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元々孤児だった彼女には、何に対しても執着はなかった。
お金に然り、家に然り、友に然り、何に対しても執着はなかったし興味だってなかった。
だからどこに売られてしまったって、ただの一時の愛情にだって興味はなかったし執着すらなかった。いつ死んでしまったってまったく問題なかったし、生きていることにすら興味はなかった。
ただいつもいつも白い服を着ていたから、蔓草のような若草色の髪を持つ彼女は『はす』と呼ばれるようになっていた。だれかがそう呼び、いくら興味がないとは言え生きていく以上だれとも関わらないなんてことはできやしないのだから、何に対しても興味と執着を持たない彼女ははすと名乗り、そう呼ばれ生きてきた。
いくら理不尽な言葉で罵られても、時折気味が悪いほどに猫撫で声で愛されても彼女は何もわからずにただ笑って生きてきた。
ある日、はすは何度目わからない捨てられると言う行為を受けて、はじめて『さて、どうしよう』と言う考えを自ら立ち上げた。捨てられてしまった当時、彼女の中には小さな命が存在していたからだ。
その誕生はもう間近にまで迫っていて、それが周囲に知られてしまったからこそはすは追い出され捨てられてしまったのだけれど、はす自身そこまでの経緯なんて理由なんてどうでもよくて、ただ漠然と生まなければ、生きなければと思った。
ごみ箱を漁り食料を得て、幸いと言えるかどうかはわからないが少し遠出をすれば海があり、水分は海水でどうにかして、微々たる収入でも構わないから働きもした。
「……ごめんね?大丈夫?きみはきちんと生まれてこれる?」
そうしながら何にも執着を持たない彼女は大きく自己主張をするちいさな命に話しかけることが日課となっていた。暇さえあれば声をかけ、話しかけ、語りかけ、ただただ撫で続けている毎日が続いていた。
みょうでふしぎな感覚の日々だった。何に対しても興味なんて抱けなかったのに、何故か自分の中に宿る命に対しては興味を持たないと言う興味を向けることが出来なかった。まさか彼女に母性だなんて高尚な感情があるわけがないし、親を知らない彼女が母性と言うものを知らなかったから、理解が出来ないまま時が過ぎて行って、ある冬の雨の日に、彼女はちいさな命を世に産み出した。
ひとりで生むと言う不安やどんどんと強くなっていく痛みに彼女ははじめてどうしたら良いかわからなくなったのだけど、生まれてきたその子を見て、張り裂けんばかりに生きていることを主張し続けているそのちいさな命、彼女にとってははじめて出来た“家族”に体から何かがするりと抜けていくような感覚を覚えたと同時に、ずんっ、と重たいもが急激に流れ込んできた。真っ赤な顔で必死に泣き叫ぶ我が子。ちいさな命にはじめて“愛”しいと言う感情を抱いた。
なんて可愛らしいのだろうと。とても可愛くて可愛くて仕方がなくて、ちいさな手や足がぱたぱたと動く姿ひとつひとつが抱き締めたくなるほどに“愛”しくて、思わずふやふやなその頬に頬擦りをした。真っ赤な顔で泣くその声はまるで純白で、蛍の光を包んだかのような鮮やかな白さを思い起こさせた。
そうして次に思ったのが“哀”と“穢”だった。こんな薄汚れた自分の傍なんかで育ってこの子はしあわせになれるのだろうかと。しあわせを、知ることが出来るのだろうかと。直ぐにその結論は『否』と出てきた。
大好きで大好きで、自分にはしあわせを与えてくれたこのちいさなちいさな命を、自分はしあわせにしてあげることなんて出来ない。収入の当てもなければ家だってない。仕事を選ばなかったから誰の子どもかも、わからない。
現に生まれた我が子の髪の色は黒かった。彼女の髪の色は緩い若草色なのに対して生まれてきた子は真っ直ぐな黒髪。
よしよしと、愛子ていたら眠ってしまった我が子の瞳の色は見ることが出来なかったけれど、可愛らしくて大好きになった子どもを見て数多の“あい”が生まれてきて……瞳が熱くなった。
涙なんて流したことのなかった彼女がはじめて瞳から流したのは涙ではなくーーーーー翼だった。
今まで知らなかった興味を持たなかった感情が全てすべて生まれてきた我が子と共に生まれて我が子に捧げた途端に溢れ出た翼。
そのあとに、直後に現れた、蝶々の羽を携えた幼い子どもを抱いた紫暗色の瞳を持つ少年に懇願した。どうか、どうか我が子を育ててくれないだろうかと。
少年は、泣きながら泣きながら何度も「片翼にはまだ救いがある」のだと言ってくれたが……我が子のことを考えると彼女は静かに首を横に振るしかなかった。
いくら救いがあったとしてもこの身は化け物となってしまった上に、まだ生まれたての赤子を育てるには環境が悪すぎる。加えてろくでもない人生を歩んできた彼女の傍に居れば我が子にはいくら愛情を注いだところで風当たりは悪いに決まっている。先々のことを考えれば考えるほどに我が子に自分はしあわせを与えることが出来ない。だからこその、懇願だった。
紫暗色の瞳を持つ少年は余程感受性が強いのだろう。無力を感じる必要はないのに涙をぼろぼろと溢しながら何度も何度も彼女に謝ってきて、それから預かり引き取ってくれることを了承してくれた。
しかし条件があった。まだ名前のない赤子に、責めて名前だけでもつけて欲しいと。涙に濡れた瞳で強くそう言われた。
言葉も少なければ教養のはない彼女には、生まれたばかりの赤子に与えられる名前はひとつだけしかなかった。
「……はす……蓮なの……」
自分が唯一持っていた名前。それだけしか与えられるものはなく、名付けと同時に彼女は蓮と名付けた我が子を心が引き千切られるような感覚で、紫暗色の少年に預けた。
泣き声がもう一度聴きたいと未練がましく無意識に願ったが、それは叶わず、そして叶わなくて良かったと思った。もし泣き声を聴いてしまっていたら、名を失った彼女はその場で完全な悪魔と化したいただろう。
まだ片翼だから、諦めない。そう言って雨の中を走っていった少年を……やっと出来たはじめての家族を手放した彼女は胸が張り裂けるような想いでその姿を雨の中で、見送った。
それからは毎日、ただ鐘の塔の脇道、最奥でぼんやりとした日々を過ごすだけの日々だった。どこかで拾った包帯で翼の生えた左目を隠して、ただただぼんやりと。
ある日、だれか芸者か何かが落としていった白いオカリナを拾った。ひどく錆び付いているそれを、古びた水道で洗い、衣服で吹いて風当たりの良いところへ干して、名を失った彼女は生まれてはじめて楽器と言うものを奏でた。白いオカリナは蓮の花のような我が子をどうしても思い浮かばせて、奏でる音楽はいつもいつも同じ音色で切ない曲へと成っていった。
そうしていつしか、それは完全にひとつの曲になり、日がな一日我が子を想いながら奏で続けた。二年も四年も何年も。




