1日目
「今日もあっついなあ。」
容赦なく照りつける、8月の日差しに目を細めながら
折りたたんだワイシャツの裾で額の汗を拭った。
この時期の外廻りは本当に堪えるものがある。
ビジネスバッグの中から、先程買ったはずの
もうぬるくなったペットボトルを取り出し
残りのお茶を全て飲み干す。
「あと2、3件廻ったら会社戻るか。」
律はそう呟くと、再び歩き出す。
三浦 律。
郊外の小さなリフォーム店舗で働く
29歳独身。
結婚はしていないが、
最近マッチングアプリで新しい彼女が出来たばかり。
容姿はそんなに良くもないが、
絶望するほど悪いとも思っていない。
ただこの年まで結婚が出来ていないのは、
今まさに働いている会社が、「ド」が付くほどブラック企業で
遊んでいる暇がなかったからだ。
と、自分に言い聞かせている。
朝6時頃に出勤をして、
家路につくのは日を跨いでから。
その日中に帰れれば良いくらいだ。
22時前に帰れるとなれば、
帰ってから何をしようかワクワクがとまらない。
どこで道を間違えてしまったのか。
地元の静岡を離れ、
24歳で上京。
晴れて大都会東京の企業に就職したものの、
配属されたのは、郊外の小さな営業所。
東京には週一ある休日にたまに電車で行くだけで
夢見ていた都会ライフとはほど遠い生活を送っている。
そんな中、7年のフリー期間を経て
今ようやく彼女が出来たのだ。
名前は白石早紀。律より2つ下の27歳。
結構可愛くて小動物みたいな子だ。
まだ、3回しか会っていないが
メッセージを交わす中で話が思いの外盛り上がり、
2度目のデートで告白をしたらまさかのOK。
まさに俺の人生ここからって感じ。
そうこうしているうちに、
目的の家に到着する。
大きく深呼吸をして
インターホンを押すが返事がない。
もう一度押してみるが、同じだった。
「いないのかな」
しばらく玄関先で待ってみるが答えは同じだった。
律は諦めたようにバッグから
自分の名刺と、会社の事務員が作った用紙を取り出す。
見出しにポップなキャラクターが吹き出しで
「お家のお困りごとありませんか?」と、
問いかけている。
今のご時世、こんな紙切れ
入ってたところで即ゴミ箱行きだろうと思う言葉を
胸の内に押し殺し、ポストに投函しその場を後にした。
次の家も同じ結果だった。
「窓に明かりがついてるからいると思うんだけどな。」
渋々、名刺と紙切れをポストに入れ、
その場を離れようと、ふと先程の窓に目を向けた。
すると、
そこにはさっきはいなかったはずの老人の姿が見えた。
「あ。」
目が合った気がした。
だが、老人はすぐにカーテンの影に隠れてしまった。
「いるなら出て来いよな。」
大きくため息を付くと、
その家に背を向ける。
そっちが出てくる気ないなら、
こちらだって営業する気もない。
「今日も契約ゼロかー。」
律は大きくうなだれながら、
蜃気楼で歪む真夏のアスファルトの上を歩く。
風は無く、
ただひたすらに頭上からのじりじりとした
熱気だけが降り注ぐ。
ふと道端に佇む自動販売機に目が留まった。
自販機の前で足を止めると、
先程飲み干した空のペットボトルをごみ箱に捨て、
財布から小銭を取り出した。
500mlのスポーツ飲料を買い、
一気に半分近く飲み干す。
「さっさとあと一件回って帰るか。」
腕時計を見ると、
もう少しで16時を差す所だった。
最後に決めた家では、
感じの良い80代くらいの女性が一人暮らしをしていた。
始めは会社の方針通り進める。
少し詐欺まがいな内容で、まだ問題なく使える家の機器を
もう壊れる寸前だと嘘をつき、交換を促す。
今となっては自分の身にも染みついた営業トークであった。
一人暮らしで身内も近くにいないというその老婆を
騙すことは容易であった。
「じゃあ、交換の工事をお願いしようかしら。
何かあってからじゃ怖いものね。」
完全に自分を信用しきって微笑むその顔を見て、
律は言葉を詰まらせた。
「あ、でもまだもう数年持つと思いますよ。
金額も金額ですし、そんなにすぐに交換しなくても大丈夫です。」
先程とは全く別のことを言い出した律に、
老婆は不思議そうな顔で言葉を返す。
「あらそう?
じゃあまた困ったらお願いしようかしら。」
「はい。またいつでも呼んでください。」
帰ろうと荷物をまとめていると、
すかさず老婆が話しかけてきた。
「こんな一軒家におばあさん一人じゃ勿体ないわよね~。」
「そんなことないですよ。立派なお家で。」
半分本当で半分思ってもない返事を返す。
「おじいさんは一昨年亡くなっちゃってね。
息子夫婦が一人じゃ危ないから一緒に住もうって言ってくれたんだけど。」
「はあ。」
一人暮らしで話し相手がいないのかな。
「でもこの家にもずっと住んでて、いろんな思い出があるからね。
私もいつ死ぬかわからないから、ここで骨を埋めようと思ってるの。」
こういう時の年寄りのもうすぐ死ぬトーク。
未だに正解の返事がわからない。
「まだまだ元気に生きてくださいね。それじゃこれで。」
うまく笑えていたかわからない。
きっと引きつっていた笑顔を残しその家を後にした。
帰り際に、今日は暑いからと言って貰った
キャンディーアイスを咥えながら、まだ沈まぬ太陽を背に
会社への道を辿った。
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会社に戻るといつもの光景が広がっていた。
やる気がないのか、仕事がないのか
デスクトップ画面のまま自分の爪を弄っている事務員の矢野。
彼女は
今まさに事務所の奥で新入社員に怒鳴り散らかしている塚本部長と
不倫をしている。
その手前のデスクには自分にとばっちりが来ない様
出来る限り小さく存在感を消している大木課長。
あの人のことはあんまよくわからない。
とても大人しくてそもそも話したことがそんなにない。
何の仕事をしてるのかもわからないが
よく塚本部長のストレス発散の標的になっている。
大木課長の席の前にデスクが4つ
向かい合わせに島となっている。
左奥から木下。
現在進行形で塚本部長に怒られている新入社員。
その手前が事務員の矢野。
右奥に、同期の五条。
律にマッチングアプリを紹介してくれたイケメン。
営業成績は悔しいが一番だ。
そして右手前が律の席。
「ただいま帰りました~。」
「おかえりなさ~い。」
覇気も気持ちも籠っていない挨拶を交わす。
自分の席の背もたれにスーツのジャケットを掛け、
足元にバッグを置き、席に座るや否や、
塚本部長の声が飛んできた。
「おい!三浦!契約は取ってきたのか?」
「あ、いえ、ゼロでした。」
「お前さあ、何時間廻ってゼロなんだよ!」
「3時間くらいですかね?」
「タダで働かせてやってる訳じゃねえんだよ!
契約の一つや二つ取ってこいや!」
「.....すんません。」
「どいつもこいつも使えねえな。」
すると、塚本部長の矛先は木下へと戻っていった。
「ふう....。」
小さく溜息をついた律に、
横から五条がこそこそと話しかけてきた。
「おい、また怒られてんじゃん。」
五条の口元には笑みが隠しきれていなかった。
「うるせえ、仕事してろ。」
周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声で
ひそひそと話す。
ちょうどそのタイミングで定時を知らせるチャイムが鳴った。
塚本部長の視線が時計に映る。
「もうこんな時間か。まったく。
もういいわ、席戻れ!」
木下は落ち込んだ顔の中に少し安堵した表情を浮かべ
自分の席に戻っていった。
「じゃあ、俺は取引先の社長と
今後を決める大切な会食があるからもう帰るぞ。
お前らはちゃんと仕事終わらせて帰れよ。」
そういうと、塚本部長は自分のバッグを持ち
ジャケットを腕にかけ、首元のネクタイを緩めながら
足早に立ち去っていく。
矢野の後ろを通る時、
肩をすっと撫でて行ったのを俺は見逃さなかった。
塚本部長が出て行ってすぐ、矢野も帰り支度を始めた。
「私も帰りまーす。お疲れ様でーす。」
「「「おつかれーす」」」
静かになった事務所の中、キーボードを叩く音が響く。
二人が退社して十分後に、大木課長も立ち上がる。
「僕も今日は用事があるから帰るね。お疲れ様。」
「「おつかれーす」」
上司が全員いなくなったのを確認して、
律と五条は大きく伸びをした。
「いや~今日は早く帰ってくれて良かったわ。」
律が言った言葉に五条は大きく首を縦に振った。
「いや、まじでな。ほんとだるすぎる。」
律は続けて木下に声を掛けた。
「今日はなんで怒られてたの?」
木下が苦笑いをして返事をした。
「いや、僕が発注書の数量間違えてしまって
100個頼むところ、10個しか頼んでなくて.....。」
「そりゃ、やべえわ。」
律と五条は顔を見合わせて大笑いした。
「ちょっとタバコ吸いに行こうぜ。」
同期の素晴らしい提案に律は賛同する。
「良いね。木下君も行く?」
「いや、僕は吸わないので。」
「いいよいいよ、そんな真面目に仕事してたら頭おかしくなっちゃうよ。
たまには、息抜きしないと。」
木下は少し考えた後、笑顔で答えた。
「そうですね。じゃあ僕も行きます。」
三人はエレベーターに乗り、屋上の喫煙所を目指す。
ビルは四階建てで、うちの事務所は二階。
外のフロアには別の会社が入っている。
四階でエレベーターを降りると、
屋上へ続く階段を目指す。
途中自販機の前で立ち止まる。
「あ、木下君。これで三人分の飲み物買っといて。
俺はブラックコーヒーで。お前は?」
「流石営業トップ、俺にまで奢ってくれるのか。
じゃあ俺はレッドブルで!」
「おま、高いの選んでんじゃねえよ!」
五条の蹴りが俺の太ももに当たる。
「木下君も好きなの買っていいから。
先上がってタバコ吸ってるね。」
と、言いつつ五条は館内禁煙と書かれた張り紙の目の前で
もう火を付けている。
一直線の階段を登ると屋上の扉を開ける。
「おいおい、あっついなあ。
こんな中良く外廻り3時間行けるよな。」
厭味ったらしい同期の言葉に返事しながら
煙草に火を付ける。
「お前と違って成績良くないから、
泥臭いことでもやってかないといけないの!」
火が付くと、大きく煙を吸い込み、
狭い空へと吐き出した。
すると五条が問いかけてきた。
「お前、この会社続けるの?」
「え、何?使えないやつは辞めろって?」
五条は笑って続ける。
「違うわ。こんなクソみたいな会社に居続けるのかってこと。」
正直、転職も考えたことあったが
そんなことしている時間があれば一秒でも多く寝ていたい。
「お前だって、なんだかんだ続けてるじゃん。」
五条は煙草の煙を大きく吸って、
吐き出しながら答えた。
「俺、辞めるよ。」
「え?」
予想外の解答に動きが止まる。
「もう辞表も書いてあるし、
次行くとこも決まってる。」
突然の出来事に頭がぐちゃぐちゃだ。
「え、は?いつの間に?」
「わりぃな。先に辞めるわ。」
「まじかよ。」
気付けば火の付けたタバコは
吸わないまま半分くらい燃え尽きていた。
「...五条さん。本当ですか?」
声のした方を振り返ると、
木下が飲み物を抱えたまま固まっていた。
「やべ、聞かれちゃったか。」
五条はバツの悪い表情を浮かべている。
「お前ら他には誰にも言うなよ?」
「... わかってるって。」
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その後の残業は全然集中出来なかった。
五条は21時頃に仕事をまとめて帰っていった。
木下も22時頃には退社していった。
一体、あいつはいつから計画していたのだろう。
自分は何にも考えていなかった。
ずっとこのまま楽しくない毎日を続けていくだけだと思っていた。
会社を辞める。
五条の言ったその言葉が、
ずっと頭の中を回っている。
あいつが辞めたらどうなる?
自分が成績トップになれるのか?
いや、そんな成り上がりでトップになれる訳じゃない。
てか、そもそもなんで相談してくれなかったんだよ。
仕事に全く手が付かない。
「...俺も帰るか。」
23時48分。
俺はノートパソコンを閉じた。
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次の日の朝。
五時に設定したアラームが鳴り響く。
重たい瞼を擦り、
疲労の取れていない身体を無理やり起こす。
「あーー会社いきたくねーー。」
と、言いながらも着々と出社の準備をする。
バッグを持ち、
いつ買ったかも覚えていない
消費期限が二日過ぎた総菜パンを咥え、家を出る。
いつも通りの通勤路。
始発に乗る。
いつも見る乗客。
会社の最寄り駅につく。
そこから徒歩8分程で会社が見えてくる。
エレベーターに乗り、
二階のボタンを押す。
フロアに到着して扉が開くと、
会社の扉の前で木下と五条が立ち尽くしていた。
「びっくりしたな。
何してんだよ、早く入れよ。」
木下が心配そうにこちらを見る。
「三浦さん...。」
二人を押しのけ、扉を開く。
目の前に広がる光景に言葉を失った。
「は?どういうこと?」
背後から五条が答える。
「...飛ばれたんだよ。」
「...飛ばれた?」
状況が理解できない。
昨日まであったはずの自分たちのデスク。
打合せ用に区切られたパーティション。
過去の顧客データがファイリングされたスチール棚。
何もかもが綺麗さっぱり無くなっていた。
「さっきから部長にも課長にも連絡してるのに、
電話繋がらねえんだよ。」
クソが!と叫び、五条が目の前の壁を蹴り飛ばす。
壁には大きな穴が開いた。
ちょうどその時、
エレベーターの扉が開く。
中から出てきたのは、大木課長だった。
「課長!これどういうことっすか!」
すかさず五条が掴みかかる。
「おい、やめろって!」
律と木下は止めに入る。
大木課長も何が何だか分かっていない様子だった。
「な、なに、どうしたの...?」
二人掛かりで静止させた五条が
大声で説明をする。
「朝来たら事務所がもぬけの空なんすよ!」
「部長も連絡付かないし、
課長もなんで電話出なかったんですか!」
大木課長はずれた眼鏡を直しながら、
もう片方の手でポケットをまさぐる。
「あ、ご、ごめん。
携帯家に忘れてきちゃったみたい。」
「なにやってんすか、もう。」
五条は呆れたように溜息をついた。
「ちょ、ちょっと、見せて。」
大木課長が事務所の中を覗く。
「な、なんで?
僕も何も聞いてないよ?」
その場で膝から崩れ落ちてしまう。
四人はしばらく黙り込んでしまう。
その静寂を打ち切るように、
大木課長が口を開いた。
「そ、そうだ。本社に連絡してみよう。」
それに木下が答える。
「してみたんですけど、電話番号が使われてないって...。
会社のホームページも無くなってました。」
五条がまだイライラした口調で続けた。
「本社の上層部も、部長も親族じゃないっすか。
そこが飛んだとしか考えられないでしょ。」
律はふと、昨日の塚本部長を思い出す。
「給料は?」
「今の現場は?」
「顧客は?」
「俺たちこの後どうなるんだよ。
昨日言ってた、今後を決める会食ってなんなんだ?」
「最後の最後までクソみたいな会社だったな。」
そう呟き五条がエレベーターへ向かう。
「おい、どこ行くんだよ。」
遠ざかる後ろ姿に律は問いかける。
「どこって、帰るんだよ。
俺たちは今日で無職になったんだからな。」
”無職”という言葉が
ようやく現実として頭に落ちてきた。
そうか。
会社が無くなったんだ。
五年間働き続けた会社が。
昨日まであった会社が。
この一晩で煙のように消えてしまった。
「...俺、無職になったの?」




