第26話:【デッドピクセルの空、あるいは崩落する世界(ハードウェア)】
1. 黒い境界線
シオンの映像が消えた後、廃ビルのモニターは激しい砂嵐を残して完全に沈黙した。
しかし、本当の恐怖は画面の中ではなく、現実に起きていた。
バリバリ、と空間が裂けるような乾いた音が響く。
カイが空を見上げると、先ほどまで点のように存在していた『空洞化現象』――あの漆黒の四角形が、アメーバのように周囲の青空を侵食しながら拡大していた。
「……マザー・システムを止めたツケが、予想以上に早く回ってきたな」
カイは携帯端末のログを睨みつける。
文字の入力速度が、空間の処理遅延によって目に見えて低下していた。
「(カイ、あそこ……! ビルが、消えていく……)」
リアが指差す先、数百メートル先の高層ビルが、上層階から順に「ポリゴンが剥がれるように」立方体のノイズとなって虚無へ消えていく。
それは魔法による破壊ではない。
世界というシステムが、その場所の「存在定義」を維持できなくなり、強制的に消去しているのだ。
2. 処理落ちする現実
「走るぞ、リア! 空間のレンダリング(描画)が追いついてない。あそこに取り残されたら、存在ごと『未定義』にされる!」
カイはリアの手を強く引き、崩壊する街を駆け抜けた。
足元のコンクリートが、一歩踏み出すごとに「カクつく」ような奇妙なラグを起こす。
重力方向の演算もバグり始め、身体が不自然に軽くなったり、鉛のように重くなったりを繰り返す。
「(……っ、……あ、足が……!)」
リアの足元、地面のテクスチャが完全に消失し、底知れぬ「灰色の虚無」が広がった。
リアの身体が、その穴へと吸い込まれそうになる。
「しまっ……!」
カイは即座に虚空へ指を走らせた。デバイスがない今、文字を刻むたびに脳を直接電流が焼き焦がすような激痛が走る。
だが、構っていられない。
『A-N-C-H-O-R』
「——《 A・N・C・H・O・R!! 》」
リアの喉から放たれた掠れた叫びが、カイの文字と共鳴する。
虚無の直前で、リアの身体の「座標」が空間に完全固定された。
目に見えない鋼鉄の鎖で世界に縫い付けられたかのように、彼女の身体はその場に踏み止まる。
3. バグの暴風雨
カイはリアを引き上げ、崩壊の境界線から全力で距離を取った。
背後では、巨大なビル群が音もなく灰色の素体へと退化し、最終的に虚無の霧へと消え去っていく。
なんとか安全な旧市街の地下通路へと滑り込んだ二人は、激しく息を切らせながら冷たい壁に背を預けた。
「……はぁ、はぁ……。マザー・システムは、人間の思考リソースを奪うことで、このポンコツな世界のハードウェアを無理やりオーバークロックして維持させてたんだ。その管理者を俺が消した。……つまり、今の世界は、冷却ファンが壊れたまま超高負荷のゲームを回してる状態だ」
いずれ、世界は熱暴走する。
リブートは成功したが、それは「自由な死へのカウントダウン」が始まったに過ぎなかったのだ。
4. 灰色の救世主
「(……みんな、シオンのところへ、いっちゃうのかな……)」
リアが膝を抱え、小さな声で呟いた。
こんな不条理で、いつ消えるかもわからない世界なら、シオンが提示した「思考も言葉も必要ない、完璧な管理の世界」に逃げ込みたくなるのが人間の心理だ。
現に、地上では「シオン様、僕たちを救ってください」と、再び歌を、奴隷の鎖を求める人々の泣き声が響いていた。
「……選ぶのは奴らだ。俺は、思考を放棄した奴らまで救う義理はない」
カイは冷たく言い放ちながら、痛む頭を抑えて立ち上がった。
「だが、シオンのやり方は気に入らない。全人類のデータを『圧縮』して創る神だと? ……そんなのはただの、巨大なバグの塊だ」
カイの端末に、奇妙なノイズ混じりのシグナルが届いた。
送り主のIDは暗号化されているが、そのコードの癖には見覚えがあった。
『バグだらけの世界へようこそ、清掃員の少年。……生き残りたいなら、座標(X:104, Y:882)へ来なさい。面白いものを見せてあげるわ』
「……セシル教授か」
崩壊する世界(OS)の片隅で、生き残った知性たちが、再び動き始めようとしていた。




