第11話:【偽りの青空、沈黙の歌姫】
1. 地上という名の「鳥籠」
数日後。
カイとリアの姿は、地上都市「シンフォニア」の北端にある、うらぶれた港湾区にいた。
見上げれば、そこには完璧なまでに美しい「青空」が広がっている。
だが、カイの目にはそれが欺瞞の塊に見えていた。
空の色、雲の流れ、降り注ぐ太陽の光――そのすべてが、巨大なマザー・システムから配信される『映像』に過ぎない。
文字を知るカイには、空の端々に走るデジタルノイズの縫い目が見えていた。
「……眩しいわね。地下にいたのはたった数日なのに、ずっと昔のことみたい」
リアは深く被ったフードの下から、かつて自分が愛した街を見つめた。
彼女の喉元にあるデバイスは、もはや光を失ったただのチョーカーに成り果てている。
今の彼女は、街角の自動販売機すら起動できない「無能者」だ。
「感傷に浸ってる暇はない。……あちこちに監視用の指向性音波が飛んでる。俺の文字で認識を阻害してるが、長くは持たないぞ」
カイは、手に持った古いタブレットの画面を睨む。
画面には、シンフォニアの全域を覆う巨大な『五線譜』が映し出されていた。
2. 剥がれ落ちる「楽園」
二人が街の中心部へ向かう途中、異変が起きた。
公園で遊んでいた子供たちの笑い声が、突如として砂嵐のようなノイズに変わった。
噴水から噴き上がる水が、空中で立方体のグリッチ(バグ)となって静止する。
「な……何、これ……!?」
悲鳴を上げる市民たち。
だが、彼らにはそれを解決する術がない。
喉のデバイスを使って、あらかじめ登録された『修復の歌』を必死に唱えるが、空中に浮かび上がる数式は虚しく霧散していく。
「基底音(OS)の崩壊が、ついに地表まで漏れ出してやがる。……マザー・システムの演算が、現実の維持に追いついてないんだ」
カイが群衆のなかへ踏み出そうとした時、リアがその腕を掴んだ。
「ダメよ、カイ! 今ここで力を使ったら、すぐに政府に……」
「……放っておけば、あのガキ共は空間の裂け目に飲み込まれる。……リア、一秒だけ道を作れ。文字は俺が書く」
カイは迷わず、空中に指を走らせた。
描いたのは、空間を固定する三文字。
『F-I-X』
3. 名もなき救世主
「(……いけっ!!)」
リアは声にならない声を、喉の奥の『記憶』から絞り出した。
デバイスは動かない。
だが、彼女の細胞が覚えているカイの共鳴波が、彼の文字と呼応する。
カイの指先から放たれた不可視のコマンドが、バグを起こした噴水を貫いた。
刹那。
立方体になっていた水は、本来の流体へと戻り、止まっていた子供たちの時間も再び動き出す。
「……直った?」
「今の歌、誰が……?」
周囲を見渡す人々。
だが、そこにはもう、怪しい作業着の少年と少女の姿はなかった。
4. 第2楽章の目的地
路地裏に身を隠した二人は、肩で息をしていた。
「……ハァ、ハァ……。今ので、完全に捕捉されたな」
「ええ……。でも、後悔はしていないわ」
リアは微笑んだ。
歌姫として「聴かせる」ために歌っていた頃よりも、今の「名もなき守護」の方が、ずっと誇らしかった。
「……行く場所が決まった。シオンが言っていた『ディソナンス』の本拠地じゃない。その真上、マザー・システムの心臓部——中央制御塔『カデンツァ』だ」
カイは街の中心にそびえ立つ、空を貫くような巨塔を指差した。
「あそこの最上階にあるメイン・コンソールを叩く。……世界を偽りの歌から解放して、本当の『文字』をインストールし直すんだ」
「世界のリブート……。全人類が、文字を手にするということ?」
「ああ。……不自由で、残酷で、だけど自由な『言葉』のある世界だ」
二人の視線の先、カデンツァの周囲を、無数の軍用武装ヘリが旋回し始めていた。
地上の全勢力を敵に回した、二人だけの「革命」が始まろうとしていた。




