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本来砂糖や卵、バターの匂いが香っていたクッキー。それは蓮がはじめて作った料理と言う料理。
律に悪くないと言葉を貰い、帰ってきた優に渡すつもりで、そして日が昇ったられんに持っていこうと思っていた。
……まさか、こんなに早く……それこそ日が変わった直後に渡すことになるだなんて予想すらしていなかったし……たくさんの答えに直面するだなんて考えてすらいなかったから、正直辛い。
蓮が対面してきた限りのはなしだが“悪魔”は執着していたものを壊すことはしても己の体を傷つけるようなことは決してすることはない。何故なら“悪魔”の命はそれこそ翼であり、心の臓は翼だから。
体なんて最早ただ移動するだけの道具にしか過ぎない。だから“悪魔”たちは体を蔑ろにしがちだ。
「……蓮ちゃん」
「作ったの。律くんと……クッキー……作ったの」
懐に潜り込めば翼からの刃は受けない。体を蔑ろにすると言うのは“悪魔”たちにとっては執着するものではないから。
“悪魔”になったことがないからわかりはしないが、恐らく自らの意思で“悪魔”は自分の体を傷つけることはしない。
少なくとも対戦の経験上、蓮はそう自分なりの確信を持っている。持っているから、れんの懐に添う。
れんの純白さが蓮の名を呼んだ。今まで感じたことのない……しん、と強ばる重たさ。
しかし表面はいつもと同じで優しく柔らかい。昨日の蓮ならきっと気づけなかった本の少しな、細やかな変化。
れんの声音と言葉に被さるように蓮は必死に言葉を押し出す。駄目だから。れんがこれから言おうとしていることを、言わせてはならないから。絶対に。
いつもなら背に回して頭を撫でてくれるのに、今はその手がない。それをしてくれようとはしない。
だからと言って突き放そうとすらしない。それが蓮に確信を抱かせて自惚れでもなんでもないことを悟らせる。
うまくは、きっと笑えてはいないだろう。……わかってはいる。わかってはいるが、蓮は懸命に、不器用に口元を緩ませる。
ひきつって、痙攣を起こしているかのようなじんわりとした緩い痛みがじわじわと広がる。
押し付けたクッキーを一旦離して、蓮はぴったりとれんの胸元にくっついて、両手で小さくれんの………………白いブランケットをきゅう、と握りしめた。蓮が作った無様な白いブランケット。
くすぐったく優しい心と、じわりと苦しみで血が滲む心が手を繋ぐ。
繋がったふたつの気持ちが蓮のたったひとつの心の中で織られて酷く醜い色が生まれた。
だからこその美しさ。蓮は今、それを知る。




