第四章 返されぬ養い子
それから後のことを申しますと、宗景が凪白のことになるたび、いつも以上に目に見えて心を乱すようになったのは、まったくあの頃からでした。
もっとも、あの男は普段から、何か一つ胸の底へ錘でも沈めているような、重い気配を帯びた男でした。笑うにしても、唇の片端が少し動くばかり。怒るにしても声を荒げず、かえって静かに相手を追い詰めていく。そんな男でしたから、宗景をよく知らぬ者は、あれを感情の薄い冷たい人間だと思っていたでしょう。
けれど凪白のことになると、その静けさの底に、何とも言えぬ苛立ちが立ちのぼってくるのを、私どもは折々目にしていたのです。
何しろ、凪白はその頃には、もう宮中でただの小姓というだけでは済まなくなっておりました。封を扱わせれば誤りがない。鍵を渡せば忘れない。使いにやれば口が堅い。そういう評判が一つ二つと重なるうちに、自然と御前近くへ出ることも多くなったのです。
とりわけ大殿様は、もともと人を見る目の鋭いお方でしたから、凪白のように柔らかく、しかも手先に濁りのない者を、早くから見抜いておられたのでしょう。ある時などは、兵算府から急ぎの誓紙を持って行った折、凪白が御簾の外へ膝をついて差し出しますと、大殿様はしばらくその手もとを見て、
「その方の手は、まだ何にも染んでおらぬらしい」
と、ふと仰ったことがありました。
凪白はただ畏まって、「もったいない仰せでございます」と答えたばかりでしたが、その時の宗景の顔を見た私は、胸の底が冷えるような気がしました。
宗景は御縁の下に控えたまま俯いていましたが、その俯き方が、いつものように静かに考えているというより、何か歯を食いしばって耐えているように見えたのです。
もっとも、大殿様が凪白を重くお扱いになったのも、何も色めいたお心からではありますまい。後には口さがない者たちがそういう噂をしたこともありましたが、私の知る限り、大殿様は誰彼の容色に心を動かされるようなお方ではありません。
あの方にとって大事なのは、あくまで人の美しさそのものではなく、その美しさがどこまで役に立つか、その一点でした。ですから、凪白の顔立ちや声や手つきも、ただ愛玩の対象としてではなく、もっと実際に役立つものとしてご覧になっていたのでしょう。そう言うとかえって冷たく聞こえるかもしれませんが、あの方の胸中には常に都全体の秩序という大きな勘定があったのですから、個々の人間をただ一人の人間としてだけ扱わぬのも、ある意味では当然だったのかもしれません。
けれども宗景は、そうはいきませんでした。
あの男は、兵糧や城門や人質にまで値をつけるくせに、凪白ひとりだけは頑として自分の手もとへ引き寄せておきたがったのです。
たとえば秋口に、大殿様が兵算府の書役や小姓たちへ、寒に向かう支度として衣を賜ったことがありました。凪白もそのうちの一人で、薄い鼠色の小袿を一領頂戴しました。すると宗景は、その日のうちに町の呉服問屋へ使いを走らせ、もっと上等な白地の衣を二領、別に誂えさせたのです。
薬もそうでした。凪白が少し咳をしたと聞けば、宗景は夜中でも医師を呼び、香を焚かせ、湯を沸かせ、まるで幼子でも抱えるような騒ぎを起こしました。
ところがその一方で、凪白が年頃の者らしく外へ気を向けたり、誰かと親しくしたりすることは、ほとんど許そうとしないのです。若い近習の一人が戯れに凪白へ簪を見せて笑っただけで、宗景は翌日、その男の家へ流れていた借財の証文を買い取り、たった半月で都の外へ追いやってしまったことさえありました。
「どうして、ああまでなさるのでしょう」
と、薄井が小声で私に言ったことがあります。
私は、「親代わりなのだから、案じるのも無理はあるまい」と言いましたが、薄井はまだ腑に落ちぬ顔で、「案じるだけならよろしゅうございます。けれど旦那様は、まるで凪白様を箱へでも入れて、どこへも見せまいとなさるように見えます」と言いました。
なるほど、言われてみればその通りでした。宗景の凪白に対する気持には、情というより、何か稀少なものを自分だけの蔵へ秘めておきたいような、妙な執着が混じっていたのです。もっとも、その頃の私はまだ、そこまではっきり考えてはいませんでした。ただ、宗景が凪白のことになると、普段の利いた勘定をたちまち失うのを不思議に思っていたばかりです。
ところで、宗景が凪白を下げ渡してくださるよう願い出たことは、一度や二度ではありませんでした。最初のうちは私どもも、ただ養い親の情から言っているのだろうと思っておりました。実際、宗景が都へ上ってきた当座、戦場跡の村で凪白を拾い、そのまま手もとに置いたという話は誰でも知っていたのですから。
けれども、その願い方が次第に執拗になってくると、事情を知らぬ者でさえ、あれはただの情愛では済まないと感じ始めたのです。
ある折などは、南の関所から徴した鉄税が思いのほか多く集まり、その工面を宗景が見事にやってのけたので、大殿様はたいそう御機嫌がよく、
「望みのものがあれば申せ」と仰いました。
兵算府にいた私もその場に控えておりましたが、宗景は例のように畏まって額をつけながら、
「何卒、凪白をば宮中の勤めよりお下げくださいますよう」と申し上げたのです。
これには、さすがの大殿様もすぐには返事をなさいませんでした。しばらく宗景の頭の上をじっと見ておられ、その沈黙の間が、妙に長く感じられました。
やがて大殿様は、何の調子も変えずに、
「ならぬ」と、ただひと言仰いました。
宗景はなお何か言いかけましたが、その時にはもう大殿様は別の書付へ目を落としておられたので、結局そのまま退くしかありませんでした。
同じようなことはその後も二度三度ありました。褒美を賜るたびに宗景は凪白を願い、そして拒まれるのです。初めのうちは周囲も内心苦笑しておりましたが、度重なるうちに誰も笑わなくなりました。何しろ願うたびに宗景の顔色が悪くなり、拒まれるたびに凪白の目の下へ薄い影ができてくるのですから。
しかも奇妙なことに、大殿様は宗景のその願いを不快には思し召しながら、決して本気で罰しようとはなさらない。そこがまた、私どもにはいよいよ測りがたく思われたのでした。
大殿様が本当に宗景を疎ましく思っておられるなら、とうに兵算府から遠ざけていたでしょう。けれどそうはなさらない。むしろ都合のよい折には宗景を召し、その才覚を使われるのです。宗景もそれを知っているからこそ、引くに引けないのでしょう。
一方、凪白のほうでは、その間少しも宗景を責めるような様子を見せませんでした。かえって宗景が御前から戻って来ると、そっと湯を持たせたり、着物の裾の乱れを直したりと、何かと気を配るのです。その様子がいかにも静かで、いじらしい。宗景の方でも、そういう時ばかりは眼つきがわずかに和らぐことがありました。
けれど、その和らぎも長くは続きません。次に凪白が大殿様の召しで別の役目を仰せつかれば、宗景の顔にはまた元のような、どこか焦げついたような陰りが差すのでした。
そういう折のことでした。
私は暮れ方、兵算府の記録を持って乾き庭の脇を通りかかりました。そこは水のない庭で、風が吹くたびに白砂ばかりが細かく動くのですが、その白い砂の上へ宗景の影が妙に濃く落ちていました。見ると宗景は一人、立ったまま空を見ています。
私は何気なく足を緩めました。すると宗景は、こちらに気づかぬ様子で、袖の中から何か小さなものを取り出して見ているのです。今にして思えば、それは凪白が子供の頃につけていた古い鈴ででもあったのかもしれません。
宗景はそれを掌に載せたまま、しばらくじっとしていましたが、やがて思いもよらぬことに、顔を少し伏せたかと思うと、そのまま肩を震わせたのです。
泣いていたのでした。
私はそれを見て、かえってこちらがいたたまれない気持になり、なるべく音を立てぬよう引き返しかけました。けれどその時、砂の上で小さく鈴の鳴る音がしたので、宗景ははっと顔を上げました。眼のふちに涙があったかどうかは、夕暮れでよくわかりません。ただ、その顔が普段よりなおいっそう痩せて、ひどく心細いものに見えたことだけは今でも覚えています。
宗景は私を見ると、すぐに袖を正し、「何か御用ですか」と申しました。
その声は、いつものように低く乾いていました。私は慌てて、
「いえ、何でもございませぬ」と言ってそのまま頭を下げましたが、心の中では、あの男にもやはり誰にも見せたくない痛みがあるのだと、初めてはっきり思ったのでした。
けれど、その痛みが人間らしいものであればあるほど、なおさら私には、宗景の執着が不吉に思われてきました。
なぜなら、値という値を見抜いてきた男が、たった一つだけ値のつかぬものを持つ時、その男は何よりもそれを失うことを恐れるでしょう。
そして、失うことを恐れる心は、とかく人をもっと大きな過ちへ引きずっていくものです。
ましてその頃、白塔の都の内には、表向きは静かながら、どこか見えぬところで歯車の噛み合うような、嫌な気配が少しずつ生まれていました。大殿様は変わらず穏やかに笑っておられ、兵算府の帳面も日々整えられ、凪白も相変わらず静かな足取りで廊を渡っていました。けれど、それらの何一つとして、もう以前のままではなかったのです。
私どもにはまだ、それが何に向かって動いているのかはっきりとはわかりませんでした。
けれど今にして思えば、宗景が凪白を「返してほしい」と願うたび、その願いが拒まれるたび、都のどこかで目に見えぬ勘定が一つずつ積み上がっていたのでしょう。
そしてその勘定が、やがては都ひとつと一人の人間とを同じ秤へ載せるような、あの恐ろしい夜へつながっていったのでございます。




