奇妙な爽快感と、凄絶な寂寥がゾゾを襲った。

 きっと、紀乃は悲しむだろう。だが、忌部島を本来の用途に戻そうと決めたのも、そのためにこれまで積み重ねてきた平穏な日々を犠牲にしようと決めたのも、ゾゾだ。

 真っ当な人間として産まれるはずだった紀乃や皆の運命を歪めてしまった根本的な原因は、自分以外にはいない。やるべきことをするだけだ、と、割り切ろうとしても、単眼は滲み出してくる体液に濡れてしまう。ゾゾは組んだ腕に爪を立て、呻きを堪えた。

 ワン・ダ・バは覚醒と同時に蘇った反重力飛行能力を行使したらしく、地面や木々の落下の勢いが緩み、忌部島を取り囲むように漂った。ず、ず、ず、と地震に似た震動を起こしながら、堆積物によって海底と一体と化していた腹部を引き剥がしていく。

 それが収まると、ログハウス手前の海面が真っ二つに割れ、頭部を失った長い首が持ち上がる。反対側からは首の数倍の長さを誇る尻尾が、左右からは胸ビレに似た空間操作翼が現れる。珊瑚礁と火山灰が混在した砂をたっぷりと含んだ一対の水素融合式推進孔も海面から脱した頃には、ワン・ダ・バは海面から数百メートルは上昇していた。

 地球に墜落して以降、生命活動が著しく低下していたワン・ダ・バの命を繋げていたのは、ワン・ダ・バの胴体を貫通させてエネルギーの固まりである火山と接続していたからである。頭部と同時に損傷した腹部の大穴に海底火山を刺し、背部の噴気孔に噴火口が出るように調整し、溶岩に含まれる過剰な熱や硫黄や珪素を摂取させていたおかげで、ワン・ダ・バは今日この日まで命を長らえたのだ。

 多次元宇宙空間跳躍能力宇宙怪獣戦艦ワン・ダ・バ。その全景は、中生代の地球で繁栄していた首長竜に似たシルエットを持っていた。首も含めた全長は五万メートルに近いが、頭部と頸部の三分の一は地球に墜落した際に大気圏摩擦で欠損したため、現在はその長さに少々足りていない。左右の胸ビレの後方には水素融合式推進孔が備わり、宇宙空間、或いは大気中から摂取した水素を融合させて莫大なエネルギーを生産し、通常空間での航行や戦闘時に利用することが可能である。そして、ゾゾを含めた全員と物資が収まるログハウスは、ワン・ダ・バの首の付け根辺りに、花の生体兵器によってしっかりと結び付けられていた。

 ワン・ダ・バが太平洋南海から離脱し、飛行を始めてから一時間が経過した。だが、その質量の巨大さ故に速度を出せないため、移動速度は紀乃のサイコキネシスに比べて遙かに遅かった。

 小笠原諸島に近付いた頃には朝日が東側から昇り始めていて、翠は巨大化してしまわないかと危惧したが、花の泡が紫外線を全て遮ってくれるので大丈夫だと甚平が落ち着かせてくれた。呂号はエレキギターを膝に乗せていたが、弦を押さえていなかった。その代わりのように、指先が動いてテーブルを叩いていた。甚平は呂号の隣に椅子を運び、腰掛ける。

「あの、それ、何?」

「聞こえるんだ。音が」

 呂号は素っ気なく返してから、再びテーブルを小突き始めた。とん、とん、とん、とん。とん、と、と、とん。と、とん、とん、と。強弱を付けて鳴らされる音は、何かの信号のようだった。ウッドデッキの端で座り込んでいた山吹は、呂号の指が奏でる音を聞き取っていたが、マスクフェイスを上げた。

「コマツ、ミーコ、ゲンキ。モールス信号っすね、それ」

「なんだ。解るのか」

 呂号がちょっと感心すると、山吹は腰を上げ、呂号の傍に歩み寄った。

「そりゃまあ、これでも現場監督官っすから。大抵の通信用語は頭の中に入っているっすよ。んで、ロッキー、どうせ本土に着くまでは暇っすから、その信号に返してくれないっすか? 二人も音ぐらいは聞こえると思うっすから」

「仕方ないな」

 呂号がエレキギターを構えると、山吹は銀色の指でテーブルを小突いてモールス信号を打った。山吹より小松へ、末永くお幸せに。呂号は一度聞かされただけで正確に信号を覚え、音階を付けずにエレキギターを鳴らした。

 単調な音色ではあったが、山吹からの言葉が籠もった音は花の泡を震わせた後にワン・ダ・バの体表面に染み渡った。それがワン・ダ・バと一体となった二人に伝わったかどうかは定かではないが、山吹は心のつかえが取れたらしく、呂号に礼を言い、笑ってくれた。甚平は少々臆しながらも山吹に近付くと、話し掛けた。

「えと、その、山吹さん。本土に着いたら、どうするんですか?」

「俺はむーちゃんと合流するっす。小松建造とのことは決着が付いたとは言い難いっすけど、でも、これで区切りは付いたっすから。小松もそう思ったから、ミーコと一緒にワン・ダ・バの中に行ったんすよ、きっと」

 山吹は甚平と向き合い、マスクフェイスを陰らせた。

「あれから、俺も色々と考えてみたんすよ。俺が変異体管理局に入ったのはむーちゃんを守るためであって、本当はあんた達を殺すことでも倒すことでもないんすよね。御大層なサイボーグボディをもらって、人型軍用機に乗ったりしたから、俺はどこかで勘違いしていたみたいなんす。俺の腕が届く範囲なんて狭いもんすから、むーちゃんを守るだけで精一杯なんすよ。それなのに、ヒーローを気取ろうとして、だけど、あんた達を憎みきれなくて。どっちつかずになっちまっていたっすけど、これからはもう大丈夫っす。俺は俺で、局長と戦うっす。たとえ、むーちゃんに裏切られていたとしても構わないっす。俺はむーちゃんのために生きるって決めたんすから」

「せいぜい頑張れ。僕はお前と田村の行く末には興味なんかない」

 モールス信号を弾き終えた呂号が吐き捨てると、山吹は可笑しげに笑った。

「そりゃどうも。ロッキーらしいっすねぇ」

「紀乃さんもですけれど、御兄様は御元気かしら」

 紫外線が遮断されていると解っていても日光に恐怖心があるため、翠は屋内から外を見上げた。窓際の椅子に腰掛けて膝を揃えて座っている翠は、縦長の瞳孔を持つ金色の瞳で怖々と空を覗いた。

 虎鉄と芙蓉による襲撃を受け、地上に引き摺り出されて巨大化させられた際に目にした空の色も鮮やかで美しかったが、その時に比べると今の空の色は僅かに淡くなっていた。

 太陽の位置もほんの少しずれているが、降り注ぐ光の鮮烈さは変わらない。翠は反射的に体を影に引っ込めたが、日光は冷たく硬い肌に人並みに温度を与えてくれた。恐怖と好奇心の狭間に揺れ動きながら、翠はおずおずと窓から差し込む光の中に手を差し入れると、眩しい温もりに頬が緩んだ。

 刻一刻と、忌部島、もとい、ワン・ダ・バは本土に迫る。竜ヶ崎全司郎と名を変えた生体分裂体、ゼン・ゼゼの手中に落ちたワン・ダ・バの首と、紀乃と忌部、そして虎鉄と芙蓉を救い出すために。

 ぎゅいいい、きゅいいい、ぎゅい、ぎゅい、ぎゅい。地球で言うところのクジラの鳴き声に近い音声を発しながら、ワン・ダ・バは己の首を求めている。ゾゾはワン・ダ・バの生体電流に混じる思念を受け取りながら、狂おしく高ぶる情念と戦った。

 犠牲を出したからには、必ず、竜ヶ崎を滅ぼさなければ。



 所要時間、十時間程度。

 ワン・ダ・バが東京湾に進出した頃には、再び日が陰り始めていた。鮮烈だった日差しは低い位置から差し込み、鮮やかに海面と地表を切り裂いている。宇宙怪獣戦艦の影が東京湾に落ち、薄暗い波間が更に暗くなる。

 都市部は既に避難勧告が出ているのか、街明かりもなく、死んだように静まり返っている。唯一明かりが付いているのは、因縁深き場所、変異体管理局海上基地だけだった。

 ゾゾは思念を込めた生体電流で指示を出すと、ワン・ダ・バは緩やかに降下を開始した。最初に着水したのは尻尾で、その次に一対の水素融合式推進孔、胸ビレ、最後に頭部のない長い首だった。木更津側に通じる連絡通路を断ち切ると人間達の退路を塞ぎかねないので、川崎側の上に長い首をしなやかに落とし、巨体を腹這いにさせた。

 ゾゾは花の泡とログハウスをそのままにして、海上基地全体に目を配らせた。滑走路は煌びやかな照明に照らし出されているが、発進シークエンスに入った戦闘機はなく、戦闘車両らしき駆動音も聞こえてこない。海上基地全体に生き物の気配はなく、ワン・ダ・バもざわめかなかった。

 これは罠か、或いは竜ヶ崎が早々に逃げ出したのか、と、ゾゾが考えを巡らせていると、ぎゅいいい、とワン・ダ・バが一声鳴いた。すぐさまゾゾは花の泡から飛び出して翼を広げ、身構えると、海上基地の中で最も高い建物の上に人影が見えた。西日によって長い影を帯びている影は三つあり、そのうちの二人はヘルメットを被っていた。

「遅かったじゃないか」

 絶え間なく海風が襲い掛かる屋上で難なく直立しながら、虎鉄はゾゾに声を掛けた。忌部島を襲撃した時と同じくフルフェイスのヘルメットで顔を隠し、鋼鉄の素肌をライダースジャケットで覆っていたが、声がくぐもっていた。

「忌部島が目覚めて動き出したおかげで、変異体管理局も政府もしっちゃかめっちゃかになっちゃって、上へ下への大騒ぎだったのよね。だから、私達は楽に逃げ出せたのよね。御礼を言わせてもらうのよね」

 虎鉄の背後に立つ芙蓉は、安堵と怯えが混在した顔の娘を抱き締めていた。人形のような格好をさせられている紀乃は、ゾゾとワン・ダ・バの巨体を視界に収めたが、唇を薄く開いただけで言葉は発しなかった。

「ですが、電磁手錠は……」

 ゾゾは翼を傾けて滑空し、三人の待つ屋上に下りると、虎鉄は右手首に填ったままの電磁手錠を掲げた。

「ああ、こいつか。俺が長話をしている間にバッテリーが切れたらしくて、能力が使えるようになったんだ。もっとも、そうなると解っていたら、前歯が全滅するほど噛み付かなかったんだがな。おかげで、自分の血の味を嫌と言うほど味わう羽目になっちまったよ」

「次郎君も元気よ。ほら」

 芙蓉が滑走路に面した格納庫を示すと、人型に似た形態に変形した竜の首が這い出してきた。

「やっと本体が来やがったか。随分と待たせてくれたな」

「忌部さん、御無事で!」

 ゾゾが呼び掛けると、忌部を宿した竜の首は筋を絡み合わせた腕を振ってみせた。

「なんとかな。ワンの本体が動き始めたら、竜ヶ崎のクソ野郎がまたワンの首に合体しようとしてきたんだが、本体が拒絶してくれたおかげで制御系統を俺が掌握出来たんだ。それもこれも、ゾゾとワンが首都圏を恐怖のどん底に陥れてくれたからだ。だが、後で一度分離させてくれよな。翠に会いたいし、兄貴とも色々と話がしたい」

「イッチーとはーちゃんはどうした。それと局長も」

 泡を擦り抜けて外に出てきた呂号が叫ぶと、虎鉄が答えた。

「あいつらはとっとと逃げちまったよ! 紀乃を放り出してな!」

「そうか」

 呂号は軽く落胆したが、エレキギターを担ぎ、ワン・ダ・バの上を歩き出した。

「それはそれとして僕の部屋は無事だろうな。さっさと着替えたいんだ。スカートは好きになれない」

「あ、いや、僕は結構似合うと思うけど。ああ、でも、待って待って。危ないから、先導するから」

 甚平は慌てて呂号の後を追い、海上基地の広場を押し潰す形で接岸している胴体を歩き出した。忌部島だった頃の名残である土塊や溶岩の固まりがごろごろしているにも関わらず、大股に進んでいく呂号に追い付いた甚平は、呂号の腕に手を掛けた。呂号は一瞬立ち止まったが、甚平の歩調に合わせて歩き続けた。

 傾斜がきつい場所では、甚平は呂号を抱えて下りてやり、無事に海上基地の広場まで辿り着いた。そこにも、虎鉄と芙蓉が戦った痕跡である溶けた拳銃や固まったコンクリート片が散らばっていて足場が悪かったので、結局、甚平は呂号を建物の中まで連れて行ってやることにした。能力の衰えを自覚しているので、呂号も甚平の好意は無下にしなかった。

「山吹!」

 竜の首は元上司の名を呼びながら上昇すると、腕を差し伸べた。

「な、なんすか?」

 中身が忌部だと解っていても若干臆した山吹が後退ると、竜の首は地下駐車場の方向を示した。

「お前の車とキーは無事だ。だから、さっさと田村を追い掛けてやれ。ほら、乗れ」

「そんなこと、忌部さんに言われるまでもないっすよ!」

 山吹は竜の首の手中に登ると、竜の首は皮を張り詰めただけの翼を窄めて降下し、男子寄宿舎の屋上に山吹を置いた。山吹は竜の首に手短に礼を言ってから、屋上のドアを蹴破り、慌ただしく駆けていった。竜の首は彼に軽く手を振っていたが、泡の中に入っているログハウスから外を窺っている妹に向いた。

「翠、心配掛けたな」

「御兄様こそ、御無事で何よりですわ」

 翠は異形と化した兄に微笑み、近寄ろうとしたが、泡の膜に触れたので後退った。

「申し訳ございません、御兄様。すぐにでもそちらに参りたいのですが、ここを出てしまうと、私の体が」

「ここまで来たんだ、急ぐことなんてない」

 竜の首はログハウスが包まれている花の泡の傍に着地すると、頭代わりの単眼で妹を覗き込んだ。

「元の体に戻ったら、基地と言わず色んな場所を案内してやるよ」

「御兄様の御側でしたら、どんな場所でも素敵ですわ」

 翠が膜の内側に手を添えると、竜の首は赤黒い筋を絡み合わせた指の尖端を翠の手に重ねた。張り詰めた粘液越しであり、忌部は竜の首の奥底に肉体も精神も収めていたが、ようやく触れ合えた喜びが二人を満たしてくれた。日没さえすぎてしまえば、また翠の時間が始まる。

 今すぐにでも妹を抱き締めたい衝動を押さえながら、竜の首は、忌部は、ワン・ダ・バの本体とごく自然に意識を共有した。その中に入り混じる別物の意識と知性と記憶によって、忌部島で何があったのかも理解した。

 ワン・ダ・バと同化している小松とミーコの意識はこの上なく穏やかで、忌部は二人が死んだのではないと悟った。ほんの少し、常人とは生き方を違えただけであり、これが二人の選んだ幸福の姿でもあるのだ。それを少し羨ましく思いながら、忌部は宇宙怪獣の首越しに妹の存在を感じ取った。

 フリルとレースがふんだんに使われたピンクのワンピースを着せられている紀乃は、母親である芙蓉に縋っていることもあり、幼子のように見えた。怯えるあまりに強張らせた頬は動かず、グロスが端にこびり付いている唇は悲鳴を押さえるように引き締められ、母親の腕を掴む手には必要以上の力が入っていた。何があったのかは、想像するだけでも嫌になる。ゾゾは紀乃に手を差し伸べかけたが、紀乃は顔を背けた。

「お久し振りですね、紀乃さん」

 腰を曲げて視線を合わせたゾゾは手を差し伸べるが、紀乃は母親のバイオスーツを握り締めた。

「助けに来てくれて、ありがとう。でも、私なんかに触らないで」

「……弁えました」

 ゾゾは紀乃の肩に近付けていた手を下げ、身を引いた。

「一度に色んなことがありすぎたもんな。無理もない」

 虎鉄は柔らかな手付きで娘の髪を撫で付け、ヘルメットの下で笑みを見せた。

「さあ、紀乃。まずは御夕飯にしましょうか、何が良い?」

 芙蓉はゾゾに一礼してから、紀乃を促した。紀乃はゾゾを視界に入れまいとしながら、芙蓉に付き添われて屋上から下りていった。虎鉄もゾゾにこれまでの礼を言ってから、妻と娘に続いた。ゾゾは親子三人に深々と頭を下げていたが、三人の背が見えなくなってからようやく顔を上げた。

 アンテナが乱立している屋上はだだっ広く、東京湾が一望出来た。忌部島から見ていた海とは全く違う色合いの海に身を浸しているワン・ダ・バから、竜ヶ崎全司郎への戦意に似た執念の思念が零れていた。竜ヶ崎に生体情報さえ分け与えていなければ、ワン・ダ・バも宇宙空間での自由を奪われずに済んだからだ。ゾゾは尻尾をだらりと垂らしてコンクリートに擦り付けながら、思念でワン・ダ・バに平謝りした。

 ワン・ダ・バはゾゾの失態を許してくれそうになかったが、一応納得してくれた。だが、紀乃はどうだ。あれほど好意を寄せていた相手なのに、道具として利用してしまった。紀乃を好きだと思うなら、愛情を感じるなら、なぜ全力で守り通してやれなかったのか。それ以外の手段がなかったとはいえ、竜ヶ崎全司郎に差し出してしまうべきではなかった。頭痛がするほどの後悔に苛まれながら、ゾゾは四本指の手で単眼を押さえた。

 いつになく、西日が目に染みた。

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